poco a poco Op.5友達を呼ぶときみたいに。 何気なく、なんでもないことように呼んでみればいいんだ。 たった2文字。 簡単に云える、はず・・・なんだけど・・・。 友達を呼ぶときみたいに、なんてわざわざ考えてしまっている時点で、既に十分に身構えてしまっているのだけれど。 目下の大事でいっぱいいっぱいになっている啓太には、そんなことに気付く余裕などあるはずもない。 よしっ、と気合を入れて。すうっと息を吸い込んで。 「っ・・・ぉ、・・・・・お・・・っ、・・」 臣。さん。 「・・・・・――――っ」 音に出せないまま結局、はああ、と大きく息を吐き出す。 云えない。 たった4文字なのに。 しかも後ろ半分はいつも云っている言葉だから、前半の2文字だ。 たった2文字。 なのに、云えない。 一人きりの部屋で壁に向かって練習していてこの有様では、本人を前にさりげなく何気なくなんて、ますます云えるはずがない。 「和希とか俊介とかだったら、云えるのに・・・」 ころんとベットに寝転がって、啓太は眉をハの字にした。 本当は・・・啓太にだって分かっている。 他の人と同じように名前を呼べないのは、他の人には感じない意識をしてしまうせいだ。 特別だと、気付いてしまったから。 だからその名前まで全部が、啓太にとっての特別になってしまった。 ほんとに・・・好き、なんだ、俺・・・。 七条はほとんどの相手を苗字で呼ぶ。苗字に、相手の立場に見合った敬称をつけて。 ほとんどの、というか、啓太の知る限りでは一人を除いて他は全員苗字での呼びかけをしている。 つまり、七条にとって相手のことを名前で呼ぶというのは、それだけで意味があることなのだと思う。 単なる呼び名というだけではない、もっと違った、大切な意味が。 七条は啓太のことも、優しい声で「伊藤くん」と・・・呼ぶ。 その呼び声を思い出すと、せつなさにぎゅっと胸がすくむような感じがした。 名前で呼ぶことも、名前で呼んでもらうことも。 啓太にはとても難しいことのように思える。 けれども気持ちを伝えることは、呼び名を届けることよりも、もっとずっと難しい。 「・・・・おみ、さん・・・」 大切な言葉のように、小さく囁いた名前が。 受け取ってくれる相手がいないまま、部屋の静寂に溶けて消える。 「俺・・・」 七条さんのことが。 いつの間にかこんなにも。 好き・・・。 |