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GTーRの草レース戦歴
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GT-Rクラブ 1997年8月号
FISCO ショップ対抗
GT-Rタイムアッタック
16台中 6位 (個人1位)
ノーマルキャリパー+軽量化なし
としては、上出来かな?
1コーナーがつらいっす。
ローター真っ赤に焼けて見えた
のは僕のだけだったそうです。








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OPTION2 1996年7月号
ギョウカイ最速バトルin間瀬
26台中 予選 7 位  決勝 7 位
(何故か個人なのにギョウカイ)
しゃあしゃあと有名人に混ざって
参加。個人のノーマルカーでは
この辺が限界?
レース予告記事へ
予告記事も、どうじょ
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REV SPEED 1995年1月号
59台中 決勝2位
コルスバトルロイヤルシリーズ
間瀬で草レースブームが頂点に
達していた頃のレース。
1位のオーテックさんについで
2位でした。この頃は0.6秒しか
差がなかったのになあ〜。
この頃は本物のエンドレスN1や、
首都高最速?とかいう車や、
スーパー今さんより、速くて
絶好調でした。





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CARBOY  1991年2月号
発売されたばかりのGT−Rが20台
集まってバトル。グループAもRは
2台だけの時代に総額1億円の贅沢
なバトルとして注目されました。
生まれて初めてのサーキットで20台
中7位、トラストの大川さんより最高速
賞として26万円の07タービンをいた
だきました。。これがきっかけで草レ
ースにはまる事に・・

スピードマインドR
1997年今月号
サーキット別ランキング
富士8位
間瀬13位
車紹介(文章のみ)




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OPTION2   1995年6月号
OP2杯間瀬グランドスラムキッズ
スーパーモデファイドクラス
14台中 予選1位 決勝2位






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OPTION2  1997年7月号
ギョウカイでやっと決勝4位。
(予選3位)
なのに記事はちょっと。
やっぱハデな車が活躍しないと
記事としてダメなんでしょうね。

OPTION2   1995年8月号
OP2杯 間瀬グランドスラムキッズ
スーバーモデファイドクラス
17台中 予選2位 決勝リタイア
(3層ラジエータがファンと接触、家に代りの部品
あったんでレンタカーで往復1000キロ走ってレン
タカー屋さんの駐車場で自分で付け替えました。
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OPTION  1994年3月号
エビスでベストラップタイムバウト
の企画第一弾。
コースアウトして残ってしまった
ちょっと不満な記録がこの号の
後もず〜っと、ランク表に載り続
けました。

マルカツ  エビスシリーズ優勝
雑誌の取材が入らなければ
けっこう勝ってるんだけどなあ〜
雑誌入ると、ショップのすごい車
来るんで、むずかしいっす。
かといって、取材がないと
はりあいがないし・・・





伝説の100万円バトルIN間瀬
バブルの頃、某ショップさんが企画
した優勝賞金100万円バトル。
予選はフロントロー2位で好位置だった
んですが、周回数を確認してなくて、
ガソリンがぜんぜん足りなくなり、
エコランで5位。それでも2〜3万は、
入ってたかなあ〜。
優勝は当時最速のJUNさんのアドバン
カラーのRでした。
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番外CARBOY  1986年8月号
スーパーアクションっていうドリフト
写真コーナーに86で応募しました。
まだドリフト自体めずらしい頃で
僕をはじめ、みなさんも水準が低
かったです。






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1996年筑波レースドニッポン
GT−Rレース参加計画
・・・・計画のみで終わる
左の20号で某ショップの筑波GT−R
レースのドライバー募集の記事を発見。
社長とよく富士の走行会でごいっしょし
たりしてたので、とりあえずドライバー
候補に。
何度かテスト走行に参加させてもらい
ました。
レース直前になって N1耐久と日程が
重なり、どこのチームも適当なドライバ
ー不足で、GT級トップクラスの影山・
木下・砂子選手などが代役で出てくる
という噂が流れました。
それはまずいって訳で、急遽、僕に
代わって茂木選手に乗っていただく
事に・・・・
ところがいろいろありまして、ほとんど
本番2日前まで僕が乗るのか茂木選
手が乗るのか、決まらない状態に・・・
最終的には茂木選手に乗っていただ
ける事になり、助かりました。
個人スポンサーの横浜タイヤさんを連
れてきて、何セットもニュータイヤ使っ
て、いいタイム出していただきました。
僕が乗ってたら大ヒンシュクだったろう
なあ〜。
でも、間瀬でいっしょに走ってた人も
何人か来てたから、いっしょに走りた
かった様な気も・・
でも、これもいい思い出です。














ポルシェドライビングスクールに
殴り込み(Aライ講習)
IN FISCO
Aライは失効させたりで、必要に応じて
2度取りにいってますが、この時は、
オーナーズクラブに潜入して、ポルシェ
をブッチギる事が第一目的でした。
スタート練習の時、適当に並んだ20番
グリッドのあたりから、1コーナーの突
っ込みまでで、カップカーや964RS
を含む全車をブッチギってパス。
周回練習の時も80台すべてのポルシェ
を周回遅れにするペースで走れました。
この時は単なるブーストアップ仕様で
400PSも出てなかったのになあ〜。
この時の車載ビデオ、RSとGTーRの
対決を特集する予告をしていたベスト
モータリング編集部に送りました。
何の反応もなかったですけどね。
発売されたビデオの中で、「大きな
差が予想されるので・・」ってアナウス
入りで、きもちGTーRに大き目の
ハンデを付けてたけど、関係ないか・・
ショックウエイブとかのソフト勉強して
そのシーンここで再生したいなあ〜。
別にポルシェが嫌いなわけじゃないっ
すけど・・事実は事実ですからね。
(バブルの頃の国産車はほんとに
 えらかった・・・)


ってなワケで動画ページに
この日の模様アップしたです。
32GTRがポルシェを点にしちまう動画
重いですけど見てくだせーです。


















キムラタイヤ走行会 (雨さんと・・)
FISCOの走行会では、ここが一番
激しいんじゃないかなあ〜。
バブルの頃は1500万したとかいう
グループAのエンジンを積んで来る
人がいたり・・・800PSなんて
あたりまえみたいな感じでした。
このシリーズも長くやりましたが、
バブル崩壊後は、みなさん
おとなしくなってしまって、
最近は安心して参加できる
走行会になってるみたいです。
この時は2位が僕で、3位の右端が
キムラタイヤの専務でした。
雨さんストレートで280キロでたとか
言ってました。

そうそう、土屋圭一選手が来た時も
楽しかったっす。何故か圭オフの
MR2で来てまして、事前のドラミで
「何故Rで来ない、Rで勝負しろ」
とかヤジる参加者が出たりして、盛り
上がりました。
それに対し土屋選手は
「ストレートはRとかなら誰でも速く
走れるけど、裏では誰にも絶対に
抜かせない」  って言ってました。
それを僕がBコーナー進入で土屋
選手のMR2をアウトからカウンター
あてぎみで抜いたりしたので、後の
表彰会で、
「おもしろくねえ〜ヤロ〜だ」
って誉めてもらいました。
御褒美にビデオ頂きました。
その週末の土屋選手のラジオ番組
で「2度と富士の走行会には行かね
え〜。ヤジるヤツはいるし・・・」
って言ってました。
単にたまたま僕の車が速く走って
くれただけなのですが、僕にとって
は、とてもいい思い出です。

まだまだ、いっぱいあるじょ。
ぼちぼちスキャンしてくつもりだじょ。

いっぱい作っても誰も見ないって・・
それより、
コンパニ写真が先かなあ〜。


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