共産党の丸山批判・党史公式評価
『日本共産党の七十年』
(注)、これは、1994年5月発行の日本共産党中央委員会著『日本共産党の七十年』(上P.146〜149)における丸山真男批判の公式評価で、その全文です。同年1月宮本議長の丸山批判に始まり、7月第20回大会志位報告・不破報告・改定綱領での丸山批判、それらを含む“丸山真男批判大キャンペーン”については、『経過資料』で詳細に分析しました。この『七十年党史』内容は、その定義づけとなるものです。それらへの私(宮地)の見解は『1930年代のコミンテルンと日本支部』で展開しました。 健一MENUに戻る
日本共産党にたいする「戦争責任」論攻撃の誤り
戦後、侵略戦争を阻止しえなかったという点で、日本共産党にも戦争責任があるとする主張があらわれた。党が五〇年問題の克服に力を集中しなければならなかった時期の一九五六年、近代政治学者の丸山真男は日本共産党の戦争責任論を主張した。この主張は、たとえば三十七年たった一九九三年に久野収が、戦前絶対主義的天皇制打倒をかかげ、きびしい弾圧にも屈せずたたかった日本共産党の指導者を「軍旗ごと捕虜になってしまった部隊」とあざけって、みずからの変節を合理化したように、今日でもさまざまな論者に影響をあたえ、学問的な形をとった反共攻撃の一つとなっているのであえて言及する。丸山の見解には、歴史の道程を無視した三つの重大な欠陥がある。
第一は、歴史を観念的にとらえていることである。丸山は、日本共産党は「ファシズムとの闘いに勝ったのか負けたのか」と問い、負けたから日本共産党にも責任があるとしている。これは、国際的国内的な階級的力関係、客観的諸条件を無視して、正しい方向をもつ集団がうまれさえすれば、反動勢力の侵略戦争は阻止できると考える点で誤っていた。また、侵略戦争に反対し、主権在民を主張する勢力にたいして、天皇制政府がおこなった治安維持法と特高警察による徹底した弾圧という歴史の現実をリアルにみず、どういう情勢であろうと、うつ手が正しければ成功するとみなす点で、おどろくべき観念的歴史観である。
第二は、第二次大戦の結果全体をみていないことである。戦争で敗北したのは、日本共産党ではなく、絶対主義的天皇制であった。天皇制廃止と平和・民主日本の建設という日本共産党の主張は、少数の人びとによって獄中の不屈の旗としてかかげられたが、戦後は、平和と民主主義をめざす内外の世論とあいまって憲法に主権在民を書きこませるなど、大きな影響力をあたえた。それは、党の路線がファッショ連合に対抗する世界の民主勢力の声と基本的に一致していたからであった。
第三に、丸山の見解は、歴史の傍観者の論理にすぎないことである。専制主義にたいする民主主義の勝利、民族抑圧にたいする民族独立の勝利が、日本をふくめて二十世紀全体をつうじての大きな歴史の発展法則であった。丸山の主張は、この歴史の流れをみることができず、結局、侵略戦争を推進する反動勢力の企図にたいして、成功のみこみがないかぎり「敗北」するから、はじめからたたかわない方がよい、傍観者がいちばん利口だとする近視眼的な実利主義の立場にほかならない。
丸山は、「『シンデモラッパヲハナシマセンデシタ』式に抵抗を自賛」しているなどと、軍国主義教育に利用された木口小平の挿話をひいて日本共産党を嘲笑(ちょうしょう)している。戦前の党の活動は、治安維持法による野蛮な弾圧にもかかわらず、数十万の検挙者にしめされる革命的潮流を形成し、それが敗戦とともによみがえって、戦後の歴史に大きな影響をあたえた。軍国主義の挿話を、戦前の日本共産党の命をかけたたたかいと同列にみなすことは、論者の民主主義的感覚の喪失、学者的良心の退廃をしめすものにほかならない。
こうした丸山の議論の背景には、マックス・ウェーバーの「価値判断排除論」(価値自由、没価値性ともいう)の影響をうけながら展開した、独特な二元論がある。丸山は、政治的諸問題を考察するにあたって学者はあくまで「真理価値」にしたがうが、政治家の場合は、「大衆動員の効果」、「宣伝価値」もしくは「扇動価値」であるとして、学者と政治家の任務を対立的にとらえている。
科学的社会主義は、社会の発展法則を正しく科学的に認識し、さらにその法則にそって人民の力を結集しつつ社会の民主的改革、真の変革をめざして主体的に努力するという立場にたっている点で、こうした二元論の立場とは根本的に異なっている。
科学的社会主義を理論的基礎とする日本共産党は、その理論と行動の基準を、「大衆動員の効果」といった近視眼的な「宣伝価値」にではなく、客観的真理との一致という「真理価値」にもとめている。社会発展の正確な知識にもとづかない理論や行動は、たとえある時期にどんなに大きな宣伝的扇動的な「大衆動員の効果」があったとしても、真の未来をもつことはできない。科学的社会主義の認識論は相対主義とは異なって、客観的真理、絶対的真理の存在を承認し、人間はその真理の把握ができると考える。しかし同時に、人間は客観的真理、絶対的真理に無限に接近できるが、いっきょにすべてのことを認識するのではなく、真理への接近の程度は歴史的、社会的に制限されていると考える点で独断論とも異なる。この観点を自覚することが、相対主義におちいらず、われわれの確信が科学に依拠するものであることを保障し、同時に、独断論におちいらず、つねに必要な謙虚さをもち、到達した認識をたえず実践によって検証するという積極的態度としてあらわれるのである。
政治の世界においても、どれだけ真理に接近しているかという真理性の基準こそが、その党の理論と実践の正否を、最終的にはかる唯一の基準である。
この見地から、日本共産党は無謬論の立場をとらず、党史における個々の問題での未熟さや弱点を語ることをおそれない。しかし、問われているのは、日本国民の根本的利益と反ファッショをめざす世界の民主勢力のたたかいにてらして、日本共産党の基本路線とたたかいが、どういう役割をはたしたかということである。歴史が疑問の余地なくあきらかにしているように、主権在民と侵略戦争反対の基本路線とそのための命をかけた日本共産党の戦前のたたかいの積極的役割はだれも否定できない。党は、丸山式の「宣伝価値」「大衆動員の効果」に依拠した他のすべての政党が戦争に協力・加担した戦争下には、少数者ではあったが、これは光栄ある孤立であり、歴史の大道と人民の根本利益にたつ未来の多数者への道であった。
以上
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