異界 その壱 |
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うぉっうぉ。 |
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おはなしの宝庫「今昔物語集」(巻11、12)から |
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「今昔物語集」といえば誰でもよく知っている、伝説、説話、歴史故事などを満載した古典である。作者の有力候補は宇治大納言隆國とされているが、一人の人間によって収集されたかといえば、それもどうやら疑問らしい。11世紀から12世紀にかけて、かなり長い期間を経て成立したものと考えるのが妥当のようだ。 ともあれ、この本を開くと、お話の樹海に迷い込んだ気分に浸される。恥ずかしながらいまだ全巻読破をしていない。にもかかわらず、開いてみればどこかで聞いたことのある話がきっと目に飛込んでくるのである。今回は、天竺・震旦の部を大幅に割愛させて頂き、本朝の部巻11から覗いてみよう。勿論、伝説や昔話の風情のあるものだけをつまみ食いして。 |
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1.久米の仙人はじめて久米寺を造るものがたり(巻11第24) あまりにも有名な久米仙人の物語。ようやく仙の法を得て空を飛回っていた久米は、吉野川で洗濯する若い娘の白い脛(はぎ)に色気を起こしてあえなく墜落。その女と夫婦になって暮すうち、天皇の命令で都造営の人夫として徴発され、法力をもって材木を山から運んだ。この時の褒美で建てたのが久米寺だという(一説に聖徳太子の息子の久米皇子の建立とも)。 この物語、類話を探したが、なかなか見つからなかった。「日本の伝説(西日本)」の「久米仙人のはなし」は上述の話をほとんどそのまま引き写したもの。これ以外、数冊の民話集、ホームページ記事を参照したが、ない。そういえば、小島功夫が大人の雑誌に久米仙人をネタにした漫画を描いていたが、そちらの方が有名である。 |
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2.徳道聖人はじめて長谷寺を建つるものがたり(巻11第31) 近江の国高島の郡に大水があって木が流れついたが、附近の人々に災いと祟り(火事、病気)をもたらした。葛木の人がこの木で11面観音を造ろうと発心し持ち帰るが、はたせぬうちに死んでしまう。そのご、徳道聖人がこの霊木を見抜き、七年の歳月をかけて11面観音を彫り出した。 これとよく似た話が埼玉県本庄市に伝わっている。「沼和田の仏像」という話。神流川(かんながわ)が荒れた翌日、1本の丸太が流れついた。その日から村には悪いことばかり(災害、病気、喧嘩)起こる。ある日、坊さんが「この木で仏を刻みたい」と申し出て、ようやく災いがおさまった。 流木が祟る話は玉城の民話にもある。「龍の枕」では流れついた丸太を薪にしようとして病気になった。山伏のおつげでくだんの木が「竜神の枕」と判り、大切に祭ったところ、病気はなくなった。 こうした昔話は各地にあるはずで、洪水のあとの流木には人間の生活を脅かすほどの霊力が宿っているという特徴を持ち、その霊力の本源は川の上流、すなわち山中=異界に発するのである。 同系列の話で、沖縄県宮古の「寄木の話」は流木の神様と竜宮の神様が猫に化けて金持ちと貧乏人の家を訪ね、人間を試す。山形県飯豊町の「くえんこくえんこむかし」は「花咲かじじい」の筋そのものであるが、小犬は赤い箱に載って川上から流れてきたとある。 |
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3.和泉国の盡惠(じんえ)寺の銅像盗人のために壊(やぶ)らるるものがたり(巻12第13) むかし、和泉国に盗人がいて仏像を盗んでは焼き下しを売り払っていた。あるとき、盡惠寺の銅像を奪って首や手足を切ろうとすると、「われ痛いかな、痛いかな」という声が上がって、人に気付かれて捕まってしまった。これと似た話に、「尼盗まるるところの持仏におのづからあひたてまつるものがたり(巻12第17)」がある。盗まれた仏絵が箱の中で音をたて、「箱の中の生き物を買いたい」と言われて盗人が逃げ出すというもの。仏や経文が物に変じる話は他にもある。 埼玉県児玉町に伝わる「伝兵衛、伝兵衛」では、かけだしの六部が寺から観音を盗んだものの道の途中で動けなくなってしまった。観音様は通りかかった伝兵衛の名を呼んだのでもとの寺に戻ることができた。 埼玉県神川村「大師とどろぼう」では、どろぼうが寺の宝物を盗み出すが、大師の怒りで急に手足が動かなくなってしまう。住職のお経でようやく許されるという話である。 八王子市の「耳つき板」でも、村のお堂に忍び込んだどろぼうが様子を伺うために、板に耳をあてたところ、くっついて離れなくなった。 どの話も仏の奇跡を示しているが、「今昔」の方は仏が人に助けを求めており、他方、昔話では積極的にどろぼうを懲らしめる力を現している。あと一歩で笑い話に転化するのかもしれない。 |
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4.肥後国の書生羅刹の難を免るるものがたり(巻12第28) ある書生(今でいう公務員)が帰宅の途中で山中に迷う。日暮れて見つけた家には恐ろしげな女がおり、馬を返して逃げ出す。その姿「長(たけ)は一丈ばかりの者の、目口より火を出して雷光(いなづま)の如くして、大口をあけて手を打ちつつ追ひ来れば」、書生は落馬して穴に落ちる。馬は食われてもはやこれまでというとき、穴から声が響き鬼を追い払ってくれた。声の正体は法華経をこめた卒都婆の「妙」の字だった。 さてこの話、民話・昔話の好きな人ならお気付きの通り、間違いなく「山姥」である。 そしてすぐに思い出すのが「牛方山姥」(新潟県)。筋の違いははっきりしている。前者はひたすら仏に祈って逃れるだけだが、後者の牛方は山姥の家に入り込み、牛と鯖を盗られた仕返しをする。 今でこそ鬼は頭に角を生やし虎革のパンツを着け、鉄棒を振り回す強力の妖怪としてイメージされているが、かつては「伊勢物語」などに登場する鬼のごとく姿の見えない霊的な存在をも含み、「人も住まぬ大きなる家有けり。万の所みな荒て人住たる気(けはい)なし」といった家が鬼の住み家の典型とされた。当時は鬼も山姥も区別なく、山中異界の存在と看做されたであろう。やがて鬼は里に下り、街角や内裏にまで出没するするようになる。それとともに具体的なイメージが付与されてきた。一部は節分の行事と結びつき、歳の境目に災いの代表として追われた。一部は、源信の「往生要集」等により地獄の獄卒として定着した。そして経過はよく判らないが、雷様として神格化されもしたのである。 人の生活に密着した鬼とは対称的に、山姥は山に留った。天狗のように修験道に習合されることもなかった。鳥山石燕の「百鬼夜行」「百鬼図」を見ると、幽谷響(やまひこ)、山童、山姥、山精、覚(さとり)、邪魅(じゃみ)その他が描かれている。町や里の妖怪と異なって、来るか来ないか判らぬ人間をひたすら待ち続ける「淋しい妖怪」と言えなくもない。山に追われ、見捨てられた彼等は、今日も山中の異界を守り続けている。 |
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<出典と参考文献> |
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これは、かならず続きを書きます。かならず。 |
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