BCJフォーラム(10) ['00/06/03〜]


ご意見・ご感想のコーナー
BCJファンの皆様からお寄せいただいたご意見やご感想などを集めてみました。内容をできる限りBCJのみなさんにもお伝えして、お返事などを頂けましたらあわせてこのコーナーでご紹介していきたいと思っています。是非こちら[makoto-y@mxi.mesh.ne.jp](または[ニフティID:DZE01555])までご意見等をお寄せ下さい。特に投稿フォームは設けませんが、お送りいただいたメールの内容をこのコーナーで紹介させていただこうと考えておりますので、掲載をご希望されない場合は、その旨お書き添えいただけますようお願いいたします。(ご意見・ご感想No.187〜)

*ご意見・ご感想の中の太字表記は、当ホーム・ページの制作者によるものです。

200 《鈴木Bros.のジョイント in 神戸》
 
今日は鈴木ブラザーズのチェンバロとチェロのジョイントを聴いてきました。

器楽曲を生で聴く機会がほとんど無かったため、楽しみで行ってまいりました。

今日の松蔭は、100人ちょっとの聴衆で、私は前列から3番目のところでいました。松蔭で、あれだけの人数ですので、雅明さんと秀美さんの息遣いを間近で感じることができました。遠くで見ていると良くわからないのですが、間近で聴いていると、一曲一曲への意気込みのすごさがわかります。(中略)水準の高い演奏会だったと感じました。

そしてアンコールは、秀美さんが「どれもこれもヴィヴァルディ!」とおっしゃいましたが、なんと3曲も披露してくれました。
曲目がわからないのですが、1つ目はチェロとチェンバロ、2つ目は脇に常置してあるオルガンとチェロ、最後はお二人ともサングラス(!)を着けて登場!ジャズっぽく、陽気にチェロとチェンバロを奏でてくれました。

とても楽しめた演奏会でした。

(金原秀行様) (00/10/14)
 金原さん、こんにちは。鈴木ブラザーズin神戸のご報告、ありがとうございます。私も15日、同じコンビのコンサートを埼玉:彩の国芸術劇場でうかがって参りました!
 曲目は、こちらにあるとおり、ヴィヴァルディのチェロソナタバッハのソロ曲をはさみこむというしゃれた構成でした。しかも間のバッハ2曲は、いずれもフランス趣味のもの。イタリアとフランスの様式の対比も楽しめるという心憎い演出でした。
 ヴィヴァルディで聴かれる華やかな技巧と流麗な歌と、舞曲の躍動感の中にも深い味わいを聴かせてくれるバッハの音楽が、素晴らしい対比になっていました。フランス風序曲の一曲目、先日のチェンバロ・リサイタルでは主部を繰り返して聴衆を唸らせた鈴木雅明さんでしたが、今日はプログラムのバランスからも繰り返しはせず、すっきりした演奏を聴かせてくださいました。さて、アンコール。オルガン伴奏の曲は神戸だけのプレゼントだったようですが、2曲披露してくださいました。1曲目はヴィヴァルディのチェロソナタ 変ロ長調 RV41から第一楽章のラルゴ、そして2曲目は、埼玉でも黒いサングラスの登場です。お二人が黒のステージ衣装に黒のサングラスの出で立ちで、しかもなにやらせわしなく入場していらっしゃるとあやしい雰囲気。なるほど“○○ブラザーズ”か、という感じでした。そこで披露してくださったのは、ストラヴィンスキーが「プルチネルラ」でも編曲したことで知られるペルゴレージのシンフォニアのフィナーレ。ビートの効いた颯爽たる演奏でした。客席の盛り上がりも最高に。実に楽しい幕切れでした。
 さてこれからBCJは、今月末からのメルボルン・ツアーに向けた準備に忙しくなることでしょう。日本でまだ演奏していないカンタータの公演もあるためご苦労も多いようです。我々はツアーからお帰りになった後のカンタータコンサートを楽しみに待つことにいたしましょう。いよいよバッハ・イヤーも大詰めです! (矢口) (00/10/15)

199 《100000!》 
 
こんばんは! メールを送らせていただくのは初めてですが、毎日このHPを楽しみに見ています。

今回何と100000番を取らせていただきました。
とてもおどろきました。そしてとてもうれしいです。

実はコンサート会場で矢口さんをお見かけしたこともあります。
誠実なHP運営はわたしを含め多くの方たちに喜ばれていることと思います。

わたしたちに音楽の深さ、素晴らしさを与えてくれるBCJをこれからも応援します。

(おくむらけいこ様) (2000/10/4、 0:31)
 100000番をGETされた方からのお便りをご紹介させていただきます! おくむら様、おめでとうございます。そしていつもありがとうございます! さて、このメールを頂戴したあと、私もすぐにアクセスしてみましたら、100005番でした。0:40頃だったのですが、そのわずかな時間の間にすでに4人もの方が訪れてくださっていたのですね。恐縮です。これからも地道に続けていこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします
 ところで、その後おくむら様と何か記念のプレゼントを、ということで連絡をとらせていただいたのですが、次のようなお便りをいただきました。
(前略)
・・・・BCJを知ったきっかけは、確かレコード芸術の広告だったと記憶しております。CDの広告とともに雅明先生のジュネーヴ詩編歌の演奏会のお知らせを見て、改革派のクリスチャンである私は非常に興味を持ち、松蔭の宗教センターに直接電話をかけて雅明先生やBCJのことをいろいろお尋ねしたことから始まったのです。
そして、そのとき教えられたジュネーヴ詩編歌のCD、またすでに発売されていたバッハのカンタータ全集第1〜3巻を買い求めました。第1巻の冒頭にある雅明先生の「カンタータ全集をはじめるにあたって」という文章を読み、心から感動し、このときから今まで、そして今後もずっとBCJの歩みをしっかりと見ていたい、という思いを持ち続けております。・・・・(中略)

ところで、何か100000番の記念の品の希望がありますかとの嬉しいお申し出までいただき、恐縮しております。個人的な希望が許されるのであれば、雅明先生が信仰者としてまた音楽家として大切にしていらっしゃる聖書のことばの箇所を知ることができたら...と思っております。
(後略)

(おくむらけいこ様) (00/10/04)

 ご自身が信仰をお持ちであるということもあって、BCJのそして、鈴木雅明さんの音楽の核心に迫るご要望と感服いたしました。さっそく6日に、今年唯一のチェンバロ・リサイタルを終えた鈴木雅明さんに上記の内容をお伝えしましたら、快くご協力いただけることになりました。実際の該当聖句についてはまだおうかがいしておりませんが、その言葉を教えていただくとともに、鈴木雅明さんのコメントを添えた聖書をプレゼントさせていただこうか、と検討中です。少しお時間をいただくことになりますが、お待ちください。
 最後にもう一度、おくむら様をはじめとしたこのページへの訪問者のみなさまに篤くお礼申し上げます!
(矢口) (00/10/12)

198 《癒されるバッハのカンタータ〜9/16チャペルコンサート報告》
 
 鈴木雅明さん率いる Bach Collegium Japan の第138回チャペルコンサートのJ.S.バッハ・教会カンタータ全曲シリーズ第25回 ライプツィヒ時代1723年のカンタータ 8 を聴きに,時に小雨の降る中 神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(9月16日 (15.00-17.15)。

 曲目は私にとってはまったく初めてのものが多かったので挙げるに留めます。

コラール《われらキリストの徒》 BWV612&710
プレリュードとフーガ ト長調 BWV541
《神の子の現われたまいしは》 BWV40
《おんみらを,おぞましい最後がひきさらう》 BWV90
《おお永遠、おんみ雷の言葉》 BWV60
《目を覚まして祈れ,祈りて目を覚ましておれ》 BWV70


 カンタータは聖書の言葉を中心に曲が作られていることもあって,ある意味では癒しの音楽と言えるのではないかと思いました。 コラールを聴く度にそう思いますし,合唱は力を与えてくれます。

 今回BWV60の対話曲ではアルト独唱の「恐怖」に対してテノール独唱の「希望」が安らぎを語り,バス独唱のイエスが優しく"Selig sing die Toten"と慰めを説くあたりは本当に癒されました。 最後のコラールは,"Es ist genug"(プログラムは間違い)と半音階で上がる部分は,天の家に昇ることがまぎれもなく神の不思議なわざであることを示しているように感じました。

 パイプオルガンも今回初めて聴いて,オランダの教会(LeidenのPieterskerkやHaarlemのSt.-Bavokerk)で聴いた時に克明に思ったことですが,やはりこうしてチャペルや教会で聴くものだなぁとの感を改めて強くしました。

 ソリストでは,ペーター・コーイ は,イエスの役では堂々と,優しい部分は優しく,力強いところは力強くといつ聴いても素晴らしいです。 ゲルト・テュルク は今回生で初めて聴いて,テクニックはもちろんのことその息の長さに驚きました。 ロビン・ブレイズはオランダにいた時に Paul McCreesh率いる Gabrieli Consort & Players でヘンデルの Theodora を聴いて素晴らしいと思ってもう一度聴きたいと思っており,今回聴いてみて声もテクニックもそうですがその表情の豊かさに改めて良いなぁと感じました。

 合唱はいつ聴いても声質などもよく揃っていて(最後にちょっとだけ不揃いな部分があったように聴こえましたが),私が関わっている聖歌隊もあのようだったら素晴らしいなぁ,とうらやましく思います。

 演奏もとても充実していたと思いました。欲をいえば,演奏した後にもう少し嬉しそうな表情が見られるとなごむような気がします。 ピストンが付いたトランペットと,穴が空いたトロンボーンに,なるほどと思いました。

 (中略)

 演奏会終了後に後援会の懇親会がある旨が掲示されていましたが,突然だったのでちょっと残念でしたが失礼しました。

 BCJの神戸定期はこれから以下の予定でコンサートが行われます。 次回もカンタータなのでとても楽しみです。 できれば予習をして臨みたいものです。

第139回チャペルコンサート(11月11日(土)15.00-)
 バッハ:教会カンタータシリーズNo 26 (BWV 663, 572, BWV 1068, BWV 194)
第140回チャペルコンサート(3月10日(土)15.00-)
 バッハ:教会カンタータシリーズNo 27 (BWV 73, 144, 153, 154)

 ところで,今日2001年度定期の案内が来ましたが,東京の演奏会のものでした。 もしかして神戸定期はなくなってしまうのか?と危惧しています。

(竹内茂夫様) (00/09/17)
 竹内さん、こんにちは。ご自分のHPへの掲載より早いカンタータ・コンサートのレポート、ありがとうございました。オルガンもソリストも合唱もなかなか快調な出だしのようでうれしい限りです。やっぱりBCJの神髄を味わうにはカンタータですね。22日の東京公演を楽しみにしたいと思います。現在神戸でレコーディングに取り組まれているはずのBCJのみなさん、納得のいく録音の完成をお祈りいたしております。11月には私も再び神戸におじゃまする予定ですので、神戸公演後援会の懇親会で竹内さんにもお会いできればいいですね!
 さて、気になることがいくつかあります。まず第一に、今回のカンタータコンサートでは、今年の受難曲での取り組みのように、ソロと合唱ではなく、コンチェルティスト(ソロと合唱を両方歌う)とリピエニスト(合唱部分を歌う)のスタイルで演奏していたのでしょうか。それとも従来通りのソロ/合唱という関係での演奏だったのでしょうか。興味のあるところです。 そして第二が、「神戸公演」の存続についてです。2001年度のBCJ定期公演の案内は私もいただいているのですが(HPにはもうすぐUPいたしますのでお楽しみに!)、もちろん東京公演の案内です。こちらについては事務局の方にうかがう必要があるかもしれませんね。レコーディングもあるのでまったくチャペルを使わない、ということはないと思うのですが・・・。 しかし、いずれも 22日の東京公演ではわかるもの、と思っています。さあ、いよいよ東京でもカンタータです!  (矢口) (00/09/19)
 コメントの中に質問を書きましたら、さっそく竹内さんからお答えをいただきました。ありがとうございます!
《フォーラムでのご質問にお答えしなくては。^-^; 》

>オルガンもソリストも合唱もなかなか快調な出だしのようでうれしい限りです。やっぱりBCJの神髄を味わうにはカンタータですね。

同感です。雅明さんとしては聖書の言葉を音楽で具現化したカンタータに精力を傾けておられると感じています。
これは同じようにプロジェクトを進めている雅明さんの師匠Ton Koopmanも同じようで,先日衛星で見たBWV147,140を含むカンタータも実に素晴らしい演奏でした。どれも素晴らしかったのですが,特に147は曲と演奏のその深さに改めて感嘆しました。Koopmanは来月来日しますよね。

>22日の東京公演を楽しみにしたいと思います。現在神戸でレコーディングに取り組まれているはずのBCJのみなさん、納得のいく録音の完成をお祈りいたしております。

これは楽しみですね!このCDは出たらすぐに買うでしょう。「ブランデンブルク」ももちろん楽しみです。

> さて、気になることがいくつかあります。まず第一に、今回のカンタータコンサートでは、今年の受難曲での取り組みのように、ソロと合唱ではなく、コンチェルティスト(ソロと合唱を両方歌う)とリピエニスト(合唱部分を歌う)のスタイルで演奏していたのでしょうか。それとも従来通りのソロ/合唱という関係での演奏だったのでしょうか。

前者でした。ソロの時にはちょっと前に出てきて歌っておられましたがやはりコンチェルティストとリピエニストという形式で,私としてもこの方が全体の統一感や特にチャペルで演奏される場合には良いような気がします。(後略)

(竹内茂夫様) (00/09/19)
 
 コープマンの来日公演、私は10/7に「マタイ」を聴きます。プレガルディエンやコーイなど、BCJにも出演の歌い手たちを交えてどのような「マタイ」を繰り広げてくれるのか楽しみです!
 BCJのCD、ここのところ新譜がありませんが、今年後半には立て続けにリリースされるのではないかと思っています。ただ、カンタータのCDは13巻は収録済、14巻は今年11月の194番をカップリング予定とのことで、今回のカンタータ集が我々の耳に届くにはやや時間がかかるかも知れません。じっくり待ちましょう(?!)
 今回の演奏、やはりコンチェルティスト・リピエニスト・スタイルでしたか。オペラシティはやや広い空間ですが、恐らく22日も同じ編成での演奏になるのではないかと期待しています! ご教示いただきありがとうございました!
 ここからは“自己レス”になるのですが、昨日BCJ事務局に来年度の神戸公演についてうかがいましたら、「来年度、もちろん神戸公演もあります。」とのお答えで、募集は11月頃になる予定とのことです。詳しくわかりましたらまたお知らせいたします! しかし神戸公演存続でホッと一息でした・・・。 (矢口) (00/09/21) 

197 《メンデルスゾーン版「マタイ」の感想》
 
 まず一番に思ったことは、メンデルスゾーンは随分上手いこと刈り込んだなということでした。 (中略)違和感が出る部分も多々あるのでしょうが、意外とスッキリ耳に入ってきて全体の流れをあまり阻害しないなと思いました。

 次に、メンデルスゾーンはやっぱりバッハを尊敬して居るんだろうなと言うことでした。
今回のメンデルスゾーン版マタイの比較対象としてモーツァルト版メサイアを持って来ると明確になると思うのですが。メサイアではモーツァルトは自分の存在を誇示するために随分と旋律(オブリガード)を加えることにより、ヘンデルとモーツァルトの合作のようになってしまっています。(とは言ってもこれはこれで好きなんですが) それに対して、マタイでメンデルスゾーンが行ったのは、あまり違和感を感じさせない刈り込みに終始していたと思います。ところどころで出てくる、オルガンの和音を除けば殆ど音を付け加えていないために、あくまでもバッハの曲だなという感じでした。

 同じ鈴木氏の棒で聞いた場合、原曲とメンデルスゾーン版とでの違和感が少なく、指揮者による解釈行為と大差ないように思えました。 結局、メンデルスゾーンは時代の要請に合わせ、カットを余儀なくされたもののバッハを大事にして出来る限りバッハの形を残すように努力したように思えました。次は、若杉氏あたりの棒でピアノの入った版を聞いてみたいとも思いました。

(宮崎正生様) (00/09/12)
 宮崎さん、こんにちは。メンデルスゾーン版「マタイ」のご感想、ありがとうございました。このご感想、実は演奏会当日、休憩の時に会場でお会いして前半のご印象はうかがっていたので、全体を聴かれたあとのご感想も知りたくてお願いして送っていただいた文章から構成させていただいたものです。
 メンデルスゾーンの編曲(?)については否定的な見解も当然あり得るわけですが、この「マタイ」という作品、そしてその他のバッハの作品の19世紀から現代にいたる受容を考えた場合、やはりこの版の持つ意義というものは大変大きなものなのではないかと思います。折しもこの読響定期公演について、9月18日(月)付の読売新聞・夕刊安田和信さんが批評をお書きになっていますが、「モダン楽器で柔らかな響き」というタイトルからも感じ取れるように、カットや編成の変更に関連した今回の演奏の特徴と課題をバランスよく指摘しながら、「珍しい版による演奏はバッハ・イヤーにふさわしい企画だった。」としめくくられ、このプロジェクトの意義を伝えてくれていると思います。機会がありましたら是非お読みになってみてください。
 私自身は今回の演奏について、われわれの時代におけるバッハとの係わりを色々と考えさせてくれるきっかけになった、とポジティブに評価したいと思います。詳しくはTV放送も拝見してからまた書いてみたいと思っています。 当日の演奏に触れられなかったみなさまも、TV(9/22、10/13日本TVで深夜放送予定)をご覧になってのご感想など、お寄せいただければ幸いです。まずは22日、BCJ東京定期の晩の第一回(前編)の放送が楽しみですね!
(矢口) (00/09/19)

196 《メンデルスゾーン版『マタイ受難曲』》
 
 メンデルスゾーン版《マタイ受難曲》の演奏は、とても興味深く聴きました。
  (1)18世紀に書かれたバッハの名曲を、
  (2)19世紀に復活演奏した当時の楽譜を用いて、
  (3)20世紀終わりの我々が聴く
 という、どちらかというと知的興味が先行しそうなプロジェクトでしたが、いろいろな意味で満足できました。以下に列挙してみます。まず知的な面では、
  (1)メンデルスゾーンの解釈の面白さ
 復活演奏するにあたって、メンデルスゾーンが試みた解釈は「自分が素晴らしいと思う作品を紹介する」「当時の聴衆の趣味や演奏習慣に合わせる」というものだったのでしょう。それが我々現代の聴衆にとって、逆にメンデルスゾーンのバッハ理解の深さ(実に手際のよいカットや、表現的な楽譜の変更は、原典をよく研究しないでは不可能)を知るよい手がかりになっていました。 その意味で、レチタティーヴォにおけるコンティヌオの和声付けなど、感心しながら聴いていた次第。
  (2)原典を知っていることからくる面白さ
 メンデルスゾーンが演奏した当時は、《マタイ受難曲》を知っている人はほとんどいなかったわけですが、我々は原典を知っており、しかもいろいろな種類の演奏を知っています。その我々がメンデルスゾーン版を聴くと、例えばメンゲルベルクのあの《マタイ受難曲》などが、明らかにメンデルスゾーンの文脈で演奏されていることに気づかされるわけで、「演奏様式の伝承」という問題を改めて考えさせてくれることになります。
 特に、普段は淡々と美しくうたうことで悲しみを伝えてくれる演奏で親しんでいるエヴァンゲリストのテュルクが、思いっきり「劇的」に歌っていたのが印象的でした(本人は面白がってやっていたように見えましたが)。
  (3)演奏の面白さ
 雅明先生の解釈は、「バッハを演奏する」と「メンデルスゾーンを演奏する」の狭間で微妙に揺れ動いていたように思いますが、どちらかというと「バッハより」だったでしょう。「教会音楽を演奏会で上演する」というメンデルスゾーンの意識(これはとりもなおさず現代の我々が享受するのと同じ立場に立っています)より、「バッハの名曲をとおして受難の物語を歌おう」という雅明先生の意識が勝ったために、やや「禁欲的」に響いたようです。しかし、ここ10年で《マタイ受難曲》の数々の名演をのこしてくれた雅明先生だけあって、一本筋のとおった演奏を聴かせてくれました。
 演奏は、読響(なかなかの熱演。特に問題になりそうだったコンティヌオの3人も健闘していました)、合唱団(BCJのメンバーがうまくリードしてくれたようです)、ソリスト(おおむね好演)、いずれも楽しめるできだったでしょう。

 知り合いは雅明先生にバロック・オペラなどをやってほしいなどと言っていましたが、雅明先生が《マタイ受難曲》だからこういう演奏会に出演するのだ、ということを知らない人の意見ですね。でも、たしかに面白い考えでもありますが。

(北村洋介様) (00/09/10)
 北村さん、さっそくのメンデルスゾーン版「マタイ」のご感想、ありがとうございました! 自分の感想についてはまた別の機会に書いてみようと思っていますが、基本的な部分では北村さんのご感想とほぼ一緒です。今回の演奏について、そろそろ色々なHPにもご感想が書かれるようになってきました。当HPからリンクさせていただいているページでは、『クラシック招き猫』の「音の余韻館」、礒山先生の『 I 教授の家』の「コンサート訪問記」「掲示板」にあります。よろしければご参照ください。色々拝見していると賛否両論のようですね。しかし、この意欲的な試みにチャレンジした読売日本交響楽団のみなさん姿勢に大きな敬意と感謝を捧げたいと思います。すでにお知らせいたしましたように、今回の演奏の抜粋日本TVで放映されます。お見逃しなく。 (矢口) (00/09/12)

195 《7月28日のヨハネ受難曲を聴いて》
 
BCJ様
 初めて7月28日サントリーホールで行われたヨハネ受難曲の演奏を聴かせていただきました。私はクラシックファンではありますが、生まれてこの方バッハの生演奏というのは聴いたことがなく、いきなりの大曲ということで、緊張と期待感を持って演奏会に臨み(まるで、演奏者のようですが)ました。私は2楽章の3小節目がどうとか、細かいことはわかりませんが、最初からヨハネの世界にひきこまれてしまい、イエスが「成し遂げた」と言って息を引き取る場面では涙がこぼれました。字幕を見ながらもう1シーンごとに、まるで自分もゴルゴダの丘に向かっているような感がありました。素晴らしい演奏だったと思います。しかもその日は、バッハの命日で、曲が乗り移ったように、イエス役のマクラウド氏が苦しんでいるではありませんか・・・・本当にマクラウド氏まで、亡くなってしまうのではないかと思わせるほど現実味あふれた演奏でした。マクラウド氏の不調は逆に死に向かうイエスの悲壮感を盛り上げ、聴衆をヨハネの世界に引き込む効果があったのではないかと思います。その後、1995年カザルスホー ルで行われたヨハネのライブ録音のCDを購入し、聞き入っております。米良さんのアルトも素晴らしいですね。また、BCJの演奏会に是非行かせて頂きたいと思います。

(加治恭子様) (00/08/10)
 加治様、「BCJフォーラム」へようこそ! 7月28日バッハの命日からもう2週間以上経ってしまいました。しかし、あの日のBCJ「ヨハネ受難曲」の演奏のインパクトはまだまだはっきり残っていますね。あれから演奏会直後に放映されたビデオを何度か見てみましたが、すさまじい気迫に満ちた演奏だなぁとあらためて思います。
 あるHPでBCJ「ヨハネ受難曲」2000の新潟公演をお聴きになった方が「最後の音が消えてから何とも言えない寂寥感を感じた」といったご感想をお書きになっていらっしゃいましたが、今回の「ヨハネ」の演奏の特徴をうまく表されたものだなと思いました。本来「ヨハネ」の世界は言うならば“栄光ある成就”であり、寂寥感というよりは何か大きな力が働いていることへのおののきのようなものが強く印象に残るのですが、今回の演奏では加治様ご指摘のマクラウドさんの“苦しみ”をはじめ、人間的な苦悩といったものが深く表現されていたと思います。バッハがこの「ヨハネ」第4稿歌詞の変更を迫られた部分も、本来の「ヨハネ」的な部分(苦しみと栄光が同時にあるという認識)が、「マタイ」に見られるようなルター的な教化的内容に変えられたものであったそうです。(7/1のヨハネレクチャーにてうかがったお話) だからこそ人間的な苦悩がよりクローズアップされ、悔い改めることの意義を意識させるものになっていたのかもしれません。そしてそれがバッハの命日に演奏された今回の演奏にまさにふ さわしいものであったように思う今日この頃です。
 加治様、これからもまたBCJの演奏を共に味わっていきましょう! お便りもお待ちしております。  
(矢口) (00/08/13)

194 《BCJの「ヨハネ」》
  
 過去のBCJ「ヨハネ」を生で聴いていない人間にとって、いくら98年録音のCDを美しいと感じ入っていたとしても、やはりまだ核心に触れていないのだと痛感したのがこの夜の演奏だった。サントリーホールのP席は、雅明先生を見るにはもってこいの席。この大作をどのように構築していくのかを知る絶好の機会と、スコア片手に聴くことにした。

 演奏は冒頭から緊張感にあふれていたが、第1部では特に合唱の生き生きとした表現が印象的。コラールの歌詞にあわせて表情が刻一刻と変化するさまは、雅明先生のダイナミックな指揮(これほどダイナミックなのは初めて見た)と相まって、すばらしい効果を引き出していたように思われる。
 第2部はさらにすばらしく、こういう書き方は正鵠を射てはいないのだが「劇的」な演奏となった。この場合の劇的というのは、バッハが描こうとした受難の物語を、なるべくそのまま表現しようとした結果が「劇的」になったという意味。つまり「表現のための表現」というような、外面的な効果を狙ったのではなく、あくまでも内面から湧き出てきた表現意思の表れだということ。もしかするとその部分だけ取り出すのなら聴こえてくる結果は同じになるのかもしれないけれど、方法論が違うので、全体のなかで違和感なくすっぽりと収まるのである。これは、曲の理解のレベルの高さ(ききてのレベルはいざしらず)を示すものだろう。
 特筆したいのは、浦野さんのピラト。ピラトの迷いやイエスへの問いかけがとても人間的に聴こえ、こちらも思わず感情移入してしまった。
 いろいろな事故(ヨーロッパ帰りの強行スケジュールだったし、秀美さんの弓がこわれたり、風邪気味の人がいたり。お客さんにも携帯を鳴らす人や途中で帰ってしまう人がいたのは残念)があったにもかかわらず、これだけの驚くべき成果をあげた鈴木=BCJに、心からの拍手を!

(北村洋介様) (00/07/31)
 北村さん、BCJの“熱い”「ヨハネ」のご感想、ありがとうございます! もうあのバッハの命日から一週間が過ぎてしまいましたが、BCJの「ヨハネ」のインパクトは私の中ではまだまだ続いています。NHKの放送の録音は繰り返し聴きましたし、98年のライブとCDも聴き直しました。そこで強く感じたことは、北村さんご指摘の「劇的」な印象をもたらす“ほりの深さ”と、また同時に、えもいわれぬ“しなやかさ”を今回の演奏が持っていたことです。
 冒頭、緊張からか、ツアーの疲れの名残か、やや硬い表情で始まったこの日の演奏でしたが、テュルクの練達の語りと共に3曲目のコラールでもういきいきとした表現が目に見えて立ち上がってきました。合唱の中では、ロビン・ブレイズと、新人の上杉さんというカウンターテナー2人を含むアルトパートの活躍が目立ちました。3曲目のコラールの最初のフェルマータ、98年の演奏では大きく引き延ばされた音符が、今回、深い思いを宿しながらも小さく立ち止まった程度で歌われて終わりまでたどり着いたとき、その短調の和音がとても心にしみました。第9曲のソプラノのアリア、4稿でバッハが歌詞の変更を余儀なくされた曲の一つですが、98年のチェンバロ伴奏ではなく今回はオルガンの伴奏で奏され、トラヴェルソの歩みがとてもしなやかに聞こえてきたことが感動的でした。第2部に入って物語は白熱の度合いを高めます。本当にこの日の鈴木雅明さんの指揮振りダイナミックでしたね。前へ前へと物語を引っぱっていくその気合いに応えて奏者のみなさんも渾身の演奏を繰り広げます。21曲の合唱で、群衆が「十字架につけよ!」と 叫んでいるその最中、鈴木秀美さんのチェロの弓分解してしまいました! しかし、即座にチェンバロのそばに置いてあった予備の弓をとって演奏は何事もなかったかのように進んでいきました。関係者の方のお話を総合すると、普段弓の予備はステージに置かないのだが、今回、ツアーから帰国して弓の手入れを行った際、楽器屋さんから今回は予備を置くようにと強く要請されたことが吉と出たとのことでした。なんと素晴らしいサポートでしょう! 弓がどうなってしまったのかについては、こちらAHさんの詳しい解説を是非ご覧ください! 体調不良と会場に掲示も出ていたマクラウド氏が、まさに必死の思いでイエス役とアリアを歌う様は、キリストの苦悩そのものを連想させました。事前のレクチャー(7/1)で、鈴木雅明さんが、第22曲のコラールを中心とするシンメトリー構造と、第30曲のアリアを中心とするシンメトリー構造のまさに中心に位置する第26曲のコラール重要性を説いていらっしゃいましたので、どのよ うに演奏されるか、とても興味深く聴きました。堂々とEs-dur(変ホ長調)の響きを鳴り渡らせるのでは、と想像していましたが、実際には今までの演奏に比べてもきびきびしたテンポで、決然と奏されたことに、“なるほど!”と唸らされてしまいました。続く23曲fで、少しテンポを整え、皇帝へ言葉を述べる祭司長のさまを描いたところなど、ドラマの読みの深さを感じさせました。そして「憩え」の合唱のあとの最後のコラール。これが実にしなやかに決まったのです。 きっとあの世のバッハも喜んでくれたのではないかと思います。
 この日感じたもう一つの点は、受難節以外の時期に「受難曲」を演奏することの意味です。じっくり考えてみて、「受難曲」を聴いた感慨の深さでは、やはり98年の時の方が勝っていたと思います。しかし、今年は事情が特殊です。バッハに思いを馳せる、という意味合いにおいて、今回の演奏は、色々ありながらも、やはり素晴らしい成果であったのではないかと思いました。BCJのみなさんに心からの感謝を捧げます。ベースの部分では9月のメンデルゾーン版「マタイ」も同じ意味合いを持っているのではないかと思いました。テュルクさんも、受難節の演奏でしたら、きっとまた違う味わいを出されていたのではないかと思います。直前に世俗カンタータに取り組んでいらっしゃったことも、関連がないとは思えません。
 ともあれ、バッハ没後250年を飾る大きな取り組みとして、素晴らしい成果を味あわせていただけたことに重ねて感謝をしたいと思います。ありがとうございました。 さあ、夏の一休みのあと、「バッハ・イヤー」はまだまだ続きます! 楽しみです!  (矢口) (00/08/04)

193 《BCJ創立10周年 記念パーティ (7/9) ご報告 》
 
 この10年、巷では“失われた10年”という呼ばれ方をされることがあります。しかし、われわれBCJファンにとっては、“与えられた10年”であったと言えるでしょう。本当に多くのものをいただいた10年間だったと思います。そしてそれはこれからも・・・。
 この記念すべきBCJ創立10周年を祝し、さる7月9日、翌日からのヨーロッパツアーを控えたあわただしい日程の中ではありましたが、心あたたまるパーティが創立10周年記念東京定期公演の終了後、オペラシティビルの“天に近きところ”で行われました。ここにささやかながら、その模様をご報告させていただきたいと思います。

 記念定期公演の熱演のあと、その余韻さめやらぬ中、BCJのメンバーと定期・賛助会員のみなさんがぞくぞくとパーティ会場に集結していました。みんな、和やかな笑顔です。メンバーのみなさんはそのまま、会員諸氏は会費を払い、“くじ”をもらって会場入りしました。会場内は立食形式ですでにいくつも話の輪が広がっています。そして、BCJ定期会員の朝岡聡さんの司会でいよいよパーティ開始! ・・・このあとの記述は、報告者が盛り上がりきっておりましたので正確さを欠くものと思われます。間違い・勘違いがありましたら是非お知らせください!

 まず、音楽監督、鈴木雅明さんのご挨拶、そして乾杯です。その後“ご歓談タイム”をはさみながらBCJの10年間を様々な形で支えてくださった方々のスピーチなどが続きます。開館以来、毎年もっとも入場者数が多いのがBCJ、とご紹介してくださった東京オペラシティの代表の方(お名前失念しました。ご容赦!) 続いては出版関係。95年のBCJCD発売以来3年間、よき伴走者として刊行が続けられた小学館『バッハ全集』編集長の大原さん、そしてバッハものの本では定評の高い東京書籍の鳥谷さんと最近“バッハへの旅”で大活躍の加藤さんが次々に壇上に上がられました。それからもBCJのサポートにいつも心をくだいてくださっているNEC社会貢献室齋藤さん、最初の「ヨハネ」CDの生みの親、キングレコード福田さん、BCJに惚れ込み、ご自宅のスペースをBCJの合唱練習に提供するのみならず、その空間に配置された選りすぐりのアート作品によって鈴木雅明さん他のアーティストに大いなる霊感をも提供してくださっている増井さんのご紹介、そして素晴らしいBCJの写真をとってくださっている写 真家の三浦さんの紹介&お話が続きました。最後を飾ったのがBCJ会長の角倉先生。芸大の学生食堂で鈴木雅明さんから初めてBCJのことを聞いたときのことなどを交えお話くださいました。そうそう、その間にこの日初共演ながら素晴らしいソロを聞かせてくださった外国からのゲスト出演者のみなさんや、これまた初参加のヴィオローネ奏者の方の紹介なども行われました。 
 宴もたけなわになり、ついにBCJ特製10周年記念グッズのくじ引き抽選となりました。
 さてさてその記念品とは・・・?
 記念品は2種類。鈴木雅明さんが引き当てた番号の方にそれぞれ10名づつプレゼントされました。
 まず最初に抽選された記念品Aは、なんと「BCJ未公開音源による特製CD」! ・・・うーん、欲しい! 収録曲目はカンタータBWV72,156,73,111から合唱のある楽章を編集して作られたものでした。制作スタッフはもちろんBISのみなさん。この収録、実はカンタータCD制作開始直後の'96年3月に行われたものですが、その後カンタータの作曲順にCDが制作されることになり、同じ教会暦の主日のためのカンタータを集めたこの収録が宙に浮いてしまい日の目を見なかった、といういわくつきのものです。特にBWV73は収録はされたものの、当時のコンサートでも演奏されなかった、まさに幻の音源。ファン垂涎もののCDです。 そんな一念が実ったのでしょうか。なんと私がこのCDを2番目にGET。まわりからは話がうますぎるとの視線も投げかけられましたが、本当にだけです。思わず興奮してガッツポーズをとってしまいました・・・! お騒がせしてすみません・・。 このCDをGETできた10人が終わると次に記念品B。これまたファン羨望の手作り革製のBCJタグとBCJステッカーセット。このタグは一つ一つ手作りで作られ、BCJのメンバーのみなさんがお持ちのものです。これも10名の幸運なファンの手に。くじを引いて番号を発表する雅明さんが次第にその当選番号のカンタータの話題を持ち出されるのがとても楽しいものでした。15番のくじが当たったとき、たまたま会場に15番の方がいらっしゃらなくて無効になったのですが、その時には「15番は偽作ですからねぇ・・・」といった具合です。
 この日の雅明さんのお話で印象に残ったことを2つ。まずカンタータの演奏順について。はじめ教会暦順を考えていたのだが、ピッチの問題を考えていくと、同じCDの中で複数のピッチを選ばざるをえなくなる。それでは具合が悪いので作曲順にされたとのこと。なるほどこのとばっちり(?)を受けて上記の'96年3月の収録がオクラに入ってしまったのですね。よく解りました。 次に合唱パートの人数の問題について。一パート一人という説にはパート譜の数など色々な証拠もあるのだが、BCJでは会場の規模(特に今度のライプツィヒ公演は大ホール)も考えて1パート3〜4人の規模で演奏している。バッハ研究の牙城でもあるライプツィヒでBCJの選択がどう受けとめられるかも、緊張と同時にワクワクしているところです、とのことでした。ライプツィヒでの反応ははたしていかがだったでしょうか。いずれお聞かせいただきたいものです。

・・と楽しい会が進行して、お開きの時間が近づきました。誰がいいだしたものか、「全員で写真を撮ろう!」ということになって、なんとか苦労しつつも全員をフレームに納めて記念撮影。(そうだ、どう考えても三浦さんは写れませんよね・・!)
“終宴”となりました。

 このあと、メンバーのみなさんは成田に向かう方、大急ぎで荷造りに帰られる方、と様々でしたが、最後に残った甘ーいデザートを外国勢がおいしそうに召し上がっていたのが印象的でした。甘ーい歌声は、ドルチェから?!

 以上簡単ながらご報告でした。えっ、で、CDはどうだったかですって。うーん、これはもう素晴らしいものです、としか言いようがありません。本当にパワフルソウルフルな歌声でした!

(矢口) (00/07/25)

192 《BCJ創立10周年記念定期(7/9オペラシティ)》
 
バッハ
 *プレリュードとフーガニ長調 
   BWV532(オルガン独奏)
 *カンタータ「しのび流れよ、戯るる波」      BWV206
 *カンタータ「急げ、渦巻く風ども」         BWV201
 *マニフィカート〜第1曲(アンコール)

右の写真はBWV201の演奏から「フェーブスが“ロバの耳”をつまんでいるところ」です。
最前列は、左から鈴木美登里、トーレス、テュルク、浦野智行、ギルクリスト、波多野睦美のみなさん。(撮影:三浦興一氏)


オルガン:今井奈緒子
ソリスト:野々下由香里(ソプラノ)、波多野睦美(アルト)、鈴木美登里(ソプラノ)、ゲルト・テュルク(テノール)、ジェイムズ・ギルクリスト(テノール)、浦野智行(バス)、ヴィクトール・トーレス(バス)

指揮:鈴木雅明
管弦楽、合唱:バッハ・コレギウム・ジャパン

 BCJのみなさん、創立10周年おめでとうございます。何ごとも10年続けるということはたいへんなことです。まして土台のない古楽の分野で先駆的な業績を残しながらこうしてレベルの高い演奏を続けるということはなおさらです。これはまさしく私達の財産ではないでしょうか。

 そんな彼等が今回、今まで続けてきたカンタータシリーズで始めて世俗カンタータを取り上げました。なおこのプロはそのままこの演奏が終了するとヨーロッパへもって行くそうです。

 1曲目の今井さんのオルガンソロですが、日頃、雅明さんの影に隠れて通奏低音を支えてきた彼女のまさに晴れ舞台。でも彼女が第1級のオルガン奏者だということは、これまでの彼女のBCJ以外の活動を知らなくても、この一曲でその技量を確認するのには充分すぎる出来。これからはじまる音楽劇のプレリュードとして、こんな相応しい演奏もないでしょう。「はじまり!はじまり!」という声がどこからか聞こえてきそうな、のりのよさと充分な潤いをもった演奏です。とくに後半のフーガに入ってからの脚鍵盤による低音の躍動感はあの小柄の体をいっぱいに使って、それは素晴らしかったです。

 さてメインのカンタータ2曲ですが、バッハの世俗カンタータの中でももっとも規模の大きいこれらのカンタータ(というより音楽劇)を、彼等はとても素晴らしい演奏で、会場にいた聴衆を魅了してくれました。ここのところちょっと苦言ばかり言ってきた私ですが、今回の演奏は文句なし楽しめました。これでしたらヨーロッパのどこへ持っていっても、きっと聴衆を楽しませることができるのではないでしょうか。

 オーケストラは今回、若松さんが産休のため高田あずみさんがコンサートミストレスを勤めていましたけど、この大役を充分すぎるほど勤めていたと思います。多少の弦セクションのアンサンブルの傷は、今後の練習で充分補えるものでしょう。なによりこのオケは良く歌います。まるで専属の歌劇場オケみたい。特に印象的だったのは、BWV201の13曲目のアルトのアリアにおける2本のフルートトラヴェルソです。早いパッセージをあれほど見事に歌ってみせた二人には心から拍手を送ります。もちろん島田さんのトランペットや三宮さんのオーボエ。それと堀尾さんのティンパニにも拍手!!

 声楽陣は何と言ってもBWV201におけるBCJ初登場のトーレスの名唱、名演技(!)を特筆しなけれえばなりますまい。このアルゼンチン出身の大柄なバスは自分の歌っていない時においても、常に演技をして会場を楽しませてくれました。バッハのカンタータを聞いているというよりは、まるでモーツァルトのオペラを見ているようでした。このトーレスの歌唱に引き寄せられるように、その他の歌手もみな一様に出来はよかったです。BWV201での最後テュルクの悲しみの表情など、エヴァンゲリストでの彼とはまた違った一面をみせてくれました。同じく初登場のギルクイストもとても落ち着いた技量の持ち主。ちょっと出番が少なかったのが残念でした。どこかライナー・ゴールドベルクを思わせるところがありましたが。

 鈴木さんの指揮もとてもよく練られたものでした。ひとつあげるとするとBWV201でのロバの擬音の表情付けの巧妙さ。こうした芸当ができるのでしたらいずれ、グルックやモーツァルトのオペラをやってほしいですね。

(けいいち様) (00/07/10投稿、00/07/22転載) (写真の説明文は矢口:00/07/26)
 このご感想は、けいいち様がクラシックファンのためのBBSホームページ「クラシック招き猫の演奏会感想の掲示板「音の余韻館」にご投稿されたものを、お許しを得て転載させていただいたのものです。ありがとうございました。
 このコンサートからすでに2週間がたとうとしていますが、その間、BCJのみなさんはスペイン、イスラエル、そしてバッハの本拠地ライプツィヒをめぐるコンサートツアーにでていらっしゃいます。本日はその最後をかざるライプツィヒ公演で、まさにこのご感想のコンサートと同じ曲目を本場ドイツの聴衆のみなさんに披露することになっています。東京での公演の熱気そのままに、きっとかの地でも喝采を博することと確信しております! 本日のライプツィヒ公演ではメンバーのうち、アルトのソロがロビン・ブレイズになるとうかがっております。ロビンはこのあと「ヨハネ」のアリアでまたきっとわれわれを魅了してくれることでしょう!
 BCJ初の世俗カンタータということで、興味津々だったこの演奏会。結果は、BCJのみなさんもきっとオペラをやってみたいと思っているに違いないと思わせる、愉快なひとときでした。BWV206での次々に登場する川たちによる賛歌も、けいいちさんご指摘のとおりよく歌う雄弁なオケにのって説得力に富んだものでしたが、なんといってもBWV201でのみなさんの芸達者ぶりが見ものでした。けいいちさんもお書きになっているトーレスの、役柄にぴったりはまった歌いっぷりと演技も素晴らしいものでしたが、それに負けなかったギルクリストテュルク役者ぶりも最高でした。この二人、歌合戦をするフェーブスとパンからそれぞれ審判者として指名され登場するのですが、それまで合唱席にいた二人がそれぞれ呼び出され、待ってましたとばかりに手を振って楽しげにステージ前方にでてきたところから完全に彼らのペース。ライバルの歌の時に居眠りをしてみたり、ダメダメ、とばかりに手を振ったり、自分の応援する歌手の歌の時には聴き惚れて、今度は夢見心地の様子でうっとりしたりと、とに かく楽しいステージでした。「アルゼンチン人(トーレス)と日本人(浦野さん)が歌合戦をして、イギリス人(ギルクリスト)とドイツ人(テュルク)が審判をし、結局ドイツ人が“ロバの耳”をもらってしまうというような展開を、はたしてドイツで演奏してしまっていいものか・・・。わざとそうしたわけではありませんよ。」と鈴木雅明さんが終演後のパーティでおっしゃっていましたが、今日のライプツィヒの聴衆のみなさんの反応が楽しみです。この7/9終演後のパーティについては、後日ご報告をさしあげたいと思っています。それでは、BCJのみなさん、ライプツィッヒでの演奏がんばってください!  (矢口) (00/07/22)

191 《「愛することができる人は幸せである」》
 
VIVA!BCJ  矢口 真さま、こんにちは! BCJフォーラム拝見いたしました。 本当に年内発売予定のBCJのミレニアム「ブランデンブルク協奏曲」楽しみです。そして、第1曲から、第6曲までの思い出をを私の感性で綴ってみたい想いでいっぱいです。私が演奏会に出掛けるときには、いろいろな想いがありますが、音楽を聴くとき、よくいわれる「癒し」であるとか、「励まし」をいただきにということではありません。(しかし、結果的には癒され励まされています。(^^))) (中略)

私は、第1に「音楽を楽しみたい!」のです。そして、その音楽から、ありとあらゆるものを私なりに吸収して、自分の中に新しい自分を形成したい、今は、「 I'm inspired by Bach! 」と言えるということです。私は聴衆のひとりであり、演奏家ではありません。しかし、同じ空間、時間を共有し、音楽を聴くという行為は、一方通行(受け身)ではないはずです。演奏家の音楽の空気に呼応して新しい自分が引き出される、そんな瞬間を、演奏の感動と共に得ることができます。どんなに音楽的に完璧(?)(どのようにそれをどなたが判断されるのか分かりません。その価値判断の基準が異なるのでしょうね!)に近いものであっても、感動がなければ、その人にとって、価値あるものではないでしょう。要するに、音楽を聴きに来ている聴衆が何を求めているかということがポイントではないでしょうか? 私がBCJを聴いていていつも感じることは、個々の演奏家が素晴らしい演奏家であることは勿論、BCJ全体の調和、全体としての音楽の豊かさに感動します! そして、何よりもBach演奏においてBachの意志を尊重され、Bachの言語が、聴衆に伝わるという点にあります。それは、私の求めるもの、また新たな発見という観点でも、すべてを満たす音楽がBCJであると今、実感するからです。音楽を広い視野でみつめ、研究心、探究心、感性の豊かさ、人間性、バッハ・コレギウム という連帯感、、、書き尽くせませんが、すべてにおいて、心を尽くし、魂を尽くし、想いを尽くして演奏しておられるという点、BCJの音楽の原点が、芸術の始まりが、大いなる愛にあるからではないかと考えております。
 
「むしろそれは一切を意味した。それは存在の秘密を意味した。そしてそれは、美しかった。それは、至福であった。それは心であった。それは見ている者にとっては、一曲のバッハの音楽、一点のセザンヌの絵のように、贈り物であり、発見であった。」

また Hesse を引用させていただきました。感動をヘッセが表現した一節です。
音楽を聴いての感動もまた、個々の自己への内面への道であるように思います。
すべての人間の生活が自己自身への道であるように、、、。

最後に、「愛することができる人はしあわせである。」 これも、Hesse ですね。
皆様、ご自愛下さい。「18のコラール」、皆様の Impression ,フォーラムを心待ちにしています。矢口さま、また多くのインスピレーションを「VIVA! BCJ」を通して、お伝え下さい。
私はBCJを聴くまでは「ブランデンブルク協奏曲」の魅力を知り得ませんでした。また、「音楽の捧げもの」by クイケンが好きなので、BCJの生演奏を聴いてどんな風に印象づけられるか21世紀が楽しみです。
(後略)

From Akiko Suzuki
(Akiko Suzuki 様) (00/06/26)
 Akiko Suzuki 様、こんにちは。重ねてのお便り、ありがとうございます! 音楽を聴くことの意味を改めて考えるとともに、BCJの音楽づくりの原点に鋭く迫るお言葉を、大きくうなずきながら拝見いたしました。
 ヘッセ(1877-1962)がBCJの音楽を聴いたらどのようなリアクションをするか、実に興味深い点です。ただ、彼の生きた時代はなんといっても、いわゆるロマンティックな表現のバッハ演奏が中心の時代でした。もしかしたら、BCJのバッハを「あっさりしすぎている」と感じたかもしれません。例えば数日前にうかがった「18のコラール集」の演奏についても、きびきびした表現を基調に、曲に織り込まれたコラールを、まさにコラールとして聴かせていただけたことに私は大きな感銘を受けたのですが、その各曲の個性を見事に書き分けて示してくださった演奏は、名高いヴァルヒャやリヒター、そしてかのシュバイツァーのような、比較的たっぷりとした音楽づくりの演奏とは一線を画するものであったので、はたしてヘッセがそれを“新しい発見”ととらえてくれるものか、なんとも言えません。ただ今後、こうした取り組みを新しい発見としてとらえて楽しんでくださる方がふえ、お客様の入りはやや寂しいものだったこのオルガンリサイタルのようなコンサートにも、さらに多くの聴衆が集まるようになってくれないものかなと思っています。今年のバッハ・イヤー の盛り上がりがそんな道筋をつけるための大きな一歩になってくれるよう期待したいものです。
 今回のBCJ「ブランデンブルク」への様々なご意見についても、この曲集がとても多くの人に愛されている曲集だからこその部分もあったと思っています。しかし、どんな立場からのご意見にせよ、少なくともBCJの演奏に興味期待をもってくださったからこそのものに違いありません。この貴重な声の数々をその“大いなる愛”で受け止め、さらに成長していってくれるBCJであることを期待しましょう! 「愛することができる人はしあわせである。」のですから。
(矢口) (00/07/02:ヘッセの123回目の誕生日に)

190 《充実した楽しさ,BCJの「ブランデンブルク」》
 
鈴木雅明さん率いるBach Collegium Japanの第137回定期の「ブランデンブルク協奏曲」全曲を聴きに,雨の中神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(5月27日 15.00-17.30)。

配置は,チャペルのやや奥の真ん中にチェンバロを蓋を外して置き,その周りを取り囲むような形でした。 チェンバロの蓋を外したために,音が特定の方向に向かずに全体に散って小さく聞こえてしまうのは仕方がなかったかもしれません。 また,1曲ごとにかなり編成が変わるために移動が多く,とはいえ基本的には入口から見て弦だけならチェンバロの左側に高音域で右側に低音域を,管が入る場合には管は右側という配置でした(だだし2番のリコーダー,5番のトラヴェルソは左側)。 座席は,チェンバロの右手後方で鍵盤が見えたので,5番での雅明さんのチェンバロソロがよく見えてとてもラッキーでした。 オーケストラも全体に安定していて,何よりもとても楽しい感じが印象的でした。 天気が悪かったせいか,弦が頻繁に調律しなければならない様子でした。

楽器のピッチは既に知らされていたように,フレンチピッチ(A=392Hz)ということで,普段よりも半音低く,モダンの楽器のピッチと比べるとほぼ全音低いピッチでした。 まったく違和感はありませんでしたが,頭の中のピッチが変わってしまったので,現代楽器の演奏を聴くと随分高く聴こえます。

以下,部分的ながら各曲へのコメントです。 コンサートのプログラム(500円)とそこに書き留めたメモと,高校時代にレオンハルトなどがオリジナル楽器で録音したLPについていたファクシミリ版の楽譜を見ながら書いています。

第1番ホルンも入って祝祭的な何とも華やかかつ楽しそうでフレンドリーな感じでした。 座席がホルンの真後ろになり,隣のオーボエ隊もよく見えました。 1.ではホルンの16分音符が「タタタタ」だけではなくて「タラタタ」というのもあって変化がありました。 2.Adagioは美しいオーボエ。しかし自分でリコーダーを吹いていても思いますが,複数の楽器のピッチを完全に揃えるのは難しいですね… 3.Allegroでは快速ながら弦はレガート気味。 ホルンに再び「タラタタ」。 ヘミオラはトンほど強調しないけれどもよく聴こえました。 4.Menuettoも快速。 繰り返しで特に違ったことをやっているように感じなかったのはこちらがちゃんと聞いていなかったためでしょうか(苦笑)。 Poloinesse(Polaccaと書いてあるのもあり)もトンほど速くなくヘミオラも強調し過ぎることはありませんでした。 Trio IIではホルンはやっぱり大変。

第2番では何といってもトランペットが聞きごたえがあり,関心のあるリコーダーにも注目しました。 座席がトランペットのすぐ後ろでリコーダーはチェンバロをはさんで向こう側でした。 1.では縦の線が揃っているのが心地良いです。 リコーダーはそれほど多くの装飾はありません。 リコーダーの運指で知らない運指が出てきたようです(上のEsなど)。 2.Andanteではリコーダーがやや突っ込み気味に吹き,そして各パートが装飾を入れていました。 コンティヌオが淡々と,しかしどっしりと進んで行ったのが印象的。 3.Allegroの楽しさ。最後を短かめにスパッと切る気持ちよさ。 トランペットは唇だけで音程を変えるという超絶技巧(ベンディング奏法)でした。 リコーダーはラウリンさんくらい吹けるととても楽しいでしょうね。

弦だけの第3番が圧巻。 1.では寺神戸さんのヴァイオリンが中低音の倍音が多い音がとてもいい気持ち。 アンサンブル全体も中低音の倍音が多い感じで,その安定してキメやタメが利いた低弦もとても気持ちよかったです。 2.Adagioでは雅明さんの長めの美しいチェンバロのソロに途中,寺神戸さんのヴァイオリンが入って来て,さらにヴァイオリンのソロに移り,そこからトゥッティに入る美しさ! トンのチェンバロのこれまた長いソロからトゥッティへの移行もとても美しかったのですが,今回のヴァイオリンとの絡みもまた素敵でした。 Allegroは速めでグイグイと進み,その中で安定した低弦の上に,若松さんはとても楽しそうに,ヴィオラの森田さんは堅実に,寺神戸さんはさすがという感じで,短いソロの受け渡しがある時をはじめ色々なところで弾いておられたのが印象的。 最後のfisの減七(f#ディミニッシュ)の和音のところで全員の音がガッと一気に固まって迫ってくるのに圧倒!その後オケが薄くなって場面転換してソロが出てくるところで癒される感じが素晴らしかったです。

休憩になって外に出てみると寺神戸さんが何人かとお話しされており,その後ちょっとお話しさせて頂くことができました。 1月にオランダのライデンで行われた La Petite Band のコンサートでお話しさせていただいたことを覚えて下さっていて嬉しかったです。 また,2番と3番のことをちょっとお話しさせていただき,「録音のご予定はないのですか?」と伺ったところ「明日から録音を始めますのでまたよろしくお願いします」とおっしゃっていました。 リリースが楽しみです。 また,第2番の難しいトランペットについて感想を述べたところ「本番では音程が少し上づってしまって練習の時の方がもっと良かった」そうです。 それでも良かったと思います。録音が楽しみです。

リコーダーが2本出てくる第4番ではリコーダーの真後ろで聴くことに。 リコーダーのお2人は,ラウリンさんが爪先立ちになって身体を揺らし,演奏にも色々な工夫をしながらやや突っ込み気味に吹いていくのに対して,山岡さんが淡々とした中にちょっとした仕掛け(応答)をされながら吹かれるのを面白いと思って聴きました。 1.Allegroではリコーダーの八分音符が「タタタ」だけではなくて「タラタ」という変化を付けていたのと掛け合いが耳に留まりました。 弦の滑らかさも印象的でした。 2.Andanteではラウリンさんは遅くなくやや突っ込み気味に吹かれて,あまり休止というか間を取られないんだなぁと思いながら聴きました。 3.Prestoではそれぞれのソロを,特にヴァイオリンの寺神戸さんのソロをひたすら楽しんで聴きました。

第5番では 1.Allegroではもちろんチェンバロに注目で,雅明さんの右後方からちょうど手の動きが見えるところだったのはラッキーでした。 チェンバロにも色々な奏法があることを改めて思いました。 途中のソロも本当にかっこいいですね。特別に変わったことはされておられないようですが,十分盛り上がりがあったと感じました。 途中やや指が滑られたのかなと思うようなパッセージも若干あったようです。トンのソロでは畳み込んで休止という弾き方でそれはそれで劇的な効果がありましたし,好みの問題でしょうか。 あと,先にも書いたようにチェンバロの蓋を取ってしまったので音が塊になって迫って来なかったのは残念でした。 トラヴェルソヴァイオリンも素敵で,pianissimoの部分でトラヴェルソがフラットマンを使っていたのに注視しました。 普通に吹くよりも効果がありトリルほど聞こえ過ぎないので気持ちが良いです。 2.Affettuosoでは遅くない左手が引っ張っていく感じで,音楽が動いていました (雅明さんのお弟子さんにチェンバロ伴奏していただいた時の弾き方を思い起こしました)。 3.Allegroではそれぞれのソロをひたすら楽しみました。いずれにしても,この曲ではどのソロもとても楽しく聴くことができました。

中低音弦楽器だけの第6番はひたすら気持ちが良くて眠りそうになりながら聴いていました。 どの楽章もテンポが中庸で,そのために本当に心地よかったです(調性もきっと関係がありそうですが)。 それは私だけではなかったようで,演奏者の向こう側をふと見るとその「高級な眠り」に落ちておられる方を何人かお見かけしました。 それだけ気持ちの良い音だったのでしょう。 あと,1.での八分音符の連続ではやや大げさな表情付けがあっても良かったようにも思いますが,あくまで個人的な好みです。 3.Allegroでは時々登場するガンバのアクセントが利いていたようです。 全体的にもう少し速めのテンポが個人的な好みというところでしょうか。

ということで,フレンチピッチとオリジナル楽器による「ブランデンブルク」の全曲演奏という大変贅沢な2時間半を過ごすことができました。 その後のパーティには都合で参加できなくなって残念でした。
(竹内茂夫様) (00/06/23)
 竹内様より、4月の「マタイ」に引き続き、「ブランデンブルク」のご感想もお送りいただきました。ありがとうございます。
各曲の聴きどころをおさえたご感想、埼玉と東京で自分が耳にした響きを思い浮かべながら読ませていただきました。しかし、BCJのみなさんが試みられるアーティキュレイションは本当に多彩ですね。そんなところに注目すると、まさに一瞬一瞬が発見の連続、という感じです。加えて当意即妙の装飾の掛け合い! 東京公演では「ブランデンブルク」シリーズももう終盤だったためか、各所で装飾合戦(装飾倍返しの法則?)が繰り広げられていました! CDではそのあたりどんな感じになっているのでしょうか。それもまた楽しみですね。竹内さんが参加できなかったBCJ創立10周年パーティ・神戸ヴァージョンの模様は、こちらをご覧ください。竹内さんのHP「Mr あたけのクラシック音楽紀行」には、BCJの神戸での演奏の他、オランダでお聴きになっていらっしゃった古楽のメジャー・アーティストの素晴らしいコンサートのご感想などが多数UPされていますので、是非ご覧ください。 最新のレビューはコープマンの「マルコ受難曲」のコンサートの模様です。ぜひまたこの「フォーラム」にもお便りください。お待ちしております。 (矢口) (00/06/30)

189 《紫陽花の青の自在やコンチェルト》
 
 VIVA! BCJ 矢口真さま、こんばんは! 東京のブランデンブルク協奏曲いかがでしたか? 東京のBCJファンの方々と語らいの時をお過ごしでしょうか? 今日は夕刻の東京公演がとても気になっていました。(松蔭チャペルでの演奏会が、とてもステキでしたので、、、) BCJコンサート真只中の矢口さんが羨ましかったです !? (^^)) 東京も雨でしたか? BCJのブランデンブルクは雨のイメージ ?! (調弦にご苦労されたのでしょうか?) 紫陽花の七変化のようなマラソンコンサートの各曲の彩り、矢口さんのお好みは第何曲でしたか?

・・・水色の通奏低音が各曲を流れている間、透明な音の響きが天上から降ってくるかのようで耳を澄ますと、第5曲、独奏のチェンバロの音色がその青色を深めてゆくのを感じました。それは、水を湛えた青色で、光の角度によって、薄紫にも薄紅色にも輝いてゆく未来を含有しているかのようでした・・・・ そうして、天上の光を浴びているような心地よさの中、聴衆の溢れる賛美の中、演奏家は、第1曲から第6曲までの音のマラソンを、抜群のチームワークで完走しました! そして、地上には、美しい紫陽花の花が咲きました!(どの紫陽花の花も個性的flexibleで、寄り添って、優しい色のひかりを放っていました。)

私は、まだまだ、ブランデンブルクの余韻に浸っているのです。(5/27松蔭) こんなに豊かな音の響きを、同じ時代に生き、共有させて頂けること、感謝しています。Bachからの音楽の捧げもの、大切に聴いてゆきたい想いです。

  紫陽花の青の自在やコンチェルト (拙句ですが、、、)
From Akiko Suzuki
(Akiko Suzuki様) (00/06/09)  
 Akiko Suzuki様、こんにちは。ブランデンブルク協奏曲・東京公演の晩にいただいたお便りでしたのに、ご紹介が遅くなってしまい申しわけありませんでした。
 神戸・松蔭でのコンサートのあと、厳しいレコーディングを経て行われた埼玉公演(6/3,4)、そしてその後少しのインターバルを持って行われた東京公演(6/8)、仙台公演(6/9)と、BCJの「ブランデンブルク」が駆け抜けた2週間でした。お便りを頂戴した9日の深夜は、東京公演後、マラソンを走りきったメンバーの皆様やBCJファンの方々と色々お話をさせていただいて帰宅したところでした。いただいたメールを拝見してからクラシックファンの語らいの場、BBSホームページ「クラシック招き猫」の「音の余韻館」を見に行きましたら、さっそく前夜のBCJ「ブランデンブルク」東京公演のご感想が投稿されていました。それは、この「フォーラム」にもたびたび「招き猫」へのご投稿を転載させていただいている けいいちさんのもので、内容は当夜のBCJの演奏について、様々な面から問題を提起されたものでした。そこで私は自分の感じた当夜の演奏の感想をレスポンスしたので、以下にその文章を引用したいと思います。
けいいちさん、こんばんは。矢口です。すばやい率直なご感想の投稿、拝見させていただきました。

色々な側面があったと思いますが、私は今回の公演、BCJファンとしての身びいきでなく、やはり大きな意義があり、そして成果も上がったと思います。

今回のコンサートでの大いなる体験は、曲順にあったと思います。今まで、ブランデンブルク協奏曲の全曲演奏のライブを会場で、またFMなどで何回か聴いたことがありますが、1から6番をその順に演奏した、ということは経験がありません。今回、会場で販売されていたプログラムにアメリカのマリッセン准教授が解説を執筆されていますが、その著書に『ブランデンブルク協奏曲の社会的宗教的構想』という一冊があり、その中には「(この曲集が)単に出来合いのコンチェルトを集めたアンソロジーでなく、社会の構造を暗示した意味深いセットである」という考えが述べられているそうです。(鈴木雅明さんによる「巻頭言」より) 鈴木雅明さんの今回の演奏のアイディアの原点はここにあったのではないでしょうか。この意味合いをはっきりさせるためには、ホルンは狩りの象徴であり、トランペットはシュタットファイファー(都市の音楽家)がそのステイタスを登りつめた時に手にする楽器として朗々と鳴り響くことが必要であったのではないかと思います。例えば音のコントロールのしやすいバロックタイプのトランペットで演奏すれば、楽器間のバランスももっと余裕をもってアンサンブ ルできたでしょうし、こぼれた音符や不確かな音程の音符ももっと少なかったでしょう。しかし、それでは、あのライプチッヒの名トランペッター・ライヒェの誇らしげな肖像画にあるような権威が感じられなくなってしまうと思うのです。(ライヒェが必ずしも協奏曲2番を吹いていたとは限らないのですが)もちろん今回の演奏は、ライヒェが聴いたとしたら苦笑したかも知れません。しかし、その取り組みの姿勢にはうなずいてくれたのではないかと思います。実は埼玉公演の2番についても、あのトランペットは我慢できなかった、とおっしゃっていた方がいましたので、今回はなぜこのアプローチなのか、ということを自分なりに考えながら聴いてみての私の結論は、やはり今回のチャレンジには大きな意義があった、というものでした。ただし、私も2番の演奏の評価には留保が残ります。(私の印象は、良かった方から3、6、5、1、2、4でした)
 繰り返しになりますが、宮廷の権威を象徴する狩りのホルンを擁した1番から始まって、都市の音楽家たちの饗宴の2番、そして3の数字の重なりによる神讃美の3番、「種々の楽器の為に書かれた協奏曲(通称:ブランデンブルク協奏曲につけられた本来のタイトル)」の面目躍如たる4番、5番、そして最後の6番で到達した伸びやかな境地・・と続いた流れの中から、世界の秩序は拮抗するのでなく、相和すべきものである、とのメッセージを感じられたことが大きな収穫でした。

 (私にとって今回のBCJの演奏は)徹頭徹尾鈴木雅明さんの音楽に感じられました。きびきびした音楽の運びの中にただよう愉悦感に、とてもうれしくなってしまいました。そしてコレギウム(仲間たち)という言葉を地でいくような楽しげなアンサンブル。全員が(特に弦楽器)ほとんど暗譜状態でその時々の主役をきちんと意識し、見事な受け渡しとニュアンスの連係プレイができていたと思います。ただ、協奏曲1番の2楽章のヴィオリーノ・ピッコロと1番オーボエ、協奏曲4番のリコーダー群と弦楽器群(コンティヌオも含む)は確かにかみ合いませんでしたね。そこは私も残念でした。

今回のBCJの演奏では、大いなる神の掌の中での人間讃歌といいますか、ある種の厳格さの中での楽しみ、といったものを味わうことができ満足でした。
今年中に発売される予定のCDでは第5番の1楽章の初期稿もレコーディングされたとのことですので、こちらも楽しみです。
それでは。
(矢口) (6月9日(金) 3時57分 「クラシック招き猫」への投稿:一部省略)
 ということで、このあともけいいちさんが改めてご意見をお書きくださったり、他のみなさんからも様々な印象のご感想が寄せられ、今回のBCJの「ブランデンブルク」の演奏について色々と考えを深めることができ大変参考になったと思います。このご感想のスレッドはまだ「音の余韻館」の中に残っていますので、まだご覧になっていらっしゃらない皆様も、よろしければご覧ください。そのご投稿の中にある江の子太郎さんのフレンチピッチ採用に伴う影響のご指摘が、6/13付の「日本経済新聞」に掲載された演奏会評と共通する点など、みなさんのご見識の高さに改めて感じ入ってしまいました。
 ・・・ということで、様々な受け取り方があった今回の「ブランデンブルク」でしたが、私自身は上の投稿にもありますようにとても満足いたしました。今年中には発売される予定のCDを楽しみに待ちたいと思います! (矢口) (00/06/26)

188 《2000年の「マタイ」から「ブランデンブルク」ヘ》
 

<マタイ受難曲>

 新しいmillenniumの私のBCJ、First Concertは、4月22日(土)於:神戸松蔭チャペルの「マタイ受難曲」でした。
 昨年、Nancy Argenta さんや、Robin Blaze の感動的な同曲を名古屋芸術劇場(3/28、1999)で聴かせていただき(私にとってBCJの最初の演奏会)、また、昨年10月には、メイキングvideoつき(初回プレス)CD(解説書の最後の頁の集合写真からも、多くの人々の共同作業で心一つに完成された素晴らしいCDということがわかります。)が発売され、「マタイ」に親しんで参りました。
 私が「マタイ」を聴く時には、「人生が生きるに値するということこそ、すべての芸術の究極の内容であり、慰めである。」と記したヘッセを思い浮かべます。彼はまた、第二次世界大戦下、「息をするのに空気が、食べるのにパンが存在するのと同様に、私には重要であり不可欠である。」と、「マタイ受難曲」について、ある書簡にしたためています。この音楽が、導いてくれるもの・・・生きていく上で最も大切なこと を私なりに、深く心に刻んでいます。
 さて、2000年の「マタイ」は、神戸松蔭チャペルでの演奏形態を模索、発見された、コンチェルティストとリピエニストという発想に基づいたもので、合唱をも歌われるソリストの皆様の新たな魅力が満ち溢れていました。こうして一期一会の演奏会でBCJを聴いていますと、「芸術の始まりである大きな愛」が、合唱と共に無限大の愛へと広がってゆくのを実感します。今回の演奏会は、音楽監督から、先にお父様・鈴木正美氏が、天に召されたとのお話があり、大変驚きましたが、研ぎ澄まされるBCJのハーモニーと共に、一つの魂が、永遠の魂となり、一つの精神を結晶たらしめるかのような真実への意志がありました。真摯に生きる鍛錬の厳しさと共に存す、限りない優しさに満ち溢れた、忘れ難い演奏会でした。


<カンタータ第12集BWV147&BWV21>

 2月の松蔭チャペルでのカンタータは、残念ながら、聴きにゆかれませんでした。矢口さんによると、BWV109が素晴らしかったようですね。 *きさらぎの雪の中で聴くバッハのカンタータとは・・・? ひとつひとつの音が、雪片のように、舞い降りてきたのでしょうか・・・*
 心待ちにしていたBWV147のBIS盤CDを手にしたのは、3月に入ってからでした。矢口さん曰く、「最強のカンタータ?!」ですが、私はピアノ盤以外に3枚のCDを聴いています。(以下、購入した順に挙げます。)

  1.N・アーノンクール指揮 Concentus Musics Wien,テルツ少年合唱団
     「BWV147 & BWV211コーヒーカンタータ」
  2.ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団English Baroque Soloists
     「BWV140目覚よ、と われらに呼ばわる物見らの声&BWV147」
  3.鈴木雅明さん指揮&BCJ
     「BWV147&BWV21 わが心に憂い多かりき(ライプツィヒ稿)」

 上記1は、超有名カンタータの複合体。(211のBassは Max van Egmond) 2は、140から、147へと導かれてゆく感覚にとても惹かれます。3は、*VIVA!我らがBCJ! ガーディナー盤よりややslowテンポ、心地よい速度。(音楽監督の心臓の鼓動と同じ速度?!) 島田氏のあまりに美しいトランペットの音色。sop:野々下さん、c.ten:ロビン・B ten.:G・テュルク bass:P・コーイのソロが素晴らしく、合唱も演奏も心に響く147は勿論、my favorite oneです!そして、静かに、BWV21へと導かれ、心に浸透してゆく透明感はなんと優しく美しいのでしょうか! このCDを突然の病で手術後失明してしまった職場の友に贈りました。音楽の力に、彼女の早い回復を願わずにいられません。さて、BCJは約束通り、BWV21のワイマール稿、ケーテン稿、そして今回のライプツィヒ稿を聴かせてくださいました。

 矢口さん、そういえば、7/2ヘッセの誕生日ですね。1723年の7/2、「マリアの訪問の祝日」に初演された、BWV147について、ヘッセは、何か書き残してはいないのでしょうか? 「演奏者はどなたで、どの作品を執筆中に聴かれたのか」とか探求してみたくなりますね。(「マタイ受難曲」についても。)
 メンデルスゾーンが、1829年にベルリンで「マタイ受難曲」の蘇演を行い約50年後の1877年(明治10年)、ヘッセが生まれた。1919年(ヘッセ42歳の作品「デミアン」には、「マタイ受難曲」やカンタータBWV106等が言及されていたり、オルガン奏者が登場したり、、、。「晩年の散文」の「エンガディーンの体験」には、友人エドヴィン・フィッシャーが、ヘッセの詩、「エリーザベト」を彼自身が作曲し、聴かせてくれたこと、チェロ奏者のピエール・フルニエについて、「練達の点で先輩カザルスと肩を並べ、芸術的な点で、演奏の厳しさと渋さにおいて、演奏曲目の純粋さと非妥協性において、カザルスにむしろまさっています。」・・・「私はバッハの独奏曲を聴きながらその部屋にいました。(中略)力強く精確に渋く弾かれた音楽は私にとって、飢餓に苦しむ者にとってパンとブドウ酒との持つ味がしました。それは栄養であり、湯あみであり、心に元気をとりもどし息がつけるようにしてくれました。」・・・etc と、書かれてあります。


<「ブランデンブルク」の優しさに包まれて>
 5/27(土)於:神戸松蔭チャペル「ブランデンブルク協奏曲」by BCJ

 もはや、開場を今かと待つ行列は、学生会館を登り、通路を通ってまた下って、と言う具合で、チケットを持ってはいるものの「本当に入れるかな?」と、心配になりました。超満員の会場は、いつもと様子が違って、チャペルの真ん中にチェンバロが置かれ、それを囲むように楽器群が並ぶという、バッハの時代の宮廷音楽師の演奏の絵のような配置、そして籐椅子が演奏家を囲むように四方に並べてありました。第1曲限りない優しい音色に、私の未熟なこの曲についてのステレオ・タイプのイメージが、全く新たなものに刷新されました。そして2曲目の、島田氏には圧倒されました。3曲目、優しい優しい3つのヴァイオリン、3つのヴィオラ、迫力ある3つのチェロ、第4曲、ヴァイオリンとブロック・フローテの協奏、第5曲、巧みなチェンバロの透明感ある優しい響き第6曲、ヴァイオリン属と、ヴィオラダ・ガンバ属の見事なコントラスト! マラソンコンサートの、限りない優しさに包まれて、至福の時を過ごしました
フレンチ・ピッチはいいですね。BCJは、やはり、すごい!!演奏会の外は、雨が降っていました。何もかもが、優しい余韻を聴いている・・という感覚で、幸せでした。

演奏会後は、BCJ十周年のお祝いの会が、アット・ホームな雰囲気の中開催されました。バッハ没後250年の年に今後15年間に及ぶカンタータ全曲演奏実現に向けて、「バッハの音楽を演奏家と聴衆が共有する」という MOTIVATION を確認しあえた気がいたします。BCJという素晴らしい、世界に誇れる演奏家によるバッハの真摯な音楽の伝授に、我々聴衆が、心からバッハの音楽を愛し、その言語に一つ一つ耳を澄ます無限大の感動です。
バッハが、クリスチャン・ルートヴィヒ殿下に真心を音楽に捧げたように、私も演奏会のお礼を述べたいのですが、拙い文章で失礼をお許しください。
個人的な感想を述べさせていただきました。皆様のレポートを楽しみにしております。 
かしこ From Akiko Suzuki

  P.S.
「バッハをデュラーとすればヘンデルはルーベンスである。」とシュヴァイツアーは「バッハ論」に、書いていますね。「ルーベンスとその時代展ーバロック音楽の楽しみ」を鑑賞された方々、是非、レポートしてください。どのような音楽会、絵画鑑賞でしたか?
  PP.SS.
6/4(日)NHK.FM、第1稿の「マタイ受難曲」、心豊かに聴かせていただきました。ありがとうございました。9月の第3回も楽しみです!

(Akiko Suzuki 様) (00/06/05)
 Akiko Suzukiさま、この春の「マタイ」から「ブランデンブルク」に至るBCJの活動の流れに沿ったご感想のお便り、ありがとうございました。「ブランデンブルク」全曲演奏番号順に行われたのですね!
 ヘッセバッハの音楽に傾倒していたことはよく知られていることではないかと思いますが、どんな演奏を聴いていたかという資料は余り多く見たことがありません。よって、ヘッセの誕生日でもある7月2日にちなんだ147番についてどんな演奏を聴いていたのか、どんな思いを持っていたのか、わかりません。しかし、「マタイ受難曲」や「ブランデンブルク協奏曲」の一部の曲についての話題は、音楽之友社刊の『ヘルマン・ヘッセと音楽』に記載があります。「マタイ」については、幼少の時に聴いた時の感想や、ドゥリゴというアルト歌手との交流の話の中などに言及があったように記憶しています。「ブランデンブルク」については、小さな教会ですばらしいフルーティストと出会った第4番のコンサートのことや、第5番のソロをフルトヴェングラーがピアノで弾いた時のことなどが書いてあったように思います。 あり得ないことですが、もし彼(ヘッセ)がBCJの演奏を耳にしたら、どのような反応が帰ってくるのかちょっと楽しみですね。
 ルーベンスはとても充実したコンサートでした。ただ、まだ絵画展は見に行っていないので、7/2(!)までが会期ですから、絶対に見に行こうと思っています。NHK-FMのバッハ特集、今度の9月の第三回で終わってしまうのでしょうか。もうちょっと色々な話題で続けられそうな気もするのですが・・・。でも、雅明さんもお忙しいので、3回ぐらいでちょうどいいのかもしれませんね。 では、東京の「ブランデンブルク」全曲、聴いてきます! またのお便り、お待ちしています。 (矢口) (00/06/07)

187 《松蔭でのブランデンブルク協奏曲 and BCJ十周年記念パーティ》
 
 矢口さんお元気ですか? 5月27日(土)神戸松蔭女子学院大学チャペル「ブランデンブルク協奏曲」演奏会がありました。あいにくの雨でしたが2時前から長蛇の列で、こんなに並んで入れるのだろうかと少々心配しました。チャペル内は客席がロの字に設定され、BCJを客席が取り囲むようになっていました。私たち松蔭酔狂カルテット(?)はチェンバロの雅明さんの向かい側、秀美さんの後ろに席を取り、日本初のフレンチ・ピッチによる演奏を楽しみました。伸びやかで快活な切れの良い音に引き込まれ、身近にチェロやコントラバスの音を聞き、また楽器たちの優美な姿を目の当たりにすることができ二重に楽しみました。(秀美さんのチェロの側には絵が描いてありました。)

 第2番ではいよいよ島田さんクラリーノ・トランペットの活躍です。唇だけでこんな複雑な音をよく作れるものだと、その絶妙な業に聞き惚れ息をのんで感嘆しました。鈴木さんも満足そうな?表情でした。会場は雨のためか蒸し暑く、休憩を挟んで第4番では演奏者のほとんどの方が上着を脱いで出てこられましたが、そのシャツのカラフルなこと。ダン・ラウリンは黄色にオレンジ色の模様の入ったシャツ、赤津さんはチロリアンテープのような模様の入った白いシャツ、秀美さんはオレンジ色の半袖シャツ、寺神戸さんは赤みがかった茶色のシャツ、マエストロはバイオレットのシャツ、といった具合で男性陣のカラフルな服装に、涼しい風をもらったような気がしました。独奏と協奏のコントラストの妙味を十分味合わせてくれた演奏は、さすがBCJ!東京のみなさん、仙台のみなさん、お楽しみに!

 さて、BCJ結成十周年とのことでお祝いのパーティが近くのレストランでありました。(下の写真も大庭さんが送ってくださったものです! ただしコメントは矢口も書いています。)
 鈴木さんからBCJ結成の歩みのお話がありました。そしてバッハ・コレギウム・ジャパンという名前はバッハ・コレギウム東京とバッハ・コレギウム神戸がいずみホールでの演奏会を機に合併することになり、「東京と神戸だからジャパンだ」とつけたが、ドイツ語、ラテン語、英語の一緒くたになった名前じゃないかと笑いをとっていました。そして結成から今日まで松蔭女子学院大学の献身的な協力で、演奏会が続けられている事への深い感謝の言葉がありました。そして今日の演奏にふれ、無いものを作り出す島田さんの力量と演奏技術に大きな拍手がありました。「我々は松蔭での演奏会ならこのトランペットでやれるのではないかと、決断しました。」「我々は次に、もっとお辞儀の練習をしなくてはならない」ロの字型の客席にお辞儀をするのに、みんなてんでバラバラでお辞儀を率いるマエストロも少々手こずった感じでした。最後はハイ前向いて、後ろ向いて、ホラ両横のお客さんにも!という感じで、みな笑っていました。
 島田さんにお話を伺いましたが、トランペットを吹くのは本当に大変で、他の演奏会では終わると吐いてしまうほどだそうです。でも、松蔭のお客さんはトランペットと一緒に息をしてくれるんで吹きやすいとのことでした。(他の演奏会では会場の関係でそこまでの関係はもてないから) 実際にパーティでも吹いて下さいました。(何という曲でしょうか「蛍の光窓の雪」を吹いて下さったのです) 雅明さんが「このレの音まで出るトランペットふきは世界に二人といない。」と言うと秀美さんが、「だから、島田さんはこの後、世界中のオケから誘いがかかるか、世界中のトランペットふきから暗殺されるかだ!」とおっしゃって、会場は爆笑。
 一つ残念なことは? いえ嬉しいことは若松夏美さんがおめでたで、9月出産予定1年間お休みをするとのことです。このバッハ・イヤーにいろいろキャンセルしなくちゃならないのよと嬉しそうに?!おっしゃっていました。
その他オフィシャル・サイトにあるようなお客さんや、ご挨拶がありました。
2時間がアッという間の楽しい十周年パーティでした。

マエストロ、鈴木雅明さん! ガット・カフェマスター、
鈴木秀美さん
 
我が師、山岡重治さんと
ダンちゃん
 
ビールを飲むにもラッパを吹く
にも右手は腰に!の島田さん。
(by大庭さん)
踊る(?)、ダン・ラウリン
 
両手に花の寺神戸さん
 
(大庭美登里様) (00/06/03)
 大庭さん、こんにちは。神戸での「ブランデンブルク」の様子と楽しいパーティのご報告、ありがとうございました!
神戸でのセッティングは斬新なものだったようですね。真ん中でアンサンブルするために、なんでもチェンバロはずっとふたをとって演奏されていたとか。いつもの祭壇のところでの演奏とはまた違う響きがチャペルを満たしたことでしょう。
 私は先日、6/4の埼玉公演二日目に聴きに行ったのですが、やはり島田さんのソロはすごかったです! ちなみにこの右手を腰に据えての演奏スタイルは当時の由緒ある吹き方なのだそうです。まさに島田ライヒェ参上!という感じですね。(ライヒェ氏はバッハ時代のライプツィッヒの名トランペッターです。)
 埼玉での2番では島田、ダン、三宮、寺神戸、のソロ奏者がみな黒のスーツを着てステージに登場したので、ある方曰く、「まるでヤクザの出入りか、マフィアの集会みたい・・・」ということでしたが、神戸の4番ではカラフルなステージだったのですね。東京、仙台ではどうなることでしょうか! 夏美さん、おめでとうございます。胎教がフレンチピッチ(?!)という環境で、バッハ家のように音楽家になったりして・・・。無事なご出産、お祈りしております。
 10周年記念パーティ、東京では7月の定期のあとに予定されています。こちらも楽しみです。
さて、ではいよいよ、オペラシティで私も全曲、じっくりと聴かせていただきます!
(矢口) (00/06/07)

 


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