米菜クラブ平成18年3月やよいの授業より【抜粋】

【献立】


(1)すずき雲丹うにもときと菜花信田巻なばなしのだま(白身魚を雲丹のモトで焼き木の芽で)

白身魚を雲丹のモトで焼き木の芽で
材料 鱸、雲丹(練り又は幽庵漬け)、卵黄、サラダ油、菜の花、油揚げ、削り節、出汁昆布、楷敷き(笹の葉、葉蘭など)、木の芽、
調味 酒、砂糖、薄口醤油、塩
..etc......質問など詳しくは⇒
質問何でもどうぞ!
要点 @鱸は鱗をひき三枚におろして、5分くらい薄口若狭地に漬けます。A卵黄はサラダ油を少しずつ加えながら 塩と砂糖で味を調え、幽庵に漬けておいた生雲丹を潰して加え雲丹もとの焼きだれを作ります。B1を裏表に焼き 目が付く位焼き、身側を上にして2を塗って焼き目を付ける。C菜花は茹でた後、湯通しして開いた油揚げで2本位 巻き、八方出汁に漬けておく。D笹の葉などの楷敷を皿に敷き3を盛りつけたら木の芽をのせ、4を前盛りに飾り糸 掻き鰹を乗せる。
<参考>鱸【すずき】

  •  スズキはブリやボラと同じように、幼魚から成魚までの間に何回か名を変え、出世魚として喜ばれる。背は青黒く、全体に銀白色 に輝き、形はあくまでもスマートな流線形である。また、精悍な顔付きで第一背鱗の棘はピンと立っている姿は「鯛に 次ぐ美魚」である。背白身魚の代表格として、冬のヒラメ、春のマダイ、夏のスズキが誉れ高い。冬のハラブトも脂が乗 って美味とも言われる。特に東より西で人気が高く、関東からも関西市場送りとなっている。

    釣り上げし すずきの巨口 玉を吐く : 蕪村

  • 命名
     『本朝食鑑』によれば、「黒い色を盧という。この魚は白い生地に黒い章がついているので、魚偏に盧とかいて鱸となった。」また 『日本釈名』には「その身白くて‘すすぎたる'ように清げなる魚なり」と記されている。この「すすぎ」が「すずき」に なったとの説。また『大言海』ではスズキが直進するように泳ぐことから「進く進くの意。‘進き'の意か」と書かれてい る。

  • 地方名 
  • デキ(東京) 体長20pほどの幼魚をいう。「デキ」は男の子に対する罵言。
    ハネ(各地) 若魚期の終わりの頃のものをいう。
    マダカ(浜名湖) フッコを越えてスズキにあと一歩の魚をいう。
    チュウハン(山陰) 若魚の呼名、「中半」の意。
    アンサン(山陰) 方言で「アンサン」兄弟・若衆の意で若魚をいう。
    ニュウドウ(北陸) 「入道」の意で坊主頭の化物に老大魚をたとえていう。
    ハクウ(北九州) スズキの幼魚の呼名「白魚」の意か。
    英名 Sea bass & Sea perch


  • 出世魚
  • ヒカリゴ 5cm前後 体が銀色に光って見える。
    コッパ 当歳魚 小葉と書く。
    セイゴ 2年魚 25cm前後。
    フッコ 2〜3年魚 30〜40cm 関西では『ハネ』
    スズキ 4年魚 60〜70cm 1mにもなるものもある。
    ハラブト 冬の産卵期を向かえた大物、腹太。
    (さらに詳しくは授業でご説明します)   ふるさと特産館 旬の食材図鑑より参照




    (2)苺大福いちごだいふく草大福くさだいふく (春採りの蓬を香りに草大福を、苺を入れて苺大福なんて・・・)

    春採りの蓬を香りに草大福を、苺を入れて苺大福なん・・・
    材料 蓬(よもぎ)、白玉粉、粒あん、スキムミルク、生クリーム、上新粉、打ち粉(片栗、コーンスターチなど)、いちご
    調味 ..etc......質問など詳しくは⇒ 質問何でもどうぞ!
    要点 @蓬は葉と芽の部分だけつまみ取り水洗いして少量の塩を入れた熱湯に入れて良く茹で冷水にとる。 A1の水を強めに絞って微塵に刻みすり鉢で細かく擂る。B白玉粉、上新粉(2〜3:1)を加えぬるま湯 で良く練る。C蒸し器に布を敷き小さめにちぎった3を並べて表面が透明になるくらい(約10〜30分) 蒸す。電子レンジで加熱でも良い。D4の半分を2のすり鉢に移し、砂糖を少しと塩を微量加えて擂り ながら練る。E残りの半分にスキムミルクを砂糖湯と微量の塩で溶かし生クリームを入れてすり鉢 で練る。F打ち粉で小さく(約30g)分けた5と6を平たく伸し5には餡(約30g)を、6には餡(約10g)と 苺をそれぞれの中に入れ包みながら形を整える。(※切り餅を利用すると早く出来ます)
    <参考>「大福」
    ◆「大福の起源」とも言われる「腹太餅」は元禄時代に存在したお菓子で、形の大きい塩餡餅です。 餅皮を薄く、餡を包んだもので丸くふっくらしている様子がウズラに似ているので、 うずら餅とも呼ば れました。うずらの腹がふくれた様に大きな腹へいっぱいに餡が入っているという意味と、食べると腹 がいっぱいに太るという意味から、「はら ぶと餅」とも呼ばれました。のちに「腹太餅」を「大腹餅」に書 換えられましたが、大腹なら大福 の方が縁起がよいということで「大福餅」となりました。1780年頃は 夜にこの大福餅を売り歩 くことが流行し、人々は冬の寒い夜などはそれを鍋で焼いて食べました。ま た賀寿の餅として大福餅の上に「寿」と紅で記して賀寿当人が親戚への配り物としても利用されました。

    ◆しかし「大福の起源」はもう一つあります。江戸時代後期ごろの明和8年(1771年)冬江戸の小石川に住んでいたお 玉さんという後家さんが作ったと言われております。初めは「お多福餅」言われておりました。生活に困っていたお 玉さんは生きる ために餅を売ることを思いつきました。餅の中に砂糖入りの小豆餡をいれて包み冬の寒い江戸の 夜にかごに火鉢をいれて、焼き鍋を置き、寒い夜に熱々のお多福餅を売り歩いたのでした。

    その後10数年後に江戸で大ブレークしてそれがいつしか大福餅になり、大衆に人気のポピュラーなお菓子として親 しまれてきましたが、現代では上菓子の地位までその存在が高められる様になりました。

    ◆この本物の大福餅は固くなると言う欠点がありますが、固くなった大福は中火でじっくりと焼きだるまストーブな どに乗せて焼いた焼き大福などは懐かしい味ですが、蓋鍋で焼くときに途中で水をいれて蒸し焼きにしてもおいし いのです。現在では、お餅で作った固くなる大福はなかなか手に入らないと言われます。

    ◆昔お百姓さんはきつい年貢の取立てに苦労をしておりました。でもお米を収める時に出来の良いものと悪いもの を選別して収めておりました。悪いと言われている破砕米などを食料の糧にしておりました。時には破砕米を使って お餅を作ったり「餡」をくるんで大福にしていたという情景が思い浮かびます。また昔から、出産後に母乳の出を良 くするための特効薬として用いられたり、現在では体の熱を良く燃やし蓄積脂肪の消化率を高める起爆剤として利 用されています。
    (さらに詳しくは授業でおはなしをします)


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