BCJフォーラム(11) ['00/11/12〜]


ご意見・ご感想のコーナー
BCJファンの皆様からお寄せいただいたご意見やご感想などを集めてみました。内容をできる限りBCJのみなさんにもお伝えして、お返事などを頂けましたらあわせてこのコーナーでご紹介していきたいと思っています。是非こちら[makoto-y@mxi.mesh.ne.jp](または[ニフティID:DZE01555])までご意見等をお寄せ下さい。特に投稿フォームは設けませんが、お送りいただいたメールの内容をこのコーナーで紹介させていただこうと考えておりますので、掲載をご希望されない場合は、その旨お書き添えいただけますようお願いいたします。(ご意見・ご感想No.201〜)

*ご意見・ご感想の中の太字表記は、当ホーム・ページの制作者によるものです。

224 《カンタータは礼拝 (3/10のレビュー)》

鈴木雅明さん率いるBach Collegium Japanの第46回定期演奏会/第140回チャペルコンサートのJ.S.バッハ教会カンタータ全曲シリーズ第27回〜ライプツィヒ時代1724年のカンタータ I〜を聴きに,小雨の降る中神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(3月10日15.00-17.00頃)。 その後の懇親会にも楽しく参加させていただきました(約1時間)。

今回は,歌詞から色々と考えるところがあり,「巻頭言」に記されたコラールやカンタータをどのように考えるかについても非常に学ぶものがありました。

曲目は以下の通りで,BWV順に書いてあるチラシとは,順序と題名の邦訳に変更がありました。

ファンタジーとフーガ ハ短調 BWV537
コラール編曲《ああ神よ,天よりみそなわし》BWV741
《みそなわし給え,御神,いかに我が敵たち》BWV153
《浮かれ心の,ひらひら霊どもは》BWV181
休憩
《取れ,おまえの取り分を,そして行け》BWV144
《わが最愛のイエスが在し給わぬ》BWV154
《主よ,御意のままにはからい給え》BWV73

入ってみると,ポジティフ・オルガンが上手側に2台あり,ちょっと不思議な気がしながらも上手端の真ん前に座りました。 上手端にあるポジティブ・オルガンはいつ使うのだろう?もしかして弾き分ける?いやそんなことはない?と自問自答していました。

入り口のところに掲示もあり,また始まる前に雅明さんから説明とお詫びがあり,松蔭のガルニエ・オルガン修復中で,どうしても使うことができなかったので,一番最初の曲ファンタジーとフーガ ハ短調は取りやめになりました。 ちょっと残念でしたが,後の懇親会の時のガルニエさんの説明によると,「松蔭のオルガンは18年しか経っていないですが,とてもそうは思えないくらいあまりにもたくさん弾かれている」そうです。

次のコラール編曲《ああ神よ,天よりみそなわし》では,今井さんと雅明さんの共演で,今井さんが手鍵盤のパートを,雅明さんが足鍵盤の2声部のパートを違うストップで演奏されました。 オルガンが2台用意されていた理由がここでわかりました。ただ,雅明さんが弾かれていたオルガンの低音部分の発声が遅かったりしたのでどうしたのかなと思っていたのですが,後で伺ったところではずいぶん久しぶりに弾くものだったそうです。 曲は途中の転調でお2人が呼吸を合わせてテンポを変えられたところが印象的でした。

前の曲が終わってそのまま《みそなわし給え,御神,いかに我が敵たち》へ行ってカンタータの世界へ行くのが絶妙。 冒頭のD.デーニケの 1.コラール「見そなわし給え」で始まる珍しい構成ながら,「敵」である特に「悪魔」が強調されてその脅威がひしひしと伝わってきます。 アルトによる心に染み入る 2.レチタティーヴォ, 旧約(イザヤ書)の御言葉を語る穏やかなバスの 3.アリオーソ, テノールの苦しげな 4.レチタティーヴォに続き, "O Haupt"と同じ旋律に乗せたP.ゲルハルトの詞による 5.コラールでは神の計画が成就することが歌われ, 続くテノールの 6.アリアでは,激しい弦の動き,チェンバロとオルガンの両方を使ったどっしりとしたコンティヌオ,細かな動きを伴って進み, さらにバスの 7.レチタティーヴォで不安から確信へ, アルトの 8.アリアでは一緒に動く弦2部が印象的で歌も美しく, 最後にM.モラーの 9.コラールで助けを求めつつ締めくくられました。 ホーフマンは「異例なほど質素な作品」と言いますが,3つのコラールを中心に簡素さがかえって印象に残るようなカンタータでした。

《浮かれ心の,ひらひら霊どもは》BWV181でも言葉を音で表現する様が見事。 バスの 1.アリアではチェンバロとオルガンの両方を伴い,「浮かれている様子」が表され, アルトの 2.レチタティーヴォでは逆さまの魂とで損失がわからない心が転調で表され滅びる様が低音で,一方で「キリストの最後の言葉」が力強い低音で, テノールの 3.アリアではコンティヌオにファゴットが加わった上にヴァイオリンパートが復元されて演奏され, ソプラノの 4.レチタティーヴォの後に,最後にトランペットが加わった 5.合唱では途中ソプラノとアルトだけという変化をつけながら締めくくられました。 なお,この曲だけ前田りり子さんが吹かれるトラヴェルソが加わり,再演時の形で演奏されました。

休憩が終わって戻ってみると,チェンバロが片づけられていて代わりにポジティフ・オルガンが置かれていて,驚きました。 これまで今井さんに任せていたオルガンを,レチタティーヴォやアリアの一部では雅明さんも弾かれていました。 さらに,合唱も前半の4.3.3.3からアルトが減って4.2.3.3になっていました(少し記憶が曖昧ですが)。

《取れ,おまえの取り分を,そして行け》は言葉が染みました。 冒頭の 1.合唱では後半になって何度も何度も繰り返されるマタイの福音書の「(向こうへ)行け」"gehe hin"という表現に圧倒され,それは次のオーボエ・ダモーレを伴うアルトの 2.アリアでつぶやくのをやめて「そうではなくてそれに満足せよ,汝の神が汝に割り当てたものに」という中間部の歌詞にしみじみと諭されているような思いで聴きました。 次のS.ローディガストの有名な 3.コラール「神が為すこと,それは首尾がいい」では「彼は我が神」と力強く歌われ, テノールの 4.レチタティーヴォでは突然の転調で足るを知らないことで「苦悩と苦痛」が訪れることが示され, さらにソプラノの 5.アリアで「足ることを知ること Genuegsamkeit 」がつつましやかに歌われて,最後にブランデンブルク辺境伯アルブレヒトの有名な 6.コラール「我が神の望むこと,それが常に成るように」が力強く歌われて閉じました。 このカンタータの詞をホーフマンは「神学的にも,また詩としてみても,ごく凡庸な作品」と記しますが,バッハによって効果的に音楽化されているために,簡にして明である歌詞が心にずんとくるようでした。

テノールの 1.アリアで始まる《わが最愛のイエスが在し給わぬ》では,そのアリアと次のテノールの 2.レチタティーヴォでイエスがいなくなったことが悲痛に歌われましたが,テノールもひっくり返りそうでした。次の 3.コラールはM.ヤーンの詞に乗せて《マタイ》と同じイ長調で(BWV147ではト長調で3拍子)とても美しくイエスを切々と慕い求めながら歌われました。 問題は次のアルトの 4.アリアで,チェンバロはとうに片づけられただけでなく,オルガンをはじめコンティヌオも弾かれないというバセットヒェンで演奏されたことでしょうか(終演後も矢口さんがしきりに驚いておられました)。 バセットヒェンはバッハの教会作品では《マタイ》にも数曲出てきて何らかの意味付けをもってなされるものですので今回の意味付けを尋ね忘れてしまったのが残念ですが,懇親会で雅明さんのお話を伺っていると17日の東京の演奏会ではどうするか,そしてレコーディングではどうするかは未定のようです(ちなみにコープマンはバリバリとチェンバロを弾いています)。 続くバスの 5.アリオーソではイエスがルカの福音書にある言葉を切々と歌い, それに答えてイエスの声を聴いた喜びをテノールが 6.レチタティーヴォで語り,さらにアルトとテノールの二重唱の 7.アリアでイエスが見つかったことを喜ばしい弦の響きに乗せて歌い(中間部の「私はおまえをもう離さない」と語る部分が3拍子になるのも印象的)ました。 R.ブレイズさんとG.テュルクさんのいい意味でのぶつかり合い。 最後にC.カイマンのシンプルな旋律の 8.コラールが「我がイエスを離しはしない!」を最初と最後で囲むインクルージオで歌って喜ばしく終わりました。全体的に少し残念だったのは,一部楽器か何かの調子が悪かったのでしょうか,アンサンブルが全体にばらついていたような落ち着かない印象を持ちました(特に 4.アルトの12/8のアリア)。

私にとってこの日最も印象的だったのが,最後の《主よ,御意のままにはからい給え》。 冒頭のゆっくり目に演奏されたK.ビーネマンの詞に基づく 1.コラールとレチタティーヴォ「主よ,御意のままに」が,合唱の間にソロが組み合わさっていて本当によくできているのが印象的。 「死の際の我が苦しみ」の低さと深さ。 最後に3回繰り返されて次第にクレッシェンドする"Herr, wie du willst"も迫ってきて,単にお題目になりやすい形で「主よ,御意のままに」と言っているのではなくて,その背後にそのためにも「忍耐を我に与えたまえ」と切に祈る姿を見ました。 「主よ,御意のままに」という言葉は,他ならぬイエスが十字架にかかる前にゲッセマネの園で祈った祈り「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39新改訳)に通じるものでしょう。 テノールの 2.アリアの後,バスによって歌われる 3.レチタティーヴォでは,半音階で我らの意思が逆さまで抗い怯える姿が。 続いて(アタッカで)演奏された 4.アリア「主よ,御意ならば」では,「主よ,御意ならば」と歌いつつ途中でピチカートで「弔いの鐘」が鳴って「嘆きが静められた」と歌いながらも,なおも祈りの中で苦闘している姿。 最後にL.ヘルムボルトの 5.コラール「神から我は離れない」が力強く歌われて,このカンタータの中で唯一主語として出てくる"Gott"が一層強く,また最後の頌栄「彼[=神]に賛美と誉れと栄光あれ!」が念を押すように歌われて,カンタータによる礼拝が締めくくられました。
 なお,楽器編成については,所持しているCDではガーディナーが同じように初演時に基づいてホルン(もちろん島田さん)を使用している一方で,ヘレヴェーヘはホルンを使用せずに再演時のパート譜に基づいてオルガンで演奏しています。 最初に聴いたのがヘレヴェーヘで,「なぜオルガンがこんなに目立っているんだろう?」と思っていましたが今回実演に接して理解しました。

コンチェルティストもいつものことながら安心して聴けたので歌詞に集中でき,特にP.コーイさんが力強く時には優しく迫ってくるのが印象的でした。
コンサート・ミストレスは高田あずみさんでした。 楽器では,コントラバスの調律がDADGで4弦を全音下げていましたが,そのために低いDが効果的だったようです(私もエレキベースやギターを弾くときにはよくやりましたが)。

クラウス・ホーフマンによるプログラム・ノートも教えられることが色々とあり,矢口さんも言われていたのですが「やはりすごい」と私も思いました。

今回楽器などのことがあまり気にならなかったのは,安定していたことはもちろんのこと,「巻頭言」で雅明さんが言われていた “この悩みは、蓋し、神の賜物としての音楽が、私たちの存在を遥かに超えて、直接心に働く、ということを体験しない限り、解決することはないでしょう。誰が演奏しようと、音楽が本当に霊的に働く瞬間、その圧倒的な力の前に私たちの技巧などは消し飛んでしまうのです。そしてそこにこそ、音楽の存在理由(raison d'etre)があるに違いありません。” ということの一端を見たからのような気がします。 同時に,今回は歌詞が非常に迫ってきて “その内容がカンタータである時、音楽の本質を求めていけば、礼拝とならざるを得なくなります。”という思いを持ちながら聴く瞬間も多々ありました。

演奏会が終わってからの懇親会にも参加させていただきました(そろそろ後援会にも入らないとと思っている今日この頃です)。 懇親会はいつもフレンドリーな雰囲気が気に入っていますし,毎回新たに知りあいになる方がありますので楽しいものです。
用意されている料理がずいぶん豪華だと思っていたら,最初の挨拶の中でBCJは18.30からレコーディングでそのための夕食で,レコーディングもいつまでかかるかわからないとのこと。 「今日はトゥッティを」とのことでした。 実は,演奏会を聴き終わって,アンコールもなく何か完全燃焼ではないような印象を持っていたのですが,レコーディングが控えているということで納得しました。 ただ,もし懇親会に出ていなければ,ほんの少しもの足らない印象を持ったまま帰途についたかもしれません。
懇親会では前田りり子さんとお話しさせていただくことができました。 りり子さんとは私の在蘭中にデン・ハーグの音楽院でのステージを見に行った時にお話させていただたのですが,昨年の「マタイ」の時にはお話しできなかったので久しぶりでした。 お元気そうに活躍されていて良かったです。 私もトラヴェルソをやってみたいと思い色々と伺ったのですが「リコーダーを吹く人はやりたい曲があってもなかなか音が出ないからジレンマがあるみたいですよ」とのこと。 とてもよくわかりますし,それだけ難しいんですね。 「でも,リコーダーよりも色々表現できますよ〜」とのお誘いに,チャレンジはしたくなります。

次回の演奏会ではシュッツの《マタイ受難曲》が予定されていますが,その終合唱だけながら翌日のイースターに私の教会の聖歌隊でも演奏するべく練習しており,以前から疑問があった箇所についてオイレンブルク版の楽譜持参で鈴木雅明さんに質問させていただきました。 結局はオイレンブルク版が間違いのようで,松蔭にはファクシミリがあるとのことで一度見てみたいものです。 受難曲におけるヘブル語の扱いについても,少しお話しすることができました。 テレマンの《マタイ受難曲》のことにも触れたのですが,「テレマンはあまり好きではない」とのこと。

BCJの神戸定期も次回から新年度に入ります。 次回はバッハを離れますが,シュッツの《マタイ受難曲》はバッハのそれとはまったく趣が違うので楽しみです。

第144回チャペルコンサート(受難節コンサート2001)(4月14日(土)15.00-)
H.シュッツ《マタイ受難曲》SWV479
C.デマンツィウス《ヨハネ受難曲》
(竹内茂夫様) (01/03/15)
 竹内さん、神戸では久しぶりに色々お話しできて楽しく過ごさせていただきました。是非「BCJ神戸公演後援会」にもご入会ください! そして、詳細なレポート、ありがとうございました。あのコンサートからまもなく一週間。BISによるレコーディングを経てBCJのカンタータがどのように練られたのか、明日オペラシティで確かめてきます!
 私も今回のカンタータについて10日にうかがって気づいたことを「カンタータ・データ」の中に追記してみました。BWV154アルト・アリアのバセットヒェンについては、プログラムのホフマン先生の解説に書かれていますね。懇親会でこのことを鈴木雅明さんとお話ししたときにはBWV105のソプラノアリアと同じ様な感じのバセットヒェンですね、とうかがい、なるほどと思いました。しかし、コントラバスの調弦については気がつきませんでした。色々な工夫をされているのですね。今年度はなかなか日程が合わないのですが、松蔭にもまた“詣で”たいと思っています! (矢口) (01/03/16)

223 《秀美さん@札幌》

矢口さん、こんにちわ。
先月27,28日に行われた、札幌コンサートホール「キタラ」小ホールにおける鈴木秀美さんの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会を聴く機会を得ました。仕事が輻輳していたものですから合間を抜け出してコンサートを聴き、会社に戻ってまた夜中まで仕事をして・・・という繰り返しだったので、心底しびれることが出来なかったのが残念至極です。(中略) 三年越しの念願でBCJの片鱗を耳にすることが出来、大変幸せであると同時に更にフラストレーションが鬱積する結果となりました。

一夜目奇数番の演奏。このホール経験は秀美さんも初めてだったでしょうし、小生も初めてでした。
座席のせいもあるのでしょうが、非常に響きがよく(響き過ぎ?)、小さなチェロの音が左右一杯に広がって聞こえてきます。ですから和音については申し分のない響きなのですが、早いパッセージでは前の音と重なって聞こえたり、なかなか音の響かせ方って難しいものだと思いました。演奏は・・・? いえいえ、演奏がどうこうと言えるほど耳が肥えておるわけではありません。ただただ感動に次ぐ感動です。
ある時はささやくような、ある時はこれでもかと言うくらいに力強く“キタナイ”音でバッハを伝えて下さいました。
音量は決して大きくはないが、秀美さんの体から発せられるエネルギーとホールの響きの良さが相まって、秀美さんのバッハを100%堪能させていただきました。
擦弦楽器の音が清澄であるはずがありませんが、金属弦よりも高調波成分が多く、独特の響きを持った音色は別格のものでした。
以前にも秀美さんの演奏を生で聴いてはいるのですが、オーケストラの中での音と、独奏での音、それも至る所に和音をちりばめた音は感動ものでした。あとでCDをじっくり聴き込んでみましたが、漫然と聴いていた時と生を聴いた後とではCDの音すら全く別物に聞こえてきたのが全くもって不思議です。
背景のアンナ・マグダレーナの写譜をコピーしたという巨大な「一反木綿」、圧巻でした。シンプルかつこの上なく印象的なとても素敵な演出だったと思います。
楽器はおよそ500年前のものということですが、いいものは何百年経ってもきちんとした体裁と性能を維持しているものなのですね。
五弦のピッコロに非常に興味を持っていたのですが、が意外に大きかったのが印象的でした。ビルスマ氏のCDジャケットの絵からするともう少し小さいイメージを持っていたものですから・・・。注意してみていると、確かに左手の動きに無駄というか無理がなく、非常に小さなストロークで演奏されていました。四弦だとこうはいかないということなのでしょうね。

二夜目偶数番の演奏会は、ちょうど隣の大ホールで鮫島有美子さんのコンサートが行われていました。
共通のロビーに両方の観客が押し寄せていたのですが、客層の違いをまざまざと見せつけられた思いがします。
二夜続きで演奏すると気持の継続が難しいと思いますが、二夜目の出だしの音が前夜と全く違っていわゆる「のった」音に聞こえたのは私の思いこみだったのでしょうか?
同行した調律師の先輩が仰っていました。「特に二夜目の出来が素晴らしかった。日本人の演奏でこれほどのものを聴いたのは初めてです。いい演奏会を教えてくれてありがとう。」 この言葉が小生の気持を代弁して下さっていると思います。

素晴らしい「和声楽器」であるチェロを堪能させていただきました。秀美さん、どうもありがとうございました。

越野義貴@札幌

(越野義貴様) (01/03/06)
 越野さん、21世紀の“秀美の無伴奏”開幕演奏会(?)のご感想、ありがとうございました! 私も昨年秋にうかがった演奏を思い浮かべながら拝読させていただきました。あの時の感動が甦るようです。「キタラ」の小ホールも響きの豊かな会場のようですね。いつも「ガット・カフェ」を開催(開店?)してくださっている東京オペラシティ内の「近江楽堂」も豊穣な響きのあるスペースです。どんな感じの空間であったのか、今度おうかがいしてみたい気もします。
 初日のご感想の続きにチェロ・ピッコロのお話をお書きくださっていますが、もしかして初日のアンコールはチェロ・ピッコロの演奏だったのでしょうか? ヴァイオリンの曲の編曲系かな? 想像をかき立てられます!
 今回、ソロの響きを堪能いただいたようですので、本当に一日も早く再びBCJご一行様「キタラ」のステージに立つ日が来るといいですね! P.S.カンタータCD 13巻はいかがですか? (矢口) (01/03/09)
 
 3/10のBCJ神戸公演のあとの懇親会で鈴木秀美さんに、札幌kitara小ホールでのコンサートについてさっそくご感想をうかがってみました。
 はじめてのホールでしたが、大変気持ちよく演奏でき、是非また訪れたいところになったとのことです。響きも充分な上、特筆すべきは湿度のコントロール(空調)が完璧だったこと。敏感なガット弦ですが、一日のコンサートでチューニングし直さなくても済んでしまったぐらいだったとのことでした。
 さらに越野さんも言及されている“背景のアンナ・マグダレーナの写譜をコピーしたという巨大な「一反木綿」”。これは長い和紙に1番から6番までのA.M.バッハの筆写譜の一部をコピーして作ったもので、昨年秋のツアーでも飾られていたのですが、6曲を一枚の和紙にすべて入れたのは今回が初めてでしょう。しかもその巨大な和紙を、秀美さんが提供してくださった右の写真のように、あたかも木漏れ日の中でバッハを弾いているようにホールの係の方がすすんでライティングしてくださったこともとてもうれしかったとのことです。越野さん、よかったですね。秀美さんをはじめとしてBCJのみなさんに次々に kitara で演奏してもらい、是非いつの日か再びBCJ自体の演奏会が札幌でも開かれることになるよう祈っています!
(矢口) (00/03/14)

222 《「CD情報」!》

矢口さんお久しぶりです・・・いつも同じ挨拶(笑)。

カンタータ第13巻の国内盤が発売されます。
2月21日発売で、キング KKCC-2302、¥2,800です。
小生は当然予約しましたよ。

今月末行われる、秀美さんのコンサートチケット、連日券でゲットしました。秀美さんのCDと、「『古楽器』よ、さらば!」を買い込み、目下プレレクチャー中です。
年甲斐もなくうきうきの毎日です。
越野義貴@札幌
(越野義貴様) (01/02/16)
 越野さま、こんにちは! 今日、 BCJ・カンタータCD 13巻国内盤の発売ですね。ここのところの“BCJひでり”(?!)を癒してくれるニュースです。是非お聴きになってのご感想等もお寄せください!
 秀美さんイタリアでの指揮のコンサートを終えられたころでしょうか。こちらも迫ってきた21世紀初の“秀美の無伴奏”、札幌の大地にどのように響くのか楽しみでなりません。(自分は聴けないのですが・・・。→いつもの越野さんのセリフですね!) こちらのご感想も是非教えてください。CDとはまた違った味わいがきっとあるはずですので。 (矢口) (01/02/21)

221 《「音楽の捧げもの」よ、バッハの祈りよ! (2001/1/7) 》

VIVA! BCJ, 矢口さま、BWV1079 by BCJ の personal impression を送ります!
 
 演奏会の外は雪が降っていました。。。演奏会の余韻と天上から降ってくる雪のひかりのポリフォニーの中を歩いてゆくのは、至福の時間でした。。。
 21世紀、最初の演奏会、私の最も好きなBach 作品、「音楽の捧げもの」 by BCJを聴きに彩の国へ参りました。(1/7)

 偶然にも、埼京線の与野本町を降りると、矢口さんはじめ、カメラータや、東京バッハアンサンブルの方々と遭遇し、また、フィンランド在住のY先生という方も、一緒で、迷わずに会場に向かうことができました。ここが、BCJのクリスマスオラトリオの録音会場でもあること、喜びが泉のように湧いてきます。

  ロビーにいらした武田事務局長に、それぞれが新年の挨拶を済ませ座席に着きました。 A happy new century !BCJによる最初の演奏会! プログラムの最初の曲は、トリオソナタ ト長調、私の席は1階 I 列4番、こじんまりとした古楽演奏のための会場はステージもよく見えて、心地よい響きです。
 
  次に、雅明先生の「カノンのお話」。とても楽しくて、明快で、これから聴く音楽の集中力を高めました。(テンポが良くて、要領を得ていて、成る程、レクチュアー人気が高いわけです。)
 プログラムの巻頭には、<音楽の捧げもの>に寄せての詩がありました。
各行の頭文字を縦に読むと「音楽の捧げもの」となり、また逆行カノンでもあり、さらに詩全体がアルファベットのB(BachのB)を描いていました。そして素晴らしいことには、詩は、Bach、小川氏によるものであるということです。小川未明の御子孫であられる、詩人のバッハ・小川英晴氏の詩は、本当に素晴らしく、心を打たれます。こうして音楽監督より、バッハの音楽の不可思議、奥深さをお話し頂き、14のカノンを、傾聴致すという絶好の機会に恵まれたのです。

 第2部はいよいよBWV1079です。
 雅明先生のチェンバロが、第1音を奏でました。孤高な気品の中に懐かしい旋律が、音色が、新藁の匂いをつれてくるようで、音楽家の優しさやヒューマニティーが、洗われたような春星の連鎖をなして『ガラス玉遊戯』は、純粋時間を研ぎ澄ます、、、幾たびも、幾たびも、透明な青いガラス玉は、音の創造を繰り返し、繰り返し、その限りない青を溢れ出し、精神の音楽は鳴り響きます。チェンバロ:鈴木雅明さん、広瀬麻美さん、フラウト・トラヴェルソ:前田りり子さん、第1ヴァイオリン:S ・クイケンに師事された若松夏美さん、第2ヴァイオリン・ヴィオラ:高田あずみさん、チェロ:the very bowing master! 鈴木秀美さん(無伴奏チェロの感動が蘇ります!)
 CDでは、クイケン(カイケン?!)兄弟 version が好きで、聴いているのですが、初めて聴く全曲生演奏、全く大好きな曲であり、幾何学模様の、完全な調和は、知的遊びが数多になされ、曲全体が素晴らしい完成作品であり、まさに天才的作品であるといえます。
 BCJの flavour で、手作りの、家庭的なあたたかさが香ってきます。
ターシャチューダーは、*雪は林檎の匂い* とクリスマスブックに書いていますが、演奏会の間にも雪が降っていたのでしょう。それは、神に賜りし全き純粋時間でありました。聴衆は、雪の結晶のような青き瞳を持ち、優しさのカノンが満ちゆくのを実感しました。そして、崇高なチェンバロの、フラウト・トラヴェルソの、ヴァイオリンの、チェロの、最後の音が一斉に放たれ、一斉に止みました。沸き上がる拍手の中で、心の中で、カノンは続いていました。孤高なまでに透明な響きを追い求めていた演奏家の、聴衆の、心の中に、、、なんと、アンコールです!!
 雅明さんのポジティフオルガンが、優しい一音を奏でました。そしてそのあたたかな音色は、すべてのものを解き放ちました。アンサンブルのチェンバロの、ヴィオロンの、チェロの音色が優しさで包み込んでゆくようです。美しく、懐かしく、優しいオルガンは、ひかりのポリフォニーを奏でてゆきました。「ああこれが、BCJの音楽言語なんだ」と実感しました。
 「本質的、永続的なものは、霊感による僅かな稀な時間の中でのみ実現する。崇高な、忘れがたい時間というものは稀である。」 (by S・ツヴァイク)
心からの、*人類の星の時間*でありました。与えられた機会を神に感謝します。


「音楽の捧げもの」よ
楽曲に託された バッハの祈りよ
(ドナ)ノビス パーチェム(我らに平和を!)
捧げし神への愛よ
月光の下
もう一度 祈れり
(ドナ)ノビス パーチェム
(ドナ)ノビス パーチェム
もう一度 祈れり
月光の下
捧げし神への愛よ
(ドナ)ノビス パーチェム(我らに平和を!)
楽曲に託された バッハの祈りよ
「音楽の捧げもの」よ
  

 バッハの音楽への情熱を、「月光の下での筆写」のエピソードより「月光の下」で、生涯を通しての精神を、最晩年の作品、「ミサ曲ロ短調」より、平和の讃歌「ドナ・ノビス・パーチェム」をその結晶として象徴させました。
 時代や宗教を越えた、もっと広大で普遍的な祈りのために創作されたこの作品の精神は、62歳に完成させた『音楽の捧げもの』と通じ、またその原点は、「月光の下での写譜」の努力であると考えます。
 「音楽とは魂が知らず知らすのうちに数を数えること」とは哲学者ライプニッツの言葉だそうですが、この拙詩、14行詩(ソネット)となりました。(巻頭詩に触発され私も試みましたが、お目を汚すことになり、失礼をお許しください。)

From *心からのBCJの聴衆のひとり* Akiko Suzuki
(Akiko Suzuki様) (01/01/17)
 Akiko Suzuki様、21世紀最初のBCJコンサートの personal impression 、ありがとうございました! ご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。拝読してあの雪の舞う与野の街を思い出しました。エーテボリ在住のオルガン博士(?)、横田先生と、夏のバッハ・オルガンツアー以来の再会を果たせたことも夢のようでした。(横田先生にはオルガンツアー中、各地のオルガンについて、色々教えていただきました! 今回は本当に久しぶりの帰国だったそうです。)
しかし、本当に色々な仕掛けのあるコンサートでしたね。ご紹介いただいた小川さんによる詩と音楽のコラボレーションも実に素晴らしいものでした。小川さんの当日の作品もご紹介したいのは山々なのですが、やはり著作権の関係で慎重にならざるをえません。それを補うような Akiko Suzuki 様の14行詩、ありがとうございました。14(バッハの象徴数)という数字がにくいですねぇ! そしてその中に込められたバッハの情熱と精神も我々を勇気づけてくれます。「月光の下での筆写」で有名なオールドルフバッハの兄の家の跡を訪れたことも思い出しました。(ちなみにその跡地、今はのんびりとした暮らしを営む民家の庭先でした。) 詩人の小川さんはBCJの演奏会によくお見えになっていらっしゃるとのことでしたが、実は昨年の秋、鈴木雅明さんと『詩と思想』という雑誌の企画で対談をされていたそうです。その対談の様子は同誌11月号(「特集 バッハ −ポエジー・宇宙との交響−」)に掲載されていたとのことです。(座談会「バッハの世界 ポエジーの源泉を求めて」:鈴木雅明/大原哲夫/小川英晴(司会)、他にもバッハ関連の評論([バッハ略記 カンタータ第一四〇番のことなど(田口義弘)]、[バッハ 宇宙との交響(小川英晴)]、[バッハ、次の千年平和説に マタイ受難曲に観る詩と音楽と宗教(武田肇)]、[バロック音楽の魅力とポエジー 涙の石音 (藤本真理子)]、[ロ短調ミサ曲の「言葉」の世界 バッハにおける「崇高」について(川中子義勝)]、[『フーガの技法』への断片(坂井信夫)])も掲載されているとのことですので、機会があればバックナンバーを手に入れて是非拝見してみたいものです!(連絡先:土曜美術社出版販売 Tel:03-5285-0730、Fax:03-5285-0732、mail:doyobi@vc-net.ne.jp)
 次のBCJコンサートまではしばらく時間があいてしまっていますが、今世紀もBCJが我々に確かな“ひかりのポリフォニー”を届けてくださることを確信させてくれるコンサートだったと思います! 3月のカンタータ・コンサートが待ち遠しいですね。  (矢口) (01/01/30)

220 《「音楽の捧げもの」は絶品でした!》
 
 1月7日、今年初の演奏会でBCJの音楽の捧げものを聴きに埼玉に行ってきました。彩の国は初めてでしたが、立派なホールと満員の熱心な聴衆におどろきました。
 前半のカノンについての鈴木さんのレクチャーも有意義でした。(カノンとフーガの違いを今回初めて知りました。まったく恥ずかしい話ですが)
 後半の音楽の捧げものは、冒頭の3声のリチェルカーレでの鈴木さんのチェンバロ(普段この曲に感じる重苦しさが微塵もなく、実に伸びやかで悦楽に満ちた演奏でした)も見事でしたが、続く一群のカノンの演奏は最高にスリリングでした。単調になりがちなカノンをこんなに豊かに解読し、それをかくも見事に演奏することが可能だったとは本当に驚きました。特に螺旋のカノンでの低弦から順次ビオラ・ヴァイオリン・フルートに旋律が「螺旋状に」昇ってゆく編曲は実に素晴らしいアイデアだと思います。前半のレクチャーで鈴木さんは、「カノンの演奏にちょっと工夫をした」と言われたましたが、これはまさに天才的なアイデアだったと思います。そしてその後のトリオソナタ! 鈴木兄弟の合奏というこの上なく豪華なコンティヌオに支えられ、前田・広沢・若松・高田さんの何という優雅で豊穣な音楽が繰り広げられたことでしょう、ただただ絶句するばかりでした。
 最近の学説では、この曲は実際に演奏するより楽譜の上で読むべき音楽だという説が有力だそうですが、とんでもない誤解であることが今回見事に証明されました。この曲を捧げられたフリードリッヒ大王もこんな途方もない名演奏が可能だとは夢にも思わなかったに違いありません。まったく素晴らしい演奏でした。

 帰りのビアホールで変なことから友人と激論になり、賭けをする羽目になりました。今回の6声のリチェルカーレは鈴木さん・広沢さんの2人で見事に弾かれましたが、私は本当は鈴木さん1人の演奏で聴きたかったと言ったところ、友人は1人で6声を弾き分けるのは絶対に不可能だ、1人で弾いたレオンハルトのCDは多重録音だと譲らず、ついに5千円の賭けになってしまいました。賭けともなれば負けるのも口惜しいことですが、矢口さんはどう思われますか、何か良い情報があればお知らせ下さい。
(玉村 稔 様) (01/01/09)
 玉村様、コンサートが終わってすぐにご感想をいただきありがとうございました。なんやかんやでこちらでのご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。お便りにもありますように、21世紀最初のBCJのコンサートは実に様々な刺激に満ちた有意義なひとときでしたね。
 私も実はこの「音楽のささげもの」には思い入れがある方でして、高校生の時に器楽アンサンブルで6声のリチェルカーレを演奏して以来、バッハの数多くの作品の中でも早くから色々な演奏に親しんできた曲です。ミュンヒンガーの弦楽アンサンブルをベースにした演奏で聴き始め(この演奏では3声、6声のリチェルカーレも弦楽合奏です!)、ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリスデンのコンサート、そして日本勢では有田さんのCDや渡辺順生さんの演奏、今回も妙技を聴かせて下さった若松夏美さん小島芳子さんを中心としたアンサンブルの演奏などで楽しんできました。
 今回の演奏の特徴はやはりなんと言っても鍵盤楽器の使い方にあったと思います。各種カノンでのチェンバロの効果的な活用など、大きな聴きどころでした。王の栄光が楽器の音域が無くなるところまで昇りきった螺旋のカノンやはじめに全楽器のユニゾンでテーマを提示した4声のカノンなど、その工夫に唸らされました。そしてポイントは、玉村様もご指摘のようにこのようなある意味“理詰め”の音楽が、見事に“音”ではなく“音になっていたことです。今回はこのコンサートでの演奏のみでレコーディングは行われなかったとのことですが、さらに工夫に工夫を重ねて、BCJならではの「ささげもの」が世に問われることを待ちたいと思います。
 さて、玉村様とご友人の賭けについてですが、私の証言を信じていただけますなら決着がつきます。6声のリチェルカーレ、この10本の手指しか持たぬ人間にとって極限の多声音楽お一人で演奏している姿を、私は何回か目撃しました。確か渡辺順生さんの演奏は2回拝見しましたね。私もこの目で見るまでは信じがたかったのですが、本当に一人の人間が演奏できるものなのですね。スゴイことです。しかし、今回の2台のチェンバロによるステレオ効果満点の演奏も大変素晴らしいものでした。特に、お一人の演奏では見えなくなってしまいがちな掛け合いの構造が手に取るようにわかったことが素晴らしかったですね。5000円はこれで玉村様のものになるのでしょうか!? またのお便りをお待ちしております。  (矢口) (01/01/29)

219 《 A Happy New Century!》

 VIVA! BCJ 矢口 真さま、明けましておめでとうございます ! 昨夏より、演奏会のお礼の手紙も失礼してしまい日々刻々と時が過ぎ、ついに21世紀を迎えました。

 BCJの「音楽の捧げもの」が開幕ですね。VIVA! BCJ にはすごい情報が掲載されており、驚きました。なんとしても聴きたいです! Bachの作品の中でも最も好きな一曲であり、これまでクイケンご兄弟のCDを幾度聴いたことでしょう。
 生演奏については、去る11/8、ヒロクロサキ氏(v)中村氏(F)諸岡氏(celo)Volfgang G.(cem)、桐山氏(Viola)等の演奏を聴かせていただき、抜粋でしたが解説もありステキな演奏でした。VIVA! BWV1079!
 そして、待望のBCJの「音楽の捧げもの」! 21世紀の First concert であり、しかも雅明先生の解説もありという素晴らしさ!明日が楽しみですね!
 
 さて、2000年の夏には、・BCJの世俗カンタータやアンコールのマニフィカト(T.O.C.)そして、・7月の命日に聴くバッハは、全世界へ生中継のヨハネ受難曲*ロビンのアリアに傾聴(suntry H.)、・9月、絵のようなカンタータ(Chapel)、・11月、祝祭的なカンタータ(Chapel)、*キリスト教についての私の愚問に、音楽監督は「Was Gott tut, das ist wohlgetan! (神のなさることはすべて良きこと)」と瞬時に書いて下さり、「キリスト教は勿論性善説です。」と言われ大変嬉しく思いました。(BWV69a第6曲のコラール[1999、10月]を想起。) ・鎌倉雪ノ下教会での鈴木雅明氏の「待降節のオルガン」は、故島崎光正氏 (詩人)にも加藤常昭牧師にも、きっと届いていたことでしょう。大気が澄み渡る霜月に、薄氷を踏み神が歩み来られるようなパイプオルガンの響きに、こころ打たれました。そして・鈴木秀美氏の「無伴奏チェロ組曲」*実に心のともしびでありました。スポットライトに一人、秀美さんが奏でるバッハ、矢口さん曰くの HIDEMI,THE BOWING MASTER でした。(我が家族4人が秀美さんの無伴奏を聴くことができました。)(Shirakawa H.) ・12月、残念ながらBCJのミサ曲ロ短調は聴くことができませんでした。が、BCJよりクリスマスカードが届き、耳を澄ますと少しだけ、聞こえてきたのです!?(ステキなカードを頂きましたこと感謝申し上げます。) 「曲が進むごとに音が渦巻き、それに巻き込まれていく感じですね、、、」と、矢口さんがBCJの「ミサ曲ロ短調」について書いておられますが、それを読んで、私は ある一節を思い出したのです。 、、、、、

   魔法の記号の神秘により、
   われらは高められる。その記号の流れの中に
   果てしなきもの、荒れ狂うもの、生命が、
   明澄な比喩となって流れていたのだ。
 
  比喩は星座にも似て、水晶のごとく鳴り響く。
  その比喩に仕えることにより、われらの命、意味を得た。
  何人もその円環より落ちることなし、
  聖なる中心に向かって落ちることのほかには。 
 (「ガラス玉遊戯」より)

 この最後の2行を思い出したのです。BCJの「ミサ曲ロ短調」に巻き込まれてゆく不思議な感覚を21世紀にこそは、是非、体験したいと思います。

 浜松バッハ研究会の同曲(指揮、三澤氏)で20世紀の最後の年を聴き初め、(生演奏で聴くのは初めてで、皆さん暗譜をしておられ、圧倒された感がありました。)そして、友人に誘われ、12月に、太刀川 さん、波多野さん、平松さん等(BCJでもお馴染み)がソロで出演のモダン楽器演奏(指揮、間宮氏)を聴く機会を得ました。(私はやはり、古楽器演奏が心地よい、好みであることがわかりました。)
 BCJの演奏会の日にはCDガーディナー盤(ソプラノの一人はナンシー・アージェンタさん)を購入し、ミニチュアスコアを片手に演奏開始時間にあわせて聴いていました。本物のBCJ版は、21世紀のお楽しみ?!となってしまい、聴きにゆけなかったのは本当に残念なことでしたが、皆さんの Forum 投稿記事より想像してみては、BCJは、格別なんだろうなと、ヘッセの詩が、巡っています。、、、何人もその円環より落ちることなし、聖なる中心に向かって落ちることのほかには、、、。
 
 今年度は、クリスマスオラトリオやヘンデルのメサイアも聴かせていただけるとのこと、(ロビンの透明感溢れる生粋の英語かしら?等々)期待しています。どうぞ、音楽監督の精神性溢れるBCJをこれからも聴かせていただけますように!多くの素晴らしい受賞おめでとうございます!!
 VIVA! BCJ の情報発信そして、フォーラムの友情の和で、BCJのごとく我ら聴衆も美しいハーモニーを共に! 心より、矢口さんに感謝申し上げます。
 そして、美しい音楽と共にまた、Initiative であり、原動力であるBCJに感謝いたします。  かしこ   
From Akiko Suzuki
(Akiko Suzuki様) (01/01/06)
 21世紀最初に「フォーラム」に頂戴したお便りがこのAkiko Suzuki様からのものでした。2000年のBCJを振り返り、2001年、21世紀のBCJと我々聴衆の姿に思いをはせるお便り、ありがとうございました! このお便りをいただいたのがBCJの21世紀オープニングの「音楽のささげもの」の前日でした。その後、この「ささげもの」についてもお便りをいくつかいただいておりますので、追ってこの「フォーラム」でご紹介させていただこうと思っています。今しばらくお待ちください。
 お書きいただいた昨年のコンサートのうち、11月の鈴木雅明さんの鎌倉でのオルガンコンサートについてはこちらに報告がUPされています。また、このコンサート実現のきっかけにもなった鎌倉雪の下教会東野尚志牧師の説教こちらで読むことができます。よろしかったらご覧ください。お便りにもあるように、このコンサートの開かれた11月25日、その2日前に亡くなられた詩人の島崎光正さんの告別式に向かうため、雅明さんのオルガン演奏を心待ちにしていらっしゃった同教会の加藤牧師は、雅明さんにくれぐれもよろしくとお伝えになり長野県塩尻市の告別式に向かわれたとのことでしたね。印象深い出来事でした。
 なるほど、BCJの「ロ短調」ヘッセの「ガラス玉遊戯」の詩の組み合わせですか。これは私にもたまらない組み合わせで、なるほど、と唸ってしまった次第です。そう、BCJの「ロ短調」体験はまさに「聖なる中心に向かって落ちる」という感覚でもありましたね。今年の秋にもきっとこの素晴らしい感覚を日本でも味あわせてくださるものと期待しましょう! 
 今世紀も、BCJと我々聴衆の織りなすハーモニーのために微力を尽くして行きたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします! そういえば鈴木雅明さんは明日1月25日、「毎日芸術賞」の授賞式ですね。重ねてお祝いを述べさせていただきます。おめでとうございました!  (矢口) (01/01/24)

218 《クリスマス・オラトリオを歌いました》
 
矢口様御無沙汰しています。12月10日に石橋メモリアル・ホールでクリスマス・オラトリオを歌いましたその後の感想などを報告(ちょっとおおげさですね)をいたします。

当日は午後12時30分からゲネプロがはじまりました。金管抜きでオーボエ、弦楽合奏、コンティヌオがついた練習は以前に、三軒茶屋教会で2回行っていたので、この日はトランペット、ティンパニがついた合同練習そのものでした。

こういう本格的な演奏に出場するのは高校の吹奏楽の定期演奏会いらい初めてだったので、本番のときは緊張しまくりでまいりました。歌った曲は教会カンタータ第16番「主、ほめ歌わん」と、クリスマス・オラトリオの第4から 第6部までです。

お客さんの反応が心配だったのですが、教会カンタータのほうは意外と暖かい拍手をいただいたので歌って良かったー!と思いました。しかし問題なのはクリスマス・オラトリオです。どんなハプニングがおこるのやら、、と緊張しながら第4部がはじまりました。
うーん、なんとかいけるのかも?と考えながら歌って、ホルン付きのコラールが終りいよいよオラトリオの核心部へ。私の大切にしてやまない第5部の冒頭合唱が始まったのです。うむ。(笑い)。この冒頭合唱、新作なのか他の曲からの転用なのかは研究の結果でも不明だそうですね。でも私は新作じゃないのかなぁーと思っているんです。理由は、、ほとんど冗談ですが、この曲の演奏されたのが降誕祭期間中の新年後第1日曜日で、当時(ライプツィヒ)、1735年の1月2日だったそうです。1月2日はどういうわけか私の誕生日なので、偶然の一致というわけです。これは聞き流して下さい(笑い)。

合唱が終って、東方の博士達がエルサレムにきていう言葉「この度生まれたまえるユダヤ人の王はどこにいますか?」に続いて「われら東の国にてその星を見たれば、拝せんために来たれり」を歌ったときははからずも20数年前にラジオで聴いたあの感動が蘇ってきたかのようでした。この部分は受難曲のようにドラマティックなところですので、聴いていて大変感動するところなのです。しかも大舞台で歌っているわけなのでその感激のボルテージたるや尋常ではありません。

第5部のコラール「かかる心の部屋は美わしき王侯の広間にあらずして」を歌って第6部がはじまったのですが、金管と打楽器の音がこんなに大音響なのかと思ったくらいびびりました。「ひぇーこりゃすごい。」とこんな感じです。しかも金管と打楽器、弦楽合奏の出している音が舞台上で聴いていると左右でちぐはぐに聞えるので、どこで合唱部分が入ったらよいのか困惑してしまいました。でも指揮者(大村恵美子さん)の「指揮者を見るように!」を思い出しこの疑惑は乗り越えられました。さて終結コラール「今あなた方はあだなす者の群に打ち克った。」を全オーケストラと共に歌いだし曲はいよいよ大団円へ向かったのです。トランペットの曲芸的な旋律のなか、有名な受難コラールが歌われ高らかにキリストの勝利が宣言されたかのように曲は終りました。お客さんの拍手も大きくまずまずの成功だったように思います。大村先生、その他のマネージャーの方々の絶大なご活躍によって無事に終ったのだと思います。私はこの一年をこの曲を歌いたい、このことだけに費やしてきてその目的は果たされたのだと思います。でもそれは私 の思い付きがすべてだった、とは思っていません。有形無形の周囲のいわゆる「Liebe」があった、また私がそれを求めあるときは血と涙を流し耐えしのび受け入れることが「できた」から「成せた」ことだと思います。2001年はまた5月12日「祝典のバッハ」と題打ってカンタータ第9、51、29、140番を歌う予定です。今年は良い年と考えていいと私は思いましたし、2001年度もこのホームページに来させていただきたいと思います。(中略)ありがとうございました。新年もまた、世田谷中央教会バッハを歌いだします。
2001年を迎えるにあたり、矢口様のご活躍と、ご健康をお祈りいたします。
(渡辺冬ニ様)  (00/12/30)
 わたなべ様、こんにちは。頂戴したお便りのご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。もう新世紀のバッハの歌い始めもすまされたことでしょうね。大村恵美子さん指揮の東京バッハ合唱団での念願の「クリスマス・オラトリオ」演奏、おめでとうございます。あ、それから遅ればせながらお誕生日おめでとうございます。「クリスマス・オラトリオ第5部はまさにわたなべ様のための曲だったのですね! ご自身で曲の内容に深く分け入って演奏されたご様子、印象深く拝読させていただきました。20年前にラジオでお聴きになった演奏は誰の演奏だったのでしょう。今ならBCJのCDも聴けますが・・・。
そうそう、今年のクリスマスには再びBCJの「クリスマス・オラトリオ」をステージで楽しむことができます。わたなべ様もよろしかったら是非お出かけください!  (矢口) (01/01/22)

217 《BCJとショルの競演》

 (前略)初めてオペラシティに行きました。とてもクリアな音が届いてくる素晴らしいホールですね。さて、BWV35は鈴木雅明さんのオルガンが素晴らしく歌っていました。でも、ショルはへぇ?という感じでした。
 休憩後は(プログラムとは順番が変わって)BWV200が演奏され、ショルのアリアを聴いたとき、休憩前とはうってかわって、その美しさ繊細さに吸い寄せられるような気がしました。次に、BWV213が演奏され、BWV200とは全く雰囲気の違う力強い激しいアリアにまたまた驚き。最後のBWV170ではもう最高!という感じでした。ただ、ただ、ショルの豊かな表現力と、言葉の一つ一つを確実に聴く者へ届けようとする意志の力、また、その美しさに心揺さぶられ、オペラシティまで聴きに来て良かったと、本当に大満足しました。ショルは、休憩後は本当にBCJと「競演」という感じで、ぐいぐいと演奏にのってきたように思います。アンコールのBWV248クリスマスオラトリオよりのアリアは、食後のベーレンアウスレーゼのようなため息の出るような味わいでした。
 ショルのCDを買ってBWV35、170を聞きましたが20日に聴いた方がやっぱり断然素晴らしいです。BCJとの競演をショルも堪能したのではないでしょうか。
 また、同日鈴木雅明さん「クラヴィーア練習曲集第3集<ドイツ オルガン ミサ>」CDを買い求め、(もちろんちゃんとサインしていただきました)聴きました。BCJの合唱付で(ソプラノ、アルト、テノール、バス各2名)芸大の奏楽堂のガルニエオルガンでの演奏ということですが、これがまた、素晴らしいんです。オフィシャルHPの鈴木さんのコメントを併せて読むと、この曲集に対する鈴木さんの謙虚な思いというものが伝わってくるような気がします。1年間を振り返って、よく遊び、よく働いた(?)自分へのとても素敵なクリスマスプレゼントになりました。

(北九州市 大庭美登里様) (00/12/30)
 大庭さん、はるばる東京まで聴きにいらっしゃってくださったショル&BCJの演奏会、ご堪能いただけたようですね。もちろん私も大満足でした。素晴らしいBCJの20世紀のしめくくりができましたね。
 最初のBWV30は、私も正直オルガンのオブリガードの方が目立ってしまっていたように感じて、ショルってこんなものかなぁ、と思っていたのですが、後半は本当に白熱した競演になっていましたね。BWV200の、リリカルな味わいのロビン・ブレイズとはまた異なった説得力をもつ素晴らしい歌声で始まり、激しいBWV213のアリアを経て、BCJ器楽アンサンブルの妙技(BWV42より)で少し頭を冷やしてから迎えたBWV170は、まさに至福の時でした。そしてアンコールの選曲の巧みさ! クリスマス・オラトリオのアリアで大満足の聴衆を静かにあやすかのように歌われた“アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳”からのアリアが、われわれを後味爽やかにクールダウンしてくれました。是非またBCJとの“競演”の機会を持っていただきたいものです。
 オルガンのCDも聴きごたえ満点ですね。私としては昨年3月の東京でのコンサートでは聴けなかった「デュエット」の妙技にも心を奪われてしまいました。みなさまも是非この鈴木雅明&BCJ「クラヴィーア練習曲集第3集<ドイツ オルガン ミサ>」CDをお聴き下さい。 (矢口) (01/01/16)

216 《ヒデミ、ザ・ボウイング・マスター!》

 2000年11月、バッハ没後250年という記念の年に鈴木秀美による9年ぶりの“無伴奏チェロ組曲ツアー”が行われた。
 私は残念ながら9年前のコンサートは聴いていないのだが、その後のCD録音('95年)、マカギャラリーで行われたコンサートや近江楽堂のオープニングコンサート、そして99年から今年にかけてその近江楽堂で開かれた「無伴奏チェロ組曲・ワークショップ」「ガット・カフェ」でもその時々の“鈴木秀美の無伴奏”に触れてきた。しかし今回の演奏は今までとはまったく違う新鮮さで、この名曲の新しい姿を見せていただいたような気がする。以下、私が聴いた11/22,24の全曲演奏と11/29の追加公演で感じたことを簡単にご報告したい。

【第一夜】
 第1番 ト長調 BWV1007
 最初のプレリュードから“弓の達人”(ボウイング・マスター)全開! このプレリュードでのインパクトが全体を通じて最も大きいものだったかも知れない。22日はロビーに、そして追加公演の29日の時にはステージのバックに和紙にあしらわれたアンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜が飾られていたが、まさにその自由なアーティキュレーションが目の前で繰り広げられた。同じ音型なのに異なるスラー、イントネーションの連続。ビルスマの著書「バッハ、ザ・フェンシング・マスター(剣の達人)」でもその筆写譜の重要性が指摘されていたが、現実にそれが音になった驚きはやはり相当なものだった。「し、師匠、ご無体な・・・」と思わず叫びたくなったものだったが、その調べに身を委ねているうちに、「荒唐無稽なことこそバロックの醍醐味ではないか。これは最も高度な“遊び”なのではないだろうか」と思うようになり、その“自由な精神の飛翔”を心地よく楽しませてもらうことができた。 29日 の2度目の時には秀美さんの演奏自体もよりなじんだ表現になっていて(実は聴く側の私がなじんだだけかもしれないが・・・)、よりしなやかにその音楽の躍動を楽しむことができた。
 第3番 ハ長調 BWV1009
 この音楽を聴いていていくつもの情景が心に浮かんだ。それを列記してみたい。
「泣き、叫び、わめき、鼻歌を歌い、ふんぞり返り、しかめっ面をし、二日酔い。調子に乗りすぎ! なんておかしな人間模様。」 人間の持つ様々な感情の表現が、細やかにそして時に大胆に、最大の振幅をもって繰り広げられていた。ガット弦の楽器の表現力の面目躍如。 
 第5番 ハ短調 BWV1011
 「モノ」にも多彩な輝きがあり。第3番と変わって、この音楽からは硬質なひんやりした雰囲気を感じた。それはたとえてみれば、様々な光に照らされる大理石を見るような感覚だった。特徴ある和声の変化がまさにその光のプリズムのようだ。華やかな光あり密やかな光もある。そして最後、そのライトが消えた。 この曲では特に29日の追加公演での演奏が強く印象に残っている。

【第二夜】 
 ・第2番 ニ短調 BWV1008
 思いの底へ沈み込む。そしてそこからの脱却をはかる動き。今回の低めのピッチがこの音楽の掘りの深さを味わい深く表現してくれていた。
 ・第4番 変ホ長調 BWV1010
 のびやかなスタートから淀みない音楽が流れる。そしてその“解放へのあこがれ”ともいうべき思いが届いてきた。 
 ・第6番 ニ長調 BWV1012
 光、きらめく。自由な魂が天空を駆けるよう。チェロ・ピッコロの輝かしい音が晴れやかに響きわたった。全6曲を聴き終え、大きな満足感に満たされた。 

 アンコールは、22日が第4番サラバンド、24日がチェロ・ピッコロで無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴ、29日がやはりチェロ・ピッコロで24日と同じラルゴと第6番ガボット。いずれも素晴らしいアフター・テイストでした。
 
 来世紀のバッハ/無伴奏はどのような姿になっていくことだろうか。まだまだこの名作が新たなアプローチによって新しい輝きを見せてくれることを証明してくれた今回のツアーであった。CDでの演奏も今から聴くとしっかりした構成の充実した演奏だが今回のツアーでの演奏はそこにさらに自由な風を吹き込んだものだったように思う。そのきっかけがアンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜のアイディアでもあったと思うが、これからもまだ“音符が語りかけてくるもの”に耳をすますことで発見が続くことだろう。もう何年かそんな発見を積み重ね、いつか21世紀の“鈴木秀美の無伴奏”を記録に残していただきたいと思った。その日が今から待ち遠しいが、その間にもまたこの素晴らしい作品をその最高の再現者である鈴木秀美さんの演奏で聴かせていただきたいものだ。さあ、札幌で響く21世紀最初のヒデミの“無伴奏”はどんな姿なのだろうか。  (矢口) (00/12/29)

215 《幸いな時を感謝しています》

こんばんは。+おくむらけいこです。昨夜は本当にありがとうございました。
非常に恵まれた、私にとって今年一番の幸せな出来事でした。すばらしいクリスマスプレゼントとなりました。

ショルさんとBCJの、生き生きとして雄弁な、ダイナミックでありながら、柔軟さと繊細さを兼ね備えつつ、一本芯の通った落ち着きを持った器楽アンサンブルとソロ(声楽・オルガン)の調和は、実に勢いのある美しさを感じさせてくれました。
そして、プログラムの構成心憎いこと。世俗カンタータとクリスマスオラトリオの異なるテキストを持つ同曲を全く違った味わいで聴かせてくださるなんて。言葉における音楽表現ということについて再認識しました。
最後のアンコール曲は、私の夜の愛聴盤ともなっている、トラジコメディアの「アンナ・マクダレーナの音楽帳」のCDにも収録されている、中でも最もお気に入りの歌曲でしたので、またまた感激するばかり。(バッハ作曲ではなく、シュテルツェルの作品となっていますが、バッハ家で歌われていたのでしょうか。) この歌曲が、先に演奏されたカンタータのメッセージと重なるような詩の内容を持ち、配慮の行き届いた、聴く者を(もしかしたら演奏者も)深く喜ばせてくれる選曲でした。矢口さんのコメントにあるように「夢のような」時間を過ごさせていただきました。

それだけで十分堪能させていただいたうえに、100000番記念の贈り物も頂戴し、鈴木先生の大切にしていらっしゃる聖書の御言葉を知ることができました。感謝です。お選びいただいたイザヤ書の箇所は私も常に励まされている御言葉の1つです。十字架と復活の主イエス・キリストに従って歩む者たちよ、主の守りと祝福を確信しつつ、前向きにひたすら励みつつ生きよ、と力強く私たちキリスト者を支える御言葉なのです。

昨晩の感激がまだ当分の間続くでしょう。矢口さんに深く感謝いたします。
良いクリスマスを過ごされますように。
またお会いできる時が与えられますように。

(おくむらけいこ様) (00/12/21)
 当HP訪問100000番をGETされたおくむら様に、12/20のショル&BCJ特別演奏会終演後のサイン会の会場でプレゼントの贈呈式を行わせていただきました。このお便りはそのお返しにいただいたものです。プレゼントの品は、リクエストいただいた鈴木雅明さんの大切にされている聖書の言葉を記載した聖書です! 
 100000番GETの時のことをお伺いしたところ、偶然ご自宅のパソコンが強制終了してしまい、復旧してそろそろかな、と「VIVA! BCJ」にいらした時のことだったそうです。やはり神は働いておられる(!)のですね!
さて、今夜はクリスマス。おくむら様と鈴木雅明さんのお許しをいただけましたので、その聖句皆様にもプレゼントさせていただきたいと思います。
革装の聖書です。 「VIVA! BCJ」100000番記念品贈呈式!
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲(わし)のように翼を張って上(のぼ)る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
([新共同訳] イザヤ書 40:31)
鈴木雅明さんに
お名前を書き添えて
いただいてから
お渡ししました。
記念撮影!
左がおくむらさん。
右はもちろん鈴木雅明さんです!

 いかがでしょうか。BCJの音楽の持つ“しなやかな強さ”の由来を教えていただいたような気がします。新世紀もBCJとともに走り、歩み続けたいと思います。
 当夜のショル&BCJはことのほか美しい演奏で、またおくむらさんご指摘のような配慮の行き届いた心憎い一夜でした。最後のアンコールでその仕掛けが見事に花開きましたね。第2部で原曲が歌われた「クリスマス・オラトリオ」第1部第3曲のレチタティーボと第4曲のアリアでバッハのパロディの妙味を。そして「汝、わがかたえに」BWV508(当日の会場掲示では「シュメッリの歌曲集」からとなっていましたが、「シュメッリ」はBWV507までなので、おくむら様もご指摘のとおり「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」第2巻第25曲「御身がともにあるならば Bist du bei mir 」 が正しいようです。)でバッハの思いの深さを伝えてくださいました。
 皆様もどうか良いクリスマスをお過ごしください。新しい世紀はもうすぐです!  
 (矢口) (00/12/25)

214 《ショルの感想》

・・・(前略)・・・ ロ短調ミサ曲の感想、というよりはほとんどショルの感想ですが、歌った2曲のソロと1曲のデュエットはいずれもショルの本領を発揮した素晴らしいものだったと私は思います。Qui sedes ad dexteram patris は最近のショルの表現、Agnus Deiの方が私たちがCDなどでよく知っているショルの表現、という気がしました。ハルモニアムンディ時代のドイツバロックリーダーやメサイアなどで御馴染みな、例えて言うなら出来の良いコンソメスープのような淡白で深い味わいのある声のイメージを強く反映していたのは Agnus Deiの方だと思います。

 また、待機中一生懸命BCJの音楽を聞いていた様子が印象的でした。
勝手な憶測ですが本当に音楽が好きなんだなあとひしひしと感じました。
レナード・バーンスタインのように音楽することの喜びを爆発させるタイプではないものの、自分の声を良く知り、曲を良く知り精一杯自分の音楽を表現する、ショルはやはり素晴らしい音楽家です。こんな素晴らしい音楽家と同じ時代に生きられ、栄枯盛衰すべて見届けられるのは幸せなことだと思います。

 しかし残念ながらショルの歌の素晴らしさを隅々まで味わい尽くそうとするなら、ロ短調ミサ曲は不適切だと思います。それは12月20日のコンサートに期待します。
 私にとって今回の主役はショルだったわけですが、さすがBCJ、聞かせどころをいっぱい作ってくださったおかげでコンサートそのものを十分に楽しむことが出来ました。パレストリーナ風の合唱曲あり、伝統的なフーガあり、イタリア風の部分まであるよくよく考えてみれば随分めちゃくちゃな曲(もちろん名曲ですけど)を良くまとめているし、Crucifixusではとてもゾクゾクしました。そしてトランペット3人組がやはり素晴らしい・・・。今回録音が無いというのは勿体無い!

 12月20日のコンサートも期待しています。今度はショルの素晴らしい技巧と表現を味わい尽くすために。

(石山節子様) (00/12/18)
 ここ数年来のBCJの聴衆でもあり、アンドレアス・ショルさんの歌声“言葉で言い表せないくらい好き”という石山さんからのお便りの一部をご紹介させていただきます。私自身も今回ショルさんの歌声に直接触れたのは初めてだったので、「クイセデス」を聴いたときにはCDでのイメージよりも自由な感じでびっくりしました。最近の彼のCDは聴いていないので、石山さんの“最近のショルの表現”というお話でなるほど、と納得した次第です。
 まずBCJの「ロ短調」ですが、最近「毎日」「読売」の各紙に批評も出て、高い評価をいただいたようです。しかし私自身の感想は、まだまだスタート位置に立ったところといった感じでしょうか。12/16のつくば公演BCJの「ロ短調」像が見えてきた感じがします。来年の秋にもこの名曲にチャレンジするBCJ。さらにその次の機会あたりが録音の機が熟す時かも知れません。楽しみにこの素晴らしい音楽を味わっていきましょう!
 そしてショルさんとの特別コンサート! これはもう素晴らしいものでしたね。特に後半の言葉を失うような美しい瞬間の連続には参りました。終演後のサイン会での長ーい行列がその成功を物語っていたと思います。サイン会の場所で石山さんともお会いすることができ、とてもうれしい一日になりました。関係者の方のお話によると、ショルさんはBCJとは違うレーベルと専属契約を結ばれているのですが、そちらの会社で収録予定の無い曲であれば他社との録音も可能、とのことでした。そして、現在バッハのカンタータの録音予定は無いとのこと。・・・ということは、BCJ&ショルでバッハのカンタータレコーディングの可能性もあるかもしれません! 今回の共演を「心から楽しんだ」とおっしゃっていただけたショルさんですので、また幸せな出会いを私たちも共有できる時がくるかも知れません。その実現を祈りましょう! 
おまけに12/20に撮ったショルさんのお姿を載せておきます! (矢口) (00/12/25)
気さくにサインをするショル氏
12/20、終演後のサイン会にて
サイン会にファンの方が持ってきた
ショルさんの初めての録音のLP!
「驚いた!」といいながら
そのLPのジャケットにサイン!

213 《BS日テレ「マタイ」の感想》
 
 藤崎です。遅れましたが、BS日テレのマタイを見た感想を書きます。
まず、BSデジタル放送全般の感想として、まだいろいろな不具合は報告されているものの高画質高音質という部分については十分に納得のいくもので、私自身は非常に満足しています。
 さて、「ブラボー!クラシック」のマタイについてですが、まずはじめに、特徴である高画質、高音質という点ですが、画質の良さはは感じられたものの、音質については今一つの気がしました。他の番組では素晴らしい音質のものもあるので、これは録音の状態があまりよくなかったのかもしれません。
 そして、番組の構成についてですが、1日目のほうは、司会者の挨拶の後、ゲストの西村雅彦氏のトーク。そんなに長い時間ではなかったのですが、心の中では『ああ、これで、全曲放送はなくなったな。ああ、これでまた1曲カットだ、ああ、もう1曲カットだ、もういい加減で引っ込め。』といった具合で、非常に長くいやな数分間でした。そして、待望の第1曲。しかし、なんと、あの重要な第1曲の途中で、スポンサーの紹介が入り、そのまま曲を打ち切ってCMに入ってしまったのです。そのあと、演奏の途中でもう1回CMが入りました。CM開けには鈴木雅明さんのインタビュー。もうどうせ全曲放映はないのだから、という気持はあったもののこれはいやでもなんでもなく、「バッハをやればいいのかメンデルスゾーンをやればいいのか迷ったこともあったが、結果としては自分はひたすらバッハをやれば、オーケストラがメンデルスゾーンの色を加えてくれた」という話に納得、といった具合。
 2回目の放映では、冒頭に鈴木さんの話が来ていました。CM後に第2部が始まったのですが、この日は演奏にカットはあったものの(多分半分くらいカットしたのでは)、演奏の途中にCMは入りませんでした。(誰かクレームでもいれたのでしょうか。) そして、最後に西村氏のトークがあったのですが、先週の放送のおかげで、私はすっかり嫌いになってしまったので、ここはもう見ませんでした。(1日目の話の内容もクラシックには関係があったものの、バッハやマタイには何の関係もない話でした。ごめんなさい、西村さん、あなたが悪いわけではないのですが。)
 全体の感想としては、私はへたに過剰な期待をしていたために気分を害してしまい、損をしてしまいましたが、それなりに当日の雰囲気を味わえたとは思います。視聴者も、バッハのファンがメインではないし、クラシックをあまり知らない人に楽しんでもらうためにはゲストのトークも必要かも知れないし、CMについては、民放である以上あるのが当り前なので、2日目に演奏の間(35分くらいだとおもいます)CMを入れずに放映したのなどは評価できるでしょう。
だたし、BSデジタルの開局直後の放送なのだから、時間枠を伸ばしてでも全部放映してほしかった。これじゃ、聞けなかった曲のうち、メンデルスゾーン自体が削ったのがどれで、放送局側で削ったのがどれかもわからない。ぜひ、(再放送とは別に、)全曲の放映をやってほしいものです。民放はまだまだハイヴィジョンのビデオが少ないから、あるものを繰り返し放映することは十分にありそうな気がするのですが。あと、日頃なにげなく見ていて、なにげなく「ほとんど見ていないのに視聴料をとられるのはおかしい」と批判しているNHKのありがたさを、認識しました。マタイ、ヨハネのようなバッハの長大な作品やワーグナーのオペラなど、全曲を放映できるのはNHKくらいなのではないでしょうか。そのNHKのハイヴィジョン1/14にBCJのヨハネが放映されるようです。これは前にBSで放映されたときも非常にいい録音状態だったような記憶があるので、あれがさらに高画質、高音質で見られるのはありがたい限りです。その他、BSデジタルではクラシック番組が続々登場するようなので、嬉しい限りです。ウィーンフィル、ベルリンフィルなどの定期演奏会など の収録をすでに収録しているようなのですが、そんなところに行く前に、日本が誇るオリジナル楽器を用いた演奏団体を忘れてはいないでしょうか?
手始めに、アンドレアス・ショルとの特別演奏会をぜひ見てみたいのですが。

(藤崎様) (00/12/15)
 藤崎さま、BS日テレのメンデルスゾーン「マタイ」放映のご報告、ありがとうございます。・・・うーん、やはり全曲放映はかなわなかったのですね・・。第1曲は「深夜の音楽会」での放映でも途中までで切られてしまっていましたから、この曲ぐらいは今度こそまるまる放送されるのではないかと思っていたのですが・・・。今回の演奏でメンデルスゾーンがカットした曲については、概要をこちらにUPしてあるので、放送でのカットとの確認をしてみてはいかがでしょうか。日テレには素材はあるのですから、ご意見の通り、今後の全曲放送を願いたいところです。しかし、音質が・・・というのは少々気がかりですね。いくら放送のクオリティが高くても、もとが良くなくては・・・。そのあたりも良い状態のものを提供していただきたいものです。
 さて、ありがたい(?!)NHK(ハイビジョン)でのBCJ「ヨハネ」の放送ですが、お便りにあるとおり、来る1月14日(日)の午前7:40〜10:00の枠で放送が予定されているそうです(「ぶらあぼ」1月号による)。これはBSデジタルで見られるのでしょうか? BSデジタルの放送局でBCJのカンタータ・シリーズの収録・放送などやってくれるところはないものでしょうかね・・・。残念ながらショル&BCJの特別演奏会は特にメディアの収録はなかったようです。素晴らしいコンサートだったのですが・・・。藤崎さま、今後とも色々な情報お寄せください。楽しみにしております。 (矢口) (00/12/25)

212 《秀美さんの札幌公演について》

矢口さん、こんにちわ。フォーラムへのお便りを見て、更に更にフラストレーションが貯まってきました。本当に、このサイトは精神衛生上よろしくない(笑)。

さて、秀美さんの札幌コンサートホール・キタラでの公演についてお知らせします。

1.2001年2月27日(火) 19:00
  J.S.Bach:無伴奏チェロ組曲
     第1番  ト長調 BWV1007
     第3番 ハ長調 BWV1009
     第5番 ハ短調 BWV1011

2.2001年2月28日(水) 同
  同  第2番 ニ短調  BWV1008
     第4番 変ホ長調 BWV1010
     第6番 ニ長調  BWV1012

一日券は¥3,500、通し券は¥5,000です。
ちょうど仕事が輻輳しそうな時期なので、もう少し様子を見て通し券を購入するつもりでおります。
越野義貴@札幌 
(越野義貴様) (00/12/12)  
 越野さん、こんにちは。先日のお便りでご紹介いただいた秀美さんの札幌公演の詳細情報、ありがとうございました! 「ロ短調」の公演の時に秀美さんにお伺いしたところ、このコンサートは単独のものでこの前後に他の地域での公演はないそうです。すなわち札幌特別公演! 21世紀の秀美さんの無伴奏北の大地から、ということですね。少しでも日頃の溜飲を下げていただければ、と思います。是非レポート等、お寄せください! (矢口) (00/12/25)
 上記の演奏会について追加情報です。会場はキタラの小ホールで、問い合わせ先が「札幌コンサートホール」(Tel:011-520-1234)です。この二日後が第5回「ガット・カフェ」ですね! (矢口) (01/01/21)

211 《“Goldberg”誌にみるBCJ評》

 矢口様 ごぶさたしております。
私も含めてファンの心は、目下、ロ短調ミサに一点集中といったところでしょうか。 今回のMail内容は必ずしも“BCJフォーラム”向けではなく、同じ矢口様のホームページのどこかにあった“BCJ批評集(だったか? 開店休業だったりして?? 失礼!!!!)”に向いているかもしれません。

 今回ご紹介するのは季刊“Goldberg”誌におけるBCJの録音評の話題です。 誌名がバッハの有名な鍵盤作品に由来しているか否かは定かではありません。 比較的最近になって私が手にしたのが通巻11号ですから、まだまだ若い雑誌です。 面白いのは、目次から協力執筆者紹介にいたるまで内容が全てスペイン語(これが主)と英語(これが従で、多分スペイン語文の英訳)の2か国語立てであることです。 通巻4号以降は仏語英語立ての版も存在するようです。 表紙に作曲家の肖像や演奏家の写真が使われた前歴はなく(だから鈴木さんが表紙を飾ることは..?)、いにしえの時代の人物画が扱われていますので、一見したところでは美術関連雑誌と間違えても不思議ではありません。 (インターネットアドレス_www.goldberg-magazine.com)

 さて、この中にもCDレビューのページがありまして、古楽ジャンルにもこれほど沢山の新盤が四半期毎に出現するのか、と驚きます(いつだったか“EARLY MUSIC”誌をご紹介したときと同じ思いです)。 星五つが特選待遇。 私は通巻8号および11号しか所持していませんが、その限りでは、BCJは“ヨハネ”と“マタイ”で見事に星五つを獲得。 ただし、矢口様へのご紹介を思い立ったのは、レビューの論調“ヨハネ”と“マタイ”では明らかに違っているからです。

 以下は通巻8号での“ヨハネ”評です。 ご紹介の機会を失っていたので....一安心という気持ちです。
 (冒頭部分略) ・・・・・・ 鈴木による譜読みで特に著しいのは、合唱を含め声楽の中に、明晰、情熱、劇性、明瞭な発音や生気に満ちた表情を求めていることである。 合唱の中で模倣線(訳注:原文ではimitative line)を巧みに強調させる方法も注目に値する。
 独唱陣は、自在な語り口と声質で大きな効果を与えている福音書家および素晴らしいペテロ/ピラトとソプラノの他は、全て日本人が受持っており、(完璧な独語で歌っていて)見事である。 中でも際立っているのは“成就した”を大変感動的に歌っているカウンターテノール(訳注:これほど評価されている歌手がBCJから疎遠になりつつあるのは残念)と、長大で過酷なアリアにおいて素晴らしいコントロールを効かせているテノールである。
 器楽面でも日本人が外国人共演者に対し全てに対等であり、特にオーボエやガンバは特記するに足るが、見逃せないのは(この稿でバッハが指定している)チェンバロによるコンティヌオで、スタイリッシュでありながら、目立ちすぎることが皆無である。
 これは最も傑出した入魂の演奏であり、入手できる盤の中でも最高位に属する1つである。
LIONEL SALTER

最後の文など“ほめ殺し”の最たるもので、ファンとしては嬉しくないはずはありませ んが、日本人読者にとって気になる(あるいは自慢できる?)のは、“日本人がやっているのに....上手....”という論調が目立つことです。

 次に、通巻11号での“マタイ”評をどうぞ。 論調が明らかに違っているでしょう?
 何人かの選者は、この演奏が充分“劇的”ではない、という旨の不満を表明している。 しかし彼らはポイントを完全に見失っている。 この作品においてバッハが声楽陣を駆使して展開している内容は、本来、非劇場的なのだ。 (中略)・・鈴木は彼の解釈の中で、バッハの当作品に関し底流に位置する神学的意味を具体化している。 二人の主導的“役者”(訳注:おそらくイエスと福音書家)はドラマの中での役を演じているのではなく、十字架状に配置された合唱やアリアやコラールが集積して成り立っている物語、我々が既に知っている物語、時空を超えた物語を彼らは展開している。したがって、これは多くの点で瞑想的であり超然としているとも呼べる解釈である(訳注:今年のマタイツアーにあたり鈴木さん自身が記されたエッセイと偶然にも一致する)。
 音楽面を厳しく検討すると、テノール/バス独唱(櫻田/浦野)は僅かに硬く聞こえるかもしれないが、これは彼らと共演する外国人歌手が意識せずに獲得している高く保証された水準と比べての話である。 招聘されている歌手の中では筆者はコーイによる冒し難い気品に満ちた歌唱と、アージェンタの控えめながら集中力に満ちた歌唱に感銘を受けた。 (中略)
 この名作に対する従来の“擬似劇場的”アプローチによる幾つかの様相は、クロウバリー(ヴァンガード)やヘレヴェッヘ(ハルモニアムンディ)により効果的に表出されている。 だが我々はバッハによる演奏上の要求をそのまま実現しつつ、バッハ自身の意向をも満たす録音を鶴首している。 そのような盤の出現までは、鈴木の解釈は我々の持ち得る最良の再現(訳注:原文ではapproximation)となるであろう。
ERIC VAN TASSEL

 演奏家は国籍や人種に関係なく、水準が上がると厳しい批評のまな板にのせられるのでしょう。 カンタータ等の録音が進展すると、あちらの人の耳にはBCJはどのように聞こえるのでしょう?  ファンの一人として、バッハの音楽汎世界的な存在であることを、これからもBCJが演奏を通じて実証し続けることを祈りたいと思います。 最後になりましたが拙訳中では心苦しさを覚えつつ敬称を略させていただいたことを申し添えておきます。
from KOSHIMIZU

  追伸
拙訳は大筋で間違っていないと思いますが、全訳となると公にすると著作権に差障るのでしょうか? 取扱いは矢口様にお任せします。 なお、“Goldberg”誌は(既に古雑誌となっているわけですが)読んで喜ばれるファンの方にお譲りしたいと思っています。(後略)

(KOSHIMIZU様) (00/12/11)
 今回ご紹介させていただいたKOSHIMIZUさまからのお便りは、当「フォーラム」No.209と同じメールからのものです。お便りでは今回ご紹介した内容が主だったのですが、最後の追伸にあるように、お便り中に記載いただいた“Goldberg”誌からのレビューの内容の扱いについて検討させていただく時間が必要でしたのでHPへのご紹介が遅くなってしまいました。当HPの“BCJ批評集”は、BCJのオフィシャルHPができる前の記事を中心に今でもご覧いただけるようになっていますが、現在はオフィシャルHPのCD紹介のコーナーなどでレビューも取り上げていらっしゃるので、この分野でのこれからの更新はかなり限られたケースだけになってしまうと思います。オフィシャルHPの方のレビュー掲載についても、翻訳ならびにウェッブでの掲載に関する著作権の解決に時間がかかるため、どうか気長にお待ちください、とのことでした。今回のKOSHIMIZUさまのレビューの全訳もBCJ事務局の皆様にはご紹介させていただきましたので、著作権の面がクリアできればBCJオフィシャルHPに掲載されるかも知 れません。今回は2つの批評の論調の違いがよくあらわれていると思われる個所を中心に私(矢口)がまとめさせていただきました。ご了承ください。省略した部分には、“ヨハネ評”では第4稿を取り上げることについての説明などが、“マタイ評”ではBCJの演奏での声楽家の役割についてやBCJの演奏のテンポ設定についてなどが書かれています。
 バッハ・イヤーの今年一年を振り返ってもっとも印象に残った公演が、私には今年春の“マタイ”公演でした。まさにバッハの音楽すべての人の中に起こる精神のドラマを扱った、国籍や人種に関係のない“人間”の問題を掘り下げた汎世界的な存在であることの証をそこに見たような気がします。最近発行された「サントリーホール・メンバーズクラブ」の会報「ミューズ」誌の、会員へのアンケートによる“20&21世紀のとっておきのアーティストたち”中の「21世紀にもっとも期待するアーティスト」に掲載された拙文の中でもそのような思いを書き記してみました。恥ずかしながら以下にその文章を紹介させていただきます。

“21世紀にもっとも期待するアーティスト”
鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパン

 20世紀を“感情”のドラマの時代とするなら、21世紀は“精神”のドラマの時代になるのではないかと考えています。キリスト教の枠を越えて、現代の我々に多くのものを与えてくれるバッハの音楽こそ、その“精神”のドラマを描いてあまりあるものではないでしょうか。そして、そのドラマを今、最もヴィヴィッドに伝えてくれるアーティストが、私たちの国にあらわれたことを幸せに思い、また誇りに思います。

相模原市 矢口 真さん  
(サントリーホール・メンバーズクラブ会報「ミューズ」vol.80)

 サントリーホールでの3大宗教曲の演奏をはじめ、本当に多くの素晴らしい時をくださったBCJのみなさんにあらためて感謝したいと思います。来年の今日、12月24日クリスマスイブにはそのサントリーホールBCJの「メサイヤ」公演が行われるそうです。新しい世紀BCJとともに歩んで行くことのできることにも感謝したいと思います。KOSHIMIZUさま、21世紀もどうかよろしく。なお、KOSHIMIZUさまがお持ちの“Goldberg”誌をご希望の方は当HP(矢口)までお便りください。KOSHIMIZUさまに転送させていただこうと思っています。 (矢口) (00/12/24)

210 《ミサ曲ロ短調の感想》

鈴木=BCJ初のロ短調ということで、期待に胸をふくらませて会場へ。
左右から中央へとソプラノ、アルト、テノール、バスが配置されるということだったので、まずその感触を「キリエ」で確かめてみた。うん、なるほど。これは効果的だ。特にソプラノは離れていることで対比感が増して、「見て聴く」楽しみを与えてくれた(余談。終演後浦野さんと話したら、練習の最終日になって突然配置を変更することになったとか)。

全体としては、特にゆるやかで静かな曲BCJの美質が存分に発揮されていたように思う。キリエ第3曲嬰ヘ短調、ニケーア信経第4曲ロ短調、第8曲嬰へ短調などがそれで、禁欲的で静謐な合唱の響き「宗教を超えて」訴えかけてくるようだ。この静謐さがあるから前後の曲、例えばニケーア信経第9曲の晴朗さが際だつのだろう。

独唱陣はテュルク、コーイなどおなじみのメンバーはいつもどおり気持ちよく聴けたが、グローリア第10曲のショルはいわゆる「BCJスタイル」からややはずれた、「劇的」なソロだったように思う(さすがに後半は修正してきた。さすが)。

先日早々に「今年のBCJベスト3」を挙げてしまい、矢口さんから「ミサ曲はどうした」と突っ込まれたけれども、ミサ曲を聴いて、結局順位は変わらなかったことを告白しておこう。たしかにバッハ・イヤーの集大成として取り組んだだけあって、演奏の完成度は高かったけれども、BCJにとってこれは初めてのロ短調だし、この演奏が出発点となって、また新たなロ短調の地平が広がってほしいという期待もあるからだ。

(北村洋介様) (00/12/14) 
 北村さん、『ロ短調』のご感想、ありがとうございます。サントリー・ホールのシリーズも終了して、いよいよバッハイヤーも大詰め。本日はつくばで『ロ短調』の公演です。
 BCJ初の『ロ短調』、ご指摘の通りさらに磨きをかけていける部分も多いと思うのですが、随所にBCJ“らしさ”があらわれていたことをうれしく思います。サントリーの公演をうかがいながら、私は“教会”という言葉について考えていました。それはBCJの今回の『ロ短調』を去りゆく20世紀への祈りのように感じていたからです。“教会”という言葉は、普段その建物を指すように使っていますが、実はそこに集まる人々のことを表しているのですね。ともすれば客観的な音響美の追求に走ってしまいがちな『ロ短調』の演奏を、確かな“祈り”としていたことに感動しました。本日、これが本当に20世紀最後の『ロ短調』をつくばでうかがってこようと思います! (矢口) (00/12/16)

209 《ロ短調ミサ大阪公演に接してきました。》

 ロ短調ミサ大阪公演に接してきました。
 例の合唱配置については、ステージにメンバーが登場するのを見たその場で“なるへそ 鈴木さん”と合点できた次第。 同様な試みを他の指揮者もやっているかも。 私はむしろ人海戦術に頼らないスリムな編成で、このような配置を試みていることに、なんともいえない潔さとBCJ合唱陣に対する信頼感を覚えるのです。 人数が少ないほどバランス面や声質面でむずかしい試みでは?  それより何より、器楽声楽が渾然一体となった中で、ポリフォニーが絶え間なく生まれ、発展し、溶け合いながら1曲1曲が進んでいくプロセスは素晴らしく、固唾を飲んで聞き入るしか術がありませんでした。 そして終曲“私たちに平安を与えてください”が終わった後の放心!

(KOSHIMIZU様) (00/12/11)
 KOSHIMIZUさん、こんにちは。BCJ『ロ短調』初演大阪公演(12/8)のご感想、ありがとうございます!
第一部も入念な造りで聴き入ってしまいましたが、おっしゃるとおり、曲が進むごとに音が渦巻き、それに巻き込まれていく感じでしたね。しかしどこかで目覚めている感覚もありました。実に不思議な感覚です。(佐倉での私の感想です) サントリー、つくばではどんな印象になるのでしょうか! (矢口) (00/12/12)

208 《BCJ@つくば》

こんにちは

とても素晴らしいBCJのページですね。とっても勉強になります。
つくばでの演奏会が楽しみです。
さて、つくばへのたどり着き方等案内をしておりますので、皆様の参考にしていただけると嬉しいです。
http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert
です。宜しくお願いします。

(つくばコンサート実行委員会:片山伸彦様) (00/12/12)
 片山さん、はじめまして、こんにちは。頼りになる情報、ありがとうございます! BCJ『ロ短調』2000、残る2公演のうち13日のサントリー公演はもう売り切れ間近とのこと。これからよい条件での鑑賞をするなら“つくば公演”でしょう。テノールのテュルクさんはこの日出演されませんが、留学帰りの櫻田さんがアリアも歌ってくださいます。ショルはもちろん出演です。私も仕事を終えて何とかつくばにたどり着きたいと思っています!
 素晴らしいコンサートの企画ありがとうございます。そして今回のコンサートが素晴らしいひとときを多くの方に与えてくださいますように! (矢口) (00/12/12)

207 《待望のロ短調でした》

 12月10日、サントリーホール公演を待ちきれず、千葉の旧友2人に誘われるまま佐倉まで出かけて待望のロ短調を聴きました。電車の中での片道2時間半の間、主観的なマタイ・ヨハネに対し客観的と言われるロ短調ミサをBCJがどんな演奏をしてくれるか期待に胸をふくらませておりましたが、予想などはるかに超えた素晴らしい演奏でした。

 冒頭のキリエから、いつものように細心のニュアンス繊細の限りを尽くして歌われ、曲がすすむにつれて次第に鈴木さんの気迫がオケ・コーラスに乗り移って熱気をはらむ様はまさに感動的でした。(秀美さんのチェロも凄かった!)とくに後半の、インカルナトスから十字架にかけられを経て復活の歓喜の合唱から最後まで、息つく間もなく本当に見事でした。主観とか客観とかの低い次元はもはやはるかに超越され、BCJ全員が歌い上げたドナ・ノビスの壮大な開放感はかって感じたことのない感動でした。

 最近の研究では、ロ短調ミサはバッハの最晩年の、新旧教会の教義の超越を意図した作品と位置付けられているようですが、今日の演奏ほどバッハの最後の偉大なメッセージを表現し尽くしたものはないでしょう。バッハ・イヤーの最後をかざるにふさわしい最高の演奏でした。
 個人的な思い出ですが、忘れもしない92年4月祐天寺教会でのBCJ演奏会後に、無謀にも!カンタータ全曲に挑むという鈴木さんに、「いつロ短調に取り組んでもらえますか」と伺ったところ、「ロ短調を演奏する準備が整い次第すぐにやります」とにこやかに約束して頂いたことを思い出します。長年待った甲斐がありました。大昔の約束をこんなに見事に果たして下さり、本当にありがとうございました。

(蛇足)終演後興奮した中年3人組は、32年前?のカール・リヒターの東京公演との相違などに議論が沸騰しました。(私にとっては、剛直すぎたリヒターよりも今回のBCJがはるかに好ましく思いました) 来年はBCJの「音楽の捧げもの」で幕開きとは、この上ないスタートが切れるというものです。  玉村

(玉村 稔 様) (00/12/11)
 玉村さま、佐倉の『ロ短調』公演のご感想、ありがとうございました。この日の演奏、私も堪能しました! BCJ東京定期が始まる前からの“約束の『ロ短調』”とは知りませんでしたが、実に見事なものでしたね。佐倉のBCJは名演続きというジンクスは今回も不滅であったようです。佐倉市民音楽ホールは近々改装工事があるとかで、次回BCJ公演は決まっていませんがまたきっと佐倉の地にBCJの音楽が鳴り響くことと思います。
 実は、佐倉公演の終演後、楽屋口で鈴木雅明さんにご挨拶を差し上げたところ、何人かのメンバーの方とこれから近くのそば屋さんでお食事をされるとのことで、厚かましくもご一緒させていただいたのです。合唱の配置についてのお話などはこの時の取材の成果です!? ホールの入口のすぐ前にあるそのお店は20年前から営業しているとのことですが、BCJで何度もこのホールに来ているメンバーのみなさんも入るのはこの日が初めてだったそうです。おいしいおそばと天ぷらを初めとしたおいしい料理を楽しませていただきました。で、実はこのお店で、コンサートにいらっしゃったお客様も食事をされていたのです。隣のテーブルのお父さんと息子さんも演奏を楽しまれたご様子。いつしかお話が弾みます。お父さん曰く「私はリヒターを聴いてきました。息子はクレンペラーの演奏が気に入っているようです・・。」 うーん、佐倉恐るべし! なんと渋い選択でしょう。そして最後にお父さんが「今日の演奏では、最初は徐々にでしたがいつしか鈴木先生の熱い信仰が音楽に宿り、大変感激いたしました。リヒターの演奏よりもよかったですよ」とおっしゃっていました! そして雅明さんとリヒターの演奏について楽しい意見交換になったのでした。他にもやはり店内でお食事をされていた方が帰り際に立ち寄られ、今回の演奏のラテン語の発音ドイツ語風な発音で歌われました!)についてや、ニケア信条の3曲目をNBAのスコアでの付録の方(エト・イン・カルナトスの歌詞がない方のヴァージョン)を演奏していたことの確認(晩年の変更でこちらの方がバッハの意図であると考えています、との雅明さんのお話でした)などをされていました。もう一度書きます。“佐倉恐るべし!” しかし、サントリー、つくばでもきっと素晴らしい聴衆が待っているに違いありません。皆でBCJの『ロ短調』、心ゆくまで楽しみましょう!
(矢口) (00/12/12) 

206 《このサイトは精神衛生上まことに良くない(笑)》

矢口さん、ご無沙汰しております。

早速ロ短調ミサのレポート、拝見しました。
またまた聴けない身の辛さ、フラストレーションに悩まされそうです。
矢口さんのレポートにもある合唱の配置についても非常に興味をそそられますが、楽器構成の中に見える「コルノ・ダ・カッチャ」。あぁー、やはりコルノ・ダ・カッチャが登場したんだ・・・。これは聞かないわけには行きますまい。とは言ってもおいそれと本州まで飛んで行ける優雅な身分でもありませんし・・・。CD発売まで指をくわえて待つしかないようですね。

来年、秀美さん札幌に来られます。時間がとれれば是非・・・と思っています。(後略)

(越野義貴様) (00/12/11)
 札幌の越野さん、こんにちは。20世紀末をBCJとともに満喫してしまっている矢口です。(ごめんなさい!)
そうそう、「コルノ・ダ・カッチャ」は越野さんこだわりの楽器でしたね。今回使用の楽器はもちろん島田親分の作品で、2つの穴だけであの難しいパッセージをやらせてしまうという取り組みになっています。クオニアム=「ただ一人高きところにあります主」を歌い上げるバスのアリア(高き主の象徴がコルノ・ダ・カッチャで、とても高い音域で動きます!)ただ1曲のためだけの登場ですね。いずれ島田さんのHPに「研究報告」が載るのを期待したいところです。佐倉で島田さんにうかがったお話では、次に『クリスマス・オラトリオ』をやるときのために研究を重ねています、とのことでした! どうもご自身で『クリスマス・オラトリオ』第4部のコルノも演奏しようと挑戦をされているようです。『ロ短調』も、今年に引き続き来年秋には海外公演に関連したコンサートとして国内でもBCJでの演奏がある予定とのこと。「kitara」ホールでの公演が何とか実現しないものでしょうか! 是非ホールにリクエストしてみてください。BCJの『ロ短調』の録音はまだ先のようです。鈴木雅明さん曰く「たくさんの宝物が埋まっているような素晴らしい仕掛けに満ちた作品をすぐに録音してしまうなど、もったいない!」とのことでした。
 秀美さん札幌公演のお話は初耳です! よろしかったら詳細を教えていただけませんか。よろしくお願いいたします。 それでは。 (矢口) (00/12/12)

205 《バッハのクリスマス・オラトリオとともに》
 
矢口さん、忙しい日々をお過ごしと思います。私は今年の5月から「東京バッハ合唱団」に入団し、8月に野尻湖コンサートでバッハの小ミサ曲カンタータ第106番を歌わせていただきました。

そして今月の12月10日に、上野の石橋メモリアル・ホールで念願の、「クリスマス・オラトリオ、第4、5、6部」を歌うことになりました。現在CDを聴きながら練習をして教会での練習に参加しています。

団員のみなさんは厳しさのなかにも暖かさを感じ、毎週の練習を心待ちにしています。
今年はいろいろな意味で変化の激しい年で、私も学ぶことが多くありすぎたくらいです。また7月から都内でヴァイオリンを習い始めて、簡単な童謡などでも弾けるように頑張っています。習っている先生とは練習のかたわら、バッハの「フルート・ソナタ」をピアノとでデュエットしていただいております。

仕事などでつらいときも、「バッハが歌えるんだから何にでも耐えて見せる。」という意気で12月10日を目標にしてようやく目前。結果はどうなるかわかりませんが頑張ろうと思います。

そして今年はいろんなコンサートにでかけました。10月6日は東京カテドラル大聖堂で、トン・コープマンの「マタイ受難曲」を。また10月30日にはサントリー・ホールでミッシェル・コルボ指揮で「ミサ曲ロ短調」
また明日と明後日はヘルムート・ヴィンシャーマン指揮で「クリスマス・オラトリオ」の全曲を、3日は明治学院大学礼拝堂でバッハの「マニフィカト 変ホ長調」を聴く予定です。

よく人は愛なくしては生きていけないものである。といいます。バッハを聴いて励まされるとき、またはキリスト教音楽に流れている精神の一つがこの「愛」なのかとも思うのですが、ちょっと他人に接するときもささいなことですが思いやりを忘れない、というだけで一日がなんとなくいい日に思えてくるときがあります。

こういうことを考えていって、その精神を貫くということで人との間によい関係が、少なくとも生まれてくることも有るんじゃないか。 これは楽観的推測ではありますが、、。私自身、自信はありませんが精いっぱい、こころを込めてバッハの「クリスマス・オラトリオ」を歌うつもりでおります。鈴木雅明さんが弾いておられるベームの「カプリッチョ、ニ長調」を聴きながら、簡単ですがこれで失礼いたします。(後略)

(渡辺冬ニ様) (00/12/01)
 渡辺さん、こんにちは。ご無沙汰しております。今年はついにバッハをお歌いになったのですね! そして来週の日曜日にはいよいよ「クリスマス・オラトリオ」! がんばってください!
 私も今年は本当に多くのバッハ演奏に接することができました。コープマンの「マタイ」(私はすみだトリフォニーホールで聴きました)、コルボの「ロ短調」、つい先日のヴィンシャーマンの「クリスマス・オラトリオ」は私もうかがいました。それぞれに渡辺さんのおっしゃる「愛」を伝えてくれる演奏だったと思います。そして、このバッハ・イヤーのしめくくりに今月はBCJの「ロ短調」ショルとのジョイントのカンタータコンサートを楽しみたいと思います! クリスマス・オラトリオをお歌いになっての感想などまたお寄せいただけましたら幸いです。 (矢口) (00/12/04)

204 《鈴木雅明/読響の『マタイ』、BS日テレに登場! (12/5,12) 》
 
富山に住む藤崎というものです。はじめまして。
私はバッハの音楽が大好きで、VIVA! BCJも楽しみに見させてもらっています。

ところで、12月1日からデジタルBS放送が始まりますが、毎週火曜日BS日テレで放送予定の「ブラボー! クラシック」という番組で、9月に行われた読響のマタイ受難曲(メンデルスゾーン編曲版)が放送されます。
12月5日 第一部12月12日 第二部の予定。夜11時から11時54分までの番組のようです。
公演の当日、私も聞きにいっていたのですが、2時間くらいだったような気がするので、いちおう全曲放映はできるのかもしれませんが、なにせ民放なんで、コマーシャルの時間がどのくらいあるかなど分からない部分もあるので、どうなることやら。できれば全曲、しかも、途中にCMをはさまずに放映して欲しいものです。

深夜とはいえ、BSデジタルが始まって5日目に早くも登場ということで、あのときのマタイの(局内、もしくは読響内での)評価の高さが感じられますが、なにせ、BSデジタルチューナを持っている人がまだ少ないので、(機器の価格が高いし、欲しくても品薄で手元にない)再放送を望みたいところです。(最も、私は幸いにもチューナをすでに手にいれています。)

日テレの場合は読響の演奏しか放映しなさそうなので、バッハについては今後あまり期待できないかもしれませんが、NHKなどはかなり積極的にクラシックを放映するみたいなので(ニーベルングの指環を始め、12月だけでもかなりの時間、クラシックの番組を放映しています)、7月のヨハネなど、(あれもハイヴィジョンで録画してたはず)かなり期待できそうです。バッハの関連では(BCJではないですが)サイトウキネンのミサ曲ロ短調が1月2日に放映されるみたいです。

なにせ、高画質、高音質ということなので、オペラやクラシックの放映には最適なのではないかと思い、これからの番組を(バッハに限らず)期待しているところです。(よく言われている双方向通信などはあまり私は期待していないのですが。)

まあ、まだまだチューナが普及していない段階ではあまり意味のない情報ですが、いちおうこのような情報を得たので、参考にしてください。(中略)HPの更新など、大変でしょうが、頑張ってください。それでは。

(藤崎様) (00/11/30)
 藤崎様、はじめまして。鈴木雅明/読響の『マタイ』の放映情報、ありがとうございました! 読響の機関誌『オーケストラ』11月号で放映のことは私も知っていたのですが、いかんせんBSデジタル放送受信に必要なBSデジタルチューナーを持っていませんでしたのであきらめていました。しかし、お便りをいただき何とかみてみたいと思うようになりました。BSデジタル放送の受信には前記のチューナーを今までのBS放送を受信していたアンテナにつないで(2分配程度ならできるそうですので信号を分けてつないで)、後はとりあえず今までのTVやビデオで見たり録画したりできるそうですね。ただ、ご指摘のようにBSデジタルチューナーが品薄の上、高価(約10万円)で、すぐに準備はできそうにありません。そこで少し調べてみたところ、まずインターネット上に同番組の情報を見つけました! こちらです。そしてそのHPにある基本番組表こちら!)を見ると、「ブラボー! クラシック」原則として日曜日の19:00からというゴールデンタイムに再放送枠があるようです。最初の放送はもう明日に迫っていますのできついのですが、再放送なら間に合うかも、ということで、私も今日にでも電気屋さんに行ってみようと思います。果たしてうまくいくでしょうか。藤崎様、また何か耳寄りな情報がありましたら是非お知らせください!
(矢口) (00/12/04)

203 《ヨハネ受難曲》

はじめまして。最近、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏による『ヨハネ受難曲』を買いました。お店のかたに、勧めて頂いたのです。確かにいいですね。日本人が歌っているとは思えないほど皆様、ドイツ語がお上手ですね。これからも、頑張って下さい。また、何か、CD、買います。どうか、皆様、お元気で。かしこ

(阿部祐子様) (00/11/27)
 阿部さま、はじめまして。お便りありがとうございます。
BCJの『ヨハネ受難曲』のCDは2種類出ていますが、どちらをお買い求めいただいたのでしょうか。今年再発売になった1995年録音のものはBCJが初めてレコーディングしたもので、演奏は新バッハ全集の楽譜をもとに鈴木雅明さんの様々な考察を加えた版によっています。米良さんがアルトのアリアを一部担当していることも話題になったライブ録音です。それに対して1998年録音の新盤は、バッハ晩年の最後の受難曲演奏であったいわゆる“第4稿”に基づく演奏で、BISのスタッフによって収録されたものです。どちらもそれぞれの魅力を持っていますが、果たしてお店の方が勧められたのはどちらだったのでしょう・・・。いずれにせよ、このCDから始まったBCJ体験、是非引き続きお楽しみください! (矢口) (00/12/04)

202 《BCJ第45回定期 〜カンタータ 194番〜》

 今回のカンタータ194番は、とても晴朗な演奏でしたね。曲が世俗的だったこともあるのかもしれないけれど、晴れ晴れとした印象が特に合唱に感じられました。シリアスでラメントな曲の演奏もいいけれど、こういう明るい曲を気持ちよく演奏できるというのは、実は大変なことなのかもしれません。明るいだけに、ちょっとしたキズや曇りがすぐに目立つし、何よりも演奏する方に余裕がないと本当に明るくなりませんからね。コレギウム・ヴォカーレとの触れ合いが、もしかするとこういう一皮むけた演奏になった原因でしょうか。
 この1年BCJを聴き続けてきて、感心することしきりでしたが、今年の白眉はサントリーの《マタイ》(4月)、次が7月の定期今回の定期で、これが私のベスト3ですね。ヨハネも良かったし、個人的にはブランデンブルクも人がどう言おうと良い演奏だったと思うので、この辺は意見が分かれるところでしょうが。あ、まだミサ曲ロ短調ショルのソロカンタータがあったっけ。ショルは別件があって行けないから、この順位に変動があるとすればミサ曲次第かな。

(北村洋介様) (00/11/13) 
 北村さん、こんにちは。カンタータコンサートのご感想、ありがとうございます! カンタータ194番は、本当にうきうきするような暖かさにあふれた演奏でしたね。このカンタータは、昨年の秋に演奏されたやはり祝典的な119番とのカップリングでカンタータCDの第16巻になるそうです。季節の異なるこの2曲ですが(119は夏の終わりの市参事会の交代式用、今回の194は11月初めに行われた献堂式用)、バッハによる祝いの音楽ということでしゃれた味わいの1枚になることでしょう。楽しみです。
 今年のBCJのベスト3ですが、難しいですね。私も現時点ではやはりトップは4月の「マタイ」でしょうか。演奏は初日の横浜公演をとります。2位は、色々と大変な条件の中での演奏でしたがBCJの底力を感じさせてくれた真夏の受難曲「ヨハネ」公演かな。3位には2月のカンタータ、特に109番の演奏(東京公演)をあげたいです。しかし、ブランデンブルク世俗・教会のいくつものカンタータ演奏にメンデルスゾーン版「マタイ」と、その一つ一つが本当にかけがえのないものでした。みなさんのBCJ今年のベスト3どんな感じですか? よろしかったらお便りください。・・・おっとっと、そうそう、まだ「ロ短調」「ショルとのジョイント」がありましたね。こちらが終わってから改めて北村さんのご意見もうかがってみたいものです。 (矢口) (00/11/27)

201 《楽しい音の響宴 〜BCJ 第139回チャペルコンサート〜》
 
鈴木雅明さん率いる Bach Collegium Japan の第139回チャペルコンサートのJ.S.バッハ 教会カンタータ全曲シリーズ第26回 ライプツィヒ時代1723年のカンタータ9“こよなく待ち焦がれし喜びの祝い”を聴きに,風がとても強くて寒い中 神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(11月11日15.00-17.00頃)。 その後の懇親会にも楽しく参加させていただきました(約1時間)。

曲目は以下の通りで,チラシとは順序に少し変更がありました。

ピエス・ドルグ(ファンタジー)ト長調 BWV572
コラール編曲《いと高きところでは神にのみ栄光あれ》BWV663
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068
《こよなく待ち焦がれし喜びの祝い》BWV194
  −シュテルムタール[教会堂献堂・]オルガン奉献カンタータ

最初の2曲のパイプオルガン独奏は今井奈緒子さんで,とても楽しく聴けました。

私の好きなピエス・ドルグでは,最初の Tres vitement の速い音形や3曲目の Lentement でのアルペジオの音形がチャペルの中空を鳴り響く様は,天使が飛んでいるように感じました。 オランダのいくつかの教会でオルガンを聴いた時のこと,特に住んでいたレイデンのピータース教会でトン・コープマンのオルガンを聴いた時(レビュー準備中)を思い出しました。

《いと高きところでは神にのみ栄光あれ》の第2曲ト長調 Cantabile は,テンポをタイトに進めるのではなくて,細かな音形が動きが丁寧でよくわかったのと,フレーズの縦の線がとてもカッチリ揃っていて気持ちよかったのが印象的でした。

前回も書きましたが,やはりオルガンは教会で聴くものですね。

次の管弦楽組曲第3番は後のカンタータと合わせて,バロック・ピッチよりもさらに低い tief-Kammerton (a'=392Hz)で演奏され,より典雅な響きがするような気がしました。 1.序曲では16分音符をブリュッヘンなどのように32分音符ではなくてガーディナーなどのように16分音符のままで演奏されたのにまず気がつきました。 活発な vite に入ると弦の豊かさが耳を引き,またもやレイデンのコンサートホールでラ・プティト・バンドを聴いた時が蘇ってきました。 その時と同じ寺神戸亮さんと鈴木秀美さんが弾いておられたからでしょうか。 有名な 2.Air は恐らく一般によく演奏されるのに比べると倍テンポでしょうか。 歯切れのいい低弦とともにフレーズが大きくまとまって流れる感じが印象的でした。 続く 3.Gvotte I-II, 4.Bourree, 5.Gigue は舞曲ということもあるのか,ひたすら楽しい音の響宴。 音が全体にとてもよく溶け合って気持ちのいい響きでした。 特にオーボエの目の前で聴いていたこともあって,柔らかいオーボエや後ろのファゴットが今回はとても効いているなぁと感じました。 そして,いつも思うことですが,室内楽的と言うか1人1人の演奏していることが最大限に活かされて,それでいてうまく調和しているのですね。 録音されることを楽しみにしています。

休憩後はまさに待ち焦がれたカンタータ《こよなく待ち焦がれし喜びの祝い》。 ソプラノとバスに使われている音域から tief-Kammerton を採用されたとのこと。 確かに高い音が合唱にも出てきます。 第1部1.[Chorus]ではバスに Jochen Kupferさん の参加のためか,芯が通って力強く前に出てくる感じがしました。 2.Recitativoではその Kupferさんが実に嬉しそうに力強くチャペル中に響きながら歌うのが印象的。 オーケストラも実に柔らか。 3.Ariaでも言葉がとても明確。 4.Recitativo, 5.Ariaではソプラノの野々下由香里さんが(こう言っては何ですが)かわいらしい感じでした。5.Ariaでは「助けたまえ」の歌詞ながら長調ですが(旋法で考えなければですが),もう少し迫ってきても良さそうにも感じました。 6.Choral はヨハン・ヘルマンの有名なものの歌詞を変えた祈りのバージョンで,思わず一緒に歌ってしまいました。
第2部6.Recitativo, 7.Ariaではテノールの櫻田 亮さん登場。 7.Ariaでは短調ながら符点が「喜び」を表しているようで,"unserer Freuden Ursprung"あたりのとても細かな難しい音形に聞き惚れていました。 圧巻はソプラノとバスの掛け合いになった 9.Recitativo, Duetto, 10.Aria。 最初は違った方向に行きそうな2つが Recitativo の最後で一緒になり,次にほとんど管楽器の伴奏で歌われるデュエットのアリアがこのカンタータの頂点を思わせました。 さらに 11.Recitativoでバスが会衆に「備えよ,聖なる喜びのため!」と呼びかけ, 最後にパウル・ゲルハルトに基づく 12.Choralで祈りをもって締めくくられて,充実したカンタータが終わりました。
終わった後の合唱の方々のにこやかな顔が印象的でした。 このカンタータを聴いている途中で,これまたオランダの教会で聴いた,同じように教会で似たようなプログラムのレオンハルト指揮のアドヴェントコンサートを思い出してしまいました。 どうも今日はそういうフラッシュバックが多い日です。

終わった後,別の楽譜を用意されているのを見て,アンコールがあるのかなと思いましたが,果たしてトランペットが登場。 「メルボルンのお土産」ということで,喜ばしいイースターのカンタータ "Erfreut euch, ihr Herzen" BWV66より 1.Chorusが歌われました。 リラックスした中にも充実した音がみなぎっている感じでした。

BCJの神戸定期はこれから以下の予定でコンサートが行われます。 次回はカンタータばかりですしとても楽しみです。

第140回チャペルコンサート(3月10日(土)15.00-)
バッハ:教会カンタータシリーズNo 27(BWV 73, 144, 153, 154)


ところで,今日もまだ神戸定期の案内がまだないようですが,いつ頃発表になるのでしょうか? 楽しみにしています。

演奏会終了後に後援会の懇親会がある旨が掲示されていて,今回は楽しく参加させていただきました。 初めて矢口真さんにもお会いできましたし,他にも「BCJフォーラム」でお名前を拝見していた方々にもお目にかかることができました。 今回初参加のKupferさんのスピーチがあり,BCJがバッハの内面(Inhalt)まで表現しているというようなことを言っておられたのが印象的でした。

懇親会のフレンドリーな雰囲気もあって,BCJの何人かともお話させていただくことができました。 雅明さんにはプログラムに,秀美さんには今日売られていたその著書『「古楽器」よ,さらば!』にサインをしていただきました。 その他の方々からも,様々なピッチにどう対応されておられるのか,カンタータはやはりチャペルでやるのが楽しくてホールでするのはつまらない(!)ことや,BCJのオケのうち留学された方が約半分というやや意外なことも伺いましたが,いずれにしてもBCJが高い水準でバッハを演奏しているその裏側の一端を見せていただいたような気がしました。
(竹内茂夫様) (00/11/11)
 竹内さん、こんにちは。神戸の定期公演のレポートありがとうございます! 懇親会でも楽しくお話しさせていただきあっという間に時間が経ってしまいましたね。次回もお会いできればと思います。
 いやー、実に楽しいコンサートでしたね。まさに竹内さんがつけられたタイトルそのままでした。私は今井さんのオルガンを聴きながら、この夏に行った“バッハ・オルガンツアー”を思い出していました。あの旅の最中にもピエス・ドルグは何度も聴かせていただいたように思います。今回松蔭のオルガンを見て「おお、リュックプジティフ!」と、改めて見上げてしまいました。
アリア爽やかなテンポ(寺神戸さん曰く「一般にエアは早いものが多いですからね」とのことでした)に驚かされた管弦楽組曲3番、そしてやはりオルガンにゆかりのカンタータ194番を堪能させていただきました。この2曲に共通するフランス趣味の味わいも心憎いプログラミングでした。今回初参加のクプファーさん、留学を終えてほぼ1年ぶり登場の櫻田さん、そしてますます安定感の増した野々下さんのソロに加え、オーボエ隊の三人衆なども大変充実した活躍。アンコールのBWV66“喜べ、汝ら もろ人の心よ”の1曲目にも再登場の親分・島田さんをはじめとしたトランペット・ティンパニの“シュタットファイファー・チーム”ももちろんばっちりでした! 欲を言えば管弦楽組曲の序曲などでさらに一段上の緊密なアンサンブルを聴かせてもらいたい感じもしましたが、今回は見送られた管弦楽組曲の録音の時に期待をつなげたいと思います。
 来年度の神戸定期については、会場である松蔭チャペルの行事との調整中とのことでした。楽しみに待ちましょう。神戸公演後援会のカンタータコンサート後の懇親会もまだまだ続きます!
 神戸公演の感動もさめやらぬ翌12日の午後、今度は東京オペラシティ東京定期が行われました。プログラムはもちろん一緒で、アンコールも神戸と同じように聴かせてくださいましたが、前日と違う広い空間華やかな音の饗宴が繰り広げられました。カンタータについては、やはり祈りの音楽ですからチャペルの雰囲気はとてもマッチしたものなのですが、オペラシティの豊かな響きの中でやはり見事な祈りとなっていました。チャペルではやや飽和気味であったクプファーさんの歌声が実に気持ちよく響いていましたね。またその歌声をうかがってみたいものです。
 さあ、いよいよバッハ・イヤーの定期公演が終わり、あとは「ロ短調」ショルとの共演」を残すのみとなりました! バッハ・イヤーもラストスパートです!
(矢口) (00/11/14)

 


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