仕事の教え方事例集Ⅰ    【目次】
NO 項  目   内      容
「やる気を起こすとは」 今どきは、根性論や精神論では通じません。ではどうすれば下記の項目から……
Ⅰ-1 シゴかれている先輩の姿を、意図的に見せる     新入社員の言葉遣いや態度を、すぐに直そうとすると、腹も立ってくます。もともと、それは無理な話なのだから、まず教える側    
2 朝、部下の顔を見抜いて、日々の教え方を変える     部下がおかれている心理状況を知るのに、もっとも確実な方法の一つが"顔を見る"ことです。うれしいとき、悲しいとき、     
3 教えたいことは、部下の口を通して 俗に言われる「馬を川に連れて行くことは出来ても、飲む気のない馬に水を飲ますことは難しい」と言うケース
4 重要なことを教わるときは、不動の姿勢     人は話を聞いたり、教えられたりするとき、当然に気持ちが態度に表れます。聞きたくない話なら、相手の視線をはずし
5 教えにくいことは「他者」を通して     大人の"理解する考え方"で教えてもなかなか理解の出来ない子供でも、同じ仲間から丁寧に教えられると、
6 成績良好な部下にだけは、厳しく      人前では、出来る部下への期待水準を上げ、できない部下への期待水準を下げても、よくできる部下に厳しくすることで
7 欠点にこだわるな、長所を伸ばせ     長所と言っても簡単に見つけるのが難しい、と、思われるかもしれません。しかし、これは発想を逆転させると解決します。
8 『これを覚えると、こんな良いことがある』適切なビジョンを与え続ける     このごろなら、『ここで覚えておくと将来独立してからも大丈夫』と言うのも、立派なモチベーションとなるに違いありません。
9 部下との間に共通の敵を作る 共通体験は苦労が伴えば伴うほど『その人だけとの異常な関係』が生まれて、仲間意識も強くなります。
10 理屈抜きでルールを一つ守らせる 新人は、会社がどんなところか良く知らず、こちらが教えることに対して、反発したり、質問攻めにしたりするこうした初期の混乱を防ぎ、効率よく教えるには
11 「最初の一ヶ月位は、何もさせるな」      新社会人として意気込んで入社したのに、仕事させてくれないのです。こうした場合、人はどのように行動
12 「こうせよ」と教えたいときも、「私だったらこうする」と話しかける ストレートに言ってしまうほうがどんなに楽かわからません。けれども、それでは部下は本当の意味で仕事を覚えていかないのです
13 ベテランへの注意は、意見かアドバイスの形で伝える 『ベテランで、若い人のようなおかしなことをしない人は、それだけ自信がありすぎるため注意しにくくてねえ』
14 教えるにも、相手のタイプによって"怒る""叱る"を使い分ける     仕事を教える場合には、ほめてばかり入られません。内向的人間にも、教えるのに怒声をあげたくなる場合があるはずです
15 厳しく叱った部下には必ずフォローの一言を ビジネスの現場で、厳しく部下を叱らない場面といえば、いわば禅の修業で言う"喝"のようなものかもしれません。
16 度を越して、"教え魔" になるな 教える人間にとっては、持てる技術を部下に一日でも早くすべて伝授したいものですが、教えられる部下にとって、"教えられる"準備が必ずしも整っているとは
17 素直にいうことを聞かない部下には 組織というものは、どんなに小さくても放っておけばホコリの様に不平や不満がたまりますし、それが重なり合うと手がつけられなくなります
18 小さなミスは、その場で注意 、「あいつは何度注意してもぜんぜん言うことを聞かない」とか、「叱ったら、ますます言うことを聞かなくなった」という上役の嘆きを
19 部下を叱るときは、第三者がいない処で 基本的には、客や得意先など、第三者がいるところでは叱らないことが原則です。
20 叱るとき、過去の例などを引っ張り出さない 怒りに油を注ぐようなバターンの一つが相手の過去をあげつらうことのようです『昔、あなた××していたじゃな
21 萎縮傾向の部下は、間接的に他の部下をほめるという方法で叱る     人間の性格というものは実に様々で同じように叱っても、それに対するは反応は人によってぜんぜん違います。
22 反発を買いそうなときは、冷却期間をおいて再度教えなおす 人の悪を攻めるときは、あまり厳しくしないで、その人が叱責の言葉を受け入れるかどうかを考える必要
23 ベテランをけなすことで、意図的な"緊張"をブロック全体に作る 企業というものは、スポーツチームと同じように、時にはこのようにベテランのプライドを刺激するくらいのことがなければ、
「仕事に無関心」  「仕事に興味をもたせるには」  
「仕事に無責任」  「自らを学ぶ気にさせるには」  
「続 仕事に無責任」  「続 自らを学ぶ気にさせるには」  

仕事の教え方事例集Ⅰ

 やる気を起こすとは


◇1 シゴかれている先輩の姿を、意図的に見せる
 若い部下に仕事を教えることについて、人材育成の名伯楽といわれる人たちは異口同音に「新入社員の言葉遣いや態度を、すぐに直そうとすると、腹も立ってきます。もともと、それは無理な話なのだから、まず教える側のこころがまえとして、彼らを外国人と思うのが賢明でしょう。それも、発展途上国から来た原住民と思ったほうがいい」と、いいます。

 無気力、無関心、無責任、無感動、無欲の"五無社員"の中で、まず目立つのが、こうしたやる気のなさ。無気力が原因で、仕事を覚えられない社員なのです。 もちろん、彼らは初めから"無気力人間"だったのだから、問題はむしろ、彼らを無気力のままにしている上司の教え方にあると言わなければならないかもしれません。まず、こうした彼らに仕事とは何かを教えるうえで参考になるのは、バンデューラが提唱した「モデリング学習」の応用です。

 たとえば、現場の従業員をモデルに賞罰を与えることでです。先輩がどんなことをしているかが、一番身近であり、ここから学ぶことが多いに違いないが、ただ働きぶりを見せるだけではありません。意図的にほめたり、叱ったりする場面を見せるようにします。新人はこれを観察することによって、学習が成立するのです。同様に、会社とのギャップに戸惑う新人は、仕事が十分に理解できてなくても、目の前で先輩が褒められたり、叱られたりする場面を見れば、仕事を覚えるとはこういうことなのかと、理解するようになります。もちろん、個々の仕事は、別に教えなければなりませんが、少なくても"五無主義"の新入社員に、「口のきき方がなってない」などと腹を立てながら教えることは少なくなります。

 エッセイストの青木雨彦氏は、「今どきの若いものは、"会社員になることは上司から命令されて動く"ということを理解していない」と嘆いていますが、こうした大前提ほど、口で教えても反発を招くだけです。反発を封じ、自然に仕事を学ぶ姿勢を身に着けさせるのに、この「モデリング学習」の考え方は、一つの有効な手立てを与えてくれることになります。

「モデリング学習」とは、たとえば、三群の幼児に子供が人形を殴るシーンを動画などで、それぞれに見せます。①殴ったあと、子供は叱られます。②殴ったあと、子供はなにもされません。③殴ったあと、子供はほめられる――そのあとで、それぞれの幼児に人形を与えて一人にすると、③のシーンを見た幼児は、積極的に人形を殴り始める行動をとます。という行動現象です。

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◇2 朝、部下の顔を見抜いて、日々の教え方を変える
 企業の経営者として、毎日陣頭指揮を執っている人の中には、なまじっか心理学者より人間心理の機敏に通じている方は大勢おります。たとえば「男は人の顔色なんか、窺うものではない」と言われて育ったが、自分は部下の表情に注意している」と言うのです。もちろん迎合するためではありません。部下がその日おかれている心理状況をつかみ、それにあった教え方をするためだというのです。

 部下がおかれている心理状況を知るのに、もっとも確実な方法の一つが"顔を見る"ことです。うれしいとき、悲しいとき、その時々の心理は、どんなに隠しても体の中のどこかに現れます。まず現れやすいのか顔です。昔から"顔面蒼白"とか、"赤面"とか、顔で人間心理を表す言葉はたくさんあります。また、"頭隠して、尻隠さず"といわれるように、表情は隠しても、ちょっとした動作にそのときの心理が反映されることもあります。足音だけでも、その人の心理がわかるくらいです。

 プロ野球でV9の偉業を達成した元巨人軍の監督川上哲治氏は、その日の選手の調子を自分の目で確かめるために、グランドには一番先に出るように勤めました。と言われています。同じ野球界でも、広島カープの元監督古葉竹識氏は、ピンチヒッターを主審に告げた後、回れ右をしないで後ろ向きのまま走って戻ることが多かったのです。 

不審に思った人が理由を尋ねたら、古葉氏は「僕はいつでも選手の顔を見ている」と、答えたと言います。つまり、あの選手は今どんな心理状態か。 もちろん、部下の顔や体の動きを、常に見続けようと言うのではありません。しかし、少なくとも朝、最初に会ったとき、挨拶の口調や顔の表情、体の動きなどをさりげなく観察すれば、その日の部下の調子はつかめるはずです。

 もちろん、部下の顔や体の動きを、常に見続けようと言うのではありません。部下のほうもずっと見張られているようでは、力を十分に発揮できないでしょう。しかし、少なくとも朝、最初に会ったとき、挨拶の口調や顔の表情、体の動きなどをさりげなく観察すれば、その日の部下の調子はつかめるはずです。落ち込んでいるか、ウキウキしているか、不安なのかを、朝の顔からつかんだ上で対応すれば、毎日、いたずらに意欲をそぎ、無気力を助長するような結果にだけはならないはずでい。

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◇3 教えたいことは、部下の口を通して

「わかりきったことを何度教えればわかるんだ」「これはこうしてするからこうなるんだと何時も言ってるじゃないか」と言った調子で、上司が部下を叱っているのを聞くと、この上司は無気力社員の扱い方を知らないと感じます。

 これこそ、俗に言われる「馬を川に連れて行くことは出来ても、飲む気のない馬に水を飲ますことは難しい」と言うケースです。川の水どころか、教えたいことを洪水のように部下に浴びせかけたところで、教えたい情報の一滴も飲む気のない部下の口には入らないのです。
 上司の仕事を教えたい欲求と、部下の仕事を覚えたい欲求とが一致すれば、部下はどんどん仕事を吸収はずです。

仕事を飲みこまさせるには、部下がおぼえる気になるまで待ってから教えるのが理想的ですが、現実の場ではそうも悠長なことは言っておられません。一日でも早く仕事を覚えさせたいのが実情です。が、だからと言って、自分の口から仕事を教えてしまっては、意味がありません。

 そこで、部下に仕事を教えるのに、時間のかからない方法が一つあります。すでに何人もの世界チャンピオンを育てた実績がありながら、自分の口から何も選手たちに教えなかったと言うボクシングトレーナーの故・エディ・タウンゼントさんは、その代わり、練習している選手たちに好んで質問をしたそうです。

 このエぴソードを紹介した元世界チャンピオンの柴田国明さんは、こうも言っています。「だから選手たちは、教えられたことを体で覚えて忘れないのです」  教えたことが相手の心に入りやすくするには、相手の心に受け入れ態勢が必要です。この体制を作る一つの方法が、相手自身に考えさせる方法です。

 自然に相手に考えさせるには、質問をしてみることです。聞かれれば、相手は自分なりの答えを考えて出します。それで、ぴったりした答えがなければ、また質問しなおして、正しい答えに誘導します。相手は答えを自分で発見した喜びで、さらに意欲的に学ぼうとしますし、自分で発見した答えだから、自分からその答えを忠実なものにするのです。


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◇4 重要なことを教わるときは、不動の姿勢で

 プロ野球・中日の星野監督は、「ユニホームを着ると鬼と化す」などと言われ、怖い監督としてのイメージの強いひとです。このかたは監督就任の第一声から、選手たちに雷を落としたそうです。一般にミーティングの際は、監督が最後の締めくくりとして「みんなと一緒にやろうと言う意味のことを言う」のが普通なのだそうですが、選手たちの期待を裏切って「人の話を聞くときは、みな背筋を伸ばし、相手の顔を見て真剣に聞け」と一喝したといいます。その後、監督就任2年目にしてリーグ優勝をはたしたのは、選手一人ひとりの活躍はもちろんですが、その素地を作ったのは、この一喝に現れている監督の指導力だったのではないでしょうか。

 人は話を聞いたり、教えられたりするとき、当然に気持ちが態度に表れます。聞きたくない話なら、相手の視線をはずし、腕を組んだりするとき、当然に気持ちが態度に表れます。聞きたくない話なら、相手の視線をはずし、腕を組んだりすます。逆に関心があることには、身を乗り出し、一言も聞き逃すまいと、相手の顔を穴の開くほど見つめます。これを逆用して、聞き入れやすい"型"を作ることも出来ます。難しいことをするわけではありません。星野監督のように、教えるときは、必ず背筋を伸ばして、きちんと顔を見るようにすればいいのです。

 ビジネスの場に限らず、人間は"型"を持つと、そこに気持ちを集中しやすい。一番わかりやすいのは、芸の道です。芸道ではよく、すべて"型"から始まって型に終わるといわれます。型を追及することによって、芸を磨く。型が完成されれば、おのずと心も完成されていきます。型を抜きにしては、芸の上達も気力の充実もありえません。

 企業にも"企業道"と呼ぶにふさわしいものがあるようです。武士道が"型=儀式"によって成り立っている部分が多い。たとえば上司の席で報告するとき、まず立って報告するのが普通の型であり、"儀式"でもあるのす。会議の席では少人数でないかぎり、やはり立って発言するのが"型"でしょう。形式ばかりで非能率だと思う方もいるだろうが、この"型"や"儀式"が、職場に緊張感を作り出しています。

 また、"儀式の効果"もおおきいでしょう。"儀式"と言ういつもと違った、改まった行為をすることで、人間の心理も改まったものを受け入れる素地が出来ます。座って仕事をすることの多い社内で、"立って聞く"というのは、ひとつの"儀式"であり、部下には"聞こう""覚えよう"と言う気持ちが自然に生まれてくるものです。仕事を教えるときは、まず、その"型"をつくり、その上で教えます。新人ならはじめのうちは、多少戸惑いもあろうが、きちんと立たせ、こちらに顔を向けさせて教えます。こうすることで、"教わる姿勢"を外側から作ることが出来ます。

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◇5 教えにくいことは「他者」を通して

 教育方法の一つに、「ピア・ティーチング」というやり方があります。ピア=peer(同僚)同士で教えあうと言う意味ですが、たとえば「算数」の出来る子供に、まだ理解していない子供を教えさせるのです。
 この方法の利点は、同じレベルにあるもの同士の"理解する考え方"を利用して、よりわかりやすく、確実に教えられるところにあります。大人の"理解する考え方"で教えてもなかなか理解の出来ない子供でも、同じ仲間から丁寧に教えられると、驚くほど理解が深まるところから生まれましました。

 大学ラクビーの人気チーム・早稲田大学は、人気もさることながら、その実力も相当なレベルを毎年のように維持していると聞きます。他校の目標になっているそうですが、監督の大木健治氏は、このピア・ティーチングを熟知しているようです。学生たちの練習中、見本になりうるプレーをした選手を指摘し、その後自分たちで教えあう独自の練習方法を取り入れているのだそうです。体の動きは、特に言葉では教えにくいものですが、学生同士で教えあう方法は、上昇チームと言われる早稲田のレベルの高い位置で保つのに役立っているに違いありません。

 こうした方法は、何も学校教育やスポーツだけでありません。企業の中で新人教育にも応用することが出来ます。
たとえば、経理や法律の知識は、人によってまちまちである場合がほとんどでしょう。そこで、契約や手形などの知識のあるものが、小さな勉強会を通して同僚や年の近い部下に教える"場"を作るのです。

 たとえば、手形と小切手の違いを専門書の解説のように「信用証券と支払い証券の違い」というのは比較的かんたんです。しかし、相手のレベルに合わせて、本当にわかるように教えることは、意外に難しいことです。
 いったん、あるレベルまで知識を得てしまうと、人は往々にして、そこまでたどり着くのに必要であった細かな知識を忘れてしまいます。知ってしまった人間が丁寧に教えても、素人が「わかりにくい」とこぼすのは、このためであることが多い。

 ある会社の社員は、新人に手形と小切手の違いをこう教えたそうです。「収入印紙が貼ってあるほうが手形、貼ってないほうが小切手」「手形のほうが小切手より用紙が小さい」「小切手は現金と同じ、手形は支払いを約束した契約書」等々・・・・。
 この例を見ても最終的に同じことを教えるにも、彼らなりの表現、文法のあることがわかます。もちろん、こうした仲間同士で教えあう方法は、正確に伝わっているかどうか、途中でフォローしてやる必要があるでしょう。

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◇6 成績良好な部下にだけは、厳しく

 プロ野球の名将の一人広岡監督は厳しい指導者としても有名でした。厳しいから部下には煙たがられたはずなのに、チームの士気を統一して何度も日本一の座に耀きまし。そこには、どうやらこの監督一流の冷淡なまでの公平さが、ポイントとして存在していたのではないかとおもいます。
 広岡監督当時には、何人もの個性派サムライ型のベテランが顔をそろえていたが、そのベテラン相手にも、広岡監督は新人選手に対するのとまったく同じような叱り方をしていたといいました。これは心理学的に見ても、しっかりとした見識と言えます。

 集団の中では、ともすれば理由が正当とは思えないような嫉妬が原因で、不平不満がたくさんたまることがあります。ところが広岡監督のように、スタープレーヤーを若手と同じ処遇で叱れば、若手もそれを見て自分もどんなときに何をすればいいのか自然に悟るようになります。
 その上に、指導者が公平であると理解すれば、自分が叱られた時にもその原因を虚心に反省することが出来ます。
 しかも、ベテラン選手は、若干の反発はあったとしても、ベテランなりに監督の意図を理解して話を聞くだけのゆとりを持っています。

 ビジネスの世界も、経験の有無は別にして、よく出来る社員とそうでない社員が混在してチームワークを組んで仕事をしています。上司から見れば、どうしても仕事のよく出来る社員は頼りになります。成果を上げる部下だけを重用したくなります。うっかりしていると、ついついそちらのほうにだけ笑顔を向けるようになりかねません。

 しかし、出来る部下だけを特別扱いにしていると、ほかの部下のねたみを買い、意欲や士気をスポイルさせるばかりか、結局は出来る部下までを妬みでだめにしてしまい。それが、最後に組織をつぶす結果につながることになります。

 ですから、人前では、出来る部下への期待水準を上げ、できない部下への期待水準を下げても、よくできる部下に厳しくすることで、集団心理のバランスは丁度よくなります。
 日ごろから成績がよく仕事が出来る部下は、人前でほめられなくても期待水準を上げられたことを内心誇りに思うでしょうし、出来ない部下も、よく出来る仲間が厳しくされているのを見れば、無用な嫉妬をしくなり、自分でもよくできる仲間の水準に早く達しようと自然に見習うようになるからです。

 俺の上司は特定の部下を特別扱いしません。少しはうるさいけれどかたよらず公平です。と部下に思わせることが出来るようになれば、後は指示などに少々のミスがあっても部下はその上司の教えることに従う気になることです。

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◇7 欠点にこだわるな、長所を伸ばせ

 私の教え子が、数年前にアルバイトで家庭教師をやっていたときの話です。相手は小学校六年生でどの科目にも自信が持てず、特に算数が苦手だったらしいのです。
 そこで、私の教え子がどうしたかというと、不得意科目の征服などとは考えずに、国語挑戦に的を絞りました。いくら成績がぱっとしないと入っても、日本語を話して暮らしているのだから、国語で零点をとることはほとんどありません。三十点しか取れないときでも「三十点しか」ではありません。「三十点も取れた」とほめて安心させながら、国語を教え続けたといいましました。

 そうこうするうちに、国語の成績が上がり始め、クラスでもトップクラスになりました。驚いたことには、こうして国語の成績が上がり始めると、徐々に算数そのほかの教科もできるようになってきたのです。これにはもちろん、読解力がついたから、と言う面もあるが、同時に、「国語ができるようになった」と言う自信が広がりも見逃せません。
 私はこうした効果を「自信波及効果』と呼んでいます。ある一つのことで自信を持つと、全般的に意欲がわき、苦手だったことまでできるようになるのです。

 教え子が家庭教師をやりながら体験したこの方法は、もちろん大人にも応用できます。どんなに欠点だらけの部下であれ、その人なりの長所はあるのだから、そこをほめて伸ばしてやることです。そして一点だけでも伸びると、この『自信の波及効果』で、欠点もいつの間にかカバーされてくるのです。

 長所と言っても簡単に見つけるのが難しい、と、思われるかもしれません。しかし、これは発想を逆転させると解決します。ウノメ鷹の目で無理に、『長所』をこじつけなくても、むしろ、その部下の短所のような点を別の言葉で言い換えてみればいいでしょう。

 たとえば、Aは仕事ぶりが雑だとしましょう。それなら、細かいことにこだわらない大局が見通せる人間だと思うようします。逆に視野が狭いBは、丁寧に仕事をする堅実派の人と、みなせばよいのです。
松下幸之助氏が、"他人の短所を見ない人"と評されているのは有名です。また、元日航広報室次長で作家の深田裕介氏も、サラリーマン時代にはこの考え方で思い切った人事考課をしたといいます。部下が大きなミスを犯し、がっくりしていたところ、『非常事態に強い人間だ』とほめてやりました。すると当人も感激してがんばり、さらに活躍したといいます。一つや二つのミスや短所にこだわっていたら、部下は、ミスや短所ばかりを気にして伸びません。短所を直すより長所を伸ばせと、言うゆえんです。

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◇8 『これを覚えると、こんな良いことがある』適切なビジョンを与え続ける

 高収益を上げているある会社の社長は、年収五千万円、敷地五百坪の豪邸を立て、ジャガー、ポルシェ、ベンツを乗り回しているそうです。彼に言わせれば、別に成金趣味でやっているのではありません。儲かる会社を作ればこんなにリッチな生活が出来ると言うことを、身をもって社員に示しているのだそうです。

 いわば生きた教材であって、新入社員の研修のときも、まず会社の二十年先のビジョンを説明することから始めるそうです。
 どういうことかというと、丁度そのころが、彼らが結婚して子供を生み育て、大学、高校へと進学する、最も物入りの時期に当たるからです。そのとき彼らがどのように仕事をし、どれだけの収入を得ているかを具体的にイメージさせます。そして、『この計画を実現させるのはあなた方ですよ』と夢と希望を与え、奮起を促して締めくくるのだそうです。

 人は誰しも夢や目標を持ち続けています。山田洋二監督の"寅さん映画"が受けるのも、寅さんが何度失敗しても夢を持ち続けているからではないかとおもいます。
 商社などでは、モチベーション・リサーチをすることがあります。購買動機調査です。ここでいうモチベーションとは、目標へ向かわせる内的過程、動因、誘引のことであるが、学校などでモチベーションと言うと、考える意欲を掻き立てることです。

 上司から部下へ、先輩から後輩へと何かを教える場面は、種々様々、数え切れないほどあるはずです。しかし、そのいかなる場面においても、このモチベーションを与えることが大切です。転職が昔ほど重苦しいイメージがなくなってきましました。このごろなら、『ここで覚えておくと将来独立してからも大丈夫』と言うのも、立派なモチベーションとなるに違いありません。そのための目標なら、多少つらいことにも"見通し"が立つ。大きなモチベーションを現実のものにするためのプログラムに見えてくるのです。

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◇9 部下との間に共通の敵を作る

 ビジネス雑誌にトヨタ自動車の面白い話が出ていました。トヨタが日産を目の敵にしたのは、そもそも労働組合の金の恨みに端を発したと言うのです。
 戦後、日産で大労働争議が起こったときに、トヨタ労組は闘争資金を援助しましました。やがて、日産には第二組合が出来て、争議は終結しました。トヨタ労組も台所は楽ではありません。援助した資金は、当然、返してくれるものと当てにしていました。ところが、日産労組は、資金援助を受けたのは第一組合であって、われわれは感知しないと、ほほ被りをしてしまいました。

 トヨタ労組は怒りましました。そこに目をつけた経営陣は、『労使一体となって、日産を見返してやろうじゃないか』と持ちかけたのです。労組に異論のあるはずもません。当時、日産に水をあけられていたトヨタは、『日産に追いつけ追い越せ』と言う旗印の下に労使が結束しました。結果は周知のとおり、トヨタはものすごい集中力を発揮して日産を追い越したのです。
 人間は共通の敵に向かって戦うとき、もっとも強固な団結力が生まれます。トヨタは、日産と言う共通の敵を見つけたことによって、労使が団結しました。同じような例は、私たちの日常の生活の周辺にもたくさんあります。"アンチ巨人派"なども、その典型でしょう。

 巨人が強すぎた時代、巨人ファン以外のプロ野球ファンは、"巨人憎し"と歯軋りして口惜しがり、巨人と言う共通の敵に対して、一種の"仲間意識"を抱くようになりました。
 この関係は、上司と部下の関係にも応用しやすいことです。共通の敵を作って、『ともに戦おう』と言う気力を生み出すことが出来れば、部下は上司の言うことに耳を傾けるようになります。共通の敵は、ライバル会社でも、あるいは社内の対抗部署でもかまわません。もし、実在の敵がいなければ、いわゆる"仮想敵国"を設定しても良いでしょう。ようは、『あいつらの鼻を明かしてやろうじゃないか』と言う気力を生み出すきっかけさえ作ればいいわけです。

 同じような意味から、部下と共通体験を増やすことによって、仲間意識を持つことも出来ます。その場合、共通体験は苦労が伴えば伴うほど『その人だけとの異常な関係』が生まれて、仲間意識も強くなります。たとえば、部下と一緒に昼飯を食うだけでは、たいした共通体験にはなりません。部下の残業に遅くまで付き合ってやれば、苦労をともにした共通体験になります。  ある会社の管理職は、部下二人を取引先へクレーム処理に行かせた日、たまたま残業でオフィスにいて、その部下から上首尾の連絡を受けました。この部下の後日談として『私たちを心配して待ってくれていた』と思い出深そうに語るのを聞いて一人赤面したといいました。偶然とはいえ、共通体験の威力を示す例と言えます。

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◇10 理屈抜きでルールを一つ守らせる

 マラソンの瀬古俊彦選手を育てた故中村清監督は、早大競争部監督に就任するや否や、連日、部員を捕まえては、坊主刈りにするように口説きました。そして、その理由を次のようにいっていたそうです。
『髪が長かろうが短かろうがそれ自体はたいした問題ではない・大切なのは、監督の命令にすくに従えるかどうかだ。理屈をこねずに、たとえ監督の言うことが理解できなくても、素直に従うようになって始めて、監督の考えるとおりの選手作りも可能になる』ということです。

 その際、「ひところ中国で行われた洗脳教育的なやり方」この技法も大変有効なので取り入れました。たとえば、一つのルールを教えるのに、何十時間も続けると、たとえ反発があっても、思考能力がなくなり、指示されるほかのことも受け入れる態勢が出来ます。
 軍隊のしごき方も、この方式に似ています。新兵は入隊早々から、あらゆる方法で徹底的にしごかれます。これが、何の役に立つかなどと理屈をこねている余裕がありません。くたくたに疲れて、もう反論するどころではなくなります。一度、こうなると、上司の命令を無条件に受け入れる素地できます。その積み重ねによって、絶対服従の規律が維持されます。理屈でいくら教えても、とてもあれほどの規律は作れません。

 軍隊も企業も、ともに目的遂行方集団であることに変わりはありません。サラリーマンも、一つの命令系統の中に組み込みれています。上司の命令に無条件に従えない部下を抱えた集団は、当然、目的遂行するのに支障をきたしてくます。逆に、命令系統が十分に機能している集団は、企業戦争にも勝ち抜く可能性を持っていることになります。
 だからといって、入ってきたばかりの新人に、軍隊式の訓練をせよと言っていわけではありません。新人は、会社がどんなところか良く知らず、こちらが教えることに対して、反発したり、質問攻めにしたりするこうした初期の混乱を防ぎ、効率よく教えるには、一つだけ、理屈抜きのルールを守らせるようにするのです。『新人は始業三十分前に出社』とか「新人は一年間、紺の背広を着用する」など、なんでも良い。こうすることによって、教えることに対して、受け入れる素地を自然に作ることが出来ます。

日本の企業は、よくおみこし型といわれます。みこしを担ぐという最終目標は決まっているのですが、みんながみんな、力を入れて一生懸命に担いでいるわけではありません。自分一人りぐらい力を抜いても、誰かが担いでくれるとタカをくくっています。つまり、自分の役割を遂行しようとする自立性が弱い。中村監督式訓練は、あまり続けては企業にとって重要な自主性を失ってしまうので、時機を見て、自己管理に任せる必要があります。

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◇11 「最初の一ヶ月位は、何もさせるな」

『子は親の背中を見て育つ』とは比喩としてよく使われる言葉です。それに徒弟制度の時代から現在に至るまで、大工さんや修仏師などに限らず、名工としわれる人ほど、はじめは弟子に何一つ教えようとしないで、"見て盗め"と言って育てたという話もよく耳にするでしょう。

 ちょっと先の話ですが、大相撲の逆鉾、寺尾兄弟が現役で三役だったときの父であり、数多くの幕内力士を育ててきた井筒親方は、新しく入門してきた弟子には、はじめのうち稽古などは何もさせなかったそうです。ただひたすら、兄弟子たちのすることを見せておき、一ヵ月後からは、一緒に稽古させ、炊事や洗濯をさせます。入門したばかりで何もわからない弟子も、見よう、見真似で何とかこなしていくそうです。

 一般企業の中にも、そうした例はあります。たとえばある大手建設会社では、新入社員に対して、はじめの一ヶ月間は仕事らしい仕事は何一つさせようとしません。新社会人として意気込んで入社したのに、仕事させてくれないのです。こうした場合、人はどのように行動するでしょうか。

 森田療法というのがあるのをご存知でしょうか。これは、昭和十三年になくなられた森田正馬博士が創始した、神経症に対する誉田治療法です。
 その治療法の一つに"臥褥療法(がじょくりょうほう)"というものがあります。一人部屋に入院させ、寝かしっ放しにすます。テレビ・ラジオはおろか、人との対話もさせません。食事を運んでくる人も無言のままです。
こうして、安静、無聊のときをすごさせます。すると患者は、自己に沈潜し、自己と対決し、苦悩し煩悶し、考え、つきつめていきます。時には部屋の中に転々と転がりまわるほどの苦しさを味わうが、やがて迷いが吹っ切れやがて迷いが吹っ切れ一種の悟りのような境地に達すます。

 その後次第に心の安静を取り戻し、退屈し始め無性に何かしたくなってきます。内にばかり向いていた心が、外にも向くようになってくるのです。そこで始めて軽い作業を与え、次第に普通の作業に移っていくと言う療法です。

 このように、人は飢餓感を与えることによっ知的欲求を書き立て、引き出し、やがて積極性へと転化させる.しかし、少なくとも新入門の弟子や新入社員は、その間に、親方なり兄弟子、先輩の後姿やありようをじっと見ているはずです。そして、自分なりに四股を踏み始めたり、何か自分でも出来る仕事がしたいという意欲が起こるのです。

 先の建設会社の場合、こうした新人の動きを見ていて二つのグループに分けています。Aは指示待ちタイプ、Bは積極的タイプであるが、必ずしも Aをダメとして決め付けているわけではないそうです。適正を見極めて配置すればいいわけです。

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◇12 「こうせよ」と教えたいときも、
          「私だったらこうする」と話しかける

 先年がんのため惜しまれて亡くなった大横綱千代の富士は、昭和の大横綱として大活躍、歴史に残る偉業を立てました。しかし、前頭時代は、怪我に良く泣かされ、もともと相撲の社会と言えば、何が何でも稽古で直せと言った厳しい指導法で、力士に、根性を植え付けるものですが、師匠の九重親方(元横綱北の富士)は、怪我とスランプで悩む千代の富士に、自分の現役時代の体験をふまえ、「自分だったらこうする」とアドバイスして、何度も千代の富士の不振を救ったことがあるといってます。

 部下が一つの問題に対して思い悩み、苦しんでいるときに、上司が『これはこうするんです。こうせよ』と言った形で指示するのは。親切のつもりで言ったとしても問題です。スムーズに進めるにはこうするのだと、上司はやわらかくその方向を教えたつもりでも、それがニュアンスとして命令のように聞こえるようでは、部下は表面上は納得しながらも、何らかの形で反発を感じるものです。

 とくに千代の富士の例ではないが、部下なりに、どのようにすれば最も合理的、かつ迅速に進められるかと言うことを、苦しみながら考えていたとすると、この上司の横槍は不信の証となってしまいます。

 こんなとき、考えられる一つのやり方は、『自分だったらこうするが……、君は?』とあくまでも相手を立てながら、さりげなく自分の意見を伝えることです。そうすると部下も、上司が自分の立場に立ってものを考えくれていると思い、説得力を生むことになります。

『私のこの意見は「唯一絶対の答えではない」、ほかの人だったらほかの方法を思いつくかもしれません。君だって別の方法を思いつくに違いありません。だから、あくまでも参考のために言っておこう』と言う態度を示すのです。
『こうせよ』と言われれば、部下も、選択の余地なくそれに従うしかません。

 逆に言えば、自分の頭で考えることありません。それに従えばいいのだから、むしろ部下にとっては楽なことなのです。上司にしても、『こうせよ』とストレートに言ってしまうほうがどんなに楽かわからません。けれども、それでは部下は本当の意味で仕事を覚えていかないのです。

 上司が、自分の意見はいつも多くの意見の中の一つ、「ワン・オブ・ゼム」にほかならないのだと考えて教えれば、部下もこの上司はいつも自分を立て、自分で考えるように仕向けてくれる人だと信頼を高め、そのことが好結果を呼びます。
 時には言い方を変え、相手の立場を考えていることを強調することによって、自分の利益のように思わせることも仕事の教え方には大切なことです。
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◇13 ベテランへの注意は、意見かアドバイスの形で伝える

 日露戦争最大の山場と言われた旅順攻囲戦は、乃木希典大将が突撃を「繰り返しては失敗」し、多くの犠牲者を出したことでも有名です。大本営では、早くから『二百三高地を一点集中的に攻めろ』とか、『二八センチ砲を使え』と教えていたのですが、結果として、乃木がまったく耳を貸さなかったため、苦戦が続いていてのです。

 その理由としては、乃木の参謀には古参が多かったからだとも言われます。彼らには「釈迦に説法する気か」と言う気持があるので、『たとえ大本営の言うことでも、そうそう聞いていられるか』と、自分たちの判断に固執していたのです。旅順が落ちないため、いらいらしていた大本営が、乃木の本部に頭越しに命令する態度も、反発心を大きくした一因であったと思われます。

ところが、この困難な状況を、児玉源太郎参謀長は一変させたのです。その秘密は、指示方法を改善したことにありましました。児玉は乃木のいる旅順に行き、命令ではなく友人として自分の意見を述べる"かたち"で、方針変更を訴えたのです。その態度物腰に、さしもの乃木も心を開き、忠告に従いましました。その後まもなく、旅順を陥落させることが出来たのでした。

先日、ある大学病院勤務の医師と話す機会がありました。『医者であれ看護婦であれ、とかく新人類は……は』と言った話が、しだいしだいに「しかし若いやつは叱られるからまだいいんです」と、急にしみじみした話になってきました。『ベテランで、若い人のようなおかしなことをしない人は、それだけ自信がありすぎるため注意しにくくてねえ』と、いうのです。

確かにベテランには自尊心があるから、自分でも間違いわかっていることでも、改めて叱られると逆効果になります。へそを曲げてしまい学ぼうとしなくなるばかりか、教える上司に反発することになります。これを"追い討ち効果"と言いますが、『言われなくともわかっています。わざわざ言わなくてもいいだろう』となります。自尊心を守るために、仕事よりも自分の考えを優先させてしまうことになります。

いまの話の乃木将軍も、自尊心を守ってくれた兒玉に、自ら従ったともいえます。北風と太陽の話ではないが、力任せ、頭ごなしに教えるより、相手を立てるほうが効果的だったのです。無論、まだ力の備わっていない若者にへりくだって教える必要はありません。しかし、ベテランに対して注意したいときは、自尊心を傷つけないように、意見やアドバイスの形で伝えたほうが、かえって意欲をかきたてることになり、力を発揮させることができます。

ベテランまでとは行かないが、多少キャリアを積んだ部下にも、叱る代わりに"どうすればもっとよくなるか"を助言する形にすると、受け入れやすくなると言えます。

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◇14 教えるにも、相手のタイプによって"怒る""叱る"を使い分ける

 スイスの心理学者であり精神医学者であったユングが、人間の性格を外向型・内向型に大別して以来、この二分法が性格分類の基本になっています。
 昨今のネアカ・ネクラと言うレッテル貼りも、心理学的に見た場合には、ユング以来の分類法を踏んでいるといえます。そして部下を教えるときも、当人が外向的か内向的かという点を考慮して方法を変えるほうが、効果は上がるものです。

 その方法としては、基本的には外向的人間はどんどん怒ってやったほうがよいのです。なぜならこのタイプは、怒られても後遺症が残らない心理構造になっているのです。つまり、いつまでも尾を引く、と言うことがないのです。言い換えれば、怒られた悔しさを外へ発散する方法を知っているし、実際に発散させてしまうため、頭の中に残るのは、教えられた内容だけです。

 雷を落としてでも教えてやるほうが、このタイプの吸収度は高まるのです。山種証券社長の山崎富治氏は、職人気質の父・種二氏に怒られながら教わったと伝えられますが、彼などは、外向的人間の典型でしょう。
 ですが、内向的人間に同じ方法をとると、逆効果になります。彼らは怒られると、起こられたストレスがそのまま心の中に溜め込まれるのです。発散できないどころか、萎縮さえしてしまいます。彼らには、ほめて教えるほうが効果的です。

 ところが、仕事を教える場合には、ほめてばかり入られません。内向的人間にも、教えるのに怒声をあげたくなる場合があるはずです。その場合も"怒る"のではなく"叱る"つまり、注意する程度にとどめておくことです。
 内向的な部下は、上司が怒っているように感じると、仕事の能力だけでなく人間的な部分までが槍玉に挙げられているように思え、「オレはダメなのか』と萎縮してしまいます。これでは、教えられたことを覚えようと言う気力を起こすどころではありません。

 怒らないで注意するだけなら、『自分の人間性を指摘されているのではない仕事のまずさを指摘されているのだ』と、改めようと言う気になるのです。
 プロ野球界でもドスのきいたことで有名なある名監督は,選手の個性に合わせて"怒る""叱る"を使い分けた教え方を工夫していることで有名です。たとえばハッパをかけるとき、気の強い選手には『この野郎、打たないとぶっ殺すぞ』という怒った調子で、大声をあげているといいます。ですが気の弱い選手には『良いか、どうせ死ぬなら,お前一人で死ね、道づれ(併殺)だけはするなよ』と、すこし声を和らげて教え諭しているらしいのです。このような工夫が、選手にハッスルプレーをさせている理由であるのでしょう。

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◇15 厳しく叱った部下には必ずフォローの一言を

 ビジネスの現場で、厳しく部下を叱らない場面といえば、いわば禅の修業で言う"喝"のようなものかもしれません。あまり、しばしばでは効果がなくなりますが、必要なときには思い切ってやることに意味があります。そして、その厳しさを最大限に生かすために、もう一つ心がけたいのがあとのフォローです。フォローをしないと相手が悲観的になりすぎるからと言うだけではありません。せっかく厳しく重要なことを教えなおすチャンスがあったのですから、そのチャンスを最大限に生かすためのフォローが必要なのです。

 先般、超過残業で世間を騒がした電通の吉田秀夫と言えば、すでに故人ですが、現在の巨大広告代理店の電通を築いた創業者としても有名です。彼が作った社是は『鬼十則』などと呼ばれるほど過酷なことで知られ、よく部下に雷を落としたらしいのです。鬼のカミナリだから効果てきめんです。
 叱られた部下が、『俺はもうこの会社では出世はあきらめなければならない……』とガックリするほどの激しさでもあったようです。

 しかし、そう落ち込んでいる部下のところに、吉田社長からネクタイやスーツの生地が届けられたというのです。"鬼"がみせた"仏心"です。部下は感激すます。『そうか、社長はオレを激しく叱ったが、あれはやっぱり親心だったのか』。こうなれば社長が叱った内容をその部下はもう一生忘れられなくなるし、仕事への意欲も大きくなるに違いありません。
 新聞に、中日の星野監督のこんな話が載っていましました。新人のつまらないエラーを怒鳴りつけた監督は、非情にも罰金二十万円を科しました。そうしておいて、コーチにこう言ったというのです。『きっちり罰金を取ったおけ、あいつはそのくらいはいつでも取り返せるやつだ』。それを聞いた新人選手は大いにハッスルしたに違いありません。

 激しい叱責は、その内容がどんなに正当であっても、叱られた方は、叱った上司への恨みのほうに心の重心が傾きがちです。そこで、激しい叱責のあとほど、温かみのある一言のフォローが絶対に必要なのです。
 松下幸之助氏は、叱った部下の自宅にあとから電話をかけたそうですが、その松下方式を踏襲しても良いし、叱った部下の仲間にあとからそっと『あいつは見込みがあるからこそお灸をすえたのだ』と星野式を採用してもよいのです。

 ネクタイヤスーツとまでは行かなくても、後からぽんと相手の好きな銘柄のタバコ一箱をデスクの上においておく吉田型でも悪くません。
 つまりは、叱られて落ち込んだ相手を喜ばせるような何らかのフォローをしておくと、部下は上司の"愛情ある叱責"の意味を肝に銘じて覚えておくでしょう。

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◇16 度を越して、"教え魔" になるな

 ゴルフを何度かおやりになった方には、一度は経験があるのではないかと思いますが、横からいっぱしのアドバイスを送りたがる人間がいるものです。確かに理論は確かなものであるが、こうしたアドバイス好きの"教え魔"が横にいると、成績は惨憺たるものです。

 かくいう私自身、教え魔によって成績を乱された一人といえないこともません。いくら正しいことでも、あれやこれや言われて、すぐに全部できるようになるのは、至難の業です。最後には、この"教え魔"に対して反感すら持つことになります。

 プロ野球界でも、かつて屈指の打撃コーチといわれた人間が"教え魔"でした。いったん教え始めたらやめられないことから、"カッパエビセン"なるあだ名を頂戴したらしいのですが、一握りの超一流打者を育てる反面、彼から逃げ出した選手が数え切れないくらいいるという話です。 この"教え魔"コーチ氏にかぎらず、教える人間にとっては、持てる技術を部下に一日でも早くすべて伝授したいものですが、教えられる部下にとって、"教えられる"準備が必ずしも整っているとは限らません。

 こうした教えられることに切迫感がないときに教えても、部下は受け入れ態勢が出来ていないのです、教えた内容が右から左に抜けていきます。
 また、教える人間がわずかしか教えていないつもりでも、部下のほうは、学ぶキャパシティがいっぱいという"知的飽和状態"になっていることもあります。いくら教えられても、これ以上部下に吸収する余地がなければ、何を教えても、消化不良となるだけです。

 最後には、部下の心理の中で"教え魔"のレッテルを貼られることになります。こうなると、いくら口をすっぱくして教えても、部下は「ああ、また"教え魔"がはじまったか」と気力も失せ、聞入る態勢を放棄してしまいます。"台風が過ぎ去るまでまとう"と思うか、教えるものに対して反発を感じ始めるか、どちらかです。部下に本当に"教え"たかったら、"教え魔"になることだけは避けることです。

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◇17 素直にいうことを聞かない部下には

 「まず、しゃべるだけしゃべらせる
 少ない兵で常に平家の大群を破り続けた、名将源義経の勝利の秘訣の一つは、部下への作戦の教え方だったといわれます。

 彼は、作戦会議の前には、「すでに決めてある自分の方針をあえて最初に示さず、会議の部屋の灯火を消し」何でも話せる環境をつくりました。そして、真っ暗闇の中で武将たちにへとへとになるまで討論させます。作戦への不満や懸念も吐き出させました。それで、意見も出ないくらいに疲れきったところに自分の作戦を伝えます。これで、部下は砂が水を吸うように義経の作戦を飲み込みます。有名なひよどり越えや屋島の連戦連勝は、まさにこうした部下の不満や不安の解消から生まれたといってもよいでしょう。

 組織というものは、どんなに小さくても放っておけばホコリの様に不平や不満がたまりますし、それが重なり合うと手がつけられなくなります。ときどきは、不平や不満のガス抜きが必要になります。とくに遣り手であるのに「部下掌握術」が下手だといわれる人は、この心理的ガス抜きをしていないことが多々あります。
 心理的ガス抜きといっても、これはそんなに難しいものではありません。新聞・雑誌のインタービュアーやカウンセラーなどが日常的にやっている方法で、簡単に言えば、義経流に相手の言い分をとことん聞いてやることです。じっくり耳を傾けて、最後にポイントを突くコメントを与えてやます。

 部下の不平不満やいい訳は、カンのいい上司ならある程度聞けば、その原因も理由もすっかりわかってしまいます。聞く前におおよそのことがわかることもあります。だからといって、相手が話そうとする出鼻をくじいたり、意見を言っている途中でこちらから頭ごなしに反論してしまうのは、フラストレーションの炎に油を注ぐ効果を呼ぶだけです。
 話の内容に偏見や先入観が含まれていても、それも相手の大事な人生観の一部なのですから、途中で否定すると相手は自分の全人格が否定されたと思って心の壁を閉ざしてしまいます。

 こちらが最後まで話しを聞くと、不思議に相手の心の壁が外れるものなのです。「ここまで自分の話を聞いてくれたのだから、相手の話も聞いてみよう」という気になります。相手が素直に耳を傾けられるようになりましたら、『確かに君の言うとおりですが、たとえば、こういう事実もあるのではなかろうか』とそっとこちらのコメントを付け加えます。
 こうした形のガス抜きさえ怠らなければ、やり手の上司の下にも、必ずやり手の部下が育ちます。

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◇18 小さなミスは、その場で注意する

「ブーメラン効果」という言葉をご存知でしょうか。これは、宣伝などのメッセージが、こちらの意図したように相手に伝わらず態度の変化がないまま、逆に反対態度を強めてしまうことを指しています。その結果、投げかけたメッセージが、こちらの思うような方向をとらず、ブーメランのように自分の元にむなしく戻ってきてしまうわけです。

 よく、「あいつは何度注意してもぜんぜん言うことを聞かない」とか、「叱ったら、ますます言うことを聞かなくなった」という上役の嘆きを耳にしましたが、これなどはまさに『ブーメラン効果』といえます。こんな場合、どうしても相手の性格や人間性のせいにしたくなりますが、こちら側の叱り方についても、もう一度考え直してみる必要があります。

 その一つは、叱るときのタイミングです。たとえば、部下が、ちょっとしたつまらないミスを犯したときのことを考えてみます。こんなとき、「まあ、アイツも気づいているでしょうし、後で注意してやればいい」くらいに考え、その場は見逃してしまうケースがわりと多いのではないでしょうか。ところが、後々になって、そのことについて注意すると、細かいことだけに部下もよく覚えていない上に、「そんなつまらないことを根にもっていたのか」といった反発を呼び起こし、叱ったことがかえって、「ブーメラン効果」をうむでしまいます。この場合の原因は、ミスを犯した本人に、ミスをしたという認識がなくなっていることにあります。これは余計な反発に転じる記憶の余地が消滅するためです。

 従って、小さなミスをその場できちんと指摘してやることが、部下の仕事の能率を高めることは、実験でも確かめられています。単純作業のミスについて調べたマクファーソンという心理学者の研究によりますと、0.7秒おきに押されるキーの正誤を、結果を知らせながら行った場合と、知らせずに行った場合とでは、前者のほうが正答率の上がることが確かめられました。
いわゆる『即時確認』の効果です。この『即時確認』は、小さなミスを繰り返しやすい新入社員を教育するときに、特に有効です。

 ところで、『即時確認』について一つ注意していただきたいことがあります。それは、部下が大きな失敗をしたときです。殆ど場合本人は、大きな失敗は忘れずに十分自覚しているのが一般的です。その本人が自覚して深く内省しているときに頭ごなしに叱りますと、余計な反発を招くばかりか、失敗を本人のために生かす機会を取り上げてしまうことになりかねません。こんなときは、しばらく見守ってやった後、適切なアドバイスを送るのがよいでしょう。

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◇19 部下を叱るときは、第三者がいない処で

 かつて、会社を辞めたいう教え子が、私の研究室に鬱憤を晴らしにやってきたことがあります。話を聞いてみると、なるほど、これは彼に同情する余地が大きいと感じました。それは、こんな話でした。 ある日、彼が急いで取引先から戻ってきたとき、会社のロビーのところで、外出しようとする彼の上役と鉢合わせしたのです。その場で、簡単な報告を済ませたのですが、その報告は上役にとって意に沿わない報告だったようです。かなり強い調子で彼を叱りましました。

 実は、彼はその日、恋人と約束があったこともあって、このときは、「すみません」の一点張りでぺこぺこ頭を下げるだけだったといいます。周りには客もいるし、何より約束のことが頭にあって、多少の屈辱感を味わっても、とにかくこの場を切り抜けたかったのでしょう。 彼がオフィスに戻って、帰り支度をし、会社の外に出ようとしたとき、ロビーに彼女の姿を認めました。聞けば、時間が余っていたので、相当早くから彼の会社のロビーで待っていたらしいのです。

「ああ、見られてしまった」という思いで、彼はデートのことなど吹っ飛んでしまうほどショックを受けたそうです。事実、その日のデートは、ひどくよそよそしいムードだったということで、彼女とは、その後しばらくして別れることになり、彼もまた、それを機に会社を辞める決心をしました。
 よく聞けば、彼の恋人は、彼が叱られている現場を見たということを一言も言っていないといいます。もし見ていたとしても、彼が思い悩むほど、深刻にそのことを受け止めていたかどうかは疑問です。

 もし、あなたが、上役から容赦なく叱られているとき、あなたの奥さんや子供がそれを見て、いたとしたらどうでしょう。叱られている内容など耳に入るはずもません。ただ、違った顔のもっとも惨めな姿を見られたという、口惜しさと恥ずかしさで心が引き裂かれるはずです。
 恋人や家族の前で部下を叱るということはまずないと思いますが、基本的には、客や得意先など、第三者がいるところでは叱らないことが原則です。それは部下の『顔を立てる』ということであり、叱る側と叱られる側の信頼関係を築くために欠かせない配慮でもあるのだす。

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◇20 叱るとき、過去の例などを引っ張り出さない

 夫婦喧嘩は犬も食わないといわれますが、つい相手の一言にかっときて、ますます大喧嘩を始めてしまった人は少なくないのではないかとおもいます。夫婦喧嘩で怒りに油を注ぐようなバターンの一つが相手の過去をあげつらうことのようです『昔、あなた××していたじゃないの」「そういうお前も以前○○していたじゃないか」とお互いに古傷に触れ合えば、喧嘩の収拾はつかなくなってしまいます。

 それでは、なぜ相手の過去に触れることが、相手の反発や怒りを招くのでしょうか。といいますと、夫婦に限らず、人間はどんな失敗でも相手の許しを得たなら、それっきりその失敗は相手の記憶から消してしまっていると思い込む傾向があります。
 実際、相手を見ると、自分の旧悪すべて水に流してもらっているように見えて、相手を信じ込んでしまいます。とくに水に流そうとする日本人に、この傾向が強い。

 そこへ、いきなり昔の失敗を蒸し返すと、「なんだ、この人は、忘れたふりをして覚えていたのか」と、相手を見る目ががらりと変わり、不信感が強まります。日本人が、アメリカ人に太平洋戦争の話を蒸し返されたときに感じる反発はこれと似ています。自分の"前科"は、できるだけソッとしておいてもらいたいものなのです。特に小さな失敗を蒸し返されたりすると、『こんな小さな失敗まで覚えていたのか』と、相手に強烈な反発を感じることになるのです。

 この心理は、部下を叱って教えるときにもあてはまます。部下に向かって、『また、やったのか』とか、教材にちょうどいいとばかり『あの時もそうだった』と叱ると、部下のほうは上司を"秘密警察"のように感じ、以後本音を話さないようになりかねません。
 部下を叱って教えねばならない場面は現実に多くあることですが、過去の例を引っ張り出すのは禁物です。是非やめて貰いたいです。

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◇21 萎縮傾向の部下は、間接的に他の部下をほめるという方法で叱る

 人間の性格というものは実に様々で同じように叱っても、それに対するは反応は人によってぜんぜん違います。
 たとえば、叱られたことで奮起し、バリバリと仕事をこなしていく部下もあれば、ちょっと叱っただけですっかり萎縮してしまい、叱られたことで頭がいっぱいになり、仕事どころではなくなってしまう部下もいます。上役にとって厄介なのはこの種の部下です。

 叱って萎縮するタイプの部下は、決して仕事の能力が劣っているということではありません。私のいままでの経験から言わせて貰えば,このタイプの人間は繊細な心経の持ち主が多いようです。
 そして時として、私の気づかなかったような細かい視点から問題点を指摘してくることがありまして、大いに参考にさせてもらったりもしました。本人の持ち味を上手に引き出して、それを生かすようにさせれば、このタイプの人間はいい仕事をすると私は思います。そのために、まずは強く萎縮させないようにすることが必要です。

 叱ることで部下が明らかに萎縮しそうな場合には、直接叱らないで他の部下をほめるという方法があります。当の部下は、他の部下が上司にほめられるのを見て、自分が叱られているように感じるのです。この方法は、心理学で言う「暗黙の強化」に基づいたものです。
 二つのグループに作業させ、グループの片方を叱ると、それを見ていたもう一方のグループは、自分たちがほめられたと感じ、作業能率が高まることが確認されました。直接叱ったりほめたりして相手のやる気を強化する方法に対して、このような間接的なやる気の強化を、「暗黙の強化」と呼んでいます。これは、相手を直接叱りたくない場合にも応用できます。

 たとえば、自分から進んで報告しに来ない部下がいるが、直接叱ると萎縮しそうです。こんなとき、たまたま報告に来た別の部下に対して、「君は、いつもきちんと報告に来てくれてありがとう。大いに助かっているよ」などとさりげなくほめてやるのです。それを傍で聞いていた当の部下は、進んで報告に行かない自分について叱られているよう気がするが、別に直接叱られたわけではないので、萎縮まではしません。そして、それが、繊細な神経が、直ちに内政に向かってくれるはずなのです。

 誤解していただきたくないのは、この方法が最も効果的であるということを言っているのではないということです。人によってまったく効果がないかもしれません。しかし、だからといって、叱るのをやめ、部下の評価を放棄してしまえば、部下はそれ以上伸びません。この方法は、部下に仕事を教えるときの一つのヒントにはなるはずです。

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◇22 反発を買いそうなときは、冷却期間をおいて再度教えなおす

 中国の古典「菜根譚」に「人の悪を攻めるときは、はなはだ厳なること母く、其の受くるに堪えることを思うを要す」とあります。つまり人の悪を攻めるときは、あまり厳しくしないで、その人が叱責の言葉を受け入れるかどうかを考える必要があるといっています。明王朝の末期に書かれたことを考え合わせると、人間は変わっていないといわざるを得ません。

 せっかく仕事を教えているのに、反抗的な態度を見せられると、ついやり込めてやろうと力みがちです。しかし、相手に受け入れる土壌がなければ意味がないばかりか、かえって反発を招くだけです。少しでも受け入れる余地があるなら、言い方を変える等して対処することもできるでしょうが、いったん言い合いになってしまったら、どうしたらよいでしょうか。

 言い合いをしているときの人間というものは、お互いが興奮しているものです。上司に間違いを指摘された部下は、『ちょっと間違ったぐらいで、そう口うるさく言わなくても良いじゃないか』と反発し、其の上、自分のプライドを傷つけないように、逆に自分を正当化しようとさえすます。こうなるともう何を言っても無駄です。

 人間というものは、もともと自分の間違いをなかなか認めたがりません。間違いを指摘されて、「はい、そうですか」と素直に聞く人はごく少ないのです。このような場合には、冷却期間を設けるのも一つの方法です。会社で部下の間違いを指摘し、其のことで部下が先のような状態におちいってしまったら、まずフラストレーションを取り除いてやり、興奮状態がさめて反省するまでの"冷却期間"をもうけることです。

「どんな悲しみやつらさも、時とともに流れてしまう」とはよく使われる言葉です。人間というものは時間がたてば、其のときに感じた反発心は消え、冷静に話が出来るということです。 冷却期間を設けるということは、フラストレーションを除去するばかりでありません。教えを受け入れるための下地作りにもなるのです。優秀な部下を育てるには、この興奮状態から冷却期間までの"間"の取り方が特に大切です。

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◇23 ベテランをけなすことで、意図的な"緊張"をブロック全体に作る

 かつて西武ライオンズを三度も日本一に導いた名将・広岡達朗氏は、其の見事な采配ぶりにもかかわらず、とかく中傷の的になった人です。

 優勝という目標のためにチームの体質改善を公言し、マイペースでやっているベテランを否応なくこき下ろしたという広岡流の管理術は、いまも語り草になっています。そのことで反感をかい、チーム内に波風が立ちました。しかし『波風が立つことを恐れて、ビジョンを見失ってはならない』、それが広岡氏の考えであったようで、其の思惑通り西武は、常勝チームとして頂点に立ったのです。

 取り立てて広岡氏の話をするのは、人間チームの意識改革だけでありません。仕事を教えるには反感や反発が必ず伴うものです。ときにはこの反感や反発をバネにしなければ仕事を教えることは出来ないということです。
 組織が中だるみを起こし、教えても効果の上がらないことは、企業の中でもよくあることです。そこで、これをどうにかしようと思ったとき、参考になるのがこの広岡氏流でもあるのです。

 組織全体にカツを入れたいとき、ある特定の一人を徹底的にこき下ろすという方法であるが、ことに私が広岡氏流で感心したのが、ベテランを叱り飛ばす、この『小の虫を殺して大の虫を助ける』というやり方です。
 部全体を叱る、みんなが悪いと叱り方は、責任の分散化が生じ、結局誰も大して悪いと感じないことになりかねません。そこで、一人を槍玉に挙げ、徹底的に叱ると、周りの人は、『自分が叱られないでよかった』と思いますと同時に『自分も叱られないようにしなければ』と緊張の中で感じるわけです。

 ことに、叱るのが広岡氏流に、実績のあるベテランだったり、役職にある人だったりすると効果は倍増し、さらに部の緊張は高まることになります。『あの人がやられているのは自分たちのせいだ』という自責の念が各人に生まれ、部下は黙っていても気力を奮い立たせるようになるでしょう。
 それが自主的な組織の改善へとつながっていくわけです。そして、第三者の前で槍玉に挙げると、平社員なら救いようのない傷を負わせることになりかねないが、これが責任ある立場の人なら、その立場上叱られている事を理解できるため立ち直りが早いでしょう。

 好んで波風を立てることはありませんが、企業というものは、スポーツチームと同じように、時にはこのようにベテランのプライドを刺激するくらいのことがなければ、活気のある自ら学ぶ職場にはならないに違いありません。組織に必要な処置ならば、広岡氏流に一つの犠牲には自ら目をつぶることも必要になってくるでしょう。

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