西暦 | 中国年号 | 東アジア海上世界の事件 | 世界・日本の動き |
1510 | 正徳5 | 朝鮮・三浦に居留する日本人達が暴動を起こし鎮圧される(三浦の乱)。 | ポルトガル、ゴアを占領。 |
1511 | 正徳6 | ポルトガル、マラッカを占領。アジア交易の拠点とする。 | |
1517 | 正徳11 | ポルトガル、公式に明に使節を派遣。交易を求めるが朝貢でなかったため拒否される。 | ルター、宗教改革を開始。 |
1523 | 嘉靖2 | 細川氏と大内氏の派遣した遣明使節が寧波で衝突。周辺地域が被害に見舞われ、以後日本使節の来明は禁じられる(寧波の乱)。 | 前年にマゼラン艦隊が世界一周成功。 |
1526 | 嘉靖5 | 福建のトウリョウ、脱獄し浙江の双嶼港を基地に密貿易を始める。 | インドにムガル帝国建国。 |
1535 | 嘉靖14 | ポルトガル人、マカオ近辺に出没。 | イエズス会が組織される。 |
1538 | 嘉靖17 | 胡宗憲、科挙に合格し進士となる。この頃王直・徐銓ら塩商として失敗し海に出る? | |
1539 | 嘉靖18 | 李光頭・許棟ら福州の獄から脱出。李光頭は福建の金子老の配下となり双嶼港に入る。 | |
1540 | 嘉靖19 | 許兄弟(許松・許棟・許楠・許梓)らポルトガル人を浙江に招き交易を行う。王直・徐銓・葉宗満・謝和・方廷助ら商品を積んで東南アジアへ旅立つ。久々に日本から遣明船が来航。 | |
1542 | 嘉靖21 | 金子老、双嶼港を去り、船団を李光頭が引き継ぐ。この時期双嶼港で権力交代? | ザビエル、インドに到着。 |
1543 | 嘉靖22 | トウリョウ、福建沿岸で海賊行為。海道副使張一厚、許兄弟を攻撃、逆に撃破される。許棟と李光頭が双嶼港の主となる。 王直、ポルトガル人を載せて種子島に到達、鉄砲伝来となる。 | |
1544 | 嘉靖23 | 王直、日本から明に帰り許棟集団の出納を司る。来明した日本使節の帰国に随行して日本へ交易に赴く。博多商人助才門らを双嶼に誘い入れる。双嶼港はポルトガルから日本までの商人が集まる一大貿易基地と化す。 | |
1547 | 嘉靖26 | 都御史・朱ガン[糸丸]、提督浙ビン海防軍務・巡撫浙江を命ぜられる。 | |
1548 | 嘉靖27 | 朱ガンの命により廬ドウ[金堂]らの水軍が双嶼港を攻撃、李光頭・許棟ら幹部が逮捕され、ポルトガル人居留地も破壊、双嶼港は封鎖される。この年、日本使節が来明。 王直・徐銓が日本から浙江に来航、交易を行う。 | |
1549 | 嘉靖28 | 王直、許棟の残党を糾合し勢力を拡大する。 陳思盻、揚子江沿岸で海賊活動。 朱ガン、福建勢力の弾劾に逢い投獄され、獄中で無念の自殺。 ザビエル、鹿児島に上陸し日本布教を始める。 | |
1550 | 嘉靖29 | 徐銓が浙江に来航、交易を行う。 廬七・沈九らが倭人を誘って銭塘江に入寇。浙江海道副使が王直に密貿易の黙認を条件にこれらの討伐を依頼。王直はこれを受けて廬七らを捕らえ献上。 このころ王直集団と陳思盻集団が日明ルートをめぐり抗争。 | アルタン=ハンが北京に迫る。 |
1551 | 嘉靖30 | 陳思盻、王船主を殺害、その船団を奪う。 王船主の元部下が王直に内通、王直は陳思盻をその誕生日に急襲、殺害。王直による海上制覇の完成。 この年、徐銓の甥徐海が叔父を頼り海上に出る。 | 大内義隆、陶晴賢の謀反に倒れる。 |
1552 | 嘉靖31 | 王直、七倭賊を献じる。 徐海が密かに日本人と共に海賊行為を行い、王直に叱責される。徐海は王直殺害を謀るが徐銓に止められる。徐銓と王直が別行動を取り始める。 兪大猷が浙江に赴任、王直を警戒する。 | |
1553 | 嘉靖32 | 巡撫浙江・王ヨ[小予]が王直攻撃の意志を固める。葉宗満が浙江に来航、水軍に驚いて広東へ向かう。 兪大猷、王直の本拠地烈港を襲撃、王直は日本の平戸へ逃走。 蕭顕率いる「倭寇」集団が浙江から揚子江南岸の各地を攻撃。「嘉靖大倭寇」の開始。 | アルタン=ハンが大挙襲来。 |
1554 | 嘉靖33 | 蕭顕らの集団、浙江各地を荒らし回る。徐海率いる集団も九州から来襲。 徐銓、広東に赴き海賊・林国顕の義子となる。その後広東で交易中、官軍の襲撃を受け戦死。 胡宗憲、浙江に赴任し倭寇対策にあたる。 | |
1555 | 嘉靖34 | 倭寇に地域住民などが加わり勢力を急速に拡大。 工部侍郎・趙文華が浙江を視察。胡宗憲これに取り入り総督・張経らを弾劾し死に追いやる。王江ケイの戦いで官軍大勝。 鄭舜功、日本へ情勢調査に赴く。胡宗憲もまた諸生の蒋洲・陳可願らを王直説得に日本へ派遣。 王直集団と思われる倭寇が朝鮮の達梁を攻撃(達梁倭変)。 徐海、江南に来襲、崇徳で王翠翹を捕らえ愛人とする。 王直の義子王一枝、島原から倭人を誘って浙江に襲来。 | 厳島の戦い。 |
1556 | 嘉靖35 | 徐海、叔父の復讐を唱え大軍を率いて柘林に襲来。陳東・葉麻の率いる集団もこれに合流。桐郷を包囲、陥落寸前に追い込む。 総督となった胡宗憲が徐海の懐柔を図り、桐郷を救う。以後王翠翹らを使って内通させ、徐海集団に内紛を起こす。徐海は陳東・葉麻を次々と捕らえて官軍に献じるが、最後に自らも官軍に滅ぼされる。 王直が胡宗憲の招諭を受けて、義子の毛烈と葉宗満を先に軍門に降らせ協力させる。 | |
1557 | 嘉靖36 | 王直、大友氏の使節の形式で明に帰国。そのまま捕らわれるが、待遇は丁重に扱われる。 王直の逮捕を受けて毛烈・王一枝らが舟山で抵抗。兪大猷・戚継光らがこれと戦う。 | |
1558 | 嘉靖37 | 舟山の王直残党、敗北する。王一枝、福建の官軍に殺害される。王直集団は洪沢珍が引き継ぐ。倭寇の襲撃地は福建方面へ南下。 | |
1559 | 嘉靖38 | 毛烈、福建から直隷の各地を寇掠。 冬12月25日、王直、杭州の刑場で処刑される。 |