第2話

 峠を下っていくと、灰色の相模湖の湖面と朝靄の白い帯が広がっていた。とりあえず雨の心配はなさそうだ。まだ人通りのない相模湖駅前を軽快に通過、藤野にさしかかる頃には朝日が山腹を照らし出した。ここから先は、大月まで細かなアップダウンを繰り返すワインディングが続く。

 上野原の町を過ぎ中央高速の大きな陸橋と交差する下りにさしかかったあたりで、道路脇の斜面に座り込んでいる1人のチャリダーと目が合った。どうやら自転車が故障してしまったらしい。すこし先で岡村が足を止めた。

 「トラブルみたいですけど、どうします?」

 「うーん、ちょっと様子見に行ってみるか。」

引き返して例の斜面に戻り、声をかける。

 「何かあったんですか?」

やはりマシントラブルのようだ。リアホイールを外している。

 「いやあ、パンクしちゃったんですけど、バルブの根元からイッちゃってるんすよ。」

 年格好から判断して我々と大して変わらない年齢だが、自転車は見るからに高そうなロードレーサーだ。廃品の寄せ集めで作った自分たちの愛車が妙に老けて見える。

 「チューブ替えちゃえば?」

 今でこそロードレーサーはチューブレスだが、当時はまだ普及していなかった。しかし交換してしまえばすぐに解決する問題だ。ロードレーサーゆえにインチが大きくかつリムが細いので僕らのスペアは使えないが、ツーリングに出る自転車乗りなら予備を持たないはずがない、と思いこんでいた。ところが・・・。

 「持ってないんです・・・」

 「え?」(俺)

 「ないの?」(岡)

 「うそ!」(速)

 恐れ入りましたね、これは。聞けば東京から来て甲府を目指していると言うではないか。ツーリングの常備品であるスペアを持たずに旅に出るとは! しかも田舎ではまず手に入らないロードレーサー用。「なんちゃってサイクリスト」の我々も、これには呆れて言葉も出ない。とりあえずパンク修理用のパッチで修理を試みるが、バルブの根元で千切れていては塞ぎようもなく、4人はしばらくチューブを前に沈黙した。

 「うーーーーーん・・・・」

 これは厄介なことになったかもしれないな・・・・正直言って僕は思った。

 閃いたのは岡村だった。

 「前に聞いたことがあるんですケドぉ、タイヤに草とか土とか詰めるって・・・」

 「おおおーーー。」

 一同、感嘆の声。

 数十秒後、4人は斜面の草をむしり始めた。ぴっかぴかの愛車に草だの土だのを押し込まれるのは気が進まないようだったが、「イヤならこのまま行っちゃうよん。」という我々の声なき声が彼にプレッシャーをかけたのだろう、。

 しかし、空気圧に相当するだけの草圧(笑)を確保するのは思った以上に大変で、詰めても詰めてもタイヤはベコベコのままである。ムキになってひたすら詰めまくり、ようやく「パンク寸前のママチャリ」レベルになるまでに小一時間もかかってしまった。

 「こんなもんでないかい?」

 ようやく再スタートである。だいぶ時間をロスしてしまったので、わっせわっせと出発、パンク君(以下、こう呼ぶ)も目指す方向が一緒なので、様子を見ながら4人で走る。だが、コトはこれで解決したわけではなかったのだ。

 指で押したらまあまあの草圧(以下、こう呼ぶ)でも、人間の体重と路面の凸凹は予想以上の大きな圧力をかけるのだ。

 「もう走れないっす。」

 2キロも行かないところでパンク君が立ち止まった。見るとタイヤはぺちゃんこに潰れ、パンクと何ら変わりない状態に戻ってしまっていた。タイヤを外してみると、あれほど詰め込んだ草は、見るも無惨に「ホーレン草のおひたし」と化していた。

 「うわ、きったねえ・・・」

 「ポパイの缶詰みたいだ・・・」

 彼には悪いが、思わずそう言ってしまうほどのゲロぶりだった。おまけにリムには「青汁」がべっとりとこびりついている。仕方なく、また草むしりを開始する。

 パンク君は、その後も頻繁にストップを繰り返した。最初は「パンクしてる人を助けたんだぜ・・・(という美談を持ち帰りたい)」というヨコシマな親切心もあって伴走してあげていたが、その日に富士山周辺までの到達を目標としていた我々にとって重荷になりつつあるのも事実であった。いつしかお互いに自分のペースで走るようになり、我々が先行して休憩していると彼が追いついてくる、という展開になった。

 上野原から大月までの区間は路肩が狭く、自転車にはまことに走りにくい道である。すでに正午を迎えた真夏の太陽は容赦なく我々の首筋を焼き、ちょっと気を抜くと意識が遠のいてしまいそうだった。徐々に速水が遅れ始めていた。

 中央本線の四方津駅をすぎたあたりで休憩を取ることにした。遙か後方のパンク君は別として、「とりあえず冷たいモンでも飲むか」と3人は国道端の小さな雑貨屋でジュースを買った。店のおばちゃんが、

 「道の反対側にトンネルがあるでしょ、そこ行けば涼しいよ。」

と教えてくれたガード下に座り込んでジュースを煽る。たった5mほどの「トンネル」だが、外の熱気が嘘のような涼しさであった。しばらくすると寒くなってきたので先の店に戻ると、おばちゃんは「それじゃ足りないだろうから」といって、コップに入った水をくれた。カキーンと冷えていて、しかもうまい。

 「このへんは、水道がみんな湧き水だからね。」

指さす店先の側溝には、清冽な水がとうとうと流れていた。こんなに水のきれいなところに住んでいる人は幸せだ、と思った。水筒に冷たい水をいっぱいに入れてもらい、丁重に礼を述べて出発。

 今回の旅の目的の一つは、「湧き水をめぐる」ことである。富士山周辺は全国に名だたる名水をその裾野にまき散らす湧水王国でもある。そこで我々は最初の目的地を富士吉田市内の浅間神社と決め、勢いよくペダルを踏んでいった。

 結局、パンク君は大月の町に入ったところでリタイヤとなった。町中を探し回っても、自転車屋にロードレーサー用のチューブは売っていなかったのだ。コンビニの軒先に陣取って一緒に昼飯を喰った後、彼は自転車を解体して大月の駅に向かった。だが実を言うと、この男はロクに工具も持っておらず、解体作業も殆ど我々がしてやった!のだった。

 「備えあれば憂いなし、だな。」

 「ママチャリのほうが遠くまで行けたんじゃないか?」

去りゆく背中を見送る我々には、慈悲のかけらもなかった。

 大月で甲州街道と別れ、国道139号線に入った。自ら招いた予想外のアクシデントの為、予定より遅れている。だが腹を満たして気力と体力を回復した我々は、高速道路と平行する田舎の国道をのんびりと走っていった。

 都留までの間は殆ど高低差がないが、その先は、いよいよ富士山めがけて道は駆け上っていく。上り坂は各自のペース、というのが既に暗黙の了解となっていたので、3人がお互いの姿も見えない状況で黙々と走る機会が多くなった。このころになると、速水の遅れが目立つようになってきた。

 先行した僕が西桂から寿に至る急な登り坂の途中で休憩していたときである。1台の車が突然僕の脇に止まった。

 「後ろの方で、男の子が倒れてるよ! アンタの仲間じゃないの?」

速水だ!と瞬間的に思った。やばい、事故か?「すぐ行った方がいい」とその運転手も言うので、あたふたと自転車にまたがり来た道を引き返す。猛スピードで坂を下りながら、ああ、またこれを登るのか・・・と思うとゲンナリした。すぐに、登ってくる岡村と遭遇。手短に用件を伝え一緒に下っていく。

 西桂の500mくらい手前で速水が路肩に倒れ込んでいた。民家の壁にもたれかかるようにして動かない。だが、顔色から判断して生死に関わる事態ではないようだ。

 「おい、大丈夫か?」

声をかける。息はしているが返事がない。

 「ちょっと時間かけて休んだ方がいいですよ。」

と岡村。速水はうつむいたまま、相変わらず無言だ。喋れないほど疲労しているのか。

 「今日はこの辺でキャンプ地探すか・・・だいぶ時間もロスしたし。」

そう提案して立ち上がろうとしたとき、おもむろに速水は口を開いた。

 「・・・大丈夫っす。」

 僕らの制止を振り切って、彼は自転車にまたがり、よたよたと漕ぎ出した。なんだか怒っているようにも見えた。我々が引き返してきたことが、速水のプライドを傷つけたのだろうか。とりあえず大丈夫そうなので彼を追うように出発。

 国道が「かっくん」と左にカーブすると、眼前に一直線に伸びる上り坂が現れた。どこまで続いているのか坂の頂上は見えない。思わず頭がクラクラした。富士山の裾野を吉田の大鳥居まで一気に直登する最後の難関、だがこれをクリアすれば浅間神社のおいしい水が待っている。

 通ったことのある人ならわかると思うが、この大坂を、荷物を積んだ自転車で完登するのは大変なことである。しかも真夏の熱気の中を約100キロも漕いできた我々にはあまりに大きな壁であった。意を決して突入、僕、岡村、速水の順でゆっくりと進んでいく。商店街の中を息を切らせて登っていくと、通行人が驚いたように振り返る。

 結果から言えば、ここを完登できたのは岡村だけだった。速水はあっという間に行方不明となり、僕は坂の中程のコンビニで力つきた。そこから先は、この旅初めて「押して」登ることとなった。

 かくして、我々3人はなんとか浅間神社に到着し、霊験あらたかな名水を手に入れたのであった。旅の安全を祈願したのち、神社のベンチで即席ラーメンとコーヒーを作り、お互いの労をねぎらった。

 「さて、寝床を探しますか。」

薄曇りの空が、わずかにオレンジ色に染まっていた。長い1日が終わろうとしていた。


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