poco a poco Op.9「それは・・・俺が、ここにいちゃいけないってことですか?」 震える小さな声。 俯いてしまった啓太が呟く。 いちゃいけない、なんてことはある筈がない。 けれども同時に、啓太がここにいてくれる理由も思い当たらないのだ。 いつだって啓太が一緒にいて、大切なのは彼のはずで。 だから啓太がここにいることが、七条にとっては本当に不思議で。 「・・・伊藤くん?」 七条が呼んだ声が聞こえているのかどうなのか、啓太は一度ぎゅっと目を瞑ってから。 勢いよく顔を上げて七条を見返す。 「俺がここにいるのは迷惑って、七条さんは・・・っ」 勢い余った風に声を荒げかけて、けれどもはっとしたように息を飲んで。 啓太は酷くショックを受けた様子で、すみませんと力なく呟いて、うなだれてしまう。 七条さんを責めるなんて、ただのやつあたりじゃないか。 特別に想ってくれないからって、そんな理由で当たるなんて、最低だ・・・。 言葉を発した瞬間に見えてしまった、自分の本心。 やり場のない気持ちが苦しくて、啓太は自分のシャツの胸許を握り締めた。 情けなさと恥ずかしさに、じわじわと目許が熱くなってくる。 「どうして・・・」 気持ちを鎮めるように黙り込んでしまった啓太に、どこか呆然とした七条の声が掛かる。 驚くのなんて当たり前だ。 唐突に見当違いの怒りをぶつけられて、困惑しているのに違いない。 ますますいたたまれない気持ちになって、啓太は胸許の手をぎゅっと握り締める。 「どうして、君が泣くんですか」 けれども、七条の困惑は啓太の思うのとは別のところにある。 泣きたいのは僕のほうなのに。 想いが届かずにもどかしい気持ちでいるのは、僕のほうなのに、と。 「俺・・・」 啓太は、七条に訊ねられてようやく自分が泣いていることに気付いた風に、驚いたように軽く目を瞠った。 そうして幾度か瞬いてみても止めることができなかった涙を、ブレザーの袖口で力まかせにごしごしと拭う。 そんな乱暴な拭いかたをしては、こすれた目許が赤くなってしまう。 こんなときですら七条の胸には、その濡れた目許に触れて、涙を拭ってやりたい衝動が沸き起こる。 「だって・・・っ、だって七条さんが・・・行けって、云うから・・・っ」 ゆるくかむりを振りながら、かすれる声が告げて。 七条のブレザーの袖か腕かをつかもうとしたのか、無意識のように伸ばされた啓太の指先はけれども惑って、行き場を失ったように、力なくそのまま下ろされてしまう。 「伊藤くん・・・」 きみはそうして、いつだって。 僕には触れてくれない。 彼に対しては、触れるという意識があるのかどうかすらあやしい様子で、いつだってころころと仔犬のように無邪気に懐いているのに。 なにが違うんですか、僕と、彼と。 年月ですか。それとも気持ちの重み? だとしたら僕だって負けていない。 いつの間にかこんなにも、君に囚われて。 君だけを・・・。 胸のうちに渦巻く激情を、どうしたらよいのか分からない。 慣れていないのだ。 こんな想いを、抱えること自体に。 「俺は、ここに・・・いたいです」 いたい。 ここに・・・なぜ? 彼のところではなくて、ここに・・・僕のところに・・・? 「どうして・・・なぜですか?」 呆然と問う七条に、けれども啓太は答えられず。 ただ、幾度もかむりを振る。 なにかを恐れるように。 「答えてください、伊藤くん。どうか」 答えを聞かせてほしい。 期待をしてしまうから。 希望を持ちたくなってしまうから。 「遠藤くんを追わずに、なぜきみはここにいてくれるのですか」 重ねて問い掛ける七条の声に。 戸惑うように啓太の眼差しが、揺れる。 「・・・・・」 だって、口に出してしまったら。 特別な想いを抱いていることを、七条に知られてしまう。 知られてしまったら、もう、今までのように慕わしく受け入れてはもらえないかもしれない。 七条には特別な相手がいるのだから。 この想いを告げたりしたらきっと、優しい七条を困らせてしまう。 でも・・・それでも・・・。 「七条さんが・・・」 堪えきれず、細い声がこぼれてしまう。 これ以上、想いを胸のうちに留めておくのは苦しいのだ。 だから。 だから・・・。 「七条さんがいるからです、だから、俺・・・っ」 |