canon Op.8





「7度8分」

 険しい顔で体温計の目盛を確かめた和希が、そのままの表情を啓太に向ける。
 お小言を覚悟して、目許を覗かせた毛布の端をぎゅっと握り締める啓太を見下ろしていた眼差しは、けれども大きなため息と一緒に安堵に解れた。

「よかったよ、部屋に寄ってみて」

 体温計をケースに戻しながら云って、和希は啓太が横になっているベッドの端に静かに腰を下ろす。

 手芸部の活動が終わって寮に戻ってきて。
 自分の部屋に戻る途中、なんとなく気になって啓太に部屋に顔を出してくれたのだという。
 呼んでみても返事はないし。
 嫌な予感がして鍵の開いていた部屋に入ってみれば案の定。という訳だ。

 電気も空調もついていない暗い部屋の中で、うずくまって冷え切っていた啓太を抱え上げるようにして急き立てて。
 ちゃんと温まるまで出てくるんじゃないぞと念を押してバスルームに押し込んで。
 とりあえずは云われるままお湯のシャワーに叩かれて体温を取り戻した啓太に、パジャマを着せて、蜂蜜入りのホットミルクを飲ませて、ベッドに押し込んで。
 そうして啓太が眠ってしまうまで、ずっと傍にいてくれた。

「ごめん・・・和希」

 掠れた声で答えると、「そういうときはありがとうだろ」と。
 鼻先をきゅっと摘ままれる。

「昼間様子がおかしかったから、気になってたんだ」

 そのまま長い指が優しく前髪をすきあげると、気持ちよくてとろりとまぶたが落ちた。
 優しい指先の感触も、ほっこり温かい沈黙も、どちらもとても心地いい。
 このままでいたらまた眠ってしまいそうかもと、すっかりリラックスした啓太がほうっと深い息を吐くと。
 沈黙の続きのような静かな声で、和希がそっと問いかけてくる。

「啓太・・・なにがあった?」
「・・・・・」

 云える訳がない。

 七条さんとあんなことをしてしまったなんて。
 それに、気づいてしまった自分の気持ちのことだって。

「・・・・・、・・っ」

 向き合わなくてはならないと分かっていても、どうにか後回しにしておきたかったことを、思い出した途端。
 せつない気持ちややるせない想い、どこに持っていったらいいのか分からない混乱とがぐるぐると胸のうちを渦巻いて頭を駆け巡って。
 目じりにじわりと涙がにじむ。

「・・・・っ・・・」

 ひくっと。一度嗚咽が漏れると。
 それ以上はもうこらえようもなく、涙がほろりと粒になって頬にこぼれた。

 熱のせいで気が弱くなってるのかも。
 涙腺も一緒に、弱くなってるのかも。

「・・・・、っ・・・」

 黙ったまま、目を瞑ったままほろほろと涙をこぼす啓太を。
 それ以上問い詰めることをせず、優しく髪を撫で続けてくれる和希の優しさに。
 ますます泣きたくなる。

 もしかしたら和希ならば、啓太の気持ちを聞いても軽蔑なんかしないかもしれない。
 混乱してぐちゃぐちゃになってしまっている想いを、一緒に解いてくれるかもしれない。

 いっそ全部を話してしまおうかと。
 思った、そのとき。

 コンコン、と。
 部屋の扉が静かにノックされた。
 これは、知っている音。

「・・・・はい」

 啓太の髪を撫でる手を止めて、扉に向かって答えた和希に、沈黙が返る。
 そうしてその沈黙のあとに。

「・・・・・遠藤くん、ですか?」
「!」

 聞こえてきた間違えようのない声に、啓太は瞑っていた目をぱちりと開いた。

「伊藤くんが寝込んでいると聞いたので、様子を見に来てみたのですが」

 いつもと変わらない声が変わらない調子で紡がれるたび、とくとくと鼓動が速まっていくのが分かる。
 どうしていたらいいのか分からない。
 顔を見たいのか、見たくないのか。
 会いたいのか、会いたくないのか。
 自分でも分からずに息をつめる啓太に気が付かなかったのか、傍らの和希は答えを返してしまう。

「七条さん・・・鍵、開いてますよ」

 とくん、と大きく心臓が震えて。

「失礼します」

 ゆっくりと扉が押し開かれるのを、啓太は瞬きもせずに見つめた。






ぽこのときも思ったのですけど
この流れだと、どう考えても七条よりも和希の方が
啓太のことを幸せにしてあげられるような気が。
そんでもってもしかしたらここから和啓に持っていくのも楽しいような気が(笑)
でも大変だろうがなんだろうが
厄介な相手のほうを好きになっちゃったものはしょうがないのですよ。


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