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●【数千円分買ってきた食品を一度に食べて、その後吐く】
●【デブといわれて「痩せてやる」と拒食】
●【高校一年のころ食べないことに耐えられなくなり、過食嘔吐】
●【お風呂で吐くと音や臭いが消せる】
●【25歳のときに「自分はおかしい」】
●【食べ物を吐いているような自分は絶対受け入れてもらえない】
●【告白して結婚】
●【育児に追われ、過食嘔吐の時間がなく、子供に怒りが向く】
●【子どもが人を殺すようになるぞ】
●【親やセラピストに頼るな】
●【本気のブレス-子どもへの殺意】
●【母からの殺意】
●【存在否定は胎児期から】
●【しばらく吐かずに済んだ-突然戻る】
●【さらに深い気付き-自分自身へ】
●【深い傷を見ていくうちに、いつのまにか吐かなくても大丈夫に】
●【乳幼児期】
●【原因を観る勇気】
●【あきらめてから始まった】
●【太った自分は本当に醜いのか】
●【本当に醜い自分を隠す-怨みと復讐】
●【それは母親に対する恨み】
●【知りたかった】
●【現在の本人から見た両親】
●【近況-自由を感じ毎日がすごく大事な時間】 
●【数千円分買ってきた食品を一度に食べて、その後吐く】
林: 山下さんは摂食障害で長い間苦しんできましたが、ここしばらく私担当のカウンセリングとセラピーを辛抱強く受けられ、最近なにか一皮むけたかのように御自分のことを深く理解されるようになってきました。この理解は人間に共通の部分を含むように思えます。今回、客観的にまとめる意味もあり、片伯部のインタビューを通して御自分を語っていただきます。

片伯部:
 どんな摂食障害ですか。

山下:
 数千円分買ってきた食品を一度に食べて、その後吐きます。吐きやすい食べ物を選んだり、水分を入れてから吐くようにします。お風呂で吐くので臭いや吐くときの音がばれませんし、その後に身体も洗えるので身体の臭いも消せます。
●【デブといわれて「痩せてやる」と拒食】
<<病歴>>

片伯部:
 摂食障害はいつから始まったのですか。

山下:
 高校一年の頃です。

片伯部:
 十数年続いたんですね。何がきっかけでしたか。

山下:
 私は、産まれたときから体は大きく、中学二年のとき既に80キロくらいあり、ボスになってみんなを支配していました。ところが、ある日を境に逆転し、徒党を組んだみんなから「ふざけんなよ」と反発を食らいました。誰とも口をきいてもらえませんでした。学年全員からいじめられました。女子も男子も。デブと書いた匿名の手紙をもらいました。痛いところを突いてきました。そういえば親や姉妹にもデブといわれていました。私の家は、お兄ちゃん、お姉ちゃん、私、妹の4人姉妹でした。妹は痩せていてかわいかったです。比較されました。もっとも、親は店が忙しく子供に食事を与えっぱなしだったので、上二人も太っている時期がありましたが。
 そういう状況で「痩せてやる」と拒食になりました。1日1食とか、1日リンゴ1個とか。3ヶ月くらいで20キロくらい減りました。一番痩せたときは55キロくらいかな。顔が青くなっり、先生や親が心配して「食べるように」と言いました。私は「『デブ』の次は食べろかよ」と思い、テーブルの下から犬にあげました。
●【高校一年のころ食べないことに耐えられなくなり、過食嘔吐】
高校一年のころ、食べないことに耐えられなくなりました。友達に何となく話していて相談したら、その友達が、たまたま食べて吐く(摂食障害の)人で、「(食べたかったら食べて)吐いちゃえば」といわれて「えっ。どうやって吐くの」と聞くと、「指つっこんで」。そこから過食嘔吐が始まりました。
●【お風呂で吐くと音や臭いが消せる】
片伯部: 家族には何と言いました?

山下:
家族はもちろん誰にも絶対に気が付かれたくなかったので、トイレで吐きました。臭いとか気になっって。ところが、お姉ちゃんの勘が鋭く気が付かれそうになり「あんた吐いてんの?」と聞かれ「吐いてないよ、ちょっと気持ち悪くなっただけだよ」などとごまかし続けました。私が二十歳のときに、ようやく姉が嫁に行って家から出たときは、やっと自由に吐けると、ホッとしました。「よかった」。親は気が付いていたのかも知れないけれど何もいいませんでした。今思えば、仮に薄々気が付いていても、追求するのが怖かったのだと思います。
 いろんなタイプの摂食障害があると思うけれど、私は、食べるのを楽しむタイプで、長い時間をかけて食べます。そのため、消化が進み吐き辛くてなかなか出てこなかったので、吐きやすい食べ物を選んだり、水分を入れてから吐くようにしたら、吐くことが楽になりました。また、臭いがばれないように、お風呂で吐くようにしました。吐くときの音がばれないようにシャワーを流しました。その後からだも洗えるので身体の臭いも消せます。便利でした。つい最近までそうでした。排水溝が、よく詰まらなかったものだと思います。
●【25歳のときに「自分はおかしい」】
片伯部: どのくらい食べるんですか

山下:
 一回に三千円分くらい、一気に食べてしまう。商売で店をやっている親の金を盗んだり、バイトで働いたお金はほとんど消えました。お金の工面が大変でありた。ばれないようにお金を盗んで、ばれないように食べて、ばれないように吐かないといけなかった。夜中に食べはじめて終わるのが朝の6時くらいになる。

片伯部:
 いつ頃まで続きましたか。

山下:
 私が二十四歳の頃に姉が離婚して家に戻ってきたのですが、その頃に、ある友達に電話で告知しました。いろんな話をしているうちに隠しておくことが辛くなって。その友達は、実は気が付いていたが「言わずにいてごめんね」と言いました。非難されると思っていたのに「ごめんね」と言われて嬉しかったです。

片伯部:
 誰にも知られると嫌だったんだけれど、その友達には知られていて嬉しかったんですね。

山下:
 そう。そして、私が25歳のときに、はじめてライフリーディングを受けました。そのころ、誰かに話したくて、いろんなところで自分の話をして、よく泣いた。自分のことが話せるのが嬉しかった。親や姉妹にも告知した。自分はおかしい、自分のことを大嫌いだ、いつも死にたいんだ、病院に入れてくれ、といいました。
過食嘔吐を繰り返す。
●【食べ物を吐いているような自分は絶対受け入れてもらえない】
片伯部: 言えなかったのは、どういうことだったのか、話してくれますか。

山下:
 自分を受け入れてはもらえない、100%ダメだ。醜い、食べ物を吐いているような自分は絶対受け入れてもらえない、と思っていました。鶴の恩返しの物語と同じに、吐いている自分は絶対に見て欲しくなかった。吐き終わったら元気な私で戻ってくるから。いつもそういう気持でした。
【摂食障害を治さなくてはいけないと言う気持ちにはまり込み、益々ひどくなる】

片伯部:
 話せて少し楽になりましたか。

山下:
話せるのはよかったが、摂食障害を治さなくてはいけないと言う気持ちにはまり込むようになって、その障害は益々ひどくなりました。愛情が欲しくなり、愛情をもらえそうな施設に行ったが、なぜか益々寂しくなってしまった。今だから分かるのだけれど、食べ物も、人からもらえる愛情も、どちらも本物ではなく、私は偽物から偽物を渡り歩くことをしていた。母親に話をしても、本当には分かってもらえず寂しかったんです。悩んでいる人の相談に乗っても、寂しい。人の相談に乗っている状態ではないのに、大丈夫な自分を演じてしまう。なんでこんなに寂しいのだろう。
●【告白して結婚】
片伯部: そのころ結婚したんですか。

山下:
 私が28歳のときに結婚しました。寂しさもあったし、彼は子供が欲しかった。彼には摂食障害のことは告白し、他人と一緒に住むことにも自信がないと言いました。彼はそれでもいいと言ってくれました。私は、身体は健康だったこともあり、その期待に答え、すぐに妊娠しましたが、妊娠中も吐き続けました。そして宇太が産まれた。

片伯部:
 ご主人の理解があったんですか。

山下:
 幸いにして、彼の職場は忙しく家にあまりいないので、自由に過食嘔吐ができ、かさむ食費も彼の給料でなんとかなりました、月に十万円は軽く越えますが。あればあるだけ使ってしまう感じなんです。彼は細かいことを詮索しない人なので助かりました。
●【育児に追われ、過食嘔吐の時間がなく、子供に怒りが向く】
ところが、宇太の育児に追われて、自分の時間がなくなり、過食嘔吐の時間がなくなってしまったんです。子供に怒りが向いてしまった。宇太はものすごくしがみついてきた。今思えば当然なんですが、宇太はなかなか寝なかった。安心できるはずがない。でも私は苦しくて仕方がなかった。生後10ヶ月の頃まで、苦しくて、産まなければよかったと思いました。食べて吐くことは、自分にとってこんなにも大切なことだったのがわかる。自分に欠けた愛情の隙間を埋める作業だったようです。子供(宇太)はその作業を邪魔する相手だったんです。憎らしかった。とても子供に愛情をかけられるような状態ではありませんでした。
【死にたい】
真剣に自分が死にたくなりました。その場から逃げたくなり、毎日朝起きる度に「死にたい」と思いました。1日を過ごすのが苦痛で、子供の泣き声にうんざりしました。この生活から逃げるには死ぬしかないと思いました。
●【子どもが人を殺すようになるぞ】
片伯部: 子供への怒りのようなものが、今度は自分にきたんですね。

山下:
 そう。それまでは、仕事でも恋愛でも、嫌になれば親元へ逃げればよかった。逃げ道があったんです。今回は違った、本当に苦しかった。
 そこで、再びセラピーを受けることにしました。結婚する前もブレスなどのセラピーを受けていたが、セラピストから評価されたくて、本当でないセラピーをしていました。もうあのブレスはしない、と宣言した。やっと本気になれた。
 母親のことがどれほど子供に影響するのか現実のものになったんです。親と自分のことは今までのセラピーでも出てきていたが、今度は実際の現実で自分と宇太のことを、自分自身の体験として味わった。本当に死んであきらめられるのか、自分のこれ(摂食障害のもととなる原因)は、全部が宇太に(伝達して)いってしまうぞ。私が死ぬのは勝手だが、宇太は人を殺すようになるぞ。そう思えたのは、一昨年の10月のことでした。
●【親やセラピストに頼るな】

片伯部: 本格的な自分探しのスタートということですね。

山下: はい。そのころ、宇太と二人きりになることが怖かったので、実家にほとんど毎日、車で通って、ご飯を食べ、実家の風呂場で嘔吐をしていました。大量の食事は車の中で摂り、風呂に入っている間は両親に宇太の面倒を見てもらいました。

林: そのころ転機がありました。当時、私から見ていて、山下さんは自分のことをやれる力が形成されてきたにもかかわらず、本当の自分に向かっていない感じがありました。親にも頼り、私にも頼っている感じがした。そこでセラピーを「止めよう」と提案しました。

片伯部:
 イチかバチかですね。

山下:
 それまでにも実家に通う回数を減らすことを勧められていたが、1~2日我慢すると、もうダメだった。できなかった。提案は、ギョッとしたが、今思えば、そんな強い言葉を言われたかった感じもした。

林: 彼女は提案を受け止める感じが見て取れました。

●【本気のブレス-子どもへの殺意】
山下: その後のブレスの中で宇太への殺意が出て、(イメージの中で)彼をぶん殴って殺しました。邪魔しやがってお前なんか産まなければよかった、って。そんな怨みが自分の中に隠れていたということは恐ろしいことでした。後で分かったんですが、私が怖かったのは、宇太と一緒にいたら、私のその気持ちが出てくるということでした。それが怖いから、実家に逃げていたようでした。
【子どもと一緒に居られるようになる】
 それから1ヶ月、実家には行かなかった。林先生になぜ喜ばないの、といわれたが、ヤッターという気にはならなかった、自然にできてしまったんです。それまでとは違い、宇太と二人でいるのが楽しかった、一緒に散歩をしたり、食事をしたり。それまでの、宇太と二人でいられない理由が分かったので、私の邪魔をする相手を殺したかったというのが分かったので、一緒にいられるようになった。

片伯部:
 過食嘔吐にも変化があったのでしょうか。

山下:
 いいえ、過食嘔吐自体がなくなったわけではありませんでした。宇太が寝付いた深夜に、でなければ、会社から帰宅した夫に宇太の面倒を見てもらっている間に、過食し風呂場に入ってシャワーを流して嘔吐しました。

片伯部:
 自分の深い部分の殺意が分かって、子供との関係が改善されたと言うことですね。

山下:
 そう。宇太に対する殺意が分かり、自分に対する殺意(自殺願望)が分かった。
●【母からの殺意】
<<母からの存在否定(殺意)>>
しかし、その後で、もっと重要なこと、母に自分も同じことを思われたということを感じた。私は母親に「死ねっ」と思われた・・、感覚として分かった、確信した。そのため、殺意は初めから私の中にあり、それを出さないようにしていたが、出てしまうと、宇太や自分自身に向かった。そのことが分かったのが、昨年の夏です。
その後で、実際に母親に何となしに聞いた。「あたしのこと殺したいと思っていた?」って。母のことだから絶対に否定すると思っていた。ところが驚いたことに否定しない。「まあ・・いそがしかったしねえ・・・、思ったこともあるかもねえ・・。」

この、母に聞く前に、実は、母は私と一緒にブレスをしてくれたことがあります。そのときの自分でつけた記録によると、母に身体を触れられても、決してガンとして甘えられない自分がいて、甘えることなど絶対にやってはいけない、怖い、と感じ、多分、私がお腹の中にいるときに母はそう思わせる気持ちでいたはずだと、書いてあるんです。また、このときの母親の感想が、私の「手が冷たい、体が固い、申し訳ない、ずっと親子で話していなかった、怒ってばかりいた、反省した、この子が産まれて幸せだったのか、産まなければよかったのか、と感じた」とある。今、記録を読んで「えっ」と思い、納得がいくことなんです。
母が私への殺意を否定しなかったことを、やっぱりなあ、言ってくれてよかった、と思います。
親子カウンセリングに協力してくれたお母さんもつらかった。
●【存在否定は胎児期から】
片伯部: そのころ摂食障害に変化がでてきたんですね。一時的ですが吐かなくなったんですね。 山下 そう。その後にフローティングセラピーを受けるようになるのですが、それも大きいのかもしれません。
 フロセラでは、初めの頃は3時間くらい寝ることができたので、胎児期はよかったのかと思っていました。ところが、回数を重ねる内に気持ちよくなくなって、眠れなくなって、とろとろする程度になり、ソワソワする感じが出てきました。 フロセラのお湯から出たくない、助けを求めるようにセラピストに来て欲しいと思うんです。私は、吸引分娩で生まれたせいか、初めの頃のブレスでも必ず頭が痛くなっていたが、フロセラでも頭が痛くなってきた。自分の意志で出たいのに、無理に出された感じ。実は、母は父の支配のもとで依存して生きている人で、医者のいうことにも自分をゆだねてしまい、言われるままに吸引分娩をOKしたようです。そのことに私は傷ついたのです。
 そして、本当は生まれてくることを否定されてきたのではないか、母親が無意識に思っているのを私がジワーと感じていました。寒くなる感じです。
●【しばらく吐かずに済んだ-突然戻る】
この時期に、20日間吐かずに済むことが起きました。

片伯部:
 私も報告を受けて喜びました。しかし、一時的だったんですね。

山下:
 そう。無理がありました。どこかでセラピストの評価を気にして頑張っていたんです。20日後に、過食嘔吐が突然戻りました。
●【さらに深い気付き-自分自身へ】
その後のブレスは胎児をターゲットにしました。「お前なんか死ね、死ね、死ね・・・」とやりました。自分です。しかし、感情はなく、誰への殺意ということでもない。ひからびる感じでです。私の本当の傷は、吸引分娩ではなく、ここの部分(対象のない殺意)だったのです。
●【深い傷を見ていくうちに、いつのまにか吐かなくても大丈夫に】

<<変化>>
その深い傷を見ていくうちに、いつのまにか吐かなくても大丈夫になっていった気がします。他人の評価は関係なく、太ること(吐かなければ太ってしまうという恐怖がある)がOKになってきました。醜くてもOKということです。自分が本当に醜いのか確認したく知りたくなってきました。本当に醜いのか(言葉を換えれば、「受け入れられない」のか)試してみたい、試せる感じになってきました。
 今は、ご飯はてんこ盛りで2杯くらい食べます(過食とは言えない)。満足するまで食べることにしています。我慢しないことに決め、お腹がすいたら食べます。吐いていません。

片伯部:
 過食嘔吐ではありませんね。

山下:
 そう思います。

●【乳幼児期】


片伯部: 中学の頃からの話はうかがいましたが、それ以前の話をお願いしたいのです。赤ちゃんの頃はどうでしたか。

山下:
 オッパイはもらえませんでした。ミルクも、ほ乳びんをタオルで支えて一人で飲まされたようです。6歳の姉はその光景をものすごいと思ったようです。母は近くにはいませんでした、店が忙しかったからです。4人姉妹は誰もオッパイでは育っていません。
 食べ物は豊富にあった、ドンと置いてありました。自由というか、野放しで、子供だけで食べました。休みの日はカップラーメンとかです。

片伯部:
 食べ物はせめてもの親の愛情の表現かも知れないし、それで食べ物に走ったのかも知れないですね。

山下:
 そう。唯一の愛情なんです。私の親にとって、「健康」というのはは体の健康なんです。おかげで身体は大きく健康に育ちました。心は別。
 私は、父親には支配されたが、かわいがられました。「俺のいうことを聞け」という感じです。そして、病院に行くような病気をすると父はやさしくしてくれました。小学4年から授業をボイコットしたりしました。寂しくて小学校から学友を支配しました。父の影響でしょうか。病気のときの優しさが忘れられずに、(摂食障害という)病気になっているのかも知れません。病気が治ってはいけなかった、治ったら優しくしてもらえないのです

●【原因を観る勇気】
片伯部: 深い病気だといわれる摂食障害に正面から取り組んで、自分の深い部分を探っている様子がうかがえますが、今、御自分のこと、摂食障害のことをどう思いますか。

山下:
 (摂食障害などには)必ず理由があるので、そこを見なければ自分は変わらないと思います。摂食障害と名前が付いているからそこ(過食や嘔吐)にはまりやすいが、しかし、それほどそこはポイントではない。たまたま食べるということが欲求の一つで、(自分が気づき始めたことに比べて、それほど)深い意味はないように思います。
●【あきらめてから始まった】
片伯部: 病気の原因を探るのは困難な作業だと思いますが、うまくいった理由は?

山下:
 あきらめてから始まったんです。摂食障害がどうなろうとかまわない、そこからがスタートだった。食べたければ食べる、吐きたければはく、自分を解放する、そこからがスタートでした。
 そして、自分の病気には原因がある、それを見る勇気が必要だ、それができれば、結果として治るかも知れない、そう(思うように)なったのは1年くらい前です。セラピストに捨てられそうになってから。それでよしと思った。
●【太った自分は本当に醜いのか】
今、過食というほどではないが、食べることを制限しておらず吐いていないので、徐々に太っている。宇太を産んで痩せたときは62キロだったから、今は7キロくらい太って68~69キロくらいになっている。自分が本当に醜いのか試している感じです。毎日計って、どのくらい太るのだろうと、直視している。

片伯部:
 太ることイコール醜いこと?

山下:
 そう。太ってもいいよ、と自分を許しているんです。昔はできないことでした。前に20日くらい吐かなかった後で突然に過食嘔吐が戻った時期は、太るのは怖かったから、食べるのはセーブしていた。今回は淡々とできそうな気がします。もっとも、また戻るかも知れないし、うまく行くかも知れないし、分からない。

片伯部:
 太って「醜い」と「評価」はつながっているのですね。

山下:
 そう。醜いと評価されない。評価されるためには、外見が綺麗でなければならない、スラーッとしていなければならないし、目立たなければいけない。太っていることは醜いことだという妄想を経験してみたいと思った。(自分が太った姿を)なんて醜いんだろう、って、いつ決めたんだろう。
 前に話したように、小学から中学になるころ80キロくらいあったので、そのころまで戻ってもいいと思ったし、醜いと思っている自分を見たいと思った。そのくらい太ってもいいやと思ったんです。ゆるいズボンをはいて、許そうって。
毎日、食べて、吐かないで寝て、起きて体重を計る、自分には現実と向き合うという挑戦の意味があるんです。朝起きると、「20キロくらい太ったのではないか」という不安と妄想がある、マシュマロマンのように太るという妄想があるんです。昔は妄想はもっと強くて、鏡で自分の顔を直視できなかった。
●【本当に醜い自分を隠す-怨みと復讐】
片伯部: 外面的な醜さは本当の醜さではなかった?と言っているように聞こえるんですが。

山下:
 外面でなく、本当に見にくい自分を隠していたんです。ずっと。恐ろしいほどの怨みと復讐があることを(他人に)知られたくなかった、絶対に。だから醜いのは、太っている自分だと思い込んでいた。だから受け入れてもらえない というふうに誤魔化していた。人に対する怨みがこんなにもある、人に幸せになって欲しくない、自分に関わりのある全員に対して。一人に対してではない。姉妹、親、友達、自分の子供も。それを私は知らなかった、今まで気が付かなかったことが恐ろしい。

片伯部:
 「摂食障害」を問題にしていれば、その本当の恐ろしさに触れなくて済む防波堤となる?

山下:
 そう。だから、太ってもいいと思った瞬間に、これ(怨みと復讐をかかえているという醜さ)が出てきた。この醜さは、太ることなんてものの比ではない。自分さえ幸せになればいい、後の人はみんな不幸でいいんですから。
●【それは母親に対する恨み】
片伯部: その本当に醜い怨みがどこから来るかというのは分かってきたのですか。

山下:
 母親に対する怨みです。「ぶっ殺してやる、産みやがって。お腹の中にいるときに自分の存在を否定しているのに、産むんじゃねえ、このやろう}って。産まれてきて醜い自分、「ざまあ見ろ」。ずーっと病気(摂食障害)でいたかった、「こんな私になっちゃった、ざまあ見ろ」と言う感じ。ざまあみろは、世間にも、自分にも、親に対してもある。でも親に一番に言いたかったこと。「世間様に言えるか、お前の娘はノイローゼだぞ」それが長い間病気でいなければならなかった理由だった。治ってはいけなかった。
 その怨みがこれほどとは思わなかった、全ての人に対するすごい怨み。復讐が、私のかわいい宇太に出たので(ことの重大さが)わかりやすかった。自分のことが怖いなあと思い、身体が震えました。
●【知りたかった】
片伯部: よくやりましたね。

山下:
 知りたかった、醜い自分を知りたかった、原因を知りたかったんです。自分のことを探るのは、手探りでした。いいブレス(セラピストに気に入られるセラピー)をしていないか、本当に知りたいのか自分に問宇太。病気を治すというような薄っぺらいものではなく「知りたかった」んです。
 蓋を開けるというか、まだ(自分は)隠しているのか(宇太に対するだけではなく全ての人に対する怨み)というのを実感しました。もっとあるんじゃないかと探る自分、感覚的なもの、それが頼りでした。例えば、これは母親に対する怨みで前にも一度出てきた、などいう頭の理解は、深くはいるのに邪魔をします。そして、あきらめないことが本当に原因を知る助けになる、そうやってやり続けて、今、自分の症状が許せています。
 少し前までは、自分の病気はずっと治らず、おばあちゃんになっても吐いているという感じがしていたが、今は治るという予感がしている。
 摂食障害というのは、名前だけのことで、本当のことは奥が深い、症状が食事に出ているだけであり、状態は百人百様だろうなあと思う。自分はたまたま摂食障害として出てきただけです。
●【現在の本人から見た両親】
<<現在の本人から見た両親>>

片伯部:
 今になって御自分の両親をながめてみてどんな感じがしますか。

山下:
 父は、支配が強くて心の話や過去の話には価値を認めない人で、ひたすら将来へ向かって働く人です。しかし、病気になって弱った父に、はじめて洗いざらい手紙を書くことができました。父は2歳のころに実家に預けられ、父の母が迎えに来ても後ずさりしたといい、そのころの父の心の傷がそのままなので、私は苦労する、というようなことです。病室の父は「手紙をありがとう」といってくれた。しかし父は過去を振り返ることなく、亡くなっていくだろうなあ、と思います。
母は、依存が強く、父に逆らって店よりも自分達子供を優先するというようなことはできなかったようです。4人も子供をもうけたのに、今、自分が宇太と味わっているような、自分の子供と心から一緒にいられる幸せを全く味わっていない。可哀想な人だと思う。私の母への怨みは深く、勇気はいるが、今からも掘り下げて自分を取り戻したい、と思います。
●【近況-自由を感じ毎日がすごく大事な時間】
<<近況>>

山下:
 今日の朝、宇太が熱をだしました。今までは宇太は、病気になるとすごくぐずって、1日中オッパイに、かじりついていました。私は、宇太が病気になると、宇太はつらいのに、心配するどころかイライラばかりしていました。今日は、イライラはなく、宇太はぐずらず、宇太と一緒にいるのが楽しくて、かわいくて、かわいくてしかたなかった。私は、宇太が生まれてからずっと2人で居ることを避けていたので、今、その時間を取り戻しているんです。毎日が、すごく大事な時間なんです。
 宇太は、熱が39度もあるのに、全然ぐずらず、1日中私と、べったりしていました。私が、宇太に「ママねー宇太がかわいくてしかたがないんだー、だから宇太の事が、心配でしょうがないの・・・。」と言ったら、ボケーとした顔で、ニコ(^.^)っと笑っていました。こんな風に、宇太と病気の時の時間を過ごすのは、初めてでした。意識と、自由を感じています。突然の事が起きても、不安にならないんです。今まで、いろんな物にしばられていたから、かえって今すごく自由を感じます。なにより、宇太をかわいいと思える気持ちが、嬉しいんです。
宇太くんと笑顔の美和さん。
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