2003/ 4/18 18:30 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション 2003/04/04〜12 BCJアメリカ・ツアー
2003/04/19 17:00 日本大学カザルスホール
BCJアメリカデビュー記念 受難節コンサート2003 特別追加公演 II
出演メンバー | |
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ソプラノ・イン・リピエーノ 野々下由香里&ロビン・ブレイズ |
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第1グループ | 第2グループ |
コーラス
オーケストラ
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コーラス
オーケストラ
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ファゴット 堂坂清高 指揮 鈴木雅明 |
BCJと私が1991年に初めてマタイ受難曲を演奏した時、イエス役を歌ったマックス・ファン・エグモントは自分の書きつけを見ながら、「あ、今日はちょうど300回目だ」と眉ひとつ動かさずに言った。此彼の違いに愕然としたが、以来、私のマタイ行脚も少しは進み、今回の聖金曜日でちょうど30回目の演奏となる。当時のマックスのまだ10分の1に過ぎないが、演奏するたびに必ず新たな喜びをもたらすこのマタイ受難曲とは何と特別な存在であろうか。冒頭ホ短調の沈鬱と、終曲ハ短調の平安の間に閉じこめられた十字架刑の生々しいドラマが、時に対照的な夢幻のアリアによって際立ち、さらにコラールによってその摂理が説き明かされる、という不思議な構造が、私達を捕らえて離さない。
今回初めてのアメリカ・ツアーを経て再びこの作品の第30回目の演奏を、正しく聖金曜日に、しかも久しぶりにBCJの定期演奏会としてお聴きいただくことは、小さな記念とすべきことに違いない。
鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)
(チラシ掲載文)
BACH Collegium JAPAN
第58回定期演奏会《マタイ受難曲》
巻頭言
皆様、ようこそいらっしゃいました。
この原稿が皆様の目に入る頃、私達は恐らくアメリカツアーを終えて、日本に帰ってきたところでしょう。しかし、残念ながらこれを書いている今日現在、米英軍はバグダットに激しい空爆をしかけているさなかであり、私達は果たしてアメリカに行けるのだろうか、と揺れ動いているところです。日本のサッカーチームが渡米を止め、大リーグの来日もなくなった、と聞きました。一方、東京芸術大学の学生オーケストラは、爆撃が始まった数日後、英国公演に旅立って行きました。一昨年のニューヨーク
9・11テロ直後に予定していた旅行を延期した結果、今度はこの戦争のさなかに旅立つことになったのは、何とも皮肉としかいいようがありません。
今回のUSツアーは数年前から準備してきたものではありますが、この情勢の中でもなお実施すべきかどうか、メンバーの間で少なからぬ議論がありました。多くのメンバーは、テロの恐怖や危険性は認識しつつも、音楽家として今こそ音楽をしよう、という純粋な熱意を表明してくれました。が、それにつけても人の命がかくも易々として失われていく現実をどのように受け止めるべきか、多くの戸惑いとそれぞれの深い情感があることもよく理解できました。
ツアーそのものの是非は別として、私としてはこの時期にふたつの受難曲を演奏するということに、特別な摂理を感じざるを得ません。アメリカの各主催者からの熱烈なメッセージにも「この時期だからこそ、マタイ受難曲を」という趣旨がひしひしと感じられます。しかし、どちらの受難曲も単なる反戦や平和のメッセージではありません。イエスは「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのだ」(マタイ10:34)とさえ言うのです。イエスの言葉は剣のごとく私たちの魂を刺し貫き、「関節と骨髄とを切り離すほど刺し通して」(ヘブライ人4:12)働かずにはいません。その言葉の前に、ひとりひとりがその思いをえぐり出されてしまうので、苦しい葛藤なくして平和に到達することはできないでしょう。軽々しく平和を口にするものは、「わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに『平和、平和』と言う」(エレミヤ6:14)恥ずべき輩に堕してしまいます。
4月10日のミシガン州グラン・ラピッヅのコンサートでは、その前後2日間にわたって『説教者としてのバッハBach
as a Preacher』というタイトルでシンポジウムが開かれます。その主催者のひとりであり、私たちを招聘して下さったカルヴィン(!)・ステイパート教授は、『私の唯一の慰め 〜バッハの音楽における死、救済、そして弟子としての心得〜』という著書の中で、ヨハネ受難曲とマタイ受難曲の興味深い対比を描いています。ステイパート氏曰く、「魂の救済」について古来最も重要と言われてきた二つの神学的原理を、バッハはこのふたつの受難曲で満たしている、というのです。その二つとは「イエスの勝利」と「償いの充足」ということです。
まずヨハネ受難曲を見ると、イエスは最期に「すべては成し遂げられた」と叫びます(第29曲)。続いて有名なヴィオラ・ダ・ガンバ付のアリアで、アルトがその同じ言葉を受け継ぎますが、静謐なモルト・アダージョは中間部で一転してヴィヴァーチェとなり、弦楽器のトゥッティと共に「ユダの勇士の勝利」を歌いあげます。このアリアは、第28曲と第32曲の同じコラールに挟まれたシンメトリックのひとつの中心であり、同時に全曲の中心とも言うべきモティーフです。全曲を通して見た時には、イエスの「勝利」によってもたらされる「救いの完成」(第29曲)、それによる罪からの「解放」(第7曲)、さらに「自由」(第22曲)がメインテーマとして発展しています。「解放と自由」が、確かにイエスの戦いの「勝利」によってもたらされるのです。
しかし、一方のマタイ受難曲はどうでしょうか。ステイパート氏は、この受難曲をルターの『キリストの受難についての瞑想』(1519)という著書と重ね合わせます。ルターは、キリストの受難を3つの段階にわけて瞑想しますが、それをマタイ受難曲に適用するのです。つまり、その1は自らの「罪の認識」、第2にその罪を償って下さったキリストの「愛」、そして最後にキリストの「忍耐と苦難への模倣」(または弟子として従っていくこと)へ、と発展する瞑想の過程を見るのです。
第1曲目の合唱が歌うように、イエスはいけにえの「小羊」として屠られました。シオンの娘たちの「見よ、小羊の如き花婿を」「見よ、忍耐を」「見よ、我らの罪を」という対話と対応して、コラールが、イエスは「無垢の小羊として」「常に忍耐し」「我らの罪をすべて担われた」ということを告げます。このようにルターの第1の瞑想に直結した形で、この受難曲は開始されます。第2の瞑想については、もはや言うまでもないでしょう。ユダヤ人が「十字架につけよ」と叫ぶそのただ中で、ソプラノが「ただ愛によりわが救い主を死のうとされる」と歌い、これが同時にシンメトリックな構造の中心にもなっています。
さらに、第3の瞑想については、バスの歌う「私も喜んで自らをなだめ」(第23曲)、テノールの「耐え忍べ、耐え忍べ」(第35曲)と自らを強いてイエスに従わせようとする姿があり、ペテロの慟哭に続く「憐れみたまえ」(第39曲)でそのような自分に対する憐れみを求め、その結果、「来たれ、甘き十字架」(第56曲)とのイエスに従って行く信仰的決意に至るのです。
このように、マタイ受難曲にはヨハネ受難曲にない長い瞑想の過程が描かれ、これによって、我らの罪が如何に悲惨なイエスの受難によって「償われた」かが切々と訴えられるのです。言うまでもなく、その頂点は、イエスの最期の言葉「わが神、わが神、何ゆえ私をお見捨てになったのですか。」に表れています。これは、イエスが地上の人として神から最も遠いところまで降りてくださり、見捨てられたものとしての最も悲惨な苦渋を嘗め尽くしたことを示しているのです。ここに、ステイパート氏の言う第2の原理の見事な充足があります。
さて、このような魂を注ぎだすような瞑想の後に、はじめて、イエスをその苦難から引き上げられた平和の神(ヘブル人13:20)に出会うことが告げられます。「夕暮れ、涼しくなった頃、・・・平和の約束が今や神との間に結ばれた」(第64曲)。
イエス・キリストは、「平和の君」と呼ばれてきました(イザヤ9:5)。その平和が、まずひとりひとりの中に達成されてはじめて、この地上における平和を論ずることができるでしょう。イエスが「罪」とその結果としての「死」に「勝利した」からこそ、そのことが可能になるのです。マタイ受難曲冒頭の「いけにえの小羊」は、同時にヨハネ受難曲における「ユダの勝者」でもあります。そして、そのヨハネは、黙示録の中で、このように歌います。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい」(ヨハネ黙示録5:12)
今この時に、ヨハネ受難曲とマタイ受難曲をふたつながらに演奏することの意義は、決して小さくありません。
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(03/04/16)
(04/03/25)
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