1、控訴人の平成13年5月18日付け準備書面の内容には、特に反論に値する程の見るべきものは無いが、とりわけ被控訴人ら代理人が先の準備書面において、ピシバニールを「ピンバニール」と表記しているのは「医師の書いた下書きを咀嚼されることなく丸写しされているのではないか」との指摘に至っては全く恐れ入る。
本来、ピンバニールの間違いより、最も大きな間違いを指摘すべきだったんでしょうが、裁判官にあれもこれも主張してしまうと理解不能になってしまうのでうちの弁護士はこれだけに留めました。 ピンバニールより重要なのは、3年前に書かれた時は書面との食い違い。
控訴審病院側の準備書面 平成13年3月1日提出
『それはともあれ、被控訴人医師は4日の時点で控訴人に対し呼吸困難が4日〜5日前から継続的に現れて来ている現状は説明したが、その段階で携帯酸素を備えて翌日に転院させるよう指示した事実はない』
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病院側の答弁書 平成10年4月13日提出
『 前日の一〇月四日、被告医師は原告に対し、移動に際しては亡き淑子の状態から判断して酸素を用意するように指示し』
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原審以来の被控訴人ら準備書面には正確に「ピシバニール」と表記されて来たのであって、このことから明かなように、前回準備書面に限って偶々「シ」を「ン」とワープロミスされていたのを被控訴人ら代理人が見落としたことによるもので、そんな分かり切った些細なミスを把えて大仰な揚足取りをされねばならない程の差し迫った必要が控訴人におありなのかと問い度くなるところであるが、いづれにせよ、被控訴人ら代理人の落ち度は否定できないので、唯々恐縮し丁重にお詫び訂正する以外にはない。
一審、裁判官の視線を反らす法廷戦略はあっぱれでした。 大仰な揚足取りくらいさせて戴きたい。 告知については藤村医師の提案。親をほったらかしにした娘とイメージづけられいますが、娘を寄せ付けずに説明せずに病院に引き止めたのは藤村さんです。説明義務については、このHPの方も疑問視されています。
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2、本件ことに当審における主たる論点は、乙19号証の小田徹也博士作成の意見書を作成を依頼した被控訴人代理人の(設問事項)として記録されている通りであり、同意見書のこれらの論点につき同医師の「長年に渡る数多くの癌治療を通じて取得した医学的知見や臨床経験等にもとづき」適切に応答をしたもので、内容上医学的にも臨床的にも疑問の余地は毛頭無く、原審以来の被控訴人らの主張の正当性を十二分に裏付けるものである。
被控訴人代理人の(設問事項)として記録されている通りというのは、
設問事項
1、癌末期状態(ターミナル)の意味やその段階、および診療に際し配慮すべき点。
2、乙第15号証の淀川キリスト教病院ホスピス長柏木哲夫医師執筆の日本医師会雑誌増vol1、106、vol10中の「ターミナルケア」において述べられている輸液の取扱についての臨床上の意味やその根拠、輸液の弊害等について。
3、癌ターミナルにおける低ナトリウム血症の補正の検査の是非等について
4、その他、貴医師の気づかれた点
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こちらの弁護士が提出している質問事項には、なぜ、О田博士はお応えにならない? 本多先生の意見書お見せになりましたか? 本多先生の意見書の反論をしてもらうべきでしょう。 一審、I医師意見書の反論でおっしゃっていた「頼まれ原稿」なのですか? 唯一提出してきた文献がターミナル論。ところで、藤村さんの行為と、淀川キリスト教病院ホスピス長の治療を一緒にするのは申し訳なさすぎませんか?
最後の日まで、介護不要の患者であったことはこれでご確認ください。
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ところで、甲第42証のU野意見書に対してすでに被控訴人らの前回準備書面において反論ずみであり(くわしくは、被控訴人らの原審準備書面におけるそれぞれの個所を参照されたい)、また、被控訴人が新たに提出してきた甲第43号証の本多憲児意見書はU野意見書を下敷きにしたその鸚鵡返し(おうむがえし)の焼き増しにすぎず、先に述べた反論がそのまま当てはまる。
両者共癌のターミナル医療の視点を全く欠落し医学と患者をいじくり廻した独りよがりのものに過ぎず、そんなものは本件に対する何の資料にもなりえないものである。
弁護士の常に誠実な弁護活動ということは、こういう文章のことなのでしょうか? 本多先生ご指摘の保険医としてのとんでもない行為や、指示簿なき診療の指摘はひとりよがりでなく鋭い指摘ですよ。 もっと知的で、気品のある書面を戴きたいものです。一審ではその態度に合わせてHPをエキセントリックに展開していました。 こちらとしては、まず、一審では、嘘、詭弁を暴かないといけませんからね。追い込みには知恵が必要だと思っています。 前川先生は、自分の依頼者以外は全て敵がい心を燃やしております。 凄まじい攻撃文章テクをお持ちです。 こちら側の3名の先生方は法廷にいつでも立つとおっしゃってくださっています。
ところが、この準備書面の最後の締めくくりでは、「それ以上に鑑定人による鑑定も医師らの証人尋問も必要ないと思料される」と記載。 すべて自分に都合よく、都合よく持っていこうとされるのですね。 このようにお書きになられたのは、鑑定を付けられたり証人として現れられるのは困るからなのですか?
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3、ところで上に述べたこととも関連するが、控訴人は「控訴人らは被告病院(履行補助者ないし直接行為者被告藤村)との間で、故淑子に対する『ターミナルの緩和療法』を求めたのでないのであって(一時的に痛みを取って転院させることを希望していたのである)これを前提に検査、治療義務を論ずることは全くの間違いである」など主張しているので、これに対し反論しておく。
説明してもわかってもらえないから治療やりましたと証言され、無検査の言い訳はターミナル。ホスピス医だから?
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被控訴人藤村医師が控訴人に対し、淑子の余命は数ヶ月と告げ、今後の方針として延命のための抗がん剤を提案したところ峻絶し、今後の方針として延命のための抗がん剤による化学療法を提案したところ峻絶し、
淑子の余命は数ヶ月って何ヶ月ですか?、告げてくれるなといいましたよ。 ずっと、余命は伝えたとして、何ヶ月かは誤魔化していましたよね。聞いていない部分は、しどろもどろですよ。 「1度様子を見て退院、次の入院で化学療法」という一方的なお話でしたけど。うんざりする嘘です。藤村さんがよく御存知のことです。ここまでして勝訴したいのですね。今後の方針は転院じゃないですか。証言では6ヶ月しか時間がないようなことおっしゃっていましたが。 しかし、抗がん剤による化学療法って普通いいますか?杜撰怠慢の言い訳に使ってきている詭弁でしょう。
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「痛い、苦しい、辛い」をとる治療を要望したことは原審以来控訴人自身が述べているところであり、これは小田意見書もいうようにまさしくターミナルにおける緩和療法の要望以外の何ものでもない。
余命は告げられていないのです。告げてくれるなとお願いしました。 引っ越しの段ボールの山を片づけて迎えにいくといいましたよね。戻っても大丈夫かと聞いたら「こういうガンは徐々に進行していきますから」と言っただけですよね。このパニック時に余命なんて聞いてしまったら、とんでもない心境で自分が支えきれなかったから言わないでと頼んだのですけどね。 告知も提案されて、2週間もしないうちに転院できるだろうと考えてしまったから、東京いくときどのタイミングでいうか様子を見て退院ということは実家に戻ってからでいいかと色々考えて。。 「ここにポツポツと癌があるんだろうね」だけの説明しかしないから、ヤバイと思って、化学療法も拒否しておいたのですよ。東京いってから本人が考えるんだから。 嘘ばっかりだから、無情に裁判できるのですよ。心証とか気にしている場合ではなく、嘘は迷惑でこれまでの主張を並べ立てて証明して、問い詰めるしかないのです。 数ヶ月って曖昧な記載ですね。何ヶ月っていったんですか?血液検査は百害あって有益無害でしたか。
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東京への転院ごときは、単に控訴人自身の便宜のため、入院場所を移動させるというだけで、それによって、緩和療法以外の全く別の治療を受けさせるものではなく、そのような主張は控訴を維持するため当審に至って俄にとって付けられたものにすぎない。
前川さんの文章は、ありがたく戴くことに致します。 しかし、こんな老人に過去をめちゃくちゃにされたくない! 最初に裏切らずに、転院させておいて戴いたら、告知して本人に治療を選択させるチャンスがあったのです。 とりあえず、転院先の病院で幸せに息を引き取りました。 藤村さんに死亡診断書を書かれなくて本当によかったです。
遺体の搬送は20万円。勝手に人の過去をそうして勝手な言い分で操作しておきなさい。前川さんの書く知性と気品のない文章は、人様に見て戴くことで、心を沈静化させられます。
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つぎに被控訴人、控訴人代理人、U医師らによる個人攻撃云々の主張に対し、被控訴人らの立場を明かにしておく。
前回準備書面において、先づ被控訴人らが控訴人につき主張したのは控訴人の主張と実際の行動との間には大きな矛盾があり、控訴人が亡き淑子を東京の病院に緩和療法以外の積極的治療を受けさせる方針であったなどとの主張は偽りであるということであり、更に控訴人の徒前からの態度から判断して控訴人には亡き淑子のQОLを語る資格は無いということである。
これらは、控訴人の主張に対する反論そのもので、単なる個人攻撃などと非難される理由は毛頭存在しないのである。
「1度様子を見て退院。次の治療で化学療法」とおっしゃるので、ここでの入院は一瞬と考えさせて戴いての要望ですが。勝手に治療して、無検査貫いて、知らぬ間にターミナルにしたんでしょう。裁判所が信じなくても、藤村氏が一番よくわかっているようですよ。
嘘だらけの答弁書。ちゃんと3年後には、二転三転していますよ。
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次にインターネットの件であるが、原審最初から控訴人代理人に対しその内容があまりにも、常軌を逸しているのて配慮さたいと申し入れたことがあるが、その後、全く変わらなかったのであるが、これに対し、被控訴人ら側は努めて挑発に乗ることを避け態度を一貫してきたのである。
当審に至り、被控訴人側がターミナル医療の特異を明らかにする最適任者としてホスピス実施病院の専門担当医師らに対し、意見書の作成ないしは証人としての出廷を要請したところ、全員インターネットの内容は知悉しており、意見書を書き証人となってはどんな攻撃にさせされても構わないが、このような集中豪雨的なインターネット攻撃によりデリケートな心境の患者や家族に対する悪影響を考えるとホスピスを平穏に維持しえないことが危惧されるので勘弁してもらいたい度いとのことであった。
「危惧されるので勘弁してもらいたい度いとのことであった」は原文のまま。 嘘、詭弁のないまともな証言や文面だったら、集中豪雨的なインターネット攻撃などできないものです。 そもそも、私は、裁判書面にて集中豪雨的な中傷受けていますから。 まともなターミナル医学なら、攻撃対象ではありません。 余談ですが、インターネットというより、ここではホームページの方が適当かと。しかし、スゴイ言い訳ですね。
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そして、このような危惧はもっともであり、被控訴人側において何よりも痛切に理解しうるところであるから、止むなく被控訴人らは次善の方法としてかかる危惧を抱く必要のない立場にあるホスピス以外の市内開業医師で癌末医療に詳しいО田博士に、意見書作成依頼するに至ったのである。
ここまで言い訳して提出されるなんて。。どうしてですか? О田博士というのは、代理人さんとしては不適切な方とお考えなのですか? そもそも、一審の裁判官は、、内科医のI医師の意見書を癌の専門医でないと却下したのですよ。 提出された方は癌の患者をよく見られている外科医だから、それはそれで適任ではないのですか?私としては、同じ学校卒の人でない人なら何となく納得できるんですけどね。
しかし、なぜ、ホスピス医にこだわるのですか? 唯一出してきた文献だからですか? どうして、ターミナル医療なんですか?ここまでの言いわけが必要なんですか? 転院前日までリハビリを受けていた患者というのは伏せていませんか? 転院前日に親切で来てくださっていたI医師に責任押し付けていらっしゃいましたね。 О田博士にとっては、同じ大学ご出身、身内庇いの単なる頼まれ原稿では?
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そこでかのような事情は被控訴人側の立証方針との関連で、裁判所の御理解を得ておく必要があるので、いたし方なく現物の一部(乙第17号証)を提示して状況の一端を明かにした次第であり、更に御理解を深めるための資料として、前回記以後のインターネットを乙第20号証として提出しておく。
HP提出で心証傾け大作戦ですね。もしかしたら、うまいこと、傾いたかも知れませんね。 私はお涙ちょうだいの裁判官の心証より、徹底した義務である立証責任をとります。 本来、訴訟は証拠の世界ですから。 とにかく、一審から控訴審までの主張の二転三転は、HPで明かにさせて戴きます。結審しても、この方針は貫きます。 そもそも、答弁書から終始一貫した主張を書いていれば、ネット攻撃だと言わなくていいのです。 このホームページのほとんどすべては、病院側の主張です。攻撃できる材料を提供していただけるからフレーズごとにまとめあげているのです。
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なお、U医師に対する被控訴人らの主張は、同医師のターミナル医療に対する発言力との関連で同医師の癌治療に対する発想の原点を明かにしたもので、個人攻撃などとの主張は見当違いも甚だしいのである。
いや、前川さんの依頼者以外は、すべて悪いという主張で人格攻撃ばかり。 前回の書面は、個人攻撃、いわれもない中傷でしょう。そして、憶測もありました。 私は、陰口やいわれもない中傷嫌いですので、証拠を突き付けて、皆さんにお見せします。弁護士なら気品と知性のある攻めをお願いしたいものです。
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5、本件については原審以来すでに当事者双方の主張は十分尽くされ、それを裏付けるべく各証書は勿論医師らの意見書までが提出された。
残る問題はこれらの内容を踏まえての裁判所の適切な御判断のみであり、もはやそれ以上に鑑定人による鑑定も医師らの証人尋問も必要ないと思料される。
鑑定も医師らの証人尋問も必要ないって、О田博士は尋問拒否ではないですよね? こちらの協力医の先生方は、法廷に立つ気満々でした。自分たちの原稿、医療には自信を持たれている先生方です。こられたら困るのですか? 前川先生が中傷、侮辱した分の汚名挽回をお願いしたいものです。 О田博士には前日までリハビリに行く介護不要の患者であることを伝えましたか? 本多先生は1941年大学医学部ご卒業。О田先生は1945年大学医学部ご卒業。同じ日本胸部外科学会です。 日本胸部外科学会元会長・現名誉会員Vs日本胸部外科学会会員の証言尋問お願いいたしたいものでした。
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以上
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