日本共産党の原子力政策の批判

「原子力の平和利用」路線堅持→「原発ゼロ」「原発からの撤退」

「反原発」「脱原発」「平和利用」拒絶=「反科学」だ排斥→分裂路線

 

バイオハザード予防市民センター事務局長 長島功

 

 〔宮地コメント〕

 これは、『労働運動研究復刊第30号、2011年12月』に掲載された長島功論文の全文である。福島原発事故発生以降、日本共産党の原子力政策=「提言」の内容と問題点、共産党の原子力政策は一貫しているか?−原子力政策の変遷・転換については、インターネットHPやブログでかなり書かれてきた。それらは、やや断片的な批判が多い。この長島論文は、日本共産党の原子力政策にたいする全面的で根底的な批判をしている。他には、加藤哲郎が日本マルクス主義はなぜ「原子力」にあこがれたのかDBや、『ネチズン・カレッジ』リンク多数や、『イマジン−東日本・原発大震災リンク集』多数を載せている。

 

 この論文は、きわめて専門的で、かつ、長いので、私の判断により、誠に失礼ながら、()冒頭の副見出し2行、()かなりの個所に各色太字をつけた。このHPに全文転載をすることについては、労働運動研究所の柴山健太郎事務局長の了解をいただいている。なお、文中行末の( )は、1〜22の番号である。

 

 〔目次〕

     はじめに

   1、共産党の「提言」の内容と問題点

   2、共産党の原子力政策は一貫しているか?−原子力政策の変遷を辿る

      ()第I期1961年〜1975年)

      2)、第U期1976年〜1999年)

      3)、第V期2000年〜2011年)

   3、原子力の「平和利用」は技術的に可能か?

      ()原子力の「平和利用」の可能性

      2)、トリウム溶融塩炉の問題点

      3)、核融合炉の問題点

   4、日本共産党の科学技術観の批判的検討

     おわりに

      1〜22

 

 〔関連ファイル〕       健一MENUに戻る

    『核・原子力問題にたいする共産党3回目の誤り』()1963年()1984年()2011年

       運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史

    加藤哲郎『日本マルクス主義はなぜ「原子力」にあこがれたのか』痛烈な共産党批判と資料

          『ネチズン・カレッジ』リンク多数 『イマジン−東日本・原発大震災リンク集』多数

    小出裕章『原子力の「平和利用」は可能か』

    被爆者森滝市郎『核と人類は共存できない』

    ブログ『反原発−不条理なる日本共産党』

    ブログ『共産党と原発−メモ』

    樋口芳広『過去の反省を欠いた「原発からの撤退」論の問題点』日本共産党員

    れんだいこ『日共の原子力政策史考』共産党と不破哲三の原子力政策批判

 

    不破哲三『「科学の目」で原発災害を考える』原子力発電は未完成→原発からの撤退

          赤旗2011514

    志位和夫『第2次提言−3、原発技術は未完成』→原発からの撤退、原発ゼロ

          赤旗20115月17日

    上田耕一郎『ソ連核実験と社会主義の軍事力の評価』→ソ連核実験は防衛的と支持

 

 はじめに

 

 今年の311日に起きた東北地方太平洋沖地震と津波による福島第一原子力発電所の事故は、周辺地域だけでなく全世界に大量の放射性物質を撒き散らした。一説によると、「福島第一原発から漏出している放射線量は、広島型原爆の296個分に相当」し、「ウラン換算で広島型原爆20個分」に等しいという(1)。このような数値計算結果を考えると、原発事故は、殺傷力は小さいとはいえ、原子爆弾に劣らない(あるいはそれ以上の)放射能を放出する大災害であることが分る。もちろん原発事故は原爆と違って非意図的なものであるが、それが人類にもたらす被害の本質は同じであると考えざるを得ない。それとともに、かつて稼動している原発を核兵器よりも危険だとする主張俗論だと一蹴したある政党の議論も、フクシマ後ではもはや通用しない

 

 ところが、皮肉なことにその政党が福島第一原発事故後のエネルギー政策論争をリードしている。日本共産党(以下、「共産党」と略記)は、どの政党よりも早く「エネルギー政策の転換」を提言した。いわく「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を一国民的討論と合意をよびかけます。」(2) 同党は、「提言」で「原発ゼロ」を合言葉従来の原発依存のエネルギー供給体制を転換し、再生可能エネルギーの導入を提案している。

 

 共産党といえば、今回の福島第一原発の事故が起きる前に、同党の吉井英勝衆議院議員が国会質問で、地震及び津波による全電源喪失に起因する炉心溶融の可能性に言及して、今回の福島第一原発の事故を予言していたことで話題になった。また前委員長の不破哲三社会科学研究所長は、同党の「古典教室」での同氏の講演「『科学の目』で原発災害を考える」(3)の中で、原発からの撤退の政治的決断に至った経緯を明らかにしている。

 

 筆者は今回の共産党の「原発からのすみやかな撤退」の決断自体は評価するものであるが、「提言」そのものには多くの矛盾点と問題点があると考えている。また同党は従来の原子力の「平和利用論及び原子力の発見を「自然に対する人類の英知の勝利」とみなす科学技術観から未だに脱しきれていない。本稿ではこの共産党の古色蒼然たる実態を批判的に明らかにするとともに、「提言」の問題点と共産党の原子力政策の変遷に見られる矛盾点を明示したい。

 

 

 1共産党の「提言」の内容と問題点

 

 「提言」は、1、「現在の原発技術は、本質的に未完成で危険なもの」と規定している(この規定の問題点は後ほど指摘する)。その理由として、@「莫大な放射能を閉じ込めておく保証がない」、A冷却水がなくなると、炉心溶融を引き起こし、原子炉を制御できなくなる(「軽水炉」の欠陥)、B「使用済み核燃料」を処理する方法がない、の3点を挙げている。そして、このように原発が未完で危険な技術であるのは、もともと「軽水炉」が「安全など二の次、三の次」にされて原子力潜水艦の動力として開発された原子炉を商業用原子炉に転用したものであることに根源があるとしている。

 

 2、「提言」は「原発事故の危険を最小限のものにする最大限の措置をとったとしても、安全な原発などありえず、重大事故の起こる可能性を排除することはできない」と判断している。しかし、共産党はこれまで国会原発の安全性のチェックを要求し、同党自身も「安全な原発」(4)の開発研究に言及し、軽水炉の固有安全炉(構造上どのような事故が起きても放射性物質が環境に放出しないような原子炉)の研究を追求してきたのではなかったか。にもかかわらず、今回「安全な原発などありえず」と180度態度を転換させた。したがって、同党にはその説明責任がある。

 

 3、「提言」は、「原発ゼロ」をスローガンに掲げ、「510年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定することを提案」している。しかし、マスコミがドイツなど欧州各国の原発廃止の運動を「脱原発」の言葉で伝え、日本でも人々のデモが「脱原発」を合言葉に原発の廃止を訴えているときに、共産党が「脱原発」という言葉けて「原発ゼロ」なる新しいスローガンを掲げたことは、原発廃止運動に統一をもたらすどころか新たな分断を持ち込むセクト主義ある。

 

 共産党自身としては、原発廃止に向けて国民的な討論を呼びかけたつもりであろうが、それは脱原発運動に関わっている人には共産党の独自色を出すための人気取りの策としか映らない。共産党が原発の廃止を真剣に考えているのであれば、社民党との共闘と原水禁運動の統一を自ら呼びかけることが先決である。こうした真撃な姿勢と努力なくして原発の廃止はできないと考えるべきである。

 

 4、「提言」は、「自然エネルギーの本格的導入と、低エネルギー社会に国をあげたとりくみを」行うよう提案している。そして「自然エネルギーの本格的導入は、エネルギー自給率を高め、新たな仕事と雇用を創出し、地域経済の振興と内需主導の日本経済への大きな力にも」なると主張している。またエネルギー消費型の社会から低エネルギーの社会への転換は、「人間らしい働き方と暮らしを実現し、真にゆとりのある生活を実現する」と述べている。

 

 5、「提言」は「“原発からの撤退”いう一致点での国民的合意」をつくりあげることを提案している。

 

 6、「提言」は「原発からの撤退後も、人類の未来を長い視野で展望し、原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、継続、発展させるべき」としている。

 

 その他に、「原発を地震国、津波国に集中立地することの危険」の指摘や「原子力の規制機関をつくる」提案などを行っていることも「提言」の特徴である。

 

 最後に、「提言」の一番の矛盾点を指摘しておきたい。「提言」は現在の原発を「未完成な」技術と規定したが、そうであるとすると、その技術が将来「完成する」可能性があることを前提していることにはならないか。事実、共産党はこれまで原発の危険性を指摘し、安全性の総点検を政府に要求しながら、その一方で、固有安全炉の研究を追求してきた(5)。こうした姿勢は、前項で挙げた「提言」の6番目の特徴、すなわち「原子力の平和的利用(事実上は安全な原発の開発による核エネルギーの平和的利用)にむけた基礎的な研究」の継続、発展を支持し、あくまで原子力の平和利用を実現しようとする立場に基づいている。しかし、巨大なエネルギーを生み出す原発の新たな開発を支持するこのような共産党の姿勢は、将来の低エネルギー社会の実現とそれによる地域経済復興への経済構造の転換を目指す同党の現在の立場と明らかに矛盾している。

 

 

 2、共産党の原子力政策は一貫してるか?−原子力政策の変遷を辿る

 

 〔小目次〕

   ()第I期1961年〜1975年)

   ()第U期1976年〜1999年)

   3)、第V期2000年〜2011年)

 

 ()第I期(1961年〜1975年)

 

 共産党が原子力の問題に関する基本的な政策を確立したのは、1961年の「原子力問題にかんする決議」(6)である。この決議は、1953のアイゼンハワー米大統領による「平和のための原子力(Atoms for peace)」の提唱とソ連における世界で最初の原子力発電所オブニンスク(19545月に臨界)の建設を受けて、将来の社会主義日本での原子力の平和利用の実現の夢と希望に満ちたものだった。

 

 決議は1、「原子力が持つ人類の福祉のための無限の可能性」(7)に言及している。そして原子力の発見を「自然に対する人類の英知のかがやかしい勝利」(8)とみなし、科学による人間の自然支配の思想を披瀝している。

 

 2、対米従属と独占資本から自立した原子力の平和利用を追求するとの基本的立場を表明している。

 

 3、核実験禁止と核武装反対の問題とともに原発の安全性の問題を重視するとの基本方針を確認している。それとともに、1955年に成立した「原子力基本法のうちに、原子力の研究、開発、利用を平和目的にかぎり、自主、民主、公開を三原則とすることをたたかいとった」(9)ことを成果としている。またすでにこの時点で「東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求」(10)している。

 

 そして原発の設置問題に関する基本的立場を次のように明らかにしている。「原子力発電所の設置は、わが国の総合的なエネルギー計画の民主的な確立、原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである。」(11)以上が決議の概要及び特徴である。

 

 その後の共産党の活動は、米国の原子力潜水艦の寄港阻止(1964)、日本分析化学研究所による米国の原子力潜水艦の放射能測定データの捏造問題(1974)、濃縮ウランの対米全面依存問題の追及(1975)が主たるものである。そして1974年に開かれた中央人民大学の講義で1961年の決議に言う「総合的なエネルギー計画」の具体的な内容が明らかになった。同講義では、軽水炉の代わりに高速増殖炉を将来の原発の一つとして認め、「高速増殖炉、核融合、地熱の利用」12)をはじめとして「新しいエネルギー」の研究、開発の推進の必要を説いている。しかし、これに問題点がある。

 

 1、この方針は1961年の決議の立場と矛盾する。「決議」では、原子力の平和利用は、対米従属と独占資本の支配からの解放の下で始めて可能としているにもかかわらず、「講義」では、軽水炉を増設するのではなく、次世代の原子炉として高速増殖炉、核融合炉の研究・開発の推進が唱えられているからである。ここには原発推進の立場が明らかに見て取れる。

 

 2周知のように、高速増殖炉「もんじゅ」は1995年に冷却材のナトリウム漏れ火災事故を起こし、現在運転を停止している。また高速増殖炉は世界的にも技術的な難しさから運転停止または建設中止されている。この事実は共産党の将来の原発開発に関する近視眼的な見通しの甘さと認識不足を示す以外のなにものでもない。

 

 2、第U期(1976年〜1999年)

 

 この期は政府の原発大増設計画が明らかとなった1976年から東海村のJCO臨界事故が発生した1999年までである。1976の不破国会質問は、原発の開発側から独立した一元的な安全管理体制の確立を要求している。一方、翌年に発表された『日本経済への提言』は、原発大増設時代を迎え、万全な安全体制の確立と原発の総点検を要求している。1980年の不破国会質問は、原発を危険「未完成」の技術と規定し、政府の「安全神話」を追及している。

 

 そして改正された党綱領(1985年)では、「安全優先の立場からの原子力開発の根本的転換」を要求している。その後共産党は、原発推進に反対する住民運動を支援する「原発問題住民運動全国連絡センター」を設置し(1987年)、1988にはじめて「いまの原発(軽水炉一筆者)に反対する」立場を表明した。総じてこの時期の共産党の草本的な立場は、一方で「既設原発の総点検を行い、その結果に応じて、永久停止」(13)などの措置をとることを要求し、他方で、あくまで原子力の平和利用を追求し、固有の安全性を備えた原子炉の開発・研究を提唱するものだった。この立場はこの期を通じて変わらない。

 

 3、第V期(2000年〜2011年)

 

 1999年の東海村のJCO臨界事故の発生スウェーデンとドイツでの原発廃止の方針決定を受けて、共産党ははじめて原発からの撤退の方針を打ち出した。2000年に開かれた第22回党大会の決議では次のように述べられている。「低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである。」

 

 2007年参議院選挙、2009年総選挙、2010年参議院選挙の政策でもこの方針は変らず、2011年の「提言」にいたって、「原発からの段階的撤廃」から「原発からのすみやかな撤退」へと一歩踏み込み、「低エネルギー社会」の早期実現を目指している。ただし、原子力の平和利用の方針は捨てず、将来の原発開発のための基礎研究の継続、発展を謳っている。

 

 だが、この点にこそ問題がある。自然エネルギー・再生可能エネルギーの利用を主とする地産地消の低エネルギー社会には、もはやエネルギー消費を煽る原子力のような巨大なエネルギーは必要ない。したがって、共産党は、低エネルギー社会の実現の方針を掲げた以上は、原子力の平和利用を断念すべきである。

 

 

 3、原子力の「平和利用」は技術的に可能か?

 

 〔小目次〕

   ()原子力の「平和利用」の可能性

   2)、トリウム溶融塩炉の問題点

   3)、核融合炉の問題点

 

 ()原子力の「平和利用」の可能性

 

 共産党は、原子力発電を中心とする原子力の「平和利用」の可能性については一貫して否定していない。例えば、1990年に不破哲三委員長(当時)は、次のように述べている。「もう一つの問題は、原子力発電の現段階の到達点だけを見て、そこに欠陥があるからといって、核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性全部否定してしまうというのは、短絡的な議論になるということです。

 

 なにしろ、原理が発見されてからまだ50年、人類の歴史からいえば、われわれは、核エネルギーを利用するほんの端緒、入り口の段階にあるわけですから、その入り口の段階で、将来の可能性を全部否定するわけにはゆかないのです。」(14)そして現段階の原子力技術の認識については、「核エネルギーという巨大な破壊力をもったエネルギーを人間は発見したが、これを使いこなす技術をまだもっていない」(15)ことを認めている。だからといって共産党は、原子力の平和利用をあきらめたわけではない

 

 というのは、「提言」には「原発からの撤退後も、人類の未来を長い視野で展望し、原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、継続、発展させるべき」と記されているからである。しかし、そもそも原子力の「平和利用」は技術的に可能なのかが問われなければならない。そこで以下、この点についても試論を展開したい。

 

 そもそも核エネルギーは、「原子核の安定性を破壊することによって得られる。」(16)すなわち、核エネルギーは、核子(原子核を構成する陽子と中性子)の結合エネルギーとして存在したものが、原子核の安定性を破壊する核分裂または核融合によって解放される。例えば、太陽のエネルギーは核融合によって発生している。ところが私たち地上の生物の世界は、原子核の安定性によって成り立っている。生物は物質代謝で生命を保っているが、その実態は化学反応であり、生物を構成するのもタンパク賃という化学物質である。

 

 化学物質は原子の結合体であり、原子核の安定性が破壊され、原子が崩壊すれば、化学物質も成り立たなくなり、生物も生きていられなくなる。このように原子核の組み換えによって原子核の安定性を破壊する核反応(核分裂または核融合)の世界は、原子核の安定性によって成り立っている地球上の世界とは本質的に異質な世界であり、全く異なる原理に基づくものだといってよい。それを象徴するのが、核分裂の際に発生する放射性物質(核分裂生成物)とそれが放つ放射線である。

 

 これらの放射性物質の中にはプルトニウ239のように半減期が24000年に及ぶものがある。今の技術では、また将来の技術でも放射性物質を放射性のない物質に人工的に変換させることはできないだろう。また放射線は生物のDNAを破壊し、生物を死に至らしめる。したがって、原発が産み出した放射性物質の安全な処理ができないかぎり、また放射線を無害化できないかぎり、原子力の「平和利用」は技術的に可能とはいえない。

 

 しかし、その見込みは、前述のように、核反応の行われる生命のない天上的世界と化学反応から成る地上的世界が本質的に異質であるかぎり、ありそうにない。したがって、原子力の「平和利用」は技術的に不可能と言わざるを得ない。

 

 次に『前衛』掲載論文(17)でも取り上げられているトリウム溶融塩炉の問題点に触れておく。

 

 2)、トリウム溶融塩炉の問題点

 

 一部の報道では、複数の国(中国、インドなど)がトリウム溶融塩炉の開発・導入を計画しているという。その理由として、トリウム溶融塩炉は原理的に重大事故が起きず、またプルトニウムその他の核兵器製造原料をほとんど発生させないからだという。溶融塩炉とは、塩化ナトリウムなどの塩を高温にして液化し、その中にトリウム(232Th)などの核燃料を溶かして核分裂させる原子炉のことをいう。トリウムは、溶融塩炉のなかでウラ233を連続的に作り、それによってトリウム自身の燃料を生み出す。つまり燃料を増殖するので、燃料交換なしで最大30年連続運転が可能だといわれている。また原子炉が小型であることも重用される理由である。

 

 ところが問題点もある。まず、トリウム自身が放射性物質であることが挙げられる。また、使用済み核燃料に含まれるタリウムの同位体が強度の異常に高いガンマ線を放つ。さらに、放射性ヨウ素やセシウム等の核分裂生成物が出るので、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物の処理が必要となる。このように、トリウム溶融塩炉は、各種の危険な放射性物質や放射線を発生させるので、軽水炉との差異は、燃料が固体か液体かの違いしかない。したがって、トリウム溶融塩炉が次世代の原子炉となるためには解決しなければならない問題が多いといえる。

 

 3)、核融合炉の問題点

 

 核融合炉の開発は、太陽で起きている核融合を地上で発生させて巨大なエネルギーを獲得しようとするものである。核融合の原理は、現在開発中の核融合炉を例にすれば、重水素2H)と三重水素(3H)一別名トリチウムーを融合させるとヘリウム(4He)と中性子が生成し、その際に質量がわずかに減少してその代わりに莫大な核子の結合エネルギーが解放されるというものである。このエネルギーを電気に変換するのが核融合炉である。

 

 ただし、重水素と三重水素を融合させるには、超高圧と超高温のプラズマ状態(正電荷の陽子と負電荷の電子が遊離している状態)の持続という条件が必要で、太陽では自己重力1500万℃の温度でプラズマ状態を実現している。地上で核融合を起こすには、炉心を超高圧で一億℃以上に保つ必要がある。ただ一億℃以上に耐えられる素材がないので、磁場でプラズマを閉じ込める必要がある。

 

 こうした条件をクリアしてはじめて地上での核融合は実現される。核融合炉の長所は、燃料となる重水素と三重水素は海水中に無尽蔵にあること、高レベルの放射性廃棄物は存在しないことなど安全でクリーンな電源になることであるとされている。

 

 しかし、核融合炉の実現のために技術的にクリアしなければならない条件は非常に高い。まず中性子線の放射に長期間耐えられる炉心の素材を開発しなければならない。次に超高圧で一億℃以上の超高温の条件で磁場閉じ込め方式(その一つの型が「トカマク方式」である)によりプラズマ状態を1秒以上実現することが必要である。しかし、現在の最長持続時間は30秒にすぎない。これを少なくとも1時間以上に延ばさなければ実用化は不可能である。それを考えると実用化の時期ははるかかなたに思われる。

 

 核融合炉の開発は、1960年代に始まったが、実用化の目途はまだたっていない。現在、核融合炉の開発は国際的に進められており、1985年にソ連のゴルバチョフ書記長と米国のレーガン大統領が核融合炉の開発を国際的に協同で進めることに合意し、これに日本、欧州共同体、中国、韓国、インドが参加した。これらの国によって現在開発が進められている核融合の実験炉をITER(イーター)と呼んでいる。ITERはまだ実験炉であり、そのあと実証炉、実用炉と進んでいかなければならない。そしてITERの開発費用だけで16兆円と見積もられており、開発費用全体には巨額が投入される見込みである。またITERそのものの大きさも、直径26m、高145mと巨大である。

 

 このように核融合炉の開発は、国際的・国家的な巨大プロジェクトであり、仮に実用化されても、低エネルギー社会と地方分散型社会の実現を目指す現在の政策の方向とは根本的に相反している。したがって、核融合炉の開発は、技術的に困難であるだけでなく、類社会の目指すべき将来社会の発展方向にも反していると言わなければならない。

 

 

 4、日本共産党の科学技術観の批判検討

 

 共産党の主張する「原子力の平和利用」論には同党独自の科学技術観が結びついてる。そのことを示しているのが、同党が「反原発」論や「脱原発」論批判する際に、それらに「反科学(主義)」と言うレッテルを貼っていることである。例えば、次のような表現が見られる。「また、一部環境保護(エコロジー)グループは、「反核・反原発・エコロジー」を主張して「『反原発』としての『反核』とか、「『反基地』『反安保』としての『反核』とかいい、核兵器廃絶に、「反原発」「反基地」「反安保」を対置する分裂路線を持ち込んでいます。この動きが、科学技術の進歩を敵視する反科学主義の立場に立つ誤りであることは明白です。」(18

 

 また次のようにも言われている。「その(原発が要るか要らないかの論の−筆者注」)根本には、実は冒頭に述べました核エネルギーの平和利用に対する見方の問題があるのです。つまり、反科学主義に立って原子力そのものを否定するのか、それとも原子力そのものを人類の進歩に役立てうるものと見ているかという違いです。」(19)つまり、ここでは「反原発」の立場や原発を不要とする議論は、反科学主義だと言われている。なぜなら、核エネルギーは科学によって発見されたものであり、科学の成果を人類の進歩に役立てが正しい立場(=共産党の立場)であるとされるからである。

 

 この立場はそれ自体は正しいとしても、それが行過ぎて「科学の成果は実現可能であり、それゆえ何としても実現すべきである」ということなると、「科学主義」、「科学技術信仰」または「科学技術万能論」と言わざるを得なくなる。次の考え方はその典型である。「それも、私は、科学の進歩によって、必ず死の灰を無害にする技術か、再利用するなどの技を人類は見つけるに違いないと思います。た、そうなれば、将来は原発の安全炉もでるわけです。

 

 夢物語みたいなことですが、私は放射性廃棄物をロケットに積んで太陽にぶちこむという方法もあると思います。太陽引力圏に送り込んでやれば、後は太陽が吸込んでくれるでしょう。太陽はものすごく大きいですから、世界中の放射性廃棄物を全部送りこんでも『チュン』というくらいのものです。」(20)共産党の幹部がこのような発言をすることは、「科学主義」が同党に相当根深く浸透していることを物語っている。

 

 また共産党は、原子力の平和利用を人類のエネルギー利用の発展の歴史という立場から考察している。不破哲三副議長(当時)は、原子力問題に関する共産党の基本的立場を次のように明らかにしている。「日本共産党は、原子力問題で、人間は原子力にいっさい手をつけるな、などという非科学的なことは申しません。人間の知恵がすすんでいくにしたがって、人類は新しい力を手に入れます。昔は木をこすって火をおこした。それが近代では石油や石炭を燃やして大規模なエネルギーを使うようになった。核エネルギーというのは、うまく使えば、石炭や石油とはけたちがいのものすごい力を出せるもので、これを人間が発見したのは、いまからちょうど五十年前でした。この大きな力を本当に安全でしかも平和に人間が使いこなせるようにするために、うんと知恵を使うべきだ、というのが日本共産党の立場です。」(21)

 

 筆者は、石炭や石油をエネルギー源として発展した近代文明を全否定するつもりはないが、結果として二酸化炭素の排出による地球温暖化という環境問題を引き起こした近代文明の負の側面に触れない不破氏のエネルギー論には違和感を抱かざるを得ない(ただし、この不破氏の発言は地球温暖化説がはじめて唱えられた1888年時のものであるので、やむをえない側面もある)。

 

 さらに石油文明のもたらした大量生産・大量消費とそれによる廃棄物問題の発生は、生産力の量的発展のみを追求した近代産業の根本的転換を人類に求めている。このような状況下で有り余るエネルギーを供給する次世代原子力発電の開発を推進することは、地球環境問題を解決するどころかさらに悪化させることにつながる。共産党は「提言」で原発開発の基礎研究を「継続、発展」させると述べているが、これは時代にそぐわない生産力主義である。

 

 おわりに

 

 以上見てきたように、共産党は現在の綱領路線を確立してから一貫して原子力の「平和利用」を主張してきた。その理由は、同党が、原子力の発見を科学の成果とみなし、科学の成果は何としても実現しなければならないとする「科学主義」の立場に立脚しているからである。しかし、安全な原子炉の開発は技術的にも難しいことが明らかになりつつあるだけでなく、地球環境問題の発生とともに大量生産と大量消費の近代工業とエネルギー浪費の近代文明が問い直され、低エネルギー社会への社会構造の転換が目指されている。

 

 このような状況の下で、原子力の「平和利用」に固執し、膨大なエネルギーを生み出す原発の開発とそのための研究を「継続、発展」することは、有限な地球環境と生産力の発展の調和をはかる将来の経済発展の方向に逆行する。かつて共産党は「環境保全と両立する生産力の発展をはかる」(22)と宣言したが、今回の福島原発事故後には「提言」でさらに踏み込んで「低エネルギー社会」への転換を提唱した。

 

 膨大なエネルギーを産出する原発開発を目指す原子力の「平和利用」の追求は、同党が示すこのような経済発展の方向と明らかに矛盾する。今こそ共産党は、科学主義と生産力主義から脱却し、しかもそれを自己批判してから、社会民主党と原水禁国民会議に共闘を求め、「脱原発」の潮流に合流すべきである。

 

  1〜22

1727日の児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長による衆議院厚生労働委員会参考人質疑での証言。

2)「しんぶん赤旗」(2011614日)。以下、「提言」と記す。

3)「しんぶん赤旗」(2011514日)及び小冊子『「科学の目」で原発災害を考える』(不破哲三、日本共産党中央委員会出版局、2011527日)

 

4)高原晋一副委員長・科学技術局長(当時)「『安全神話』くずれるなかでの原発問題への対処、住民運動の強化」(『原発一推進政策を転換せよ』日本共産党中央委員会出版局、1988年、70頁)

5)高原晋一副委員長・科学技術局長(当時)は「原発問題での全都道府県代表者会議に対する党中央の報告」(1990128日)で「もちろん、原子力の固有安全炉の研究なども必要です。」と述べている(『原発事故と安全神話』日本共産党中央委員会出版局、1991年、54頁)。

6)『日本共産党決定決議集7』(党出版部)4048頁。

 

7)同書、47頁。

8)同書、41頁。

9)同上。

10)同書、45頁。

11)同上。

 

12)『日本の未来を開く科学的社会主義一日本共産党中央人民大学・講義録』(日本共産党中央委員会出版局、1975年、305頁)

13)「原発の危険に反対する運動の前進のために」(無署名論文「赤旗」1989329日)(『原発の危険と住民運動』前掲、13頁)

14)不破哲三「今日の原発問題を考えるいくつかの問題点」1990128日(『原発事故と安全神話』前掲、17頁)

 

15)不破哲三「原発災害を考える 歴史的検証と未来への提言」(「しんぶん赤旗」2011629日)

16)高木仁三郎「エネルギーとエコロジー」(『テクノロジーの思想一岩波講座現代思想13』岩波書店、1994年、98頁)

17)柳町秀一「東日本大震災下の福島原発災害」(『前衛』20115月号)

 

18)高原晋一「『安全神話』くずれるなかでの原発問題への対処、住民運動の強化」(『原発一推進政策を転換せよ』前掲、6061頁)

19)中島篤之助「原発の危険と原子力の将来」(『原発問題と原子力の将来』日本共産党中央委員会出版局、1988年、44頁)

20)高原晋一副委員長・科学技術局長(当時)「原子力発電問題をめぐる政治的対決」(『原発の危険と住民運動』前掲、72頁)

 

21)不破哲三「自民党政治が青森県におしつける二つの危険」(『原発問題と原子力の将来』前掲、5859頁)

22)『新日本経済への提言』(日本共産党経済政策委員会、新日本出版社、1994年、67頁」)

 

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 〔関連ファイル〕

    『核・原子力問題にたいする共産党3回目の誤り』()1963年()1984年()2011年

       運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史

    加藤哲郎『日本マルクス主義はなぜ「原子力」にあこがれたのか』痛烈な共産党批判と資料

          『ネチズン・カレッジ』リンク多数 『イマジン−東日本・原発大震災リンク集』多数

    小出裕章『原子力の「平和利用」は可能か』

    被爆者森滝市郎『核と人類は共存できない』

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    ブログ『共産党と原発−メモ』

    樋口芳広『過去の反省を欠いた「原発からの撤退」論の問題点』日本共産党員

    れんだいこ『日共の原子力政策史考』共産党と不破哲三の原子力政策批判

 

    不破哲三『「科学の目」で原発災害を考える』原子力発電は未完成→原発からの撤退

          赤旗2011514

    志位和夫『第2次提言−3、原発技術は未完成』→原発からの撤退、原発ゼロ

          赤旗20115月17日

    上田耕一郎『ソ連核実験と社会主義の軍事力の評価』→ソ連核実験は防衛的と支持