第68回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.42
   〜ライプツィヒ1725年- ll 〜  


2005/ 4/21  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2005/ 4/23 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第178回神戸松蔭チャペルコンサート)


ブクステーデ:プレリュード、フーガとチアコーナ ハ長調 BuxWV137
 *コラール『主なる神よ、我ら皆あなたを讃えます』(ソプラノ:野々下由香里、緋田芳江、藤崎美苗)
カウフマン:コラール『主なる神よ、我ら皆あなたを讃えます』(ソプラノによるコラール唱付き)
ワルター:コラール『主なる神よ、我ら皆あなたを讃えます』 LV91(以上、オルガン独奏:鈴木雅明)

J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1725年のカンタータ 2〕

       《イエスよ、いま讃美を受けたまえ》BWV41
       《われは神の御胸の思いに》BWV92
 
        《主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め》BWV130 
        *曲名から解説にリンクしています。

(05/04/23)


《出演メンバー》  

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノ野々下由香里*、緋田芳江、藤崎美苗
  アルト  :山下牧子*、上杉清仁、鈴木 環
  テノールヤン・コボウ谷口洋介、水越 啓
  バス   :ドミニク・ヴェルナー*、藤井大輔、渡辺祐介

オーケストラ
  トランペット:島田俊雄、神代 修、村田綾子
  ティンパニ:近藤高顕
  フラウト・トラヴェルソ:前田りり子
  オーボエ:三宮正満、尾崎温子、前橋ゆかり
  ヴァイオリン:若松夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋祐子、
           高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
  ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  コントラバス:西澤誠治  ファゴット:堂阪清高
  オルガン:鈴木優人  

(05/04/20訂正:バスのメンバーに誤りがありました。申し訳ありません)


ライプツィヒ時代1725年のカンタータ 2

 バッハ・コレギウム・ジャパンは1990年以来15年の歩みを続け、教会カンタータ連続演奏も今年で11年目を迎え折り返し地点を過ぎました。05年度の幕開けにお聴きいただく第41番《イエスよ、いま讃美をうけたまえ》は、新年の祝日用カンタータ、3本のトランペット、3本のオーボエを伴った華やかな作品です。チェロ・ピッコロが彩りを添えるテノールの美しいアリアも聴きものです。第92番《われは神の御胸の思いに》は、ポール・ゲルハルトの優美なコラールに基づく大曲で、様々な形でコラール旋律が現れる秀逸な作品です。
 天使ミカエルの祝日用カンタータである第130番《主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め》とあわせてお楽しみください。

鈴木雅明 (バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)
(05/04/16:チラシ掲載文)


第68回定期演奏会 巻頭言 

 皆様、ようこそおいでくださいました。
 今年の受難週には、私がオランダでマタイ受難曲を演奏していたため、BCJとしては受難曲を一度も演奏することができなかったのはとても残念でもあり、皆様には申し訳なく思っています。オランダは留学時代を送ったなつかしい場所ですが、今回はやや異なった側面を見ることになりました。というのは、この国のマタイ熱がこれほどまでとは知らなかったからです。2月頃から3月末のイースターの直前までに、優に300回を超えるマタイ受難曲演奏会が、この九州ほどの大きさの国で行われ、その強い思いの頂点に位置するのが、今回私を招いてくれたバッハ協会のナールデンという街で行われる一連のコンサートなのです。
 オランダで「ナールデンのマタイ」を知らない人はいません。毎年、誰が指揮し、誰が歌って、どのような編成で演奏するか、が新聞の社会面(!)を賑わせ、風刺マンガにさえ登場します。聖金曜日には必ず、内閣のお歴々がコンサートに訪れることになっており、今年も政治的な困難な時期にもかかわらずファン・バルケンエンデ首相もみえました。
 オランダでのマタイ受難曲の歴史は19世紀半ばに遡ります。メンデルスゾーンによる記念碑的復活再演から30年以上経った1865年、ロッテルダムでオランダ初演が行われ、その後1899年からメンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘバウのオーケストラを使って毎年演奏するようになりました。この伝統は今も続いており、今年は、フィリップ・ヘレヴェーヘが指揮したそうです。一方、このコンサートホールでの演奏に満足できなかった人々が、受難曲はやはり教会で演奏するべきだ、と考え、1922年にナールデンの町で定期的な演奏を始め、そのために結成されたグループが『オランダ・バッハ協会Nederlandse Bach Vereniging』なのです。初期には、コンセルトヘバウでも指揮していたアントン・ファン・デン・ホルストなど重要な指揮者がこの演奏を積極的に支え、1980年頃からは現在の指揮者ヨス・ファン・フェルトホーフェンが中心となって、レオンハルトやトン・コープマンなど多くのゲストを交えながら、定期的なマタイ公演を行っているわけです。
 このような特別なマタイ受難曲で指揮をさせて頂くことは、実に名誉なことではありますが、ジャーナリストのフィーヴァーぶりには、やや首を傾げざるを得ない面もありました。特に今回は、来年から方針を変えて、もはや合唱は使わずソリスト編成で演奏する、ということを公表してしまったため、メンバーにも少なからず動揺が走り、各新聞のすべてのインタヴューでその編成に対する意見を聞かれました。

 この背後にはもちろんジョシュア・リフキン氏の影響があります。彼は、バッハの当時、各パートはただひとりの歌い手によって歌われた、と主張して、ロ短調ミサ曲などの大曲においてさえ、実際にそのような編成で演奏を試みています。このアイディアは、現代の肥満しすぎた「合唱概念」への反発と経済的効果の両方から、演奏家の間にはかなり支持を広げているようにも見えます。しかし概してバッハ学者の間では、「当時の例外的な状況を一般化しようとしている」と受け取られ、多くの反証が挙げられています*。が、いずれにしても、資料研究のみを通じて、この問題に決着をつけるのは難しいでしょう。当時は決していつもひとつの条件下にあったわけではなく、多くの例外的な処置があったに違いないからです。
 この説の音楽学的な是非は、音楽学の専門家に委ねたいと思いますが、特に今私たちが連続的に演奏しているライプツィヒ第2年目のコラールカンタータとの関係では、考えさせられることがあります。コラールカンタータでは、冒頭の第1曲でソプラノが飾りのない形で基になるコラールの第1節を提示し、終曲では必ずそれが単純な4声体として再現してコラール最終節でそのカンタータ全体を締めくくります。また両者の間に置かれたレチタティーヴォとアリアでは、コラールの中間節が自由に敷衍されることはご存知のとおりです。ここで大事なことは、4声体で歌われる楽章(第1曲と終曲)と、レチタティーヴォとアリアから成る中間楽章が、そもそも別の伝統に基づいている、ということです。つまり、単純化して言うならば、4声体のトゥッティの楽章はモテット様式から発生し、中間楽章はより新しいイタリア的カンタータの影響から生まれ出たもの、と言ってもよいでしょう。そして、前者は本来ひとつのパートを複数の奏者(または歌手)で演奏することを前提とした様式であり、後者は明らかに複数で歌うことはありえないものです。コラールカンタータは、言うなればこれらふたつの様式の融合を目指したもの、と考えられます。それは、今日演奏するBWV92《私は、神の心とみ旨に》の第2曲や第7曲を見て頂ければ、コラールの歌詞が自由詩によってただちに敷衍され、両者が全く混在している様がお分かりいただけると思います。
 しかし、ここで問題は、これらの中間楽章と両端楽章のコラールが、どのように演じ分けられなければならないか、ということです。歌の場合には、同じパートをひとりで歌うか、ふたり以上で歌うかは、「規模」の差というより「質」の差が厳然と存在します。もしふたりで同じ旋律を歌うとなると、個人的な表現は抑えられ、より公的な性格を増すことになるでしょう。逆に、ひとりで歌う時には、よりその声楽家個人の声質や表現方法が、音楽の中心になることは言うまでもありません。もし、カンタータのすべてをひとりで歌ってしまうならば、全体としての「統一感」はより強められることになるでしょうが、楽章間の響きの変化は減少するのは当然のことです。

 宗教改革時代に、会衆全員が歌うことを目的として制定されたコラールは、聖書に次いで「公的」であり「権威あるもの」と受け取られました。ですから宗教改革後、ヨハン・ヴァルターなど最初の世代の作曲家は、その歌詞はおろか旋律すらも変更することをせず、そのままの形で自らの編曲の中に取り入れたのです。しかし、それからわずか数十年の間には、多くの作曲家は旋律を切り刻み、自由自在に編曲する術を発展させていきました。ルターの賛美歌制定200周年という記念すべき1724年度にバッハが試みたことは、このコラールの歌詞全体をカンタータ1曲の中に取り込み、しかもそれに第1節と終曲のフレームを与えて、そこにおいてはコラールの原型を示してその権威と公的な役割を認識させ、かつ中間楽章においては、200年間に変化した信仰のより自由な表現によって、個々の言葉を音楽化させることであった、と言ってもよいでしょう。ですから、今私たちが、コラールカンタータを再現するとき、この両者の峻別と融合、という二律背反に直面せざるを得ないのです。
 「音楽の公的な性格」などという発想は、およそ現代には捉えがたい価値観ですが、宗教改革時代には全く当然のことと受け取られました。ルターによれば、会衆賛美は、説教者の説教に対応する「会衆の説教」でもあったわけですから、そこには個人の感情表現ではなく、むしろ神の摂理が「告知」されていなければなりませんでした。そのような個人を超越した「公的」な性格を、200年後にバッハがどの程度重視したと考えるか、このことがリフキン説に対するひとつの態度を決するような気がするのです。すべてをひとりが歌う時には、表現をその個人に依存する度合いは強くなり、また演奏の成否をもその個人に委ねることになりかねません。少なくとも両端楽章のコラールを「公的」に保ち、その権威を表現するためには、中間楽章とのコントラストは不可欠ではないか、と思っています。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明


(05/04/20:BCJ事務局提供)


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