第3話

 寝床の確保にはちょっとした手間と時間を要した。

 河口湖畔でテントを張ろうとしているところへ突然現れたおやじは、

 「だーめだよ、国立公園なんだから。キャンプ場行きな。」

と我々に強制退去を命じたのだ。

 「はーい、わかりましたあ!」

 だが、そんなところを貧乏高校生が高い金を払って使うわけないではないか。そもそもキャンプ場というのは初心者が夜通し花火を打ち上げて騒ぐための場所であり、何よりも休息が必要な我々にとっては最低最悪の野営地だ。よって、いったんテントを撤収し、暗くなったのを見計らってからもう一度張り直した頃には8時を回っていた。今でもそうだが、富士箱根エリアは貧乏旅行者には優しくない場所なのだ。

 男3匹すし詰めのテントで寝苦しい一夜を過ごし、翌朝おやじがやってくる前に早々にテント撤収。湖畔で朝飯をとる。皆、さすがに前日の疲れが取れていない。謀議の結果、この日はのんびり過ごし、夕方、本栖湖に野営地を移すこととなった。

 朝食後、岡村は山中湖の忍野八海へ湧き水を求めて旅立ち、僕と速水は河口湖でブラックバス釣りを楽しんだ。が、手漕ぎボート1日3500円という大散財の割に釣果はサッパリで、速水に1回大きなアタリがあっただけだった。2人はこの大損害とともに、釣り道具という厄介な荷物を持ってきたことを激しく後悔した。一方の岡村は、無事湧き水をゲットし、まあまあの満足顔で帰ってきた。

 「で、どうだったのよ、釣りは。」

 「・・・・。」

 イヤな奴である。

 夕方、本栖湖へ向け出発。西湖への急勾配を登り、トンネルを抜けペンション街をゆく。湖畔のキャンプ場は色とりどりのテントで埋め尽くされていた。ほどなく国道にでて、樹海の中を西へと走る。我々を包み込むかのように深く暗く広がる夕暮れの樹海の中を漕ぎ続けること小一時間で本栖湖の東岸にたどり着いた。風がなくべた凪ぎの湖面に、紫色の夕焼けの残骸が映っている。

 もちろんこの日もゲリラキャンプ(注:キャンプ場を使わずに野営すること。)である。都合のよいことに湖畔には四阿(あずまや)があり、いすとテーブル付きの豪華なキャンプサイトができあがった。この時間ならもうあやしい「国立公園管理人」が来ることはないだろう、ということで早速晩飯の準備に取りかかる。まずはコメ炊き、湖の水をコッヘルに汲み、3人で覗き込む。

 「どうかねえ・・・」

 「きれいそうだし、大丈夫じゃないスか?」

 「これしかないんだから、ショーがねえよ。」

 富士五湖の中で本栖の水は一番きれいだということになっていた。「見た目」だけで判断するのもどうかと思うが、どうせ沸騰させるのだからよほどヤバイ化学物質でも混入していない限りは問題ないだろう。

 夕食が終わり一段落すると、地図を広げて翌日の作戦会議に入った。今日はほとんど動いていないので、明日は長距離移動日としたい。検討の末、白糸の滝、富士宮浅間神社を経由して湧き水をゲットしつつ駿河湾から国道1号線を東進、伊豆半島の土肥あたりを目指そうということになった。暑くなる前にできるだけ距離を稼ぐため出発は午前3時に決定した。よって早々に就寝。

 ほぼ定刻に目覚めた我々は、眠い目を擦りながら荷造りを整え、静まり返る本栖湖を後にした。ここから南に進路を変え、一気に駿河湾までかけ下る。おそらくこの旅最大の大きなダウンヒルだ。

 走り出してすぐに道は下り坂となった。左手には雄大な富士の裾野と朝霧高原が広がっているはずだが、真っ暗闇で何も見えない。坂はどこまで行っても終わる気配をみせず、ぐんぐん車速が乗っていく。20キロ、30キロ、40キロ・・・メーターがないのでよくわからないが、車並みのスピードは出ているようだ。耳元で風が唸りを上げている。体感温度は「涼しい」を通り越し、あきらかに「寒」くなっていた。頭がガンガンするほどの寒さだった。しばらく行くと有料道路の料金所に到着。無人でゲートも開きっぱなしだったのでそのまま通過できるが、後続の2人を引き離してしまったため一旦停止。すぐに速水が到着。

 「岡村は?」

 「後ろだとおもいますヨ。」

 というわけで暫く待つが、なかなか現れない。こんな一直線の下り坂で、そんなに差が付くとは思えなかった。

 「道、間違えたんスかね?」

 「でも一本道だからなあ・・・」

 10分が経過し不安になってきた頃にようやく岡村登場。

 「おせーよ、何かあったんか?」

 「・・・カメラ、壊しました。」

 「うっそーー!」

 聞けば、走行中に路面の凸で前輪が跳ね上がったときに、フロントのバッグに入れていたカメラが飛び出してしまったのだそうだ。岡村はこのツーリングのカメラ担当だった。

 「で、カメラは? フィルムは?」

 恐る恐る聞いてみた。

 「ははは・・・ダ・メ・でえーーす!」

 落下の衝撃で裏ブタが壊れてしまったのだ。ここまでの旅の記録は失われた。しかも当時は使い捨てカメラなんていう便利なモノはなかったので、この先も写真記録は断念せざるを得なくなってしまった。

 白糸の滝は、まだ暗闇の中だった。静寂の中に水の落ちる音だけが響き渡っている。当初は滝の下まで侵入し水をいただく計画だったが、こう暗くては降り口も見つからないので断念、早々に再出発した。相変わらず続く下り坂を寒さに震えながら突き進んでいくと、徐々に気温が上がってきた。かなりの標高差を駈け下ったことを実感する。

 富士宮市の浅間神社に到着する頃にはすっかり明るくなっていた。早朝の境内には誰もおらず、こんこんと湧く泉には錦鯉が泳いでいる。日本人はなぜか錦鯉が大好きで、津和野にしろ飛騨高山にしろこれでもか!というくらいカラフルなコイが口をパクパクさせているのが常である。「コイがいなけりゃただのドブ」だからなのか、「きれいな水路にはコイが似合う」と思っているヒトが多いのか・・・全く理解できない美的センスだ。とにかくコイであふれかえった生臭い水を飲む気はしないのでお清め処の水をいただき、旅の安全を祈願して出発。青汁色に汚れた田子の浦の海を拝んだのち、国道1号線で伊豆半島にむけひたすら東へとペダルを踏む。黒松の防風林が続く国道沿いの自動販売機で買ったジュースの想像を絶するマズさ(コーラにプルーンを混ぜたような味だった!)に呻きつつ、単調な道を行く。この先、伊豆半島で思いもよらぬ困難が待ち受けていることをまだ全く知らない3人であった。


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