公演終了! '98、BCJの「ヨハネ受難曲」!


 ’98年のBCJ「ヨハネ受難曲」公演がついに終了いたしました! その感動のさめやらぬところ、FM放送、BSでのTV放送も行われましたので、この「ヨハネ」情報のリンクを録音や録画のお供としてご覧いただき、鑑賞の参考にしていただければと思います。(以下の中からご覧になりたい項目をクリックしてください。) 
 (98/04/14復活!) (98/04/26増補[11〜13]) (98/05/07増補[14]) (98/07/31一部更新) (00/07/23一部更新)


   1. ヨハネ受難曲第4版に寄せて (鈴木雅明さんから当HPのためのオリジナル原稿です!)
   2. ’98BCJの「ヨハネ受難曲」出演者表
   3. 聖金曜日の公演をNHKがTV収録・放映!(終了)
     *2000年7月の「ヨハネ受難曲(第4稿)」の演奏オンエアこちらをご覧ください。 
   4. 鈴木雅明さんから(チラシ掲載文)
   5. 第4稿での演奏について
   6. コントラ・ファゴットについて
   7. 第2稿のみの楽曲のレコーディングについて
   8. 佐倉プレ・レクチャー・レポート(第3回)
   9. 横浜レクチャーレポート 
  10. 「新BCJプラス1」の「ヨハネ関連情報」(掲載終了) 
  11. 「新BCJプラス1」の「それぞれのヨハネ」(掲載終了)
  12. BCJ第18回定期演奏会(ヨハネ受難曲)巻頭言 [95/04]
  13. BCJ第6回定期演奏会(ヨハネ受難曲)巻頭言 [93/04]
  14. 第4稿のスコアの見方



「ヨハネ受難曲」 

 1724年 4月7日、パッ八はライプツィヒの聖トマス教会に赴任して、初めての聖金曜日を迎えました。
 ライプツィヒでは、このキリスト受難を記念する最も重要な日に、聖トマスと聖ニコライの二つの教会で、毎年交互に受難曲が演奏されていたのです。バッハはこの日おそらく特別な思いを込めて、カントル(教会音楽監督)として最初の受難日用作品「∃八ネ受難曲」を聖ニコライ教会で演奏しました。
 この受難曲は、作者の思い入れがよほど深かったのか、パッ八はその後、生前少なくとも4回演奏し、その都度手を加えて改良を施しています。
「主よ、主よ、主よ」という3回の叫びから始まる「∃八ネ受難曲」は、その基となった「∃八ネの福音書」を反映して、合唱を主体とした、劇的な性格を持っています。福音史家のナレーションに乗って、残忍な十字架刑に引き立てられるイエスとその周辺での物語が、ひとつひとつ劇的に語られ、その都度その出来事を今改めて見る「私」自身の思い、「私たち」の悔い改めの決意が「アリア」と「コラール」に凝縮されるのです。
 こうして2000年に渡って語り継がれてきた十字架の物語は、今パッ八の音楽によって、時間の隔たりを超え、今なお我々のうちに湧き続ける「慰めの源泉」となることでしょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 鈴木雅明 
(チラシ掲載文:98/03/30)

「ヨハネ受難曲第4版に寄せて」

 周知のようにバッハは生前,ヨハネ受難曲を4回演奏しています。そのつど色々な曲を差し替えたり,音を書き換えたり,楽器編成を変えたり,と非常に大きな変更を行っていて,どれが果たしてバッハの本当の意図であったのかは,もはや分かりません。ただ問題は,現在通常の版として最も知られている版は,あくまで新バッハ全集の編纂者(この場合はArthur Mendel)と発行元のバッハ研究所の考えに基づいた折衷の版であって,バッハ自身はこの新バッハ全集のような形では一度も演奏していない,ということです。なぜそのような折衷案が採用されたかと言うと,この受難曲の中で,それぞれの曲について混乱した資料を丹念に研究し,資料として最もバッハの意図をよく伝えているはず,というものをつなぎあわせたからなのです。

 資料の混乱は,バッハがそもそも既成のパート譜を何度も使い,しかもその上に変更すべきことを,重ねて書き込んでいったことにあります。そしてさらに,1749年4月4日に演奏された第4版を再現しようとした時の問題は,その時実際に用いられたパート譜の大半が,1724年ないし25年の演奏に際して作られたものであり,さらに1728ないし30年頃のパート譜と,1739年頃にバッハ自身が書き始めて第10曲めで中断してしまったスコアがごく部分的に反映しており,しかも第4版のために新たに作られたパート譜もあると言うことです。その混乱ぶりは,例えば第7曲目のアルトのアリアなどの場合,コンティヌオパートのみがその前から存在していたパート譜上に1739年のスコアに従って訂正が施され,2本のオーボエとアルトソロのパートは,以前からのものをそのまま用いているのです。つまり,新バッハ全集の本文のところに記載されている楽譜のコンティヌオパートと,補遺に初期稿として記載されている2本のオーボエとアルトソロのパートを同時に演奏することによって,ようやく第4版の姿が浮かび上がってくるという具合です。

 実際注目すべきことは,新バッハ全集で最も重要な資料として最重視されているバッハ自筆のスコア(1739年)は,そのままの形では一度も演奏されておらず,最晩年1749年の4回目の演奏では,上述の第7曲めアリアなどごく一部のパート譜に反映されたに過ぎず,最晩年の演奏の再現のためには,第10曲目までは結局通常演奏されない初期稿を演奏することになる,ということです。
 第4版特有のチェンバロやコントラファゴットの導入,第35曲目の楽器編成(ヴァイオリンとフルートがユニゾンで演奏する)などは,すべて古いパート譜に書き込まれた書き付けや第4版のために作られたパート譜から証明されることです。
 チェンバロとオルガンの二重の使用は,ライプツィヒでは頻繁に行われたことでしょうが,例によって,チェンバロのパート譜が2部も残っており,それがすべての曲を含んでいるからといって,いつも両方を鳴らしぱなしにすることにはどうしても個人的な抵抗があります。この部分だけは,いつも私達が取る方法に従って取捨選択しました。概ね,エヴァンゲリストはチェンバロで,そしてイエスにはオルガンも共に,という原則にしたがっています。

 今回の第4版を通して,慣れない部分は多々ありますが,バッハは結局,1739年に自分の書いたスコアよりよい版を作り得たのではないか,と私個人は考えています。というのは,初期稿を使うことで生硬な部分もあるものの,多くの新鮮さを発見するからです。バッハの特別に愛したヨハネ受難曲であるからこそ,バッハの足跡をそのまま追ってみることが特別な理解へと導いてくれるのであろうと感じています。
  
 いずれにせよ,バッハが伝えようとしたメッセージはただひとつ,十字架のメッセージにほかなりません。ひとつひとつの音を紙に刻み付けるように書き込まれた最晩年の筆跡は,バッハの十字架のイエスに対する頑固なほどにひたむきな思いを伝えているように思えてなりません。この受難曲演奏の2ヶ月後には,「バッハ氏が死んだ時のために」と次の楽長のためのオーディションが行われました。バッハは既にそのような予測を生むほどに衰えていたのでしょうか。死を目前にしたバッハの最後の受難曲演奏の精神を,可能な限り皆様と分かち合いたいと願ってやみません。
 

バッハ・コレギウム・ジャパン 鈴木雅明 
(98/04/04) 

BCJ 第18回定期演奏会(ヨハネ受難曲) 
巻頭言    

 十字架とは,当時の最も残虐な死刑道具でした。ユダヤ人たちは,自分達の律法に従った石打ちの刑ではものたらず,ローマの官憲の手によってイエス・キリストを十字架につけさせたのです。「十字架につけよ,十字架につけよ」狂ったように叫ぶ群衆は,自分達がそのことによって,大いなる神の摂理を実行しつつある,などとは想像もしえなかったでしょう。「モーセが荒野で蛇を上げたように,人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ福音音3:12)とイエスは自ら預言して,すすんで十字架につかれたのでした。

 バッハは受難曲のあらゆるところに十字架を刻み込みました。「十字架につけよ」と群衆が叫ぶ音型はいうまでもなく明らかな十字架型ですが,その掛留の不協和音は既に曲の冒頭からオーボエに委ねられます。第2部のシンメトリックな構造も十字架を指し示し,その中心にある第22曲めのコラールは,ソプラノとバスの徹底した反行によってまた十字架を示唆しています。

 その十字架の意味は何であったか。本来ただ残虐な死刑を象徴するはずの十字架が,なぜキリスト教会のシンボルとなり,人々は喜んで十字架型のペンダントを下げるのでしょうか。それは,受難曲の中心に位置するそのコラールが述べるように,イエスの死が「犠牲の小羊」としての死だったからにほかなりません。

 バッハは,この作品を3回目に演奏をするとき,マタイ福音書からの引用とともに,最後のコラールも,省いてしまいました。恐らく,バッハは自らの個人的な感情を極力抑え,福音書に忠実な受難曲を目指したのでしょう。しかし,最晩年の再演では,ペテロの慟哭と神殿の幕が裂ける場面を再びマタイから引用し,最後のコラールも復活させました。この時バッハが既に自らの死を意識していたかどうかはわかりません。しかし.罪深きペテロと自分を重ね合わせ,その罪にもかかわらず,「時到らば目を覚まし,この目であなたにまみえさせて」(第40曲)くださることを願ったとしても不思議はありません。ですからこの受難曲はどうしても「安らかな憩い」(第39曲)で終わるわけにはいかないのです。

 「屠り場に引かれる小羊」、(イザヤ53:7)は,私達の病を担い,私達の痛みを負って,捕らえられ,裁きを受けて.命を取られるのです。しかし,また「屠られた小羊は,力,富,知恵.威力,誉れ,栄光,そして賛美を受けるにふさわしい方」(ヨハネ然示録5:12)となられるので,「私はあなたを永遠にお讃えします。」(第40曲)と歌わずにはいられません。

わたしは,そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。      
      『玉座に座っておられる方と小羊とに,          
       賛美.誉れ,栄光,そして権力が,           
       世々限りなくありますように。』             
       四つの生き物は「アーメン」と言い,長老達はひれ伏して礼拝した。            
                       (ヨハネ黙示録5:13)
 
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(95/04オリジナル)
(98/04/26掲載)

BCJ 第6回定期演奏会(ヨハネ受難曲)
巻頭言
 

バッハの音楽を愛する皆々様,本日はようこそお出でくださいました。

 もうかれこれ10年はど前,まだうすら寒い春の夕暮れ,ドイツ・フランクフルト近郊の教会に何気なく足を踏み入れたとき,中はもうすっかり暗闇でしたが,ふと気がつくと壁際の十字架にかかったイエス像が眼前にあり,その異様に引き延ばされ釘の刺さった手足に,思わず身震いしたことがありました。しかも,その手足には殊更丹念に血の滴りが彫り込まれ,はげ落ちた肌色の中で真っ赤な血の色だけが塗り直されていました。この木像は多分に粗悪でどう見ても品の悪い木彫でしたが,痛みに満ちた手足をわざとアンバランスに引き延ばし血の滴りを彫りこむところなど,イエスの苦痛から目をそらすことなく,目の前に見据えるドイツのキリスト教精神を目の当たりにした思いで,忘れることが出来ません。

 このイエスの受難物語は,古今数限りない芸術の題材となってきました。特にドイツ語圏における美術や音楽では,イエスの苦しみをそのまま自分のものとして瞑想させる写実的なものが多く,物語中の問答の一言一句,あらゆる拷問の描写,人々の裏切りと醜さ,イエスの苦しみのすべてを,細大漏らさず,描き切るのです。このヨハネ受難曲もまたその系譜の中の重要なひとこまであり,大変写実的な音楽であるといってもよいでしょう。

 一体,この受難記事はなぜかくも多くの芸術家を駆り立てたのでしょうか。それは,この聖書の記事が決して十字架上の『死』で終わるのではなく,復活によってその『死』が滅ぼされ,大いなる希望へと続く原動力となったからです。受難曲は常に,その3日後の晴々とした復活祭への希望を前提とした,見事なアンチ・クライマックスを形作ります。陰府(よみ)の国から神の国へ,暗闇から光へ,このドラマチックな転換が受難曲の目的に他なりませんが,それは同時に,ドイツの暗い冬から明るい春へ,という季節の転換と重なりあって,新しい『生』への期待となっていくのです。

 バッハ・コレギウム・ジャパンの新たなる一年を,三回にわたる『主よ』という叫びで始められることは,何と大きな喜びでありましょうか。皆様のご支援のおかげで,昨年度を好評のうちに終えることが出来ました。今年は一層の発展を期して,『モンテヴェルディ&バッハ』としてプログラムを構成致しました。モンテヴェルディなくしてはバッハもまたあり得なかったでしょう。17世紀イタリアの栄光は,20世紀の今日にも眩いばかりに輝き渡ります。音楽はそれぞれの時代と社会を反映した言葉でありましょうが,それが時を超えて私たちの前に現れるとき,そのメッセージは決して古びた骨董品としてではなく,たった今生まれた新しい言語としてのカを担っているのです。今年もバッハ・コレギウム.ジャパンは,時とともに新しいメッセージを皆様にお届けするべく,努力を重ねてまいります。          

どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(93/04オリジナル)
(98/04/26掲載)

'98年4月の“ヨハネ”は「第4稿」での演奏!!  


 ’97年12月と1月の「クリスマス・オラトリオ」に続いて、バッハの四大宗教曲の一つである「ヨハネ受難曲」にいよいよ’98年4月に再び取り組むBCJだが、その“ヨハネ”が、バッハの最晩年にこの曲が再演された時の「第4稿」に基づいて演奏されることになった。
 BCJのデビューCDとしてその鮮烈な演奏が残されている前回(’95年4月)の時には、おもに「第1稿」と一部自筆の「総譜」に基づき、いくつかの楽曲では鈴木雅明さんの判断のもと、独自のアプローチがなされていた(詳しくはBCJCD「ヨハネ受難曲」リーフレット参照)が、今回は、極力「第4稿」の楽譜ならびに編成に忠実に演奏を行うとのこと。
 第4稿の演奏での大きな特徴は、コンティヌオにチェンバロが加わる点。また他に、新バッハ全集による楽曲番号No.19と20に登場するヴィオラ・ダモーレが2本の弱音器付きのヴァイオリンに変わるなどの変更も何ヶ所か見られる。(「稿による違い」については、BCJCD「ヨハネ受難曲」リーフレットに表の形にまとめられているので参照されたい。)
 先にお知らせした「第2稿」のみのアリアのCD収録と合わせ、色々な面で画期的な“ヨハネ”演奏になることは間違いない。
 その研究の成果を生かしつつ、いつも通りの“熱い思い”のこもった演奏を、久々の受難曲演奏に期待したい。

(97/11/16記、98/05/10訂正)

ヨハネ受難曲第2稿のみのアリアも録音!

 ’98年の受難節に久しぶりにバッハの受難曲を演奏したBCJだが、その演奏会の前後に2度目のレコーディングとなる「ヨハネ受難曲」のCD制作を行った。今回の収録はライブではなく、セッションを組んでの収録。 そこで、特筆されるべきことは、アペンディクスの形でではあるものの、ヨハネ受難曲の「第2稿」(ライプツィヒの第2年巻に特徴的なコラールカンタータの形式を取り入れた独特な構成の稿として知られ、耳にできるチャンスは極めて少ない)だけにしかあらわれないアリア3曲(11+、13II、19IIを、あわせて収録したことだ。きっとこの録音が、受難曲へのいっそう深い理解を私たちにもたらしてくれるであろう。

(97/08/15記、98/05/10修正)

 上記の記事について、このHP開設以来「マタイの第1部の終曲に用いられたことで知られる楽曲(も収録)」「通常演奏される形で収録されるトラックと組み合わせることによって、BCJによる「第2稿」を耳にすることができるようになる。」とお伝えして参りましたが、実際に収録されたのは現在の記事にあるとおり、ヨハネ受難曲の「第2稿」だけにしかあらわれないアリア3曲(11+、13II、19II)のみであるとのことです。事実と異なる情報を長期に渡り掲載していたことをお詫びいたしますと同時に、謹んで訂正させていただきます。
 「マタイ」第I部の終曲にも用いられたコラール(「ヨハネ」第2稿の第1曲)は、器楽の楽譜の伝承が不完全なことと、調性が変ホ長調になったということ以外は「マタイ」のものと同一の曲であることから収録をしなかったとのことです。また、第2稿の終曲(40II)のコラールも、カンタータ23番の終曲と同一の曲であるので収録を行わなかったそうです。したがって、BCJの2種類の「ヨハネ」のCDを組み合わせても、第2稿の再現はできません。(厳密にはレチタティーボにもいくつかの違いがあるとのことです) この点も訂正させていただきます。
 しかし、第2稿のみのアリアをBCJの演奏で聴くことのできることはとても大きな楽しみです。
新しいBCJの「ヨハネ」のCDが待ち遠しいですね!

(98/05/10記)

*'98BCJの『ヨハネ』、「コントラファゴット」について

 いよいよ迫ってきたBCJのヨハネオペラシティ公演は9割に近い売れ行き、佐倉は売り切れ、とのことです。

 細かなことですが、今回の「ヨハネ」について新しい情報を入手「コントラファゴット」についてです。
 「ヨハネ」のコンティヌオのパート譜に、晩年のバッハがふるえる筆跡で「Bassono grosso」の演奏の指示を「第4稿」の上演にあたって記入していることから、前回の(現在入手できるCDに残されている)BCJでの演奏では「コントラファゴット」を加えて演奏していました。そして今回のBCJの演奏では、さらにバッハ時代の響きにこだわった結果、前回に使用したものよりもふさわしい、“オリジナル”の「コントラファッゴット」が使用されることになったとのことです。
 「コントラファゴット」といえば、管が幾重にも巻かれたものが一般的なのですが、今回用いられる“オリジナル”のものは、何と、管が一直線にのびているとのこと。必ずやステージ上で異彩を放つであろうと思われます。少々マニアックな話題ですが、是非「コントラファゴット」にも注目してみて下さい(もちろん、その姿のみならず、音色・響きについても!)。

 もう一つ「ヨハネ関連」。今回のレコーディングはすべての公演が終了してから、カンタータ録音でおなじみの「松蔭」のチャペルで行われるそうです。今回神戸で公演は予定されておりませんが、「音楽がこみ上げてくるような感動」が得られる(鈴木雅明さん談)「松蔭チャペル」での響きが、CDの形で私たちの手に残されることはうれしい限りですね!

(98/02/19記)

第4稿のスコアの見方

 去る5月3日、ついにBCJの「ヨハネ」(第4稿)がNHK−FMでオン・エアされました!
 この放送を機に、「バッハML」で第4稿の中身について話題になりましたので、この第4稿のスコアの見方について書いてみました。よろしければご鑑賞の参考にして下さい。
(なおページ数音楽之友社版の「新バッハ全集」による「ヨハネ受難曲」のミニチュア・スコアのものです。) 


まず第1曲から第10曲目までは原則として初期稿が採用されていますので、付録1の楽譜(p167〜205)を見て下さい。
ただし、以下の部分については参照箇所が違います。

(1)第7曲のコンティヌオのみ自筆スコアのものが採用されたので、本編(p26〜31)が演奏されます。
  オーボエとアルトは付録1(p191〜196)です。
(2)第9曲のソプラノパートは付録3(p259)で歌われます。
(3)第10曲の20小節目のコンティヌオは第4稿のみのヴァリアンテがあります。(p204の下欄外)
(4)コンティヌオパートに対する
  「col Bassono grosso」(コントラバスーン入り)、
 「senza Bassono grosso」(コントラバスーンなし)
は本編(p3〜39)記載の指示により演奏。

※聴いていて驚いたのが第3曲のコラールの終わり方です。
  本編(自筆スコア)は長調の和声に解決して終わるのですが、初期稿(第4稿に採用されたもの)
  では短調の和音で終わります
第10曲38小節目3拍目のコンティヌオ(数字和音のみ)の鈴木雅明さんによるリアライズが、
  まさに「平手打ち」のように聞こえました!


第11曲から最後(第40曲)までは原則として本編(p40〜164)を見ます。
ただし、以下の部分については参照箇所がちがいます。

(1)第19曲のバスパートの第7小節から第11小節は付録3(p260)の歌詞で歌われます。
(2)第20曲のテノールパートは付録3(p260,261)によって歌われます。
(3)第25曲のcでは、31小節のピラトのパートに前打音があります(p119下欄外参照)

※第39曲の歌詞はBCJでは付録3(p262〜265)にはよらず、本編(p154〜163)によって
  演奏されていました。


・・・以上、用いられた楽器のことなどには言及しませんでしたが、参考にしていただけましたら幸いです。

蛇足ながら、今回の「ヨハネ」ツアー中と直後に行われたレコーディング(於:神戸・松蔭女子学院チャペル)では、第4稿での収録に加えて第2稿のみにあらわれるアリア3曲(付録2:p232〜250)の収録も行われたそうです。
 たぶん来年になる(?)CDの発売も本当に楽しみです!

(98/05/10訂正)

 これまで上記の記事中に、“「マタイ」の第 I 部の終曲にあたる楽曲[ただし調性は変ホ長調]なども含まれています!”と記載しておりましたが、正しくは上記のように“第2稿のみにあらわれるアリア3曲”がアペンディクスとして収録されたとのことです。以上お詫びして訂正させていただきます。 (矢口) (98/05/10記)


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