古い教条とあたらしい現実との谷間で
−日本共産党の綱領改定案を検討する−
社会主義研究家 中野徹三
(注)、これは、『労働運動研究復刊第6号』(2003年12月)に載った、中野徹三札幌学院大学名誉教授の論文です。このHPに全文を転載することについては、中野氏の了解をいただいてあります。文中の下線部は、黒太字にしました。
〔目次〕
2、当面する「革命」=「民主連合政府による民主的改革」という新しいテーゼをめぐって
4、注(1)〜(9)
5、HP掲載の中野徹三論文、中野・藤井一行著書リンク『拉致・国家・人権』
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共産党『7中総・綱領改定案、8中総・大会決議案』 「新綱領」 「新規約」
『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領案』総選挙連敗が証明した過半数議席の空想性
加藤哲郎『日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問(2004/1)』
1、はじめに−現綱領とこれまでの改定の基本性格について
日本共産党の現行綱領に対する改定案が、本年6月の第7回中央委員会総会で決定された。今回の改定は、現行綱領の基本が1961年の第8回大会で決定されてから、5回目の改定にあたる。これまでの4回の改定の主な内容は、次の通りである。
第1回(1973年、第12回大会)
二つの革命の権力の性格としての「人民の民主連合独裁」と「プロレタリア独裁」を、それぞれ「民主連合執権」と「プロレタリア執権」に変更。
第2回(1976年、第13回大会)
党のよって立つ思想原則としての「マルクス・レーニン主義」を、「科学的社会主義」に変更。上記の「民主連合執権」を「民主連合」に。「プロレタリア執権」の語を削除。
第3回(1985年、第17回大会)
「一部の社会主義国」の「否定的現実」と「覇権主義的傾向」から生じた「困難と障害」に言及。日本独占資本が軍国主義、帝国主義復活・強化の道をすすんでいることを強調。「資本主義の全般的危機」論の削除。
第4回(1994年、第20回大会)
ソ連・東ヨーロッパでは、「なにが崩壊したか」の項を立て、「ソ連及び東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である」とし、これらの国ぐにでは、結局「社会主義に到達しえないまま、その解体を迎えた」、とする文章を入れた。
日本の現状規定では、61年以来の「高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国」とした「半占領規定」を「・・・、国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた事実上の従属国」に変更した。
社会主義革命の語を「社会主義的変革」にかえ、当面の要求から「国有化」の条項を削除。
ここでまず確認しておかねばならないのは、次の諸点である。
第1に、日本の対米従属状態についての綱領制定時の「半占領」規定は、その4年前の1957年9月に発表された「党章草案」のそれとまったく同一であり、それはやっと9年前に削除された(それまでの33年前=3分の1世紀にわたって変わっていなかった)、という事実である。
そしてここから導き出された「反帝反独占の新しい民主主義革命」は、この「革命によって人民の手に移行すべき権力は、外国帝国主義の支配とそれに従属的に同盟している日本の独占資本の権力である」(l)という7回大会提案での宮本書記長の珍説に示されているように、民族解放革命という性格を強く帯びていた。現綱領はこの点でスターリンが押しつけた51年綱領の「民族解放民主革命」の尾を引いており、また「半占領」の規定や最初の党章という名称は、中国共産党出自であって、全体としてスターリン時代のソ連党と中国党の影響を強く受けたものだった。
第2に、党史上ただ一度自由で民主的な討論が行われた6全協から7回大会までの3年間(その結果党章草案は7回大会での採択が見送られた)と対照的に、第8回大会以前は党内討論誌の発行も中止され、大会のための各種党会議での討論や党会議での代議員選出にあたっては、批判派や反対派の排除が党機関を通じて徹底して実施された。こういう党内民主主義のじゆうりんの結果として、61年綱領草案は、満場一致で採択されたのである。現行綱領が、以後42年にわたって継続しているスターリン時代風の「満場一致」体制とともに成立したことは、銘記さるべきである。以後この「宮本綱領」の正面からの批判的検討は、こんにちまで依然としてタブーとしてあり続けている。
第3に、この状況下でもともと草案反対派であった不破氏や上田耕一郎氏は、宮本氏と主流派の意を迎えながら、反帝反独占のあたらしい民主主義革命、という綱領上の規定を受け容れつつ、その内容を徐々に換骨奪胎して、彼らなりに理解した「先進国の民主主義革命」路線になし崩し的に変えていこう、と考えたに違いない、と推測してよい。7回大会当時の上田氏や不破氏は、当時の学生細胞員の大多数と同様にスターリン批判以後の国際共産主義運動の新動向、特にイタリア共産党のトリアッティ路線や、東欧人民民主主義革命の新しい理論的基礎づけに取り組んでいたソーボレフ等の理論活動、石堂清倫氏らによるその精力的な紹介とその日本への適用の試みの強い影響下にあったことは、上田・不破『戦後革命論争史』上・下、大月書店(1957年)を読むと明らかである。
なおこの本の成り立ちについて、私が石堂清倫氏から氏の自宅でお聞きしたところによれば、石堂氏が内野壮児、勝部元、山崎春成、小野義彦各氏と戦後の戦略を検討する研究会をやった時、上田氏は筆記役をつとめていた。そして皆時間がなく結局彼の名でまとめて出版することになった(上田氏は不破氏の名前も入れてほしい、と頼んだ)が、その後彼ら兄弟は自分たちの著作のようにふるまった、ということだった。のちに彼らは、宮本氏の強い叱責を受けて石堂氏らの同意を求めずに同書を絶版にした(なおこの事実については、石堂氏は宮地氏に宛てた1997年10月9日と12月19日の手紙でも、確認している――宮地氏のホームページ「上田・不破『戦後革命論争史』出版経緯」を参照されたい)。
11回大会(1970年)で書記局長となった不破氏は72年の総選挙での躍進を受け、13回大会に「民主連合政府綱領」を提案する。また同党は1970年、新安保条約の第10条により民主連合政府が条約の終了をアメリカに通告することをもって安保条約を廃棄できるとする「現実的展望」を示した。
この10条通告による安保廃棄の可能性の確認は、それを実行する政府としての「民主連合政府」(綱領での革命政府としての「民族民主統一戦線政府」ではない)の可能性の承認とともに、すでに61年綱領制定時の「権力の移動」としての半民族革命論を実質的に廃棄するものであり、綱領の現状規定も、当然この時点で改定さるべきものであった。ところがこの半占領規定は、先にも見たように実に94年まで綱領を占領し続けたのであり、しかもこの年の不破報告は、「・・・理論的な意味では、日本の現在の状態にもあてはまりうる規定です」という敬語を付けたうえ、「よりわかりやすい」規定に改めたい、という「理由」でこれをひっそりと退去させたのである。
70年代の「プロレタリア独裁」の語の綱領からの削除も、削除の理由なるものは、この命題が出された19世紀から現代への世界史的現実の変化にではなく、不破氏のほとんど喜劇的なマルクス誤読にもとづく「訳語問題」として提出された。私は13回臨時大会直前に書いた論文で詳細な批判を加え、3年後に不彼氏の田口富久治批判への批判とあわせて79年に青木書店から出版した著書『マルクス主義の現代的探求』に収録したところ、「党内問題を党外に持ち出す重大な規律違反」という名目で、私への追及が始まった――13回大会で採択された「自由と民主主義の宣言」では、「学問研究の自由」がうたわれていたにもかかわらず。(2)
このように、これまで4回の改定を通じて、「マルクス・レーニン主義」(これもスターリン時代の用語であり、体系である)を言いかえた「科学的社会主義」の主要な命題や教条は、先のプロ独のように悪意的な解釈を加えた場合を含めて、基本的に常に正しい(すなわち現代も適用可能)とされ、正面からの批判的検討はいっさい加えられてこなかった。
また61年の「宮本綱領」の文言も、誤っているとして訂正された箇所はひとつもなく、せいぜい情勢の変化により一部の補足や削除、変更が必要となった、と説明されるだけだった。
だがこのヌエ的な「変更」がもっとも奇怪な形を取ったのは、「社会主義国」問題である。
85年の第17回大会では、「一部の社会主義国」の「否定的現実」への言及と批判が現われたけれども、ソ連・東欧はじめ一連の周知の国ぐには、当然のように社会主義国として認知されていた。だが94年の20回大会では、これら諸国は、先に引いたように突如「社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた」国ぐに、とされた。それでは社会主義国(社会)とはどういう国(社会)を指すのか、そしてこれまでのソ連や東欧諸国の体制はどう規定すべきか、という当然生ずる疑問に答える理論的解明はなされなかったし、そうした国ぐにをこれまで社会主義国と説明してきた責任を国民に対してどう取るのか、という議論すら、党大会ではまったく行われなかった。
国内的にも、70年代に一見順調にスター卜したかに見えた「民主連合政府」への道は、70年代後半の社共共闘が崩壊したのち(80年の日本共産党を排除した「社公合意」)、55年体制が解体した90年代の混沌期においても同党の孤立状況は変わらず、96年の総選挙と98年の参院選で一時的前進を見たものの、2000年の総選挙以後は3回連続の大きな後退を続けており、本年11月の総選挙でも、引き続いての後退の可能性が高い。
これらすべては、これまで同党が自分なりの方式で依拠してきた「科学的社会主義」では解明どころか、もはや自己弁護もできない現実が展開していることを、物語っている。
そして今回の綱領の改定は、同党の幹部がこの問題をどう認識し、どう対処しようとしているかを示す、試金石であるといってよい。
2、当面する「革命」=「民主連合政府による民主的改革」という新しいテーゼをめぐって
不破氏は改定案の提案の最初の部分で、「私たちは、綱領の基本的路線は、42年間の政治的実践によって試されずみだと考えております」と述べている。
これは、これまでの4回の綱領改定と前大会(第22回、2000年)での規約改定の際と同じく宮本綱領へのお馴染みのサリュートであるが、ここにすでに、今回の改定の限界も問わず語りに告白されている。だが他方、旧来の路線のままではもはや21世紀の国民はおろか、自党の党員にも党の存在理由について説得できない。それで不破氏は、改正案作成の第2の眼目として、今回はこれまでの部分的な改定にとどまらず、「21世紀の新しい情勢の諸特徴とこの間の日本共産党の政治的、理論的発展を十分に反映した綱領改定案をつくるように、全力をそそいだ」、と述べている。それでは、その成果はどうか。
不破氏は、改定案を採択した7中総の結語で、改定案の「3つの柱」を挙げ、その第1は、現綱領での発達した資本主義国での民主主義革命論の定式化は、世界に前例のない開拓者的意義を持つものだったが、今回の改定案は、「この民主主義革命論を現実的・合理的なものに仕上げた」ところにある、と語った。改定案の4、民主主義革命と民主連合政府は最初に、「現在、日本社会が必要としている改革は、社会主義革命でなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破・・・を内容とする民主主義革命である」とし、当面する民主的改革の内容を列挙したのち、この「民主主義的変革」は、日本共産党と統一戦線の勢力が国会で安定した過半数を占めて民主連合政府を樹立することによって実現される、と記している。そして不破氏は提案報告のなかで、これまでの綱領では民主連合政府は民主主義革命の任務を実行する「民族民主統一戦線政府」に至る中間段階の政府だったが、改定案では、この区別をなくして民主連合政府が実行する民主的改革が、民主主義革命の内容をなすものだ、というように整理した、と語っている。
現在わが国が直面している諸改革が―ここで列挙されている項目が十全かどうかは全く別として―従来の意味の「社会主義的」改革ではなく、この改定案が想定しているように、現在の経済体制と政治体制(憲法体制)の基本が存続している条件下の変革であることは、明白である。しかし、「民主的規制」を受けるにせよ大企業が依然として経済的権力を握っているもとでの改革が、これまでのマルクス主義的意味での革命(新しい階級を支配的地位につけ、古い生産・所有諸関係とその上部構造を変革する社会革命としての)でないことも、明らかではないか? これに対して不破氏は、この改革が「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力の手から国民を代表する勢力の手に国の権力を移すことによって」本格的に実現される、とする改定案の文言を引いて、これが権力の移行である故に革命である、という。そしてこの主張の前提であり伏線となっているもののひとつは、改定案の二、現代の日本社会の特質で新たに強調されている敗戦後の日本の政治制度の変化、すなわち現憲法に代表される「天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化」であろう。
つまりこの「革命」は、この憲法体制があるが故に、そのもとで適法的に進行できる、というわけである。またもうひとつの前提は、この一種の「政治革命」を正当化するための、提案の言葉では「政治的支配勢力と経済的支配勢力」の区別の導入であり、さらにこの二つを区別しないこれまでの二つの支配勢力としての「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」という用語の使用の停止、であった。
だがこれを「新しい民主主義革命」というためには、これまでの科学的社会主義の革命論の大幅な改革が要求されるはずであるが、それは提案の中にはまったく見られない。また、戦後改革で「国民主権の民主体制がつくられた」としたのはすでに先の22回大会の決議からだったが、この点については本誌の373号ですでに柴山健太郎氏が、現綱領の従属国家論の規定からすれば「コペルニクス的転換」であり、これによって「日本共産党は現綱領の二段革命の規定が誤っていたことを40年たって事実上初めて大会決議案で認めたわけである」(3)と指摘されている点に注意したい。つまり天皇絶対の専制政治から主権在民の民主政治への変化という現行憲法体制の成立は、敗戦と占領という外圧によってであれ明確にひとつの「ブルジョア民主主義革命」の達成であり、したがって今回提案される「民主主義革命」は、先行したこの革命との関連が当然問われねばならないのに、その問題意識は欠落している。
また、二つの「支配勢力」の区別は、現実の具体的分析という視点からは理解できるが、現象論的次元の認識であり、市民社会と政治社会の間のグラムシ的分析以来の国家論研究に媒介されたものとは思われず、関連して改定案に「階級」の語がほとんど消滅しているのは、ここで現代資本主義社会での階級関係の変動についての検討が加えられた形跡もないだけに、たいへん奇妙な印象を与えられる。階級分析もなし崩しに放棄するのか、という党内批判が出ているのも、当然である。
さらに実践的な問題として、深刻化する諸要求のための統一戦線とそれにもとづくなんらかの民主連合政府の樹立はもとより歴史的な急務であるが、「経済的支配勢力」とこれまでの「政治的支配勢力」(および「メディアの勢力」の大きな部分)が全力を挙げて反撃するなかで「国会で安定した過半数」を占め続けることは至難であり、「中間勢力」と無党派の動揺により、政権が変動をくり返すことは、現在の民主政治のほぼ普遍的な実態である、といってよい(これを暴力で阻止することはできない)。この場合、ある民主連合政府が実現する「民主改革」(例えば年金改革)は、せいぜいいくつかの改革にとどまり、ひとつの連続した「革命」となる保証はない。
また多くの改革は、民主連合政府の樹立を待てないし、そしてその一部は、追いつめられた保守勢力が一種の「受動的革命」として上から先取りすることもありうる。すなわち改定案が期待する「民主主義革命」は、かりにそれが成功裡に開始されたとしても種々の段階での「民主連合政府」(自治体を一部含む)による諸改革とそれへの反動の往復運動、長期にわたる陣地戦の過程として展開される可能性が強い、と思われる。
いつそう大きな問題は、この民主連合政府は、わが国のどういう「政治勢力」によってつくられるか、という問題である。
西ヨーロッパにおいては、周知のように社会民主主義諸政党が多くの国ぐににおいて政権を取ってきたか、現に取っており、程度の差はあれ、それだけの基盤を自国のうちに確保している。
これらの諸党は、それぞれの民主的政治体制のもとで野党から与党へ、与党から野党への転変を経験しつつ、発達した政治的・経済的民主主義の諸制度と進んだ福祉国家を先進的に築きあげる中心になってきた。しかもこれらの諸党の成果は今、「EU社会憲章」や「EU基本権憲章」などに結実して国境を越えたヨーロッパの共同財産となっており、保守政党もこれに賛成せざるをえない。日本共産党のいう民主的改革のうち、経済的民主主義の分野の最初の項目は「ルールある経済社会」をつくる、であるが、このルールをつくった最大の政治勢力が、西ヨーロッパの社会民主主義諸党であることは、不破氏らももはや否定できないであろう。
改定案は、2000年の総選挙では比例区得票率で6.63%にすぎない「日本共産党と統一戦線の勢力が国会で安定した過半数を占めるならば・・・」と書いているが、これが夢想に終わらないためには、この「統一戦線」の政治勢力が、現在のどの勢力の政治的成長によって提供され、そのためには自党はこの勢力とどう同盟し、協働すべきかについて、明確な洞察をもっていなければならないはずである。
そしてそれがなんらかの形での日本の社会民主主義的政治勢力であることは、先進国の民主的変革を展望する限り当然であるが、こういう姿勢があるならば、それは戦前からこんにちまでの日本の民主勢力の歩みの記述にも当然反映して然るべきであろう。
だが草案の「一、戦前の日本社会と日本共産党」は、すべて自党賛美の文章ばかりで、そのうえ「他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで・・・」という一文までが添えられている。この文章は、制定時の綱領にも見られず、なんと94年の20回大会で加えられたものであり、それが改定案でも言葉を一部変えて生きているのだ。
戦前から戦後にかけて、日本共産党員を含む実に多くの人びとが、多様な形態と道を通じて、日本の平和と民主主義、生活向上のために努力し、たたかってきた。
真に新しい統一戦線(これまでの「民族民主統一戦線」ではない)の形成を追求しようとするならば、戦前の「社会民主主義主要打撃論」のスターリン主義的誤りや、石堂清倫氏が先駆的に明かにした従来の転向論の偏狭さ(4)等についての根源的な反省のうえにたつ、これまでのわが国の人民の運動の歩み全体に対する心のひろい、真に人間的な再評価の姿勢が必要であろう、と私は考える。日本共産党は、わが国の非力で未熟でもあった社会民主主義勢力の現代的再生と自党の再生の関連を、どう考えているのか? もし他にふさわしい政治勢力が無いならば、自分が徹底して自己変革して、その中心となるべきでないのか? だが6年前の21回大会での中央委報告では不破氏は、「日本では・・・社会民主主義政党が国民の間での定着に失敗した」と自己反省抜きの社会民主主義観を示した後、「私たちは無党派勢力とわが党との共同が21世紀の民主的政権にせまるカギをにぎっていると位置づけています」という驚くべきヴィジョンを得々として語ったのである。日本共産党と無党派勢力による「民主政権」!というこのヴァーチャル政権論を、不破氏はいまでも‘virtual’(実際的という意味もある)と考えているのか?
さらに、草案は日本の民主的諸改革がますます進行するグローバリーゼーションの過程とどうかかわり、それにどう積極的に対応してゆくのか、についてほとんど触れていない。ここでは「グローバル化」は、もっぱらアメリカ中心の経済的覇権主義としてとらえられているが、その過程は日本自身の資本と国家の運動を含む全般的なものであり、そのなかでとりわけアジア世界の経済的・政治的・軍事的な相互関係の深化と拡大とは、わが国の進路とその改革にとって、ますます大きな意義を持つものとなろう。ヨーロッパの社会民主主義諸党は、無政府的なグローバル化に対して、一国の国家主権を超えたEUとその歴史的実験を通じてのいわば組織されたグローバル化、ギデンスのいう「下からのグローバリゼーション」(5)によって対抗しているが、アジアでは経済と開発、社会・民生・文化、人権と安全保障、環境などについての相互協力の国際システムは、まだ無にひとしい。
とりわけ北朝鮮問題の存在は、わが国の「有事立法」化に道を開いたばかりでなく、日本核武装論が公然と議論される状況すらつくり出されている。
そしてこの状況を利用して、日本の軍事大国化とナショナリズムの促進にとり決定的な契機となる憲法改悪の企図が小泉内閣によって宣言された現在、日本の改革勢力は小異を捨てて団結し、受動的な護憲と中立、自衛隊の機会主義的利用――縮小の提起にとどまらず、経済から安全保障までを含むアジアの担互協力システムの積極的提起によって、へゲモニーを自分たちの手に取りもどさねばならないはずである。基本的な改革は今後、単に「ナショナル」ではありえない。
なお紙面の都合上、個々の政策に対する批判的検討は省略せざるをえないが、民主的改革に限定する、という発想のためもあろうが、改革案の内容には全体として新鮮さと独創性はほとんど見られない。
西ヨーロッパ諸国に遜色ない先進国体制をめざすのであれば、労働時間のさしあたり週35時間への短縮や有給休暇の拡大(これはワークシェアリングによる失業者の減少のためにも有効)等について、ショックを与えるほどの提案が用意されて然るべきだろう。
スウェーデン社会民主党の89年綱領は、「労働時間の一日6時間への全般的制限」を、長期の目標としてかかげ着実に推進している。
新技術革命に対応する抜本的な職業教育、年金政策、経済民主主義の柱となる労働組合の再生と参加民主主義のシステムの構築、高級官僚の天下り禁止等が、なぜここにうたわれないのか。この背景には西欧の社会民主主義諸政党とかつての一部共産党が築いてきたような労働運動との強いきずなを持たず(一部は失い)、しかもますます弱体化する日本の労働運動の現在と未来に責任を持とうともしない、日本共産党指導部の無責任極まる「脱労働者政党」スタンスがあることにも、注意したい(国労問題への対処を見よ)。
改革案の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」は、ソ連崩壊後取り急ぎ行った日本における社会主義への道の叙述をさらに大幅に書き直したものであるが、不破氏は7中総の結語でここでの彼の「社会主義・共産主義」社会論を「未来社会の展望を創造的に開拓した」と、無邪気に自讃し、改定の第二の柱だと述べている。そしてこの「創造的な開拓」を証明するために『ゴータ綱領批判』について『前衛』誌の10月号に77ページに及ぶ長大な論文(党本部の学習会での講義)を発表し、恐らく氏としてははじめて、マルクスにたいする批判的な言及をもおこなっている。その全体については、改めて著書を通じて全面的な批判的検討を加える予定であるが、本稿ではさしあたって、次の諸点を指摘しておきたい。
まず、改革案のいう「新しい民主主義革命」=民主連合政府の樹立とそれによる改革のプロセスから「社会主義・共産主義の社会」への移行の画期は、民主主義革命から連続的に発展するという61年以来の社会主義革命ではなく、「社会主義的変革」である、とされる。この点についての疑問に対して不破氏は、この変革は権力の移行をともなわないから革命と呼ばない、と答えたらしいが、だがそれがもし実現したならば、民主主義的改革どころでない生産=所有諸関係の大変革を遂行する一大社会革命となるはずのものではないのか。
よく調べてみると、社会主義革命の語はすでに94年の第20回大会での改定で「社会主義的改革」にさりげなく置換されていた。
第1の「革命」は民主連合政府による民主的改革に変わり、第2の「革命」も消失した。
不破氏に問うが、これでも61年綱領の路線は試されずみ、と強弁するのか?
第2に、改定案はこの社会主義的変革の中心は「主要な生産手段の社会化である」という。そしてそれは、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」ことだとされる。この限り、この定式は科学的社会主義の古典的命題と一致する。
では、生産手段の所有の社会化とは、「実際には」何を意味するか?
社会による生産手段の所有と管理は、結局は社会を代表する国家による所有と管理に帰着する(どういう仕組みや名称でモデファイされようとも)。国家が所有し、管理しない生産手段の社会化等はありえない。国家が所有しないなら、なぜ国家権力を必要とするのか、肝心の「社会化」の時、国家は何をするのか?
20世紀の「現実に存在した社会主義」のもとでの社会化の典型は、まさに全面的な国有化と非国有化部門を含む経済と社会のトータルな国家管理であり、それは近代化の低い段階では一定の効果を示した。しかし集約的発展の段階以後、とりわけ情報経済化の時代以降は、命令経済の無駄と非効率、停滞と腐敗が際限なく進み、「市場社会主義」のさまざまな実験も効なく、「現実社会主義」はこの命令経済とともに崩壊したことは、天下周知の事実である。改定案は旧ソ連などの体制を単に「覇権主義と官僚主義・専制主義」の体制と呼んでいるが、その土台がこの国有化経済であったことを示すのが、マルクス主義ではないのか。それで今、中国やベトナムは、国営企業の民営化を必死に進めている。20世紀のこういう歴史的経験を真剣に研究することなしに、国有化を社会化という言い換え、官僚主義などのレッテルを貼るだけですませることは、国民を愚弄するにひとしい、といわれて然るべきであろう。
草案は、この変革の「すべての段階で、国民の合意が前提となる」と書いているが、徹底した民主主義のもとで、適法的存在である私的企業の国有化がいったいどんな条件のもとで大きな抵抗や障害なしに進行でき、そして国有化された企業が以前より効率的でありうるのか。
不破氏は党創立81周年記念講演会で、「私たちが将来社会主義への道を踏み出すとしたら、資本主義的市場経済のただなかに、社会主義の部門が生まれることになるでしょう。・・・社会主義の部門が能率が悪くて、製品の出来も悪かったら、そういう社会主義は当然、市場で淘汰されます」などと述べているが、倒産した銀行を救済するために一時国有化する(今のリストラのように)場合と違って、社会主義的国有化はある部門の大企業をある統一的な基準にもとづいていっせいに国有化する以外にそれなりのメリットもなく、またある私企業の個別的な国有化を正当化できる理由も存在しない。抵抗は当然,強烈なものとなろう。そもそも、今後今以上にひっ迫する国家財政に日夜苦しむであろう政府と官僚、国会議員たちが、国有化とその維持にともなう膨大な国費の新支出とリスク負担を知りながら、これらの抵抗を押して国有化に賛成するなどは、ほとんど白昼夢にひとしい。
それとも草案は、「『国有化』や『集団化』の看板で生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」とも記しているから、国有化から出発してソ連の国営化とは違うシステムをつくった旧ユーゴの「労働者自主管理」とそれにもとづく「協議経済」に近いものを、考えているのだろうか? だがその結末も、改めていうまでもない。
労働者や市民による協同組合企業やNPOの諸形態は、現代資本主義の胎内に存立して、積極的な役割を果たしうる。しかし、マルクスが想定しこの綱領草案も文言上は一致する「生産手段の社会化」は、協同組合的所有にもとづく個々の企業やその連合として存在できるものではなく―そうした牧歌的な「アソシエーション」論にマルクスのコミュニズム社会論を事実上解消して自己満足する傾向も一部流行してはいるが――ひとつの社会全体の主要な生産手段総体の所有と管理が移転されることを、第一の必然的前提としている。
さもなければ、それは「共産主義社会」ではないであろう。したがって不破氏のいう資本主義経済社会のなかの「社会主義企業」などは、彼の空想以外には存在しえない。
資本主義経済制度のもとではそれはひとつの「国家企業」、資本主義的国家企業にすぎない。だからマルクスは「土地の国有化について」でいう―「生産手段の国家的集中は、合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由で平等な生産者たちの諸協同組合からなる一社会の自然的基礎となるであろう。」(強調マルクス)(6)そしてこの「生産手段の国家的集中」は、支配階級の抵抗を排除するため、プロレタリア国家が強力をもって実行する以外には実現しえない行為である。
それでこの論文の3年後、マルクスは「ゴータ綱領批判」で、資本主義社会から共産主義社会への革命的転化の時期の国家は「プロレタリアートの革命的独裁(執権ではない!―引用者・強調マルクス)以外のなにものでもありえない」と書いた。
このマルクスの思想は、その目標の実現という点からいって、一歩一歩国民の合意を得て、というこの草案よりもはるかにリアルであった。20世紀に実現した生産手段の総体的社会化は、ひとつとして暴力の行使なしには実現しなかった(東欧革命もソ連の占領が絶対的条件だった)。21世紀的意味での自由と民主主義の条件下で、生産手段の全社会的社会化を実現することば、完全な夢想である。
そしてこの「生産手段の社会化」は、マルクスの場合、同時に市場の廃止を意味する。マルクスとエンゲルスには、市場社会主義の思想は存在しない。このことをマルクスは同じ「ゴータ綱領批判」で、「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。」と述べている。交換されない生産物は商品でなく、商品が交換されない市場は市場でない。国有化経済のもとでは自由な企業と個人の要求と生産との間のフレクシブルな調整者としての市場が消滅するか、その機能は著しく制約され、官僚が作成した生産計画が国家の指令として強制される「命令経済」とならざるをえない必然性を持つ。またこの主要生産手段を国家権力が独占する国有化=命令経済体制は、その本性上、政治的独裁制と一体的であり、政治的・経済的民主主義とは決して両立できない。そのことは、ソ連はじめこれまでの「現実社会主義」諸国のすべて(中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮を含めて)が一党独裁であったこと、この一党独裁が破れた時、全体制の崩壊が始まったこと、に端的に証明されている。他方、政治的独裁体制は、ある程度まで市場経済と共存できるが、政治的・社会的・経済的な民主主義の体制は、市場経済体制と不可分であり、命令経済体制とは絶対に両立できない。
私はこのことを『社会主義像の転回』でこう述べた。「市場経済は政治的モノリシズム(一枚岩制―引用者)とある程度共存可能であるが、命令経済は政治的民主主義とはけっして共存できない。これが、今世紀の『現実社会主義』の実験が私たちに教えた最大の経済学的教訓である、と私は考える。」(7)
本誌のNo.363で柴山氏が紹介された社会主義インター第21回大会の「パリ宣言」(2000年11月10日)も、同じ思想を次のように述べている。「民主主義は、常に自由市場社会の中で発展してきた。だが我々は、市場にそれが与えうる以上のものを要求しない。権威主義的制度と市場を持つ社会は存在するが、市場のない民主主義は存在しない。したがって我々は、市場と民主主義を混同しない。」(8)
だが日本共産党の新しい綱領草案は、徹底した民主主義的改革ののちに、その発展として、民主主義の廃止を導く生産手段の社会化=国有化の実現を、「21世紀の新しい世界史的課題」として提起している。ここに私たちが見るのは、古典マルクス主義の教条のひとつと、20世紀から21世紀にかけてますます発展し深化する自由と民主主義をめざす世界史的現実に対するこの党の遅れた対応との間の無思想的接合、である。19世紀のマルクスは、生産手段の共有にもとづく非市場社会が、同時に自由な生産者の協同組合の連合でありうるというひとつの予定調和、ひとつのユートピアを構想した。不破氏は彼の長大な「ゴータ綱領批判」についての論文でも、ここでのマルクスの生産手段の共有→市場の廃絶という中心思想の検討を用心深く避けている。そのうえで草案は、「市場経済を通じて社会主義に進むことば、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である」と記しており、不破氏は81周年講演では「いまは中国やベトナムがこの道に取り組んでいます」とも述べている。中国の国有企業の「民営化」やベトナムのドイモイが、「生産手段の社会化」からの離脱ではなく、逆にその実現をめざしている、とはどうしていえるのか。
草案は、「社会主義・共産主義の社会」が高度な発展を遂げると、「原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」が生まれる、と述べる。これはたしかに、人類にとっての理想社会であり、社会主義の理念の根源的かつ究極の表現である、といってよい。しかし、生産手段の国有化は、資本家による搾取を廃止したとしても、他方においてはるかに強大な独裁国家による搾取と抑圧を生産した。そしてそのもっとも暴虐極まる北朝鮮の「民族スターリン主義」(ラニコーフ)体制においては、「社会化」された生産手段は金父子とその周辺が恣意的に支配する彼らの私有財産に転化され、自民族と他民族の人民に対する恐るべき抑圧手段ともなっている。なお拉致問題とこの国の体制問題については、35年にわたってのスターリン主義との理論的闘争において盟友であった藤井一行さんと私の共著『拉致・国家・人権―北朝鮮独裁体制を国際法廷の場へ―』大村書店、が近く出版されるので、ぜひご検討頂きたい。国家の死滅の命題も、公権力という強制力なしの人間社会が存立可能であるという、人間性への大いなる楽観から生まれた19世紀社会主義と無政府主義のユートピアのひとつだといえよう。
国家を市民社会に「再吸収」しようとする傾向は、現代の世界において民主主義と共に一面ではたしかに進展しているが、他方では人類史の一歩ごとに、国家とその連合にとっての新しい、困難な諸課題(テロや戦争の新形態、グローバル化や地球環境問題もその一部である)が出現して、終わることがない。
市場も国家も、エンゲルスがいうような古代博物館に収まる暇はないのである。
それに加えて、先進諸社会では前世紀の70年代頃から、経済のポスト・フォーディズム化とIT化、グローバル化の進行とともにこれまでの共産党や社会民主主義政党の地盤だった階級・職業構造の急速な変動が進み、個人の価値観はまず若い世代から、「自己中心」のそれへと変容していった。それは一面ではこれまでの政党や労働組合などの集団が諸個人の価値を統合する魅力を失ってゆく過程であるとともに、それ以上に個人が自己決定せねばならない領域が拡大し、しかもこの自己決定は自己実現=自由であるという意識が普遍化してゆく時代であった――もちろん、この自己実現は、巨大な規模での自己疎外をもともないもしたのであるが、それと並行して、政治が直面し、回答をあたえなければならない問題も、途方もなく拡がり錯綜して、対策も保守と革新の単純な二分法ではとうてい処理できないものとなりつつある。
こうした時代にあって、現在展望できる限りの未来に向けて、真の革新政党が責任をもって提起すべき変革戦略の基本は、およそ次のように要約できるだろう。
1、個人の基本的自由と人権、政治的・社会的・経済的民主主義の擁護と発展をすべての政策の基軸にすえること。これに対するすべての暴力・テロ・人権侵害にもっとも強力にたたかい、人権と自由、人間の基本的価値について常に先進的な問題提起と政策を提起し、その実現に努力する。
2、これと一致して、経済の分野では市場とその永続的な役割をしたがってまた資本主義的な企業と個人の自由をはっきり承認する。同時にそこから生まれる不平等や不公正を是正し、社会的公正と平等の確保、その不断の改善に努め、そのために必要な範囲での規制を国家に実施させる。
3、両性の平等、諸民族の平等をはじめ社会の全ての人びとの平等な価値を守るだけでなく、とりわけ不利な位置にある人々、女性、不安定で低い労働条件下の労働者、障害者、高齢者等の生活とその新たな挑戦のための保障について、もっとも有効な政策を提供するとともに、そのもっとも信頼される仲間となること。
4、政党自身が国民各層に開かれた存在となるとともに、その内部に民主主義と高い精神的・知的ヘゲモニーを確保すること。各企業と地方自治体から国政と司法・メディアにいたるまで現代にふさわしい参加民主主義とその合理的システムを追求・実現し、そのなかで先進的役割を果たすこと。
5、国際社会、特にアジア地域においての平和と安全保障、人権と自由、経済と開発、民生と文化交流、環境保護等各分野での相互協力を有効に進めるシステムと、そこでの日本の役割を解明し、構築するうえで、先頭に立つこと。
6、「生産手段の社会化」についてのマルクスの偉大な思想を、21世紀の世界史的条件に適合するよう改造する。この改定案のように生産手段の所有を「社会化」する(これは国有化に帰着する)のではなく、市民社会の社会的・政治的・精神的なはたらきのネットワークにより、企業の活動と機能とを「社会化」する。資本主義的企業は、その所有と運営の私的(個体的)性格はそのままで、したがって直接的には「自分たちのために」、私的利益を追求して生産物とサービスを社会に提供するが、社会はこれらの生産物やサービスが、よりよく社会のため、「万人のために」のものであることを企業に求め、国家は社会の要求を実現すべく各企業が自由に競争するよう、透導する。
「万人のために」よりすぐれた製品やサービスを提供した企業が、「自分のために」より多くの利潤を得、それはさらによい富を社会に提供することになる、等。これは矛盾と試行錯誤を含む終わりなき過程であるが、社会すなわち市民諸個人の総体が知的にも道徳的にも不断に高まることが、企業とその活動をますます社会化し、市民(企業市民)化する第一の前提となる。私はかってこの過程をスウェーデンを例に「市場経済を基礎に進められる資本主義社会から(いわば)市民主義社会への徐々たる推転」ととらえたが、(9)私たちがこんにち展望できる社会主義社会とは、こうした社会ではないだろうか。
これは、現代の先進的な社会民主主義政党が追及している路線とほぼ一致する。日本共産党が、基本的に同じ課題に直面しているわが国の現代にふさわしい民主主義的・社会主義的変革を真に現実的に追及しようと願うならば、「科学的社会主義」の古い教条と61年綱領の亡霊の呪縛からきっぱりと自己を開放し、21世紀に適合しうる社会主義像とそれへの道を、大胆に構想し直さねばならないであろう。
だが、以上の考察のすべてが物語るように、この改定案の起草者は、そうした誠実で抜本的な再検討の道を選ぶかわりに、虚心でさえあれば当然自分も自信を持ち得ないたぐいの無根拠で無責任な彼の「将来展望」を党の新しい綱領とすることによって、再びこの党の前途を拘束しようとしている。
こうした欺瞞を、現在の党員諸氏は見破り、21世紀にふさわしい党に革新できるであろうか。そしてその第一の前提は、61年綱領制定時をもって消滅した、国民と全党員に開かれた政党民主主義の現代的再生の成否、であろう。自身を民主主義的に改革できない政党が、社会を民主主義的に改革できるはずはないのである。
(1)宮本顕治『日本革命の展望』下、P,131.61綱領の問題点については、本誌No.221−222の私の論文「日本共産党の現綱領とその諸論拠」を参照頂きたい。
(2)いわゆる「執権問題」については、私の『マルクス主義の現代的探求』青木書店、1979年、および『社会主義像の転回』三一書房、第一部三の3を参照頂きたい。
(3)柴山健太郎「日本共産党の転換で未来の展望は拓けるか」、本誌No.373,p.12.
(4)石堂清倫『20世紀の意味』平凡社、2001年、pp.101−120.本書は、異端として日本共産党から排除されながら、真に現代に生きる社会主義的変革の正道を洞察した人の、21世紀を生きる人びとに贈る最後の著作であり、いま綱領問題を考える皆さんに、ぜひ一読をおすすめする。
(5)Anthony Giddens:The Third Way and its
Critics,Polity Press,2000,P.123.
(6)大月版全集18、p.55.全集版の訳文では「生産手段の国民的集中」となっているが、die
nationale Zentralisation der Produktion−smittel のnationalは、国家の、国家への、の意味であり、『共産党宣言』の「プロレタリアートは――すべての生産用具を国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中する」に対応する。国民的集中では、意味不明である。
(7)『社会主義像の転回』p.183.
(8)本誌No.363,p.18.
(9)「現代世界の基本動向と協同組合の基本的価値」、『協同組合の基本的価値』コープ札幌創立25周年事業委員会、1991年、p.254.『社会主義像の転回』、三、3、21世紀の社会主義像を展望する、pp.282−303.
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(関連ファイル)
共産党『7中総・綱領改定案、8中総・大会決議案』 「新綱領」 「新規約」
『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領案』総選挙連敗が証明した過半数議席の空想性
加藤哲郎『日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問(2004/1)』
『社会主義像の転回』憲法制定議会解散論理
『歴史観と歴史理論の再構築をめざして』「現実社会主義」の崩壊から何を学ぶか
『マルクス、エンゲルスの未来社会論』コミンテルン創立期戦略展望と基礎理論上の諸問題
『理論的破産はもう蔽いえない』日本共産党のジレンマと責任
『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」(終章・私と白鳥事件)を紹介する
『いわゆる「自由主義史観」が提起するもの』コミンテルン「32年テーゼ」批判を含む
『遠くから来て、さらに遠くへ』石堂清倫氏の追悼論文
『国際刑事裁判所条約の早期批准を』拉致被害者の救済のために
『共著「拉致・国家・人権」の自己紹介』藤井一行・萩原遼・他
中野徹三・藤井一行編著『拉致・国家・人権、北朝鮮独裁体制を国際法廷の場へ』