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気が向いた時に更新します。たま〜にのぞいてもらえれば...
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06/20/2004 台風接近。。。。
台風が接近しつつある。少しそれてきたので被害は少ないだろうとは思うけど、全てが無事に通り過ぎる事を祈る。
写真は手打港に避難した漁船達。襲い来る偉大なる力に、立ち向かうように、舳先を同じ方向にそろえて、それぞれが手をとるように繋ぎ合う。

人が永遠に戦い続ける生き物であるならば、戦うべき相手は生き物でない事を願う。それは、目的を一つにして力を合わせる事だと思う。そろそろ純粋に、人々が手を取り合う時が訪れているような気がする。。。。

01/24/2004 積雪。。。
今日鹿児島から戻ってきた。この島では見たこともないような雪景色がひろがっていた。バスも不通。4駆の車以外は通過できないような状況だ。。。自分の車はたまたま雪用のタイヤに交換してたのと、スキーに行ってた経験から楽しみながら走る事ができた。毎年行ってた岩手を懐かしく思い出しながら。。。
明日も荒れた天気で船もバスも通らないだろう。便利さだけを求める社会に対する警告なのか、ゆったりとすべき時間のプレゼントなのか。。。いずれにせよ考える必要性を与えられているような気がする。寒さに震えているであろう山の動物達と同じ視点で。。。。。

07/04/2003 つながり・・・・
同じ歳で同じ高校でイトコの律朗くん。彼は今、故郷の写真集をつくろうと頑張ってる。秋頃には発売されることだろう。。。。

つながりって、何て強く深いものだろうかと感じる。家族や親戚。。。ふるさとや想い出、海や生命。。。そして隣の見知らぬ人。
手を差し伸べるだけで簡単につながりが持てるのに、何をためらうのだろう・・それはきっと選ぶという事ではなく、選ばれるという事でもなくて、いつの間にか隣に存在してただけのこと。

だからこそ、大切で自由で。。。そのつながりで犠牲になる必要なんて無いと思うのだけど・・・

06/03/2003 ジンベェ脱出作戦
青瀬漁協の定置網にジンベェが入り込んでしまったという事で見に行った。鹿児島水族館の方達と秋太郎さんが網の一部を開いて脱出させてる写真。
一生懸命に救おうとしてる姿はとてもカッコ良くて感動する。。。。最高の人達だと思う。

んで、俺は前日に飲みすぎて不調だった為、タンクを背負って潜るどころか、ウェットスーツさえ持って来なかった。。。。。何てカッコワルイ最低のヤツだ・・・・笑。
帰りの船の上で、生きたイカを手でちぎって食べた。何とも。。。。言えない。笑。。この日は意義ある貴重な一日であった。

05/11/2003 愚かなこと・・・
庭先を見たら、四角い鉢植えの花がひっくり返されていた。一番下に置いてあり蹴飛ばしたくらいではひっくり返るはずもないので、あきらかに故意でやってるみたいだ。

今日は村議の解職選挙が行われた。その代表みたいになった父親に反対する嫌がらせではないかと思う。あくまで想像だけで真実はわからないけど。。。
この綺麗な花には選挙権などあるはずもなく・・・こんな行為を平気で行ってしまう人、少なくとも「この人」には、物や人や村を愛せるはずなどないと思う。

愛情を注ぐということはどういう事だろう。誰かに愛情を注ぐと、誰かを苦しめることになってしまうような愛情って・・・本当の愛情と呼べるのだろうか。。。
愛情なんて果てしない枠だと思うのに、ケチケチして小さい枠を作ってしまうのは、自分で自分を愚かな人間に創ってるだけじゃないのかなぁ。。。

始まりから終わりまでをまるい円で描いてる途中なら、少し歪んだ線でもいいから、ちょっとだけ欲張って手を伸ばしてみようかと思う。綺麗じゃなくてもヘンテコでも、その方が人間らしいと感じれるような気がするし。。。。

04/24/2003 信じるということ・・・
仕事帰り、灯台の夕暮れを見にきた。
少しづつ明るさが薄れてゆくにつれ、光が強さを増してゆく。帰りを急ぐ漁船の航跡を消してしまう空間に、疑いようのない光で未来の行き先を示してるみたいだ。

信じるという気持ちはこの灯台の光のようなモンかも知れない。真っ直ぐな光の先に向かって進めばいいと思う。光が失われた世界ではきっとそれが正しい選択。でも大切なのは灯台の光が回転してる事、それは360度まわりを見る必要もあるのではないだろうかということ・・・・

人は正しいと思う事を信じて行き先を決めるのだろう。考え方の違いは「正」と「悪」で区別され信じる力を倍増させる。多数決で決めてしまう「正」と「悪」。でも本当の多数決は自分の中から始まっていると思う。それは誰の心にも両方が常に存在し、迷わせる為に存在してるとも思う。迷いながら疑いながら信じるという事が大切なような気がしてしまう・・・

03/30/2003 戦うということ・・・
きっと、どちらも間違ってるだろうけど、何が正しいのかはわからないなぁ・・・

■13歳のシャーロッテ・アルデブロンがメイン州の平和集会で話した内容■

アメリカ人がイラクに爆弾を落とすことを考えるとき、頭の中で想像するのは軍
服を着たサダム・フセインとか、銃をもった黒い口ひげの兵隊とか、バグダッド
のアルラシード・ホテルの玄関フロアに「罪人」と説明つきで描かれた父ブッシ
ュ大統領のモザイク画とかでしょう。

でも、知っていますか? イラクに住む2400万人の人たちのうち半分以上は
15歳以下の子どもなんです。1200万人の子どもですよ。私と同じような子
どもたちです。私はもうすぐ13歳ですけど、もっと大きい子たちや、もっとず
っと小さい子たちがいて、女の子ではなくて男の子もいるし、髪の毛は赤毛じゃ
なくて茶色だったりするでしょう。でも、みんな私とちっとも変わらない子ども
たちです。

ですからみなさん、私をよ〜く見てください。イラク爆撃のことを考えるときは、
頭の中で私のことを思い描いてほしいからです。みなさんが戦争で殺すのは私な
んです。

もし運がよければ、私は一瞬で死ぬでしょう。1991年2月16日にバグダッ
ドの防空壕で、アメリカの「スマート」爆弾によって虐殺された300人の子ど
もたちのように。防空壕は猛烈な火の海になって、その子どもたちやお母さんた
ちの影が壁に焼きつきました。いまでも石壁から黒い皮膚を剥ぎ取って、お土産
にできるそうです。

けれども、私は運悪くもっとゆっくり死ぬかもしれません。たったいまバグダッ
ドの子ども病院の「死の病棟」にいる、14歳のアリ・ファイサルのように。
湾岸戦争のミサイルに使われた【劣化ウラン】のせいで、彼は不治の白血病にか
かっています。

さもなければ、生後18か月のムスタファのように、内臓をサシチョウバエの寄
生虫に食い荒らされて、苦しい不必要な死を迎えるかもしれません。
信じられないかもしれませんが、ムスタファはたった25ドル分の薬があれば完
治するのです。でも、みなさんが押しつけている経済制裁のためにその薬があり
ません。

さもなければ、私は死なずに何年も生きるかもしれません。サルマン・モハメド
のように、外からではわからない心理学的打撃を抱えて……。彼はいまでも、ア
メリカが1991年にバグダッドを爆撃したとき、幼い妹たちと経験した恐怖が
忘れられないのです。サルマンのお父さんは、生きのびるにしても死ぬにしても
同じ運命をと、家族全員を一つの部屋に寝かせました。サルマンはいまでも、空
襲のサイレンの悪夢にうなされます。

さもなければ、3歳のとき湾岸戦争でお父さんをアメリカに殺されたアリのよう
に、私は孤児(みなしご)になるかもしれません。アリは3年のあいだ毎日、お
父さんのお墓の土を手でかき分けては、こう呼びかけていたそうです。
「だいじょうぶだよ、パパ。もうパパをここに入れたやつらはいなくなったから」
と。でもそれはちがったみたいね、アリ。そいつらはまた攻めていくらしいもの。

さもなければ、私はルエイ・マジェッドのように無事でいられるかもしれません。
彼にとっては、学校へ行かなくてよくなり、夜いつまでも起きていられるのが湾
岸戦争でした。でも、教育を受けそこなったルエイは、いま路上で新聞を売るそ
の日暮らしの身の上です。

みなさんの子どもや姪や甥が、こんな目にあうのを想像してみてください。体が
痛くて泣き叫ぶ息子に、何も楽になることをしてやれない自分を想像してみてく
ださい。崩れた建物の瓦礫の下から娘が助けを求めて叫ぶのに、手がとどかない
自分を想像してみてください。子どもたちの目の前で死んでしまい、そのあと彼
らがお腹をすかせ、独りぼっちで路上をさまようのを、あの世から見守るしかな
い自分を想像してみてください。

これは冒険映画や空想物語やビデオゲームじゃありません。イラクの子どもたち
の現実です。最近、国際的な研究グループがイラクへ出かけ、近づく戦争の可能
性によってイラクの子どもたちがどんな影響を受けているかを調べました。話を
聞いた子どもたちの半分は、もうこれ以上生きている意味がないと答えました。

ほんとに小さな子たちでも戦争のことを知っていて、不安がっているそうです。
5歳のアセムは戦争について、「鉄砲と爆弾で空が冷たくなったり熱くなったり
して、ぼくたちものすごく焼け焦げちゃうんだ」と語りました。10歳のアエサ
ルは、ブッシュ大統領にこう伝えてほしいと言いました。「イラクの子どもが大
勢死にます。あなたはそれをテレビで見て後悔するでしょう。」

小学校のとき、友だちとの問題は叩いたり悪口を言い合ったりするのではなく、
相手の身になって話し合うことで解決しましょうと教わりました。相手の行動に
よって自分がどう感じるかをその子に理解してもらうことで、その行動をやめさ
せるというやり方です。

ここで、みなさんにも同じことをお願いします。ただし、この場合の“相手”と
は、いま何かひどいことが起ころうとしているのを待つしかないイラクの子ども
たち全部です。ものごとを決められないのに、結果はすべてかぶらなければなら
ない世界中の子どもたちです。声が小さすぎたり遠すぎたりして、耳をかしても
らえない人たちのことです。

もう一日生きられるかどうかわからないのは恐ろしいことです。

ほかの人たちが自分を殺したり、傷つけたり、自分の未来を奪ったりしようとすれ
ば、腹が立つものです。

ママとパパが明日もいてくれることだけが望みだなんて、悲しいです。

そして最後に、自分がどんな悪いことをしたのかも知らないので、何がなんだか
わかりません。

(翻訳:星川淳)

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シャーロッテ・アルデブロンは、メイン州のプレスクアイルでカニングハム中学
校に通う13歳。彼女への感想は、お母さんのジリアン・アルデブロンまで。
aldebron@ainop.com
記事原文→http://www.wiretapmag.org/story.html?StoryID=15291

02/18/2003 こしき海洋深層水・・・
いま建設中の深層水工場。この沖合い4Km、深さ375mの位置から海水を汲み上げる予定だ。

海の中にはあらゆる物質が溶け込んでいる。長い年月をかけほんの少しづつ蓄えた物質を包み眠るように存在しているのだろう・・その成分バランスは人の体に存在する物質と同じようなバランスで存在し、そして深層水は限りなく無菌に近い。

体と感情と魂のバランスがおかしくなった時、人は自分自身を見失ってしまうのかも知れないと思う。その時に必要なのは、自分を変えるという事ではなく、自分に帰るってことなのかも知れない。

怒りや悲しみや劣等感・・・海の中に存在してた頃に戻れば、きっと何でもない出来事として自然に包み込むことが出来るのかも知れない・・・・・

12/29/2002 2002の終わりに・・・
山の上に展望台がある。風景を眺める時にはまわりばかりを気にするが、きっと自分の居る場所を知る事も大切なのかも知れないと思う。

展望台に居た旅人を車に乗せて違う場所へと連れて行くことになった。彼はカメラは持たずに、記憶は目に焼き付けるらしい・・。世界70カ国以上、国内もいろんな場所へと行ったみたいだ。彼は時間を大切にしながら、のんびりと、そして忙しく生きているように思えた・・・「好き」という単純な理由で、こんなにもパワーが生まれるのだろうか・・・

今年はいろんな出来事があった。ちょっとした出来事から、東京を離れ甑島に住むことになった。今は帰ってきて良かったと思える。
いま居る場所、足元を見つめてしっかりと記憶に残すつもりだ。そして顔を上げて風景を眺めようと思う・・・・
この展望台からの風景は・・・想像にお任せします。

このサイトを訪れて頂き、有難うございました。来年も同じようにいい加減ですが、宜しくお願いします。

12/23/2002 今日の夕日・・・
船の上から沈む夕日を見た。終わりとか始まりとか、そんなちっぽけな時間へのこだわりなんて関係ないというような光を、見上げる人だけに優しく与えてくれる。

夕日は昼間に気づかない光の色を教えてくれてる。それはゆっくりとした大きい波長の赤だけに与える特権。急ぎ足を休める時間なのかも知れないって思う・・・

昨日は村の村長選挙があった。3人立候補して1人だけが村長に決まった。村の人達は3つに分断された。誰もが求めてる「幸せ」という同じ目的のために・・・

人が人を助けるという気持ちは、義務感であってはならないと思う。誰かを守りたいという自然な気持ちは、どうしようもないくらい強いモンだと思うから・・・・

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