2005年11月10日(木)
指揮:アレクサンドル・コプィロフ
演出:ユーリー・グリゴローヴィチ。 プティパ、イヴァノフ、ゴールスキー版の一部を利用
舞台装置:シモン・ヴィルサラッゼ(ヴィルサラッゼ死去にともなう舞台復元はマルガリータ・プロクディナ衣装復元はエレーナ・メルクロヴァ)
照明:ミハイル・ソコロフ
主役二人はいつものコンビ、アントニチェヴァとニパロージニー。ラトマンスキー監督下の組織改革の一環として(?)「中二階」だったニパロージニーは晴れてプリンシパルに。
別にこのコンビが好きなわけではないが、なぜか巡り合わせでこの二人の舞台を見ることが多い
この日の公演は一言でいうと「満身創痍。」
さまざまな理由が重なりあい、ボリショイメンバー(の一部)はオーヴァーワークを強いられている。精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱい。特に主役は長丁場なので、いくら頑張ってもそれが表れてしまう。
ニパロージニーはもともと熱い表現をする人じゃないので、低空飛行ながらそれなりに安定していた。ロ−トバルト役のプローニンは王子を軽々とあやつり割と喝采を浴びていたが、アクセントのない踊りで面白みがない。ただ「日常的公演」ではこういうのものでしょう。
だけどアントニチェヴァはボリショイのプリマとしてこのような踊りをしてはいけない。去年彼女を見てその成熟ぶりに驚いたからなおさら惜しい。
頑張っていたのはわかる。だけどオデッタに必要な悲しみ、喜び、瑞々しさ、オディリアに不可欠な艶やかさと腹黒さ、そういった「味」となる感情表現はまったくなく、物理的に傷付いた人形のように、必死になんとか「こなす」というバレエ。
最大の見せ場である第二場「情景」で、危うさを孕みつつなんとか最後まで踊りきり、みんなが安心してうっとりとした最後の瞬間、大きくグラリとしたことがその第一。
その後のヴァリアシオンでヴァイオリンが万感の思いをこめてしっとりとメロディーを奏ではじめたが、舞台上はすっかり白けていたので、淡々と時間がすぎて行くだけ。
そして第三場のグランフェッテ。プリマの調子を知ってか知らずか、指揮者はかなり遅いテンポで曲をはじめた。アントニチェヴァは名誉挽回と、オケをかなり上回るスピードでまわりはじめ、破たんなく踊りきった!と思ったその最後の最後で再びぐらぐら、というか、ほとんど転ぶ寸前までいき、これまでの努力が台なし。
バレエにミスはつきものだし、調子のいい時わるい時だって必ずある。だけど、こうした最大の見せ場で二回もフィニッシュを決め損なうとさすがに興醒め。
この回の収穫はスペインの踊りのオースィポヴァ。2004年入団の新人ながら、2003年にルクセンブルクのコンクールでグランプリ。今年モスクワ国際コンクールで第三位。
受賞歴に恥じず、登場するやいなやスピードと十分な高さのジャンプで喝采を得る。玄人筋にいわせると外面的な効果を狙った踊りとのことだけど、見栄えがいいだけでなく、スペインの情熱が伝わってくる見事なバレエ。意欲的な踊り手であることは確かで将来が楽しみ。
その後にはカプツォーヴァがかわいく、優しく、そしてとても明るく柔らかいナポリの踊り。同じラテンでも表面は共に明るいが、スペインは死を、イタリアは底なしの明るさを心の奥にもっているのが両者の違いという話を聞いたことがあるが、二人はバレエでその違いを無言のうちに表現していた。
オーケストラもこの日はパートによって調子のよさが違っていた。かすれてほとんど息の音しか聞こえないフルートや落としまくりのトランペットがあるかと思うと、ヴァイオリンはまるでソロであるかのような統一され、しかも厚みのあるフレーズを歌う瞬間が何度もあった。
大劇場が2008年まで改築のために閉鎖。そのため、はじめて新劇場で白鳥の湖を見る。奥行きは結構あるけれど、横幅が約2メートル狭いため、大劇場と同じ人数で踊るとやはりやや窮屈。ぶつかり合いそうな時もみられた。これで日本公演での狭い舞台に違和感がなくなればいいけれど、これに慣れて大劇場再開時にせっかくの「ボリショイ(=大きい)バレエ」が小さなものにならないか少し心配でもある。
(2005年10月23日)
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