異界 その壱  

第3頁



ぐおっぐお。


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 あかずの間 

八王子の昔話を訪ねて
       (1999年1月、同12日一部増補)

 八王子は桑都と呼ばれるほど生糸産業が盛んだったが、宿場町としても
栄えてきた。また、高尾山は天平16年、行基が薬師如来を安置して
開山したと伝えられ、その後、永和年間に中興の祖・俊源大徳が来て
飯綱大権現を招来した。鎌倉時代以降、武蔵野は幾度か戦場となり、
時の武将がこぞって高尾山を礼拝したという。従って、数多くの伝承・
昔話が生まれ、各地から持ち込まれ、伝えられたのも不思議ではない
のである。地元市民である私としては、ぜひここで八王子の伝説や昔話を
紹介したいと思い立った次第である。


1 独創的な伝説群
 八王子でもっとも親しまれている伝説は「たこ杉」であろう。麓から
薬王院への参道を天狗達が工事した時、大杉が根を張って邪魔を
していた。すでに夕刻だったので、明日根を切ろうと相談がまとまって、
翌日行ってみると杉の木は根をどけて道をあけていてくれた。
これが有名な「たこ杉」である。
「八王子のむかしばなし」では俊源大徳が天狗に命じたことになっているが、
「とんとんむかし」ではただ天狗が道を開いたとある。

いづれも「道を開く」というので「開運御利益がいただける」と大勢の
人の参拝を集めた。
私の親父からは、「明治の頃、参道工事の人夫たちが切り倒そうと
相談していたら、一夜のうちに根が動いた」と聞かされた。

陣馬街道と南淺川が交差する水無瀬橋には、弘法大師が水一杯を
所望したところけちな婆さんがこれを断り、大師の怒りで水の流れが
絶えたという「水無し河原」(八)伝説がある。
八王子台地は桑の生育に向いた扇状地で渇水期には水が伏流し、
そこで「水無瀬」の名が生まれたと考えられる。

川口町(秋川街道・川口川上流)久保の井戸を所有する婆さんは欲深で
水を求める旅の僧の願いを断った。お人好しで親切者の爺さんは少ない
水を分けてあげた「水涸れ窪」(八)の話の結末は言うまでもないであろう。

美山町(北浅川の支流・山入川上流の仲井)の昔話「仲井」(は)では
旱魃の続くある日旅の僧の求めに応じて水を差し上げたところ、
そこの井戸だけはけっして涸れなくなった。

かくして、水と深い係わりをもつ弘法伝説は密教の布教とともに広まっ
ていった。

天狗伝説はどこにでもあるが、八王子も独特である。
「天狗つぶて」「天狗だおし」「天狗わらい」「天狗つるし」と、 人々の悪行・
悪徳をこらしめる話がそろっている。

「ぱらぱら天狗つぶて」(と):参道で土産を売る徳蔵は大変なごうつく張り。
ある朝、巡礼の老女が水を求めてくるが、蹴飛ばして追い返す。次の朝から
天狗つぶてが飛んできて店を開けられなくなった。改心してようやく許される。

「天狗にさらわれた男」(は)は高尾に鉄道を敷く工事人夫が「天狗がなんだ、
小便をひっかけてやる」と威張ったため木の上に掛けられたという話。
大天狗・小天狗はもともと飯綱大権現の使い魔であるが、時とともに人々に
親しまれる存在(正しい者の味方)へと変っていった。

 高尾山信仰の発展に伴い、修行にまつわる話も生まれた。
「同行の影」(と)では滝行をしていると後ろに影が立つ。それは弘法様である。
琵琶滝道で嵐に遭い難儀する巡礼の母子を見て、大師が岩に穴をあけて
助けた 「お大師さまの岩屋」(と)。
琵琶滝で一心に修行すると水音が琵琶の音に聞こえてくるという「琵琶滝の
妙音」(と)、などがある。


2 日本の縮図のような昔話
 日本の各地にある有名な昔話も一通りそろっている。
「大歳の火」(と)では大店に奉公する娘が大晦日の夜に火を絶やしてしまう。
棺おけを背負った旅の僧が助けてくれるという、おなじみの話。

「ぜに皿かね皿」(は)は例の「糠福米福」と同じ継子いじめ。ただ後半、
山姥から逃れ炒り豆で助かるというバリエーションになっている。
母が継子のぜに皿と実子のかね皿を栗拾いにやる。かね皿は先に帰るが、
ぜに皿は(栗が集まらないので)山奥に入って山姥(やまんば)の家に泊る。
ここから先は山寺の小坊主の話が結合している。厠に入って逃れたぜに皿は
寺に逃げ込んだ。和尚は炒り豆を山姥に渡し「もし芽が出たら子供を渡す」と
言った。もちろん芽の出るはずはなかった。

「ごぶいち」(と)「くらぽっこ」(と)は「遠野物語」のざしきわらし八王子版である。天井などに住んでいる家は富み栄え、追い出すと没落する。

「怨みの山女魚」(と)は八王子城合戦で片目を射抜かれて淵で溺れ死んだ
景信の怨みがこもる片目の魚。けっして食べてはいけないというタブーを
破った職人は片目を失いみじめに死んだ。
この魚の話は、行基が食べ残した魚、すが目の男女の入水、武将が傷めた
目を洗う、といった因果譚として各地に残っている。

と狸の話は枚挙にいとまがない。
野良仕事の後奇妙な所に湯が沸いている。入ってみたら肥溜めだった
「きつねの風呂」(は)。

夜道で会った娘にだまされて山中を迷い、馬糞の詰まったふきの葉を
持たされる「おお深い」(は)。

村祭でおでんを売ろうと出かけたが全部狐に食べられた「おでん」(は)。

趣向の違うところで、酒を買いに来る狐を見破って追い帰したらたちまち店がすたれた「酒屋と狐」(は)。

坊さんに化けて掛け軸を描いたむじなの正体がばれると、その家は作物がとれなくなった「むじなの掛軸」(は)。

寺の和尚がたぬきの姿をしているのを見た若者の家に不幸が続く「たぬき坊主」(は)。

これらは富あるいは祟りと結びついた昔話である。

吹雪の夜に女の子を助けたら、これが雪女郎の娘で、後日吹雪に遭って
迷っているところを恩返しに現れた母親に救われた「雪女郎」もある。

きわめつけは「もんじゃの吉」シリーズ。
「きっちょむさん」同様、知恵と機転で代官を逆手にとり、商売繁盛を助け、
難問を解決、信仰を起こし、弱い者に味方する。

「鹿の子沢」(も):山入村の道は嵐でずたずた。一計を案じた吉は代官に
「山入村では鹿がたくさん捕れる」と吹き込み、うまく道の修理をさせた。

「山賊退治」(八)・「山賊峠」(も)では大金を隣村へ届けるよう頼まれたもんじゃの吉が山賊相手に一芝居うつ。「むこうの山で天下一の山賊に襲われた」と。これを聞いた山賊は「けしからん」と走って行った。吉は無事使いをはたした。

「もんじゃ」とは「どんなもんじゃ」、「吉」には遣水村の大塚五郎吉・石川村の
中川吉五郎・旗本出身の吉蔵といったモデル説がある。

ところで、今回の昔話集でどうしても見つけられなかったタイプの話がある。
それは、「浦島太郎」や「ねずみ浄土」といった異世界を旅する話である。
これは次の節で。


3 異界への旅
「とっくり亀屋」(八)は、江戸麹町の亀屋という呉服屋の主人が古道具屋から
買ったとっくりの中に吸込まれ、日本の各地を旅して着いたところが八王子で
あった、という話。旅先は日本三景と各地の名勝古跡というから異世界では
ない。タブーを破って富や若さを失ったわけでもない。
なぜ、八王子には異界へ旅する昔話がないのだろう。民俗学では山が一つの
他界とされている。八王子は山に囲まれた盆地でもあり、他界にはこと
欠かない。山を他界とみなす民俗がなかったのだろうか。
「ぜに皿かね皿」に出てくる山姥も取って付けたような話である。

天正18年(1590)前田利家が攻めた時、北条氏照の守る八王子城は
城山川上流の険しい山上にあった。同じく豊臣勢が押し寄せた桧原城も
北秋川と南秋川に挟まれるとんでもない断崖の上にあった。江戸時代に入る
以前から、八王子周辺の山々は他界と言うよりは現世の戦の巷であった
わけである。また、身近な山といえば、高尾山。ここはすでに飯綱大権現が
勧請されて各地の武将の信仰を集めていた。戦で負けた人々の怨念や
信仰にまつわる伝説が生まれたとしても、異界神話の育まれる余地は
無かったかもしれない。


4 各地から流入する話
宿場町には、侍、町人、布教僧、山伏、芸人、行商人といった様々な
人間が訪れる。彼らは全国の伝説・昔話を残していったことだろう。

「蛇になった娘」(は)は 「道成寺」そのまま。熊野参拝の途中泊まった
若者を追って娘は蛇と化しついに焼き殺す。

「白比丘尼塚」(と)は「八百比丘尼」の続編。かつて800年生きた白比丘尼が
横山の里に住んでいて一本の椿を残した。800年に一度実をつけるという
この木の実を食べた里の娘も800年生き、やがて若狭に渡って往生したという。

ある旅篭に職人(左甚五郎)が泊まり宿賃の代わりに格子戸を修理して
立ち去った「甚五郎格子」(八)。にせ坊主が泊まった家の婆の頼みで
でたらめな経を読む「ねずみ経」(八)は私達も落語で聞かされたものである。

昔話の多くは、旅の僧、芸人、行商人等が別の土地から伝えたものであろう。
伝承の過程でその土地独自の脚色が加えられたであろうから、土着の話と
区別することはむずかしい。それでもなお、独自の脚色や土着の伝承を
見分けることでその土地の風土や精神を見出すことが可能なのではないか
と考えている。


5 妖怪話
「夜行さん」(八・高月町)は満月の夜、八王子宿に向かう行商人をいさめる話。
高月城落城の際姫君が馬で逃れようとしたが、馬は追手に首をはねられて
姫君ともども天に上った。満月の夜その姿を見ると不幸になるという。
「夜行」は「百鬼夜行」であろう。
しかし、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に「首なし馬」に相当する絵は
見当たらない。武田信玄の息女松姫様のように無事甲斐から八王子に
たどり着いた物語と違って、おそらく一命を落としたであろう戦国女性の
怨念を、ここでは感じ取れる。

「とぼーん」(は・高尾)は夜峠を越える者に「とぼーん、とぼーん」と音を鳴らして脅かす妖怪である。退治に出かけた男は光るものに追われ、それを風呂敷に包んで逃げ帰るが、中身は小判に変っており、計ると十盆(とぼん)あった。

この妖怪の正体は何者か。石燕の画図には
「うわん」という音だけの妖怪らしきものが描かれている。子供の頃「ももんがあが来るぞ」と脅かされたものだが、まるで言葉遊びをしているような妖怪達だ。
また、同画図に「金霊(かねだま)は金気なり」と黄金に精霊の宿ることが載っている。

「黄金のつぼ」(は・下恩方)は埋められた大判小判が世に出たくて山芋のつるに変化する話である。
「人善事をなせば天より福をあたふる事、必然の理なり」ともある。


6.その他
一つだけ、「景政どのとクツワムシ」(八)という鎌倉権五郎景政の伝説を紹介する。
激戦のあと、景政は草原に兵を休ませた。月の夜でクツワムシががちゃがちゃと騒がしく鳴いた。その音に紛れて敵が夜襲をかけ、そのため景政は右目を射抜かれて苦戦した。以来、その草原でクツワムシは鳴かないという。
かつて景政は八王子の地を訪れたことがあるのだろうか。

実は、前田享史氏のホームページを覗いた時、景政の伝説が若柴町に
残っているのを発見した。「景政が奥州征伐の際、蛇沼に立ち寄って釣を
していたら、大蛇が現れた。この大蛇に斬りつけたら口が裂けた」という
話である。おもしろいところで繋がっているものだ。



日吉町・八王子日吉神社











追分交差点に立つ石塔








八王子八泉の一つ、えのき池。
倒壊の恐れがあって現在は立ち入り禁止。









宮尾神社。「夕焼け小焼け」の石碑が建つ。









相即寺内の地蔵堂。ランドセル地蔵が有名。












高尾山・蛸杉



7 考察

今回、八王子の昔話を紹介するにあたり四冊の本を資料とした。
このうち三冊は地元の菊地氏が著者・監修者であり、一冊は創価大学の
学生さんだった。菊地氏は臨済宗の僧籍にあり、高尾山信仰に係わる話が
多い。子供が読めるように優しく書かれてもある。学生さんたちはごく地道に
採話活動をしたようだ。四冊で145話。重複が四話。八王子全体の昔話
からは偏りがあるかもしれないが、この範囲で考察する。

(1)概観して、高尾山の信仰に係わる伝説が多い。高尾山は、戦国時代に
あっては武将の、江戸時代に入ってからは庶民の信仰を集めた。
実際、話の主人公が江戸○○問屋の主人、という話もあったし、信仰心が
吉祥をもたらす話が目立っている。ただ、私は「高尾山はどんな神様(仏様)を
祭っているか知っている人はどのくらいいるか」という疑問を抱いている。
薬王院には薬師様が鎮座しているが、その上の建物には飯綱大権現様が
いる。私もつい最近まで「薬王院の天狗様」としてしか理解していなかった。
高尾山は修験道の山であり、弘法伝説に象徴されるごとく「密教」の寺なので
ある。多くの伝説はこの密教に影響されていることを知らなければ
了解不能である。

(2)全国各地の有名どころの昔話がかなりそろっている。宿場町として
発展した結果、たくさんの旅人が様々な話を持ちこんだことが想像される。
それらの話が地元色濃く塗り替えられてもいる。江戸時代に流行した
稲荷信仰は、ここではずっと素朴な形で語られ、化かされるだけでなく狐や
狸とのほのぼのとした交流にもなっている。八王子の一つの特色ではない
だろうか。「くらぽっこがいねむりをこいとるぞ」といった場面は人間との
距離の近さをよく表していると思う。

(3)「もんじゃの吉」については一部しか紹介できなかったが、一休さんやきっちょむさん同様、機知溢れる頓知(笑い)話である。常に弱い者、いじめられる者の味方で、その言葉の妙は八王子らしくない。著者も「江戸の中期、下町小噺が発生であって、それが江戸周辺に散っていき」と考察している。かなり長い期間を通じて集積したのであろう。
けれど、八王子にこれだけ(33話ある)残されたのも語りの気風が歓迎されたためであろうと考えられる。すなわち、その本質は天狗話とまったく同じで、信仰ある者、正しい者、貧しい者は必ず報われ、そうでない者には罰が下されるのである。

(4)紹介から漏れた話もたくさんある。
長寿の里狭間、雨乞いを竜に祈る話、
地震を起こすなまずを押さえた要石、
いずれも長寿健康を願い、苦しい農作業の救いを求め、天災から逃れることを祈った話である。
いつの時代、どこの土地においても変わらぬ人情にあふれた話だった。
ただ、その中で商売繁盛を願う話が目立つ。八王子は商業の町でもあり、実際「八福神巡り」をすると、商売を助ける神様が多い。


浅川の鶴巻橋に立つ松姫様像


8.終わりに

八王子には「八王子伝説と昔話の会」他の団体があっておそらくもっと多くの伝承が採話されているはずだが、まだ出版に到っていないようだ。
四冊145話を通読して気になったのは話者の言葉が正確に記述されているか、である。重複する四話中三話はほぼ同じストーリーだが、言葉がかなり変えられており、一話(たこ杉)は後半がカットされていた。
創価大学学生による昔話集には話者の氏名が載っていたが他の三冊には載っていなかった。「我々はフィールドワークにあって、文化の簒奪者であってはならない」とは民俗学の常識である。一方的に土地に入り込み、資料だけ持ちかえり、勝手に解釈・改変することは正しくない。話者の氏名を記し、内容を正しく伝え、地方語(外国語)を中央語(自国語)に置き換えるにあたって限りなく良心的に臨む、これが最低限の礼儀であると考える。

資料とした四冊がいずれも良心的に書かれていたと信じている。


<参考および出典>
「八王子のむかしばなし」八王子市広報課   1988年 文中(八)
「はちおうじの昔話」 創価大学民話研究会 1989年 有峰書店 文中(は)
「もんじゃの吉」    菊地正      1989年 かたくら書店 文中(も)
「とんとんむかし」   菊地正       1996年 ふこく出版  文中(と)
「高尾山」御縁起文   (高尾山報)    1978年 高尾山薬王院
復刻版「画図百鬼夜行」 鳥山石燕      1992年 国書刊行会
http://www3.justnet.ne.jp/~ushikunuma/   前田享史氏ホームページ



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