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●【胎児期の傷-問題の解決は悩みの根本を知ること】
●【望まれない子 死んだ方が純粋】
●【ベビーブレスでの体験は事実だった】
●【男を望まれることが私の女性性を否定した】
●【傷が分かってガッカリと見上げた空の青さの気持ちよさ】
●【陣痛促進剤 早産 保育器】
●【生まれてくること自体が「とんちんかんなこと」】
●【山の上の分水嶺=生と死のアンビバレンツ】
●【胎児の能力】
●【育て直しの段階】
●【自分を再構築し修正するには】
●【子育ては自分育て=毒入り饅頭にならないように】 |
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●【胎児期の傷-問題の解決は悩みの根本を知ること】
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林: 今までのこの対談形式のシリーズでは、人が悩むということの根本のところには、母親との関係があり、傷があるという話をしてきました。悩みが、子供や、姑、夫、親、恋人、職場の上司などのことであれ、自分自身のことであれです。
しかも、その傷が早い子供時代の傷であればあるほど、傷は深くなります。悩むということは、小さいときの辛い思いがそのまま残り、いわゆる固着となっていることが多いと思います。この固着のことを、自分達は単に「傷」と呼んでいます。この固着があると、人は同じパターンで悩んだり、傷付いたりします。そして本当には問題は解決されないまま、人生を歩んで行き、問題を更に形成していきます。
この傷を理解し、心理的に消化することで、問題が消え、心理的な成長が起こります。
片伯部: 古い未消化の傷を、再体験して消化し乗り越えていくということですね。
林: そう。この傷は、たいていの場合にはその人の中にいくつかあって、カウンセリングやベビーブレスでは、理解と消化は、新しい傷から古い傷へと進んでいきます。そしてついには、胎児期まで行きます。そこまで行かなければほんとうの解決にはならない、その人自身が満足しないようです。このことは多くの人で起こりますので、胎児期を注目しないわけには行かないわけにはいきません。
片伯部: 林さんの胎児期の話をしてもらえますか。
林: 私は、ベビーブレスをやるまでは、自分は愛されてきたと思って育ってきました。もちろん、実際に愛されてきたという事実の側面はあります。しかし、何か大きな心理的なショックがあると、いつも死にたいという感じがありました。そのことが自分を悩ましていました。疑問でした。
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●【望まれない子 死んだ方が純粋】 |
ベビーブレスを体験し深い体験を重ねるようになると、胎児の頃に自分が産まれることは本当には「望まれている感じはしない」「産まれていいのか死んでいいのかお腹の中で迷っている」感じが出てきました。さらに、産まれた体験もし、その途端に「がーっかりされた」感じがありました。「失敗したー」「迷っていたけれどやっぱりダメだった」という感じが出てきました。本当にリアルでした。心臓がバクバクしました。産まれずに死んだ方が純粋だったという感じなのです。
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●【ベビーブレスでの体験は事実だった】 |
そして驚いたことに、そのベビーブレスで体験した感じが、実は本当らしいという情報を、その後で得ることができました。私は、それほど裕福な家庭で産まれたわけでもなく、4人姉妹の末っ子で上には3人の姉弟が既にいて、親は私を妊娠したときに一番下の子は要らないと思ったのではではないか、と推察するようになっていましたから、そのことを思い切って兄貴に尋ねると、「うん」という答えが返ってきました。当たっていました。兄貴は、直接に親から聞いて知っていたのです。両親は、私本人にはそのことは直接に言わないまま亡くなっていました。
片伯部: 「死にたい」ということの起源が分かったということですね。
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●【男を望まれることが私の女性性を否定した】 |
林: また、ベビーブレスを通して、私の中には自分の女性性を否定して男のように頑張る部分があることに強く気づくようになっていました。自分は女であってはまずかったのではないだろうかと思うようになりました。そう思うと色々お思い当たることがあります。自分が産まれる前後のことを根ほり葉ほり兄貴に聞くようになっていたころのある日に、兄貴から手紙をもらいました。その手紙によると、母親は妊娠中に3人の近所のお茶飲み友達を前にして、私を妊娠した大きなお腹をなでながら「今度は男の子が欲しいんだ」と言っていたということを、その友達から聞いたと言うことでした。ビッタリでした。自分が産まれること自体が、親の期待とは違っていた。本当は産まれない方がよかった。でも産まれるなら、せめて男として産まれるのを親は望んでいたのです。
片伯部: ベビーブレスの体験の後で、体験を裏付ける証言があったのですね。子供は親の期待に一生懸命に沿おう
とする。ましてや、その裏には命がかかっていたということですね。
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●【傷が分かってガッカリと見上げた空の青さの気持ちよさ】 |
林: 自分の出生の秘密を見抜いた感覚が当たったのは嬉しいが、「やっぱりか」とがっかりしました。うすうすはがっかりしていましたが、拍車をかけてがっかりしました。でも、そんな自分の一番深い傷が分かってから、空を見上げると空が青いんです。自転車に乗ると、風が気持ちいいです。
片伯部: 底が抜けたような気持ちよさなんですよね。気持ちがいいなんて、不思議です。
林: 片伯部さんの胎児期の体験はどうですか。
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●【陣痛促進剤 早産 保育器】 |
片伯部: 事実として分かっていることとして、私の母親は、妊娠や産まれての赤ん坊に嫌悪感のようなものを抱いていたような様子があったことです(母親がそうなってしまった理由も、ある程度分かっているのですがここでは省きます)。また、私の姉は生後数日で亡くなっています。オッパイを吸う力がなかったということです。私を妊娠したとき、母親は妊娠の辛さに耐えられず、陣痛促進剤を使って、2ヶ月早く私を早産しました。未熟児となった私は、そのころ故郷の街では一台しかなかったという保育器の中に入れてもらいました。医師が「もう助からないかもしれない」という危機があったようです。
それと、私が意識できる私の中に存在する心理的なトラブルには、林さんが命名してくれた「不全感」がありますが、その中でも私にはとんちんかんさがあります。中途半端や優柔不断の親戚のようなものです。自分の本音と一致しない生を生きている感じです。悩み続けました。なんだろうなと思っていました。
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●【生まれてくること自体が「とんちんかんなこと」】 |
ベビーブレスでは、産まれてくること自体が「とんちんかんなこと」だったような感じがしました。本当は未熟児のまま体力が無くなって死んでいくことがとても自然だったのです。何も治療しなければそのまま逝っていたのです。産まれる頃に自分が選択していたことは、死そのものでした。迷いはありませんでした。ところが、どういうわけか「産まれてしまった」のです。イメージとしてでてきたのは、山の上の分水嶺です。稜線の向こう側(死)に行くのが自然なのに、こちら側(生)に自分の身体が転がり落ちて、仕方がないから自分もついてきたような感じです。向こう側に行くのが本音でした。こちら側へ来たことがとんちんかんでした。
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●【山の上の分水嶺=生と死のアンビバレンツ】 |
そのとんちんかんさで、ずーと生きてきていました。本音は死なのに、現実には生きているから何とか生きようとする自分がいるのです。その二つに両側から引っ張られて、私はいつも中途半端でとんちんかんです。生と死のアンビバレンツのうちもう少しで満たされそうだった死の方が、肩すかしを食らって、未だに私を引っ張っているようなのです。
そのことが分かったのは私にはとても大きなことでした。
林: 2人の体験には、胎児期に大きな傷を得ているという共通点がありますが、この共通点は深い悩みを持つ多くの人にも共通するようです。
乳児期が人間に大きな影響をおよぼすと言うことは割に一般的かもしれませんが、ベビーブレスでは、さらに胎児期を重要視しています。胎児に感じたり体験したりする能力があるというのは、ベビーブレスでの自分たちの体験や参加者の体験からは、当然のように感じますが、科学的には一般的に言われているのでしょうか。
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●【胎児の能力】 |
片伯部: 胎児の能力を、普通に考えるよりも非常に高く評価する研究などはあるようですし、胎児にも感覚や意識や記憶があるという文献もあります。
まず、精神分析家で精神科医のハリー・スタック・サリヴァンは、子宮内の胎児には出生以前にすでに、高度に統合された活動が起きていて、この活動は全身反応とするほうが健全であり、したがって両親などの重要成人よりなる周囲の人的環境が強力な影響力を行使する、といっています。【A】p260
また、精神分析家の木田恵子は、無意識の内容は必ずしも抑圧されたものばかりではなく、胎児が何か感じる力ができる頃からのものもそのまま保存されており、まるで皮袋の中に入れられたビー玉のようだといっています。【B】p15
また、前ハーバード大学講師で精神科医のトマスバーニーは、胎生4ヶ月で光に対して敏感になり、母親のお腹に向かってライトを点滅すると、胎児の心拍数が著しく変動した例、母を悲劇的なストレス(夫が事故で亡くなった)が襲ったときに、激しく暴れた胎児の例を紹介しています。【C】p31、p80
また、アルバート・アインシュタイン医科大学の教授で、国立衛生研究所の脳研究班のチーフを務め、『脳研究』という定評のある雑誌の編集長もしているドミニック・パーパラが行った研究で、胎児に意識が芽生えるのは胎生7~8ヶ月で、そのころ脳の神経回路は新生児とほとんどかわらないくらい進歩しているとする研究を紹介しています。【C】p33
さらに、彼は胎児に記憶があるという実話や研究も複数存在することを報告しています。
例えば、パリ医学校で言語心理学を教え注目すべき論文や著書をいくつか発表しているアルフレッド・トマティス教授の治療経験によると、自閉症にかかったフランスの4歳の女の子が、治療の過程で英語を話し、そのたび毎に治っていったが、この英語を彼女がいつ覚えたのか不思議がっていたところ、実は、彼女が胎児のときに母親の勤め先の英会話を聞いて覚えていたらしいことが判明した、ということです。
また、交響楽団の指揮者が、あるとき突然にチェロの旋律が譜面を見なくても頭に浮かんで来ることがあったが、その曲は、実は彼が母のお腹の中にいたときに、母がいつも引いていた曲だったことが判明したそうです。
さらに、チェコスロバキアの精神科医であるスタニラフ・グロフ博士は著書の中で、ある男性はある薬を飲むことで、自分が胎児だった頃のことを思いだすことができたが、あるとき、カーニバルで鳴らすトランペットのかん高い音が聞こえ産道を通る体験をした。そしてその後、男性の母の話で、カーニバルの興奮が彼女の出産を早めたことが判明した、としています。
さらに、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールド博士が証明したところによると、電気的な脳へのショックにより、患者が長い間忘れていたことを正確に再体験でき、その時に感じ理解したことを再び感じ取った、ということです。
また、デービッド・B・チーク教授は、ある研究者が分娩にたちあった4人の子供が大人になった後に、催眠状態で思い出してもらった出産時の生まれてくる姿勢が、4人とも分娩記録と一致したという実験を報告しています。
トマス・バーニーによると、胎児が記憶を獲得する時期には諸説があって、胎生3ヶ月になると胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが時たま現れるというのや、胎生6ヶ月から記憶できるという研究者や、少なくとの胎生8ヶ月にならないと記憶する能力は備わらないとする研究者もいるといっています。
【C】p18、p28、p34、p102、p110から111
林: 胎児にそのような高い能力があるということに否定的な意見もあるのでしょうか。
片伯部: あります。 フロイトの時代は生後2、3才にならなければ深く感じたり体験したりはできない、と思われていたようですし、【C】p21 トマス・バーニー自身も、1950年代に勉強した医学では、新生児は思考を持たぬと教えられた、と回顧しています。【C】p172 胎児などはとても、とても、ということでしょう。
林: 仮に、胎児に感じたり体験したりするような高い能力があったにしても、母親の気持をどのようにして感じ取るのかの説明はできるのでしょうか。
片伯部: バーニーによれば、胎児と母は相互のコミュニケーションを、3つの回路でとっているといいます。
一つは、ホルモンを介する相互作用
二つは、動作による相互作用
三つは、共感による相互作用です。
一つ目に関しては、アメリカの生物学者で心理学者でもあるW・B・カノン博士により、ホルモンの一種のカテコールアミンという物質が胎児の恐怖や不安を引き起こすことが証明されたことを報告しています。【C】p36
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●【育て直しの段階】 |
林: 胎児期の恐怖や不安を観るのはとても辛いことですね。ベビーブレスを続けてくれているある人は、あんまり辛いから、誰かが自分の代理でベビーブレスをやってくれるものなら何十万円でも払うといってましたが、本当ですね。
片伯部: それでも自分の傷の全容を観るというのは、自分の成長にとても役立ちますから、続けるのですね。しかし、胎児期の傷まで行くと、自分という「個」というか自我が出来てないので自分の傷に耐える力がなくなってくるという問題がありますね。「よしわかった、では私はしっかり生きて行くぞ」というのは、アンビバレンツ期(生後6ヶ月以降)より新しい時期の傷では起きるけれど、より深い前アンビバレンツ期(生後6ヶ月以前)より古い(胎児期を含む)時期の傷ではそうは、なかなか行き難い感じが出てきます。自分を育て治す段階ですね。育て直しというサポートが要るようです。
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●【自分を再構築し修正するには】 |
林: もちろん、アンビバレンツ期より新しい時期の傷でも、自分の傷を観て、それを本当に受け入れるまでには、激しい感情の起伏を経験したりします。が、前アンビバレンツ期より古い時期の傷では、感情の起伏という程度では済まなくて、得体の知れない不安を味わわなければならなくなる。耐えられない感じですね。
この「育て直し」は、自分の傷の全容を観て受け入れ、やがて自分を再構築し修正することを言うと思うのですが、そのためには、育て直しを見守ってくれる誰かが要るようです。信頼の置ける人、自分自身、その人が信じる宗教の教祖などでしょうか。
片伯部: 本当に心理的に耐えられないときには、誰かに頼りたくなりますが、そのことと関係があるのかも知れないですね。しかし、誰かに頼って失敗したり、思想や主義の問題が入り込む可能性がありますね。
林: それは、自分の深い傷を本当に認識しているか否かで決まると思います。深い傷を観ることができなければ、自分の人生を更におかしくしてしまう事にもなりかねません。その可能性を少なくするには、その「誰か」は具体的な存在ではない方がいいのかもしれません。
片伯部: 育て直しに有効な手段として、自分達では胎児風呂と呼んでいるフローティングなどを、今、研究中です。
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●【子育ては自分育て=毒入り饅頭にならないように】受け入れきれない傷の深さ |
林: それと、わたくしごとになって申し訳ないのですが、自分の子供を、まるで自分自身を育てるように育てることを今やっています。私の子供の尚枝には、本当のことを言いたいのです。尚枝はもらわれた子供ですが、そのことは親子の間ではオープンになっています。自分の場合には、母が本当のことを言わなかったのです。もちろん、母にしてみれば子供である私を傷つけないようにするための思いやりだったのでしょうけれど、その思いやりは私にとっては「毒入り饅頭」になってしまいました。長い間、わけが分からず苦しみました。本当のことを子供に言うことは、最終的には子供を傷つけないし、その上に自分が癒されます。
誤解してもらったら困りますが、思いやりが無用だということではないのです。思いやりの問題ではなくて、本当の自分の気持ちが分かっているかどうかということです。本当のことが分かっていないと本当のことは伝えられません。
片伯部: 本当のことを言われてショックはショックだろうけれど、結局は自分をつかみやすい。本当の本当を知っていれば、自分自身の人生を取り戻しやすいということですね。
林: そうです。親を怨む、怨まないの話ではないのです。自分の人生を取り戻せるかどうかの話なのです。
片伯部: 自分自身の全体を観るのは、本当に苦労しますが、それだけの価値はあります。
【A】【分裂病は人間的過程である(サリヴァン)みすず書房】
【B】【子供の心をどう開くか(木田恵子)太陽出版】
【C】【胎児は見ている(トマス・バーニー 小林登訳 詳伝社)】
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