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元ナイトレンジャーのジェフ・ワトソンが組んだスーパーバンド「LONE RANGER」(後の MOTHERS ARMY)。 80年代末、ナイトレンジャーが解散(活動停止)後、それぞれのメンバーは新たな活動を模索し、ジャック・ブレイズはトミー・ショウやテッド・ニュージェントらとスーパーバンド「DAMN YANKEES」を組みヒットを飛ばし、ブラッド・ギルスやケリー・ケイギーはソロ活動に勤しんだ。 その中でジェフ・ワトソンは1992年に「LONE RANGER」というギターインストのアルバムを発表。 その「LONE RANGER」のレコーディングに参加したボブ・デイズリーやカーマイン・アピスと早速、バンドを結成した。 当時はどのような流れだったのか、覚えていないが 数カ月後には早々に来日公演が決まったのだった。 公演は下のチラシにあるように札幌、川崎、名古屋、大阪の4箇所で行われた。 チラシではボーカルは元ジェフリアのデヴィッド・グレン・アイズレーと告知されていたが、実際に日本にやってきたのは 見知らぬウィリー・セルツァーなる人物であった。 現在におけるネットの情報では どうやらMR.BIGのエリック・マーティンが過去在籍したバンド「415」にエリックの後任として参加したボーカルだったらしいが、当時そんな情報を知る由もない....。 まあローカルバンドでボーカルをやっていたというぐらいの事だったのだろうか。 ただ どういう経緯で HM/HR 〜 ロック界でスター級のメンバーばかりのこのバンドに加わったのか非常に興味があるが 今となっては全く判らない。 なにせこのウィリー・セルツァーはその後、消息が定かでないからである。 だが、このウィリーが意外に良いのである。 さて 名古屋公演は今池のボトムラインで行われた。 当時は 同じナイトレンジャー好きの同期の友人と出掛けた(下記の『ジェフ・ワトソンの使用済ピック』をゲットした友人である)。 ナイトレンジャー解散後、名古屋で元メンバーによるライヴがなかった中(ダム・ヤンキースが名古屋で初のライヴを行ったのは翌1993年1月である)でのジェフ・ワトソンの来名は "ナイトレンジャー渇望状態"を癒やす絶好の機会であった。 肝心のライヴについては 33年が経過した為 非常に朧気だが以前も書いたように戸惑う事が多かったと記憶している。 なにせここで披露されたほとんどが ボーカル有りの当時、誰も聞いたことがない"新曲"であったのだ。 アルバム「LONE RANGER」はギターインストだったので、なぜボーカルがいるのだろうか?という疑問は元々あったのだが...。 そういうことだったのかと後で気付くのである。 ちなみにこの"新曲"達は、次アルバムである「MOTHERS ARMY」に収録されたのだが、このアルバムで歌っていたのは元RAINBOW〜DEEP PURPLEなどのジョー・リン・ターナーに為っていた。 ウィリー・セルツァーではなかったのが メンバー間のパワーバランスというか知名度の違いなのか なかなか哀しいものがある。 だから、世界初披露となった新曲を聞かされる我々 観客は(少なくとも自分は)戸惑う部分は多かったに違いないと思うのである。 それゆえボブ・デイズリーやカーマイン・アピスがオジー・オズボーン・バンドにいたということで披露された「I Don't Know」が体感的に 一番盛り上がったという記憶が残っている。 もちろんナイトレンジャーの「Don't Tell Me You Love Me」や「Goodbye」、カーマイン・アピスがバンドでドラムを担当していたロッド・スチュワートの「Hot Legs」のカバーを披露していたが それほど強烈な記憶は残っていなかったのである。 時は巡って2025年。 先日、何のきっかけだったか失念してしまったが、ブートショップのサイトで"Aichi"をキーワードに検索をかけてみた。 すると色々なアーティストのブート盤が表示された。 自分も参加したインペリテリやサミー・ヘイガー、ウインガー、ジューダス・プリースト、Queen、レッド・ツェッペリン....多種多彩なバンドの名古屋公演のブート盤である。 順々にその検索頁を辿っていくと 私は気になる一枚が目についた。 『LONE RANGER NAGOYA 1992 DAT MASTER』 「あっこれは!あのライヴのブートじゃないのか?」と非常に驚いた。 その説明文を見ると正にそれは自分が行った 1992年9月15日の名古屋ボトムライン公演であったのだ。 マニアックな幻のバンドの それも33年前の音源がこの令和の時代に蘇っているとは! あらためて驚きと共に感慨深くなったのである。 そうとなれば もうこの音源を聞いてみたいという気持ちに囚われ 購入に躊躇はなかった。 そしてあの時、会場で聞いた生音を33年ぶりに聞き返してみると 当時感じていたライヴの印象とは大きく違うものがあった。 前述したように 無名だったボーカルのウィリー・セルツァーはライブ慣れ、MC慣れしていないのは傍目にも判るものの、歌唱に関しては全く問題はない。 ブートの説明文にもあったようにウィリーはサミー・ヘイガーっぽさ、ロバート・プラントっぽさなどが混在するソウルフルな声を持っており歌唱力は十分なものを持っていたのである。 また誰も聞いたことがなかった戸惑った"新曲"に対しても観客は大いに盛り上がっており 楽曲自体もレベルは高い。 そのボーカル曲の合間には ジェフのテクニカルなインスト、またはお得意の12弦(?)を使ったアコースティック楽曲がセットされてバランスも整っていた。 確かに「I Don't Know」は曲終盤にコール&レスポンスがあるなど判りやすく盛り上がっていたが、やっぱり「Don't Tell Me You Love Me」の盛り上がりも大きかった。 その直前には ジェフのギターソロと共に「(You Can Still) Rock in America」のイントロを弾いていたとは全く覚えていなかったとは(笑) アンコールの「Hot Legs」は なんとなく曲は知っていたので当時は「こんな曲もやるのか」と多少、驚いたものだが音源を聞くとライヴを纏めていい具合に盛り上がっている。 ここではウィリー・セルツァーの煽りも様になっているように感じた。 つまり結構、良いライヴに行っていたんだな。と33年目にして再確認したという感じである。 ブート=海賊盤はそれ自体、違法商品であるのは間違いないのだが、このように過去と現在を繋げる"タイムカプセル"という役割を担っているとも言えるのではないか。と思うのだった。 今年(2025年)10月にはナイトレンジャーは日本で最後の公演を行うことになっている。 会場はグランキューブ大阪と39年ぶりの日本武道館である。 1983年12月の初来日公演以来、ずっと追いかけてきた自分にとっては ナイトレンジャーが遂に最後の日本公演とは俄に信じたくない気持ちでいっぱいであるが、ジャックの話を聞くとそれも致し方ないと思う。 またナイトレンジャーから離れたジェフ・ワトソンは2022年9月に脳手術を受け療養中というニュースも世界を駆け巡った。 彼のFacebookにはその痛々しい手術跡まで公開され「ギターの性能もかなり落ちてしまった」とも書いている。 現在は手の調子を取り戻す努力をしているとあったが、3年近く経過した今 近況は要として知れない。 とても残念なことだが、ジェフのあの華麗な速弾きや8フィンガーを見ることはもう叶わないのではないかと思っている。 それからライヴでも演奏した「I Don't Know」のオジー・オズボーンは先日(2025年7月5日)故郷のバーミンガムのヴィラ・パークで大々的にブラック・サバスと自身の活動終了を記念するライヴ『Back to the Beginning』を行った。 このライヴにはメタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズ、スレイヤー、パンテラ、アンスラックス、マストドンらのバンドやヌーノ・ベッテンコート、ジェイク・E・リー、スラッシュ、K.K.ダウニング、トム・モレロ、サミー・ヘイガー、ロン・ウッド、スティーヴン・タイラーらロックスターが一同に介し8時間以上に渡ってパフォーマンスが繰り広げられたのだった。 パーキンソン病に侵されたオジー・オズボーンは玉座に座ってのパフォーマンスであったが、自分が生でライヴを見た最初の引退ツアーの時(1991年11月)オジーはステージ狭しと走り回り、時にはカエル・ジャンプまでしていたぐらいなのに この時の流れには残酷さを禁じえない。 つまり色々と終わりを迎えようとしているのは紛れもない事実であるということである。 そして もう既に終わってしまったことも....。 忘れてはならない。というかこれがこの音源を聞き直そうと思った最大の要因かもしれない。 上記した『ジェフ・ワトソンの使用済ピック』をゲットしたライヴに同行した友人は既にもうこの世にいない。 数年前、年賀状でその訃報を知った時は唖然としてしまった。 最近は年賀状のやり取りでしか連絡を取っていなかったことにとても後悔をした。 そんな彼と最後に会ったのは 偶然にも いつぞやのエリック・クラプトンのライヴであった。 確か会場のトイレへの長い列に並んでいる時にお互いに気付いたのだった。 その時は 挨拶程度で余り喋ることもなく、変わってしまったメールアドレスを問い合わせることもなく別れてしまったのを今も後悔している。 あの時、正確な連絡先を交換していれば もっと付き合いは深く続いていたのではないか。そう思えて仕方なかった。 彼とはナイトレンジャー再結成後、初の名古屋公演にも行き 感動を共有したという思い出もあったのだから尚更である。 あの涙が出るほど感動した再結成公演は今も忘れることは出来ない。 今回のLONE RANGERのライヴ音源の中には きっと友人の歓声やコール&レスポンスで発した声も収録されているのだろう。 たとえそれは記録にも残らない小さな声だとしても 其処には確かに彼はいた。という事実だけは残っている筈である。 そう考えるとこの音源に出会ったのは 偶然ではなく必然ではなかったのかと思うのである。 【補足】 哀しいことに この記事をアップして僅か、1週間後の7月23日。 オジー・オズボーン逝去の報が世界中を駆け巡った。 その余りにも急なオジーの最後に言葉を失った。 最初はフェイクじゃないのかとも思った。 だが、違っていた。 あの引退公演であった7月5日、地元のバーミンガムで開催された『Back to the Beginning』で痛々しさもありながらも 玉座に座りソロ、BlackSabathの曲を堂々とパフォーマンスをし続けたオジー。 時にはその玉座から立ち上がり、観客にアピールさえしようとしていたという話を聞くにつけ、まだやれるんじゃないか。という期待もにじませるものであった。 だからこそ この早すぎる終わりに唖然とするばかりである。 もしかして、あのライヴがオジーの最後を結果的に早めることに繋がったのかもしれない。 しかし オジーはアーティスト=オジー・オズボーンとしての最後の姿を世界に知らしめることを最優先に選んだのだった。 1980年代、彼は数々の奇行で"マッドマン"という異名を得るに至ったが、今やそんな姿は微塵もない。 しかも、この『Back to the Beginning』のチケット収益金270億円を慈善団体(Cure Parkinson's、バーミンガム子ども病院、Acorn小児ホスピスの3団体)するというニュースも伝えられた。 もはやオジーは"マッドマン"や"闇の帝王"などではない、"聖人"になったと言っていいのかもしれない。 かってランディ・ローズと組んでいた時、ランディとオジーで「天使と悪魔」と揶揄されるようなこともあったが 最後はようやく同じ世界の住人になれたのか。 『Back to the Beginning』でのソロライヴ最後の曲−「Crazy Train」のパフォーマンス中、ステージのバックスクリーンにランディ・ローズが映るシーンがあるが あらためて泣けてくる。 余りにも早い、あっけないというぐらいの人生の終わり方に哀しみも計り知れないが その一方でこの鮮やかな人生の終わりに「あっ晴れ」という気持ちも大きい。 先日のジョン・サイクスのように突然、キャリアが終わってしまい さよならも言う間もなく我々の前から消えてしまうアーティストが多い中、オジーはきっちりと別れの言葉(音楽)を世界中のファンに伝えてくれた。 今は「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいばかりである。 2025年7月 https://www.youtube.com/watch?v=b3OG1_JQB-g |
SET LIST | |
1 | Intro |
2 | Darkside |
3 | Second Nature |
4 | Save Me |
5 | Osaka Rocka |
6 | One Way Love |
7 | Voice Of Reason |
8 | Around the Sun |
9 | Picnic Island |
10 | Goodbye(Night Ranger) |
11 | I Don't Know(Ozzy Osbourne) |
12 | Memorial Day |
13 | Hi-Yo Silver |
14 | Carmine Appice Drum Solo |
15 | Dreamtime |
16 | (You Can Still) Rock in America intro(Night Ranger) |
17 | Don't Tell Me You Love Me(Night Ranger) |
・・・Encore・・・ | |
18 | Hot Legs(Rod Stewart) |