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 『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む

「今年は今朝から雪に成りましたが、其のみぎりは、忘れもしません、前日雪が降りました。積り方は、もつと多かつたのでございます。――二時頃に、目の覚めますやうな御婦人客が、唯お一方で、おいでに成つたのでございます。――目の覚めるやうだと申しましても派手ではありません。婀娜な中に、何となく寂しさのございます、二十六七のお年ごろで高等な円髷でおいでゞございました。――御様子のいゝ、背のすらりとした、見立ての申分のない、しかし奥様と申すには、何処か媚めかしさが過ぎて居ります。其処は、田舎ものでも、大勢お客様をお見かけ申して居りますから、直きにくろうと衆だと存じましたのでございまして、此が柳橋の蓑吉さんと言ふ姐さんだつた事が、後に分りました。宿帳の方はお艶様でございます。
 その御婦人を、旦那――帳場で、此のお座敷へ御案内申したのでございます。
 風呂がお好きで……勿論、お嫌な方も沢山ございますまいが、あの湯へ二度、お着きに成つて、すぐと、それに夜分に一度、お入りなすつたのでございます――都合で、新館の建出しは見合せてをりますが、温泉ごのみに石で畳みました風呂は、自慢でございまして、旧の二階三階のお客様にも、些と遠うございますけれども、お入りを願つて居りました処が――実はその、時々、不思議な事がありますので、此のお座敷も同様に多日使はずに置きましたのを旦那のやうな方に試みて頂けば、おのづと変な事もなくなりませうと、相談をいたしまして、申すもいかゞでございますが、今日久しぶりで湧かしも使ひもいたしましたやうな次第なのでございます。

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