canon Op.5今日もいい天気ですねと云うのと同じような調子で告げられた言葉の。 意味が分からずに呆然として。 意味が分かった後にはもっとずっとびっくりして。 「し、七条さん、なに、云って・・・」 「駄目ですか?」 「・・・っ、駄目、とか、そういうことじゃなくて、だって七条さんが好きなのは!」 『僕は郁のことが好きなんです』 告げられたことのある言葉を、優しい声音ごとはっきりと思い出す。 あの時も、今思い出しても。 なぜだかきゅうっと胸の奥が痛むような感じがして。 友達と、恋人と、好きの種類が違うのなんて当たり前で、そのどちらもを独り占めする権利なんて啓太にはないのに。 それは分かっているつもりなのに、どうしてこんなもやもやとした、苦しい気持ちになるのだろう? もしかしたら七条は、啓太がこんな気持ちになることを知っていて、その上で啓太のことをからかっているのだろうか? 啓太と一緒にいると楽しいと云ってくれていたのはこういうこと? 七条の言動にいちいち惑わされて反応を返す様が楽しいと、そういうことだろうか? だとしたらちょっと酷すぎる。 気持ちを弄ぶような、こんなやり方は・・・っ。 胸のうちで生まれて、じわりと目許まで沸きあがってきた熱いもの。 「だって七条さんが好き、なのは・・・っ」 それを堪えるようにして発した、尖りそうになった声は。 けれども口に出せば力なく惑って。 「郁、ですか?」 「・・・・っ、・・」 まっすぐに注がれている視線と同じの、ストレートな問いに。 詰まらせた声は、そのまま答えになる。 「同じなんです」 それでも続けて渡された言葉の意味が分からずに。 啓太は七条を見上げたまま、意味を問うようにゆっくりと瞬いた。 頬を包み込む手のひらの温かさを、息を詰めたまま感じて。 「君がさっき云っていたことと同じなんです」 せつないようなこのぬくもりが。 「唇へのキスは、友達とはしません」 この体温が、離れてしまわないようにと。 「それなのに僕は、君とキスがしたい」 どうしてか理由も知らずに、願って。 「抗いがたいほど、とても、強く・・・」 どれだけ悲しげな表情を七条に向けているかの自覚もないまま。 啓太は見たことのない、七条の真剣な眼差しをただ見返した。 どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。 どうしてこんなにも狂おしい瞳で見つめられているのだろう。 そう、不思議に想う気持ちもどこか遠くて。 「伊藤くん・・・」 ゆっくりと。紫の瞳が近づく。 避けずにいたら、このあとに何が起こるかなんて。 考えるまでもなく分かっているのに・・・。 「・・・・、・・・っ」 息さえも詰めて、身動きもできずにいる啓太の唇に。 七条の唇が触れた瞬間、ぽうっと躰の芯が熱が灯った。 確かめるように、窺うように。 角度を変えて、浅く、幾度も繰り返してキスが触れて離れていくたびに、その熱はじわじわと内側に広がっていく。 安堵するような落ち着かないような不思議な心地で、啓太は無意識のうちに伸ばした指先で七条の服の袖にすがる。 「・・・・ふ・・・っ、ぅ・・・」 空気を求めて喘いた唇を割って潜り込んできた柔らかなものは、唇よりももっとずっと熱い。 それが七条の舌だと分かった途端に、ぞくりと背筋に熱が走る。 「・・・、・・・っ・・」 思いもよらない親密な交わりにおののいて、啓太はぎゅうっと強く目を瞑った。 「・・・大丈夫ですよ・・・怖がらないで、リラックスしてください」 「・・・、っ・・・で、も・・・・」 「大丈夫・・・」 思考も舌先ももつれて、上手く動いてくれなくて。 泣き出してしまいそうな声を出す啓太の瞼にキスで触れながら、七条は優しい声で繰り返す。 大丈夫。怖くない。大丈夫です・・・。 繰り返される言葉ほど大丈夫でもないし、未知の感覚はどうしたって怖い。 それなのにその声音の優しさにあやされて、触れるキスの心地よさに飲み込まれて。 徐々にくたりと、啓太の躰から力が抜けていく。 「少し口を開けて・・・そう、いい子ですね・・・」 促されるままに深いキスを受け入れて。 歯列の裏側、感じやすい上顎、舌の付け根の柔らかな粘膜。 器用に口腔を探っては啓太の敏感な場所を探り当てていく舌先に、ざわざわと落ち着かない未知の感覚を教えられていく。 それが官能であることも分からずに、熱をもてあまして震える肩を、背中を、宥めるように撫で下ろす大きな手のひらの。 あやすような優しい愛撫に、躰と気持ちとがとろりととろけていく。 「・・・・・、ん・・・っ」 離れてしまう前にもう一度、触れるだけの優しいキスが唇に、鼻先に、閉じた瞼に落とされて。 ほうっと深い息をついた啓太はようやく、長いキスが終わったことに気が付いた。 くずおれそうな躰を、やんわりと腕に抱かれていたことにも。 「・・・こんな風に触れたいと思うのは、君だけなんです」 何が起こっているのかまだうまく飲み込めずに、潤んだ目でぼんやりと見上げる啓太の。 あやうげなその表情を見下ろす、七条の笑みが艶を帯びる。 「こんなにも、欲しいと思うのは・・・」 今までの、軽く触れるキスとは意味が違う。 これではまるで、恋人同士のキス。 「七条、さ・・・」 「僕は君と、キスや・・・」 渡される言葉が胸に届くたび。 どうにか理解が追いつくたび。 「それ以上のことをしたいと思っています」 触れている体温と、揺るがずに注がれる眼差しを強く感じて。 じりじりと、胸のうちで確かに嵩を増していく熱の意味が分からずに。 戸惑って。 君は? と。 眼差しで問われているのが分かったけれど。 答えることなんてできるはずがない。 硬直してしまってただ七条の顔を見返す啓太の、緊張を解すように。 にこりと優しい笑みを見せて、七条は云った。 「では、試してみましょうか」 |