2000年3月17日(金)
指揮:A.コプィロフ
演出:プティパ、ゴールスキー
改訂版再現:A.ファデェーチェフ
バジルに扮するウヴァーロフとのコンビもいい。彼は背が高い上にジャンプも大きい。ちょっと目を離すと別の娘と仲良くしちゃう、というのも似合っていた。
今回の収穫はペトローヴァ。ドリュアスの女王(森の精)として気高く美しい踊りをみせなければならず、またドルシネアとの対比もされるので難しい役柄。気高さが無表情のそっけなさになりがちなところ、腕や肩や手先の動きに軽いアクセントをつけることによってきせいな女性美を表現していた。出番の少ないのが残念なくらいであった。
が、全体としてはなにか一つ足りない公演。今回は前回と逆に、周りの重要なソリストに問題があったように思う。ボリショイのドンキホーテの演出では、登場人物がただ多いだけでなく、同時に2個所あるいは3個所で話が進行する場面が多く(特に第一幕)、そうした時には中心がだめでもまわりがちゃんとしている、あるいまわりがだめでも中心がしっかりしていれば、全体の印象は崩れない。もちろんボリショイは層が厚いので、たいていの場合、もちろんその両方がしっかりしている。例えば、目隠しされたサンチョパンサが街娘と戯れている間にガマシュとドンキホーテが乾杯しながら世間話をながながやっているところ。サンチョパンサが大きな布で投げられる時にドンキホーテは警告を与えたあと、中心がキトリの二人の友達の踊りになると、また話しに戻っていく。この間のドンキホーテらの小世界はそれで独立完結するとともに、キトリを目にすることで全体ともつながっていき、演出も演技もみごと。第二幕第一場でスペインの踊りその他に中心が移ってから、舞台左端でそれを見物しながら長く座っているキトリの動きも観察していると面白い。
舞台上の全員が中心に注目する場面で主演技者の迫力がイマイチだと、全体が崩れてしまう。例えば第一幕の闘牛士と街の踊り子が主役になる場面。ルイジャコフはこの役の初出演のためか、気負いがみえるがそれに身体がついていっていないのがよくわかり、マントを振り回しても空振りという感じであった。第二幕第一場でスペインの踊りのあとのソロも同様。そして街の踊り子のアラシュ。顔は笑顔だけど、からだ(の雰囲気)が固く、熱気を振りまいて欲しい役柄なのに、自分の世界だけで閉ざされている感じであった(第三幕のヴァリエーションでは力みがなく、開放的な踊りをみせていたのに)。
それからキューピット。カプツォーヴァの当たり役だけに比較は気の毒だし、ピッキリヤの役も兼ねていたので大変だったろうけれど、ウヴァーロヴァは、「キューピットの恰好をしたただの女の子。」第三幕ででてきてもただ立ってるだけだろうから二幕だけで充分、と思ったていたら、本当にキューピットたちの登場はありませんでした。ドリュアスとドルネシアの間のキューピットのソロ(第二幕)もなかったのでもしかしたら急な代役だったのかもしれない。
他のそうした場面−スペインの踊り、メルセデス、そして特にジプシーの踊りなどは音楽がどんどん盛り上げてくるのでそれに見あう踊りを見せてくれないとしらけるところだが、とても集中力の高い好演。
というわけで、闘牛士、街の踊り子、そしてキューピットが全体を引き締めるには重要な役どころである、ということがわかった公演でした。
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