*同一プロダクション 2000/07/29 18:30 新潟:りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館
『主よ、主よ、主よ』、三度の悲痛な叫びによって始まるヨハネ受難曲。1723年4月7日
バッハがライプツィヒで迎えた最初の受難日礼拝は、このヨハネ受難曲によって行われました。彼はよほどこれを愛したのか、その後三度も再演し、その都度念入りな化粧直しを施しています。死の直前、1749年の生涯最後の受難曲演奏に取り上げたのも、やはりこのヨハネ受難曲でしたから、結局これは、ライプツィヒ時代の最初と最後を飾った記念すべき作品と言ってもいいでしょう。
受難曲とは、イエス・キリストの十字架とその意味について瞑想し、三日後の復活祭に備えるため、キリスト教会が古くから守ってきた礼拝音楽です。本来は福音書の受難記事の朗唱に由来していますが、18世紀にはアリアなどの自由詞を加えて、豊かで劇的な音楽作品に仕上げられていました。特にバッハは、聖書の内容を自分自身との関連において捉え、単に劇的な表現ばかりではなく、驚くべき様々な手法を使って、私たちへ力強い慰めのメッセージを送ってくれるのです。例えば、第1部の最後。ユダの裏切りによって捕らえられたイエスは、ユダヤの宗教裁判にかけられます。その裁きの庭に入り込んだペテロは、「あなたもあの人の一味だった」と指摘され、必死でそれを打ち消すのですが、3度打ち消した時、イエスの預言どおり鶏が鳴くのでした。イエスの言葉を思い出したペテロは、外へ出て激しく泣くのですが、この「激しく泣く」部分は、実は本来ヨハネの福音書にはありません。恐らくバッハ自身がマタイの福音書から借用したものと思われますが、ここに作曲者自身がペテロと自分自身を重ね合わせて、身を裂くような半音階的な慟哭を刻んでいるのです。マタイ受難曲と比較する
と、群衆の合唱に重きが置かれ、半音階的あるいは無調的とさえ呼びたくなるような激しい転調、跳躍、不協和音などなど、あらゆる手段を講じて、憎むべき私たちすべての罪をえぐり出すのです。しかし、激しいばかりではありません。曲がゴルゴタの丘に至って、第32曲のバスが歌うように、十字架の上で首を垂れるイエスは、そのことによって私たちの罪をあがない、すべてが十字架によって成就したことを示すため、黙ってうなずいているのです。そのことによって得られる平安こそ、バッハが私たちに残してくれた偉大なメッセージにほかなりません。
バッハ没後250年の今年、命日の7月28日を中心として世界中でバッハが演奏されていることでしょう。そして、現代にいたるまで、活き活きと生きているバッハの音楽が、世界の聴衆と共に、ここ新潟でも聴かれることは、本当に大きな喜びです。バッハ最後の受難曲演奏を記念して、私たちバッハ・コレギウム・ジャパンでも、その最終版によって演奏致します。バッハはこの最後の演奏に際し、1730年代に一旦省略した最後のコラール、つまり、いまわの時と永遠の命を希うコラールを、再び復活させました。これは恐らく、バッハ自身の死への予感がなさしめたことに違いありません。煙突のようなバロック・コントラファゴットやチェンバロを加え、ソリストも共に合唱を歌う受難曲の響きによって、皆様と共にバッハの世界に一瞬でも思いを馳せることができれば、これにまさる幸いはありません。
VIVA!
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