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 タイキコメット 
Taiki Comet



生産 牝・青鹿毛
1995年5月12日生
大樹ファーム産
コメットの顔
所属 美浦・後藤由之厩舎
大樹レーシングクラブ
血統 タイキコメット リアルシャダイ Roberto
Desert Vixen
ミーティングアジョーンド General Assembly
Broken Up
戦跡 日付 場所 レース コース 馬場 騎手 結果
2001.01.08 中山 500万下 ダ1800m 青木 1着
2000.12.16 中京 500万下 ダ1700m 青木 2着
2000.12.02 中山 500万下 ダ1800m 勝浦 8着
2000.11.19 東京 500万下 ダ1600m 勝浦 5着
2000.11.04 東京 500万下 ダ1400m 勝浦 6着
2000.09.03 中山 500万下 ダ1800m 嘉藤 3着
2000.08.19 中山 500万下 ダ1800m 嘉藤 6着
2000.07.15 福島 500万下 芝1800m 嘉藤 5着
2000.06.24 東京 500万下 芝2400m 不良 嘉藤 4着
2000.06.03 東京 500万下 芝2300m 嘉藤 4着
2000.04.29 福島 500万下 ダ1700m 嘉藤 1着
2000.04.08 中山 500万下 ダ1800m 嘉藤 2着
2000.03.25 中山 500万下 ダ1800m 嘉藤 5着
2000.03.11 中京 500万下 ダ2300m 小林淳 6着
2000.01.15 中山 500万下 ダ2400m 小林淳 4着
1999.12.02 中山 500万下 ダ1800m 小林淳 3着
1999.10.02 新潟 秋保特別(500) ダ1700m 小林淳 5着
1999.09.05 新潟 500万下 ダ1700m 小林淳 3着
1999.07.31 新潟 500万下 ダ1700m 小林淳 4着
1999.07.10 福島 500万下 芝1800m 小林淳 12着
1999.06.20 福島 500万下 ダ1700m 不良 後藤 4着
1999.04.18 中京 500万下 ダ1700m 青木 8着
1999.04.04 中京 500万下 ダ1700m 青木 1着
1999.02.28 中京 500万下 ダ1700m 青木 12着
1998.12.12 中京 500万下 ダ1700m 青木 3着
1998.11.21 福島 4歳未勝利 ダ1700m 青木 3着
1998.11.01 福島 4歳未勝利 芝1800m 青木 11着
1998.10.18 福島 4歳未勝利 芝1200m 不良 青木 9着
1997.09.29 北海道 ファンタストクラブにて調整中
近況 2001.01.26  蹄の炎症による痛みから出走回避を余儀なくされ、ここまで約一週間に亘り舎飼いでの経過観察を行なって参りましたが、思うような良化が見られないことから、今後の見通しについて後藤調教師及び厩舎関係者と慎重に協議を行なった結果、誠に残念ながら中央競馬現役を引退することで決定。これにより同馬は1月25日付けにて競走馬登録を抹消し、以後は大樹ファームにて繁殖生活に入ることとなりました。長期に亘るご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございました。
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 4勝を挙げたタイキスナイパーの半妹であるが母系を見ると他に活躍馬がいない。父のリアルシャダイもリーディングサイヤーになったのが信じられないほど走らなくなっている。と、この馬に関しては血統的魅力はあまりない。値段に釣られて買ってしまったが、それでも牧場側では期待されている馬らしいので順調なら走ってくれるはず。
 入厩するまでは大きな故障も無く来ていたが、身体的にも精神的にも弱いところがあり、あまり楽観はでず、トレセンへ入厩しては問題が出て退厩する、の繰り返しで、3度目の入厩後に万全ではないが、何とかデビューまでこぎつける。しかしながら結果を残すことが出来ず、ついに福島最終週。ここで好走しないと引退かと思われたが、3着に好走。これにより続く中京の500万条件に挑戦するとまたも3着。とりあえずダート戦なら500万条件でも走れることをアピールして、5歳での初勝利を目指すことに。5歳の未勝利馬となるとローカル開催にしか出走できないため一旦放牧に出ていた。ところが年が明けて早々、眼に虫が湧くという希有な病気を発生。幸い手術には成功して失明の心配もなくなったが、おかげで復帰までにはかなりの時間が要する見込み。と思われていたが2月上旬に入厩すると、月末にはレースに出走するという急仕上げ。案の定、休み明け緒戦は12着と惨敗するが、続く2戦目で鼻差の接戦を制し待望の初勝利。
 その後もコンスタントにレースに出走。勝つまではいかないが、掲示板には載ってくれる堅実なレースを繰り返し、6才の春には2勝目を挙げる。6歳最後のレースでは、近走成績が落ち込んでいるため、このレースを最後に引退も囁かれていたが、2着に好走。明けて7才となった次走で3勝目を挙げる。その後もレースに使われる予定であったが、調教中に脚部不安を発生し、そのまま引退することに。
 現役か引退かを左右する重要なレースで、なぜか好走。初めの頃はレースにすら使えなかったのだが、デビュー後は長期休養も無く、28戦3勝の成績。正直言って、ここまで走るとは全然思っていませんでした。引退後は大樹ファームで繁殖入りの予定。



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