2003年10月4日(土)
指揮:パーヴェル・サローキン
演出:ユーリー・グリゴローヴィチ。 プティパ、イヴァノフ、ゴールスキー版の一部を利用
舞台装置:シモン・ヴィルサラッゼ(ヴィルサラッゼ死去にともなう舞台復元はマルガリータ・プロクディナ衣装復元はエレーナ・メルクロヴァ)
照明:ミハイル・ソコロフ
第1幕第1場はフィリンが幕を引き締めていた。ボリショイのプリンシパルはそれぞれ個性的でウヴァーロフは背の高い王子、ツィスカリッゼはちょっと色濃い遊び人、クレフツォーフは力強そうでいて非力なところ努力で切り開くタイプ、ベロゴロフツェフは若い踊りが「二代目」っぽい。
そうした中、フィリンはとてもよい意味で中庸の、力強い王子タイプ。マザコンで青白さのあるというより、自分の意思をしっかりもった若き貴族。
踊りも確信をもち、堅固な安定さのもとに鋭角は鋭角に、鈍角は鈍角にふちどりをはっきりさせて踊りわけ、動作によって王子の性格をあらわし、これからの運命まで暗示させるようである。
サポートでは時折ミスもあり、たとえば王子の友だち二人との踊りでは、アレクサンドロヴァがすべりかけてリフトをやり過ごすことがあった。
この演出の第二の主役は道化で、舞台中央にたち演技あり回転ありで場をしきる。ヤーニンは技術力も演技力も兼ね備えており、特にこの日は引き締めるときは引き締め、笑いをとるときはぐっと軽くなり、十分な存在感を示していた。昨年みた時より2ランク位調子がよさそう。
第2場、静かな湖畔に静かに現れる白鳥たち。ここはアナニアシヴィリの独断場。
私はアナニアシヴィリの「凄い」舞台を見たことがなかった。いつも技術も演技もそこそこで、キトリもジュリエットもそつなく踊り、顔もスタイルも悪くはないのでうまく丸くおさまるが、「その先」が欲しいといつも欲求不満が残った。
この晩はベテランの域に達して上りつめた高みから、もう一度若いバレリーナに戻って白鳥をはじめての舞台として踊る舞台。例えばバッチュー。湖の表面に漣をたてるかのように細かく優しい風を送り込む。あんな繊細で静かで軽い、それでいてしっとりとした足の動きは見たことない。
雰囲気が高まった上で、リリックな音楽にのって踊ると、その軌跡にはオデットの悲しみと希望が残されるし、2場最後の行進風の音楽の場面では力強さと運命に立ち向かう強さがはっきりと見える。
そして退場の際の腕の動き。風にゆれるリボンのようなあのなめらかな筋肉の動きは、現代のプリセツカヤ以外の何ものでもなかった。
第2幕になると、ヤーニンの好調は続くが、フィリンの影がやや薄くなる。
各国の花嫁は、スペインのアラーシュがいつになく好調で、踊りの熱さがエキゾチックな顔がうまくマッチ。ガリャーチェヴァのナポリの踊りは、黄色い太陽の明るさ、暖かさがあふれていた。
肝心の黒鳥だが、動きに柔らかさが消えて確かに悪魔系だけど、お化粧をしてもあの顔はどうにも怖くならず、悪意も妖艶さも、策略のさの字も見えなかったのは残念。動きはオディーリアだけど姿は踊りの上手なバレリーナ。
第2幕第2場は再びオデットに戻り、厳しくも若々しい踊りを見せ、結末にむけて盛り上がっていくが、最後は突然オデットが死に、王子はあっけにとられてひたすら嘆いて幕となる。
グリゴローヴィチらしいどっしりと荘厳な舞台&演出だが、結末には不満が残る。でもこれはバレリーナの責任ではない。
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