ホメラレモセズ


 散髪を済ませてから、三軒茶屋シネマに映画を観に行った。我ながらハードスケジュール。2本立てなので、トータル4時間は観ることになる。三軒茶屋についたのは、上映開始5分前。まずはラッキー。でもすぐに場所が見つからない。人に訊きながら、ようやく辿りついたのは3分前。セーフ。三軒茶屋シネマは、昔ながらのレトロな映画館で、椅子はボロいけど、やはり歴史の重みを感じる。鉄の棒で仕切られた、見たことのない造りの2階席に僕は陣取った。

 今回観たのは『阿弥陀堂だより』と『至福のとき』。良かったのは、あの『初恋のきた道』のチャン・イーモウ監督作『至福のとき』。見合いに何度も失敗し、今度がラストチャンスと意気込む中年男チャオ。彼は相手の女に気に入られるために、視力を失った娘ウー・イン(その女とは血は繋がっていない)の就職の面倒をみることになった。しかしチャオは貧乏。それでもウー・インのために、自分が立派な旅館の社長と思わせ、安心させながら、彼女を按摩師として(架空だが)雇う。そこからどんな展開が待っているかは観てのお楽しみだが、僕はけっこう泣けた。

 もう一方の『阿弥陀堂だより』では宮沢賢治の詩を寺尾聰が朗読する場面がある。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ……」
 本当に有名な詩だ。だからなのか、今まであまり意識して読んだり聴いたりしたことがなかった。だいたいの意味はわかっていたから。でも、あらためて、ひとつひとつの言葉を噛みしめてみると、なんて味わい深い詩なんだろう。

「欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル」
「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」
「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」
「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」

 こんなにたくさん心に残ったフレーズがある。たったひとつの詩編の中に。

「ソウイウモノニ ボクダッテナリタイ」と思った。

 僕はもともと涙もろいのだが、最近はそれがさらにエスカレートしてきて困る。まあ感動した時にだけ出るんだけど。立派だなあ、宮沢賢治。当分はこの詩が頭の中を巡っている気がする。

 映画館を出ると、どこからか、ポーン、カーンとボールを打つ音が……。しかし、この狭い路地にバッティングセンターなどあるはずがない。それでも音は聞こえてくる。空耳アワーじゃあるまいし。……ふと空を見上げたら、なんとそこに、天空の城ラピュタじゃないけど、バッティングセンターが浮かんでいたのです。実は、三軒茶屋シネマの隣のビルの屋上に小さなバッティングセンターが。螺旋状の階段をのぼり、辿りつくと、そこには3台のマシンがあるだけ。シンプルだけど打ちやすかった。思わず5回も打っていた。外は涙雨だったけど、その日のバッティングはいつになく快調だった。僕の顔を流れていたのは涙ではなく汗だと思う。

 この日もいろいろ不思議な出逢いがあった。出逢うのは人だけとはかぎらない。

2003.4.26