私の検査値推移

このページは私自身の検査値の推移と経過について紹介しています。
私は慢性腎不全・保存期ですが、全ての人がこの様な経過を辿る訳ではなく、ましてやここで最悪を示している検査値まで透析導入せずに済む と保証するものではありません。
食事療法との関連の参考・私自身の励みとして掲示しているのみです。 が、この経過は日頃の健康管理が如何に重大な結果をもたらすか、明確にしめしていると考え、公開します。
またこの様な堅苦しい解説が合わない方は事の発端を、同じ様に食事療法に取り組んでみたい方は食事療法への招待をご覧ください。

それぞれのグラフから、大きなグラフにリンクしています。
(透析導入後は、透析開始時点の採血の検査値を用いています。透析終了時は、これの半分強の値となってます)
CUR,BUN 発病後〜
CUR,BUN 発病前〜
1/CUR

何気ない数値:1990年 3/12
リゲイン流行の前だったか後だったか、長時間残業に伴う健康診断で、Cr=2.7,BUN=25.2という値が出ていた。Cr1.9以上は、腎炎を疑っても良い値である。 ちゃんとこの時、『要経過観察』の指示を貰っていたのだが、『即刻入院』とは書かれていなかったがために、無視していた。
その後長時間残業検診の制度自体が変わり、定期検診でも血液検査を省略していたため、経過観察は行わないまま5年近くが過ぎる。

ある日徹夜明けの献血を思い立ったが比重で門前払い。そこで初めて貧血を自覚する。
一応医者に罹り、鉄剤の服用を始めるも、貧血自体は一進一退。1年程、腎機能検査にまで考えが至らず放置。

入院直後:1996年 6/7
そして腎炎発覚。
当時主治医から、できる限り早めの入院・精検をすすめられるが、Cr=8という値の重大さを知らぬが故に先送りする。
1ヶ月程はCr=8mg/dlで落ち着いていたのが、「体調悪い→栄養不足」というアホな勘違いで蛋白増やしてしまい、Cr=11mg/dlに突き上がって入院した。
このグラフの再開は、それが最初のピークに達した13mg/dl付近で始まる。

シャント形成術前後:1996年 6/20頃
さすがに入院して、腎臓病食に切り替わる。さらにブドウ糖持続点滴1l/日というのをやって、一旦改善を見る。
主治医は「水分補給で尿量を増やす」と表現していたが、多分、ブドウ糖のカロリー補給の方が効いていたのだろう。

ブドウ糖点滴中止: 1996年 7/5頃
シャント形成手術の術後管理も落ち着いたため、点滴中止。
再度ピークCr=13.4mg/dlを記録したが、カロリー不足の影響だと思う。
体重も58kgまで落ちていた→体蛋白を消費していたのが明白だからだ。

退院: 1996年 7/20以降
上記経過を見た上で、蛋白40g/日→35g/日(病院の栄養士ともめた)、砂糖など持ち込んでカロリー補給を図る。
その結果がCr=12mg/dl割れのダウントレンドを形成した。この傾向が安定しているという判断を得て、7月末に透析導入しないまま退院した。

エリスロポイエチン静注: 1996年 8〜1997年 4月
そういえば、最初の症状は貧血だった。
ということで腎性貧血を改善すべく、エポジンを週2回各3000単位静注していた時期。途中から週1回3000単位に減らし、年末には貧血症状はかなり軽減した。エリスロポイエチン静注と前後して、鉄剤を再び使用。そら造血ホルモン入れても、材料足らな血もできへんわ。
なおエポジンに感謝したい方は、AMGEN社の製品一覧など参拝してみると良いかもしれない。
腎機能はと言えば、食事療法を恐る恐る定着させていたこともあり、Cr=8mg/dlをはさんで割合落ち着いている。

謎:1997年 5/2,1998年 10/16
この2日だけ、何故突然Cr,BUNの劇的な改善を見たのかは謎である。
どちらも休日の関係でゆっくり休んだ後の採血であるとか、やはり休日のため検査まで保管日数が嵩んだ影響とか考えているが、何故なんだ?

何故か悪化気味の季節:1997年 12月〜1998年 8月
この区間はCr=9mg/dl台と、他と比べて高めの値が出ている。しかし原因も分からぬまま、再び8mg/dlを割れで落ち着く様になった。

酒池肉林:1998年 12月
なんか年中酒を飲む口実の歌が、昔流行ったと思うが、食事療法の身だって年に1月位は飲み放題・食い放題したいもの。という訳で、12月は忘年会で食事療法を全く意識しない夜が生じる。
1998年 12月 14日(月)という日に職場の忘年会があり、後悔の晩餐となった。ここに記す。
スモークサーモン(のサラダ)
海の幸のオードブル(イカ他のマリネ)
クラムスープ
ナスとホウレンソウ ミートソース(のスパゲティ)
イカ墨スパゲティ
オリーブピッツァ
ベーコン&サラミピッツァ
魚介のリゾット(日本人にはも一つ合わない。食い切れなかった)
チキンの魔女風(香草焼き。一羽を8人で取り分けた)
かぼちゃのタルト(と言う名のケーキ。好き嫌い別れた様だが、美味かった)
生ビール
リゴリオロッソ他ワイン各種
…実は全然後悔してない。4000円/人で腹一杯食えたし、 元町の店で予約を確定させた後で気付いてびっくり、なんとルミナリエ入口真正面だった。
ともかく、その2日後の検査結果は、意外に悪くない。
実はこういう傾向は、出張帰りとかで何度か発生している。こう書くと、食事療法なんて守らなくて良いんじゃないか? と反論されそうだ。しかし実は、コツが三つある。
どうせ食うならエネルギーを徹底的に確保する。→要するにドカ食い
翌朝は夢ご飯+野菜だけの雑炊で蛋白をできるだけ抑える。
度々これを繰り返さない。
最後のが、誘惑が多くてなかなか難しいのだが、今回は成功した模様。

風邪真っ盛り:1999年 1月 12日
由緒あるお寺の本堂は、重要文化財etc.の理由から、改造が制限されている。 鉄筋コンクリートに建て直すどころか、電源工事の容量アップさえ言い出しづらいのだ。
その結果1/10なんて日に法事を行うと(法事だから、春まで待とうとは言えない)、御本尊の背後から冷気が押し寄せる。 石油ヒータx2台では気休めにしかならない。せめてホットカーペット分の電気容量が欲しい。
案の定、風邪を引いてしまった。
風邪がきっかけの腎症がある位だから、この時期、風邪の療養中に透析が決まったという話も聞く。
どうやら私の場合は、この検査は持ちこたえた様だが、風邪が治ったのは1/16 果たして今の腎臓はどれ位生き残っているのだろうか?

グローバル競争:1999年 5月〜6月〜9月!?
日本の個人向け耐久消費財の産業というものは、6月,12月のボーナスシーズン(それと3月の年度末)に合わせて新製品を出す宿命にある。
従って、私の勤務先でもそのための開発作業が始まったのだが、例年の如く4月後半からトラブルが発生した。
今年の場合特にそれはひどく、5月の残業・休日出勤(確かに連休日の休出は平日勤務と同じだが)の合計は130時間に達した。これが腎臓に良い訳がない。
5/7のCr=9.7の後、多分10以上の値に一度はなったと思うが、6月に少し落ち着き、ここでの透析導入をかろうじて回避した。

グローバルスタンダードとは、海外の時差ボケしている取引先を叱責しながら、日本市場に合わせた製品を作り、全世界のライバルに勝たねばならない ということ。
必要と言われれば返す言葉もないが、なんか割を食ってるような気がする。

ぶる〜:1999年 11月
病状もここまで来ると、一度悪化したら少々の安静では回復しないらしい。1996年8月以来に血中Crが10mg/dlを超えた。
まだ急激な上昇ではないため、透析導入の決断には至らないが、余り先がないかも。

2000年 3月〜7月
血中Cr=11.6mg/dlを記録したため、検査間隔を4W→3Wに短縮。危機感まだ不足してるかも。
食事療法を蛋白35g/日→30g弱/日に強化することで、一応落ち着く素振りに見える。 1999年始めからのトレンドラインまでは戻った。
まだ油断はできない。
うん、元に戻った。 めるまが1周年まで食事療法で引っ張れるだろうか? 無理はしないつもり だけど。

卒業間近:2000年 8月〜9月
トレンドに添ってCUR上昇続く。
血圧が上がらない性か、かなり疲れやすさがこたえる様になった。
主治医は、BUN他の数値が落ちついていることなどを理由に、判断を私自身に委ねていてくれる。 しかし、そろそろ透析入りを考えねばならない と思う。

留年?:2000年11月
↑と、弱気吐いたが、主治医はBUNの安定を理由に、年越しの(保存期としての)通院計画など気にしてくれる。
職場から車で3分程度の場所に透析施設がある とも教えてもらったが、まだ現状維持らしい。
にしても、CUR=12.4の理由を筋肉の多さに求めたりしたら、私はケンシロウかシュワルツネッガー、はたまた曙関になってしまうではないか?(爆)

切れ食い後:2001年2月
2001年2月の検査の2日前は、外食宴会だった。
例によってBUNは正直に上がるが、Curはさほどでもない。

夏の傾向?:2001年7月
私の場合、何故か夏場に尿素窒素、クレアチニン共上がる傾向がある様だ。
なんでかな?

BUN/Cr
血清の尿素窒素(BUN)とクレアチニン(Cr)の比は、食事療法の状態の指標の一つに挙げられることがあって、BUN/Cr=3位になれば蛋白制限が上手くいっている ということになっている。
しかし、そこを超えたらどうだと言うのだろう?
BUN=25.8mg/dl,Cr=13.0mg/dlということで、BUN/CR=2を切ってしまったのだけど。(汗)
主治医は、「BUN低いから保存期で持つねんな」と言ってる。

透析クリニック訪問開始
引き継いだ新しい主治医は、さすがに食事療法自体の制約を心配している。ここには示さないものの、鉄分、カルシウムの補給と切れ食い位を注意すれば良いのだが。
さすがに食事療法続けていて、なおクレアチニンがこのレベルにまで達すると、いずれ透析も不可避 とは納得できる。 6年間の間の時間・行動の自由を確保し、医療費を安く上げるとか、受容までの時間の余裕をもたらす という意味で、この保存期は本人としては納得しても良い。
で、2002年のGW中に、透析クリニックの訪問を開始。
限界一杯の患者を受け入れて、全ベッドで月〜土曜2人づつ受け入れているクリニックだと、日曜以外はいつでも開いていることになるが、新規の患者を受け入れる余裕が無い とも言える。
そうでないクリニックでは、土曜はできれば勤務を軽くしたいであろうから、月・水・金曜に午後の透析を組むであろう。 実際組んでいた。
という訳で、水曜の午後にクリニック回り(と言っても職場近所の2軒だけ)を行った。たまたま休日だったので、楽なものだ。
訪問のチェックリストなど、いずれ何らかの形で公開できれば と考えている。
GW中で運動量が普段以上に減ったこともあり、CUR自体は若干下がっている(トレンドラインの下限くらい)。

透析導入:2002年7月
と言う訳で血液透析を導入。 これらの検査結果と体重変化(毎朝の0.1kg単位の測定値を3ヶ月分蓄積し、2kg程度の変化に納まる)を示し、心胸比その他も特に問題なかったため、通院・しかも準夜間での導入と相成った。 この判断は、施設によっても分かれるところだろうけど。
7月以降のグラフは、透析開始前(穿刺時の採血)の値を示す(透析中〜回収時は、BUN/CUR共に半減する)。
週2回とは言え、まとめて毒素を抜くため、透析開始前(しかも蛋白は40g/日位には増やした)でも、BUN/CURはかなり低下している。 2001年夏頃のレベル と言ったところか。
ここには示してないが、再度エリスロポイエチンの静注(というか回収時の返血回路に注入)したり、カルシウム不足に対して活性型VDの服用を始めたり で、スタミナは多少改善しつつある。

Ca改善:2002年9月
主治医が代ったことになるので、着眼点も検査項目も少々替わった。
日本では透析施設がやはり、もっとも身近な腎臓の専門施設と言えるんだろか とも思っているが、ともあれカルシウムの吸収が非常に低下していることが判明。
副甲状腺機能亢進症が結構進んでいるらしいので、活性型ビタミンDの服用→炭酸Caの服用追加→活性型ビタミンDが服用では追いつかず、透析終了時に注射と処置が進んでいる。
このグラフには記載していないが、血清Caなど、多少は改善しつつある。

透析してても、切れ食いはばれる:2003年1〜2月
というか、検査1週間前くらいは計算した食事にしないと、クレアチニン14を超えるし。
まじめだと13.6で安定する。

2003年5月
クレアチニンは大体14代に乗り、更に上昇中。さすがに腎機能落ちてきたか。
グラフには出てないが、カリウムが一度上昇。

create:2002/1/27,last update:2003/8/1(graph update)
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