異界その壱  

第五頁


おおーん


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 あかずの間に跳ぶ 




アイヌの伝説と昔話 (平成11年8月)

<国造神話>

「往古未だ国土と云う物なき時、青海原の中に浮油の如き物有り、其気燃立る如く、炎々と上りて空となり、濁れる物は凝りて島根となれり。其島根月日を重ね太く堅まり、又気凝りて一柱の神となり給ふに、炎々たる清く明らけき気上りて成りし天にても其気凝りて一柱の神と成り、五彩の雲に乗り降り給ふ」

 これはアイヌの神話の一つである。このあと、青雲を水に、赤雲を金銀財宝に、白雲を草木鳥獣魚虫に作りなし、さらに火神が栗・稗等の栽培を教え、土神は草木から衣服の作り方を教え、水神は漁を教えた、と天地創造の物語が続く。又、二柱の神からヘケレチュプ(日神)タンネチュプ(月神)生まれ、国土の隅ずみを照すために昇天したという(「アイヌの神話」より)。
 どことなく大和の神話に似ており、著者もそのことを指摘している。民俗のオリジナルとしては疑わしい。むしろ、次のアイヌラックルに独創性を感じる。

 
海岸線の特徴
<文化神アイヌラックル>

 天上の神々が集まって下界を見ていた。二軒の家にそれぞれ美しい少女がいたので、カンナカムイ(雷神)が熱心に乗り出して見ていると他の神々がいたずらをして後ろからつっついた。天から墜落したカンナカムイのため家は焼けてしまったが、この時二人の少女が妊娠した。チキサニ(あかだも)姫から生まれたのがアイヌラックルで、アトニ(アツシ織の原料木)姫から生まれたのがポイヤウンペである(「アイヌの神典」金田一京助)。

 赤だもや春楡はこすると簡単に火が点くという。また、ハルニレの木の皮を剥がして水に晒し叩くと、繊維が残り、アイヌ人はこれを織って衣服を作った。極寒の北海道で火と衣服は命を保つための二大用具である。神話の独自性はこうしたところにあると言ってよい。

 
よくご存じの小樽
<東西の文化対立>

 1668年4月21日、メナシウンクル(東方人)指導者シャクシャインはシベチャリ川砂金採取場坑主文四郎の館を攻め、シュムウンクル(西方人)首長オニビシとその部下数十人を討った。両部族のおよそ二十年に亘る対立を終わらせたアイヌはシャクシャインの許に結集し、和人との激しい抗争に突入する。

 この部族対立を背後から操ったのが松前藩であることはほぼ間違い無いが、政治的対立とは別に、歴史的・文化的差異・対立があったのではないかと私は思う。根拠の一つは三大文化神の位置付けである。三大文化神とはアイヌラックル、オキクルミ、サマイクルを指す。この三神は兄弟であるともいい、また後二者だけが兄弟神であるとする伝承も残っている。

しかし日高シベチャリ川から東、十勝、釧路、北見と石狩川あたりの伝説ではサマイクルが唯一の絶対神であり、逆にシベチャリ川から西のシュムウンクルたちはオキクルミこそが最高神であるとしている。

大和朝廷や琉球尚氏の如く統一政権が成立すると、宗教や神話にもこれが反映し、序列付け・権威付けが行われる。統一国家のできなかった北海道は対立を残したままの原初的神話群が並存するのは当然と言えるかもしれない。

 更科源蔵は「アイヌの神話」の中で次のような知里真志保説を紹介している。
(1)サマイクルの語源は Saman(託宣)ye(云う)Kur(神)であろう。

(2)オキクルミも O(裾)KiKi(きらきらする)Ur(皮衣)mi(着る)と解釈され、巫者の服装である。

(3)従って、いずれの文化神も古い時代のアイヌ社会における呪師と推測される。

 さらに、アイヌ語で川のことをペツまたはナイと呼ぶ。中部千島から北はすべて「ペツ」が使われ、樺太では圧倒的に「ナイ」が多いという。これは異なる民族を推測させる。更科はオキクルミ系のオイナカムイの顔は赤く(ハルニレ)、サマイクル系のユカラカムイの顔が白い(オヒョウ楡)のは民族の違いかもしれないと語っている。

 
三段滝


昭和新山
<考古学の知見から>

 考古学上の知見から北海道をざっと見てみよう。現在発見されている旧石器時代の遺跡は約2万年前のものでウルム氷期にあたり、周辺の島及び大陸とは地続きだったからマンモスやマンモスハンターが北海道に南下していた。その後、関東を境に日本を南北に分ける細石刃文化が現れる。この北方に広がる文化は大陸の東端全域に及んでいた。土器の使用は8500年ほど前から。7000年前、(宗谷から十勝を結ぶ線で区切った)東北海道に石刃鏃文化が出現する。この区域はエゾマツ・トドマツを優先種とする常緑針葉樹林生態系(サハリン・シベリア系生態)と一致することが知られている。

 5000年前、温暖期のピークを迎えた。海進と植生の変化、ドングリ、クルミ、サケ、マスの増加、貝類を中心とする豊富な海産物により集落が安定化する。土器の分布は縄文早期から晩期にかけて、道東域対道南域の分布、そして全道分布、ふたたび道東域対道南域分布と変化していく。だが縄文中期以降、日本は寒冷期に入り道東域集落社会は大打撃を受けてしまう。当時の遺物としては、銛頭、釣針、やす、鏃、斧、へら、針、首飾り、髪飾りなどがあった。

 2000年前、北海道に鉄器文化が到来した。たて穴住居内の機能が分化しおそらく父系社会の成立を背景として、強い指導者に統率された集落社会が生まれ、「クマ送り文化複合体」と呼ばれるシネ・イクトパ(同一の神印)集団に成長していったと考えられる。

 長い続縄文期のあと、8世紀には全北海道と東北地方に広がる擦文文化時代に入り、独特の「蝦夷文化」を形成した。そこにオホーツク文化が流入する。8世紀から13世紀にかけてぞくぞくとオホーツク人が渡ってきた。彼等の源流は多分アムール川流域で、靺鞨文化と密接に関係していたらしい。彼等こそが今日南サハリンと道東に住むアイヌの直接の祖先であろうと推定されている。この両文化は近世アイヌ文化へと発展していった。

 8世紀、壬申の内乱を勝ち抜いた新大和朝廷は本格的な東国計略、東北エミシ制圧に乗り出す。異民族・異文化との接触と抗争の中から、アイヌ人たちはようやく自らの民族性を意識し、壮大なユーカラの物語を生み出したのではないだろうか。

 
カムイ岬。
山稜が海に突き出す独特の地形。
ここにカムイまします。

<アイヌの昔話>

1 人間作り

 アイヌの昔話では、たいていコタンカラカムイが泥から人間を作ったということになっている。
「人間創造」では泥の塊に背骨として柳の木を入れたので年を取ると腰が曲るのだという(北見)。

又、神々が人間を何から作るか相談した時「石では修繕がきない、ハルニレなら丈夫でしなやかで枯れにくい」と木で作ることになった(胆振)。

神話ではないが、アイヌにはシャチを先祖とする者、鶴や狼を先祖とする者の伝説が見られる。これはおそらくシネ・イクトパと呼ばれる同一神印を意識して成立した伝承と推測される。


2 ペナンペ(上の者)とパナンペ(下の者)

「隣のじじ」型の典型的な笑い話である。語りはたいてい「ペナンペがいた、パナンペがいた」で始まる。
パナンペは知恵者で正直者で貧乏人という設定。酒を置いて死んだふりをしていると狐が集まってきて、酔ったところをことごとく捕まえて良い生活になる(釧路)。

又、海岸で寝ている海馬(トド)のシラミを取るふりをして首の肉を食ってしまう(日高)。これを聞いたペナンペが真似をして稼ごうとするが失敗してたいてい惨めな死に方をするというもの。
本州の昔話の形を持つものに次の話がある。たまたま神女の家に立ち寄ったパナンペが小犬をもらい、大切にしたところ宝が降ってきて家にあふれた。ペナンペが真似して小犬をもらうが、いじめたので家中が糞だらけになってしまった(十勝)。

竜宮ではなたれ小僧や小犬をあずかる話そのままである。こうした話の締めくくりは「だから人の真似をするものではない」となる。


3 獣の昔話
(1)「ウサギの胆」(宗谷)は竜宮の乙姫様の病気を治すため猿の胆を取りに行くクラゲや亀の話と同じ。ここでは、ウサギと海馬のかけひきになっている。

(2)昔、鹿は雪の上でも自在に走れる「ウサギの足」を持っていた。羨ましく思ったウサギが一計を案じ、鹿をだまして足を取り替えてしまう。以来、のろまの足となった鹿は人間に捕まるようになった。怒った鹿が焚き火の燃えさしを投げつけたのでウサギの耳の先が焦げて黒いのだという(釧路)。

(3)「島にされたトド」には二大文化神サマイクルとオキクルミの子供たちが登場する。トドは二人をさんざんてこずらせて捕まらない。ついにポノサマイクルが「時化で流されて腐って山になれ」と呪いをかける。両神の子供たちは友達同士だが、ポノサマイクルの方が勇敢に語られるのは宗谷地方だからだろう。両神が一緒に活躍する昔話はほかにもたくさんあり、比較するとおもしろい(ポノは小の意味)。

(4)クマとトドは仲が悪い。クマは神様が白樺をこすった時こぼれた黒い粉から生まれた(だから黒い)。タバコをすうためにこすった石からはトドが生まれた(だから重い)。喧嘩ばかりしているこの二匹に神様は「かけっこをして負けた方が海に行け」と言った。石からできたトドが負けて、それでトドは海に住むようになった(日高)。

 昔、トドは世界に一頭しかおらず大きくて力が強かったから自分が一番偉いと思っていた。ところが陸にはクマの王がいると聞きつけこれに挑戦した。クマはトドを食い千切ってばらばらにしたので一つ一つが小さなトドになり、人間の食糧となった(釧路)。
 これらの話は山の民と海の民の対立を暗示しているのだろうか。

4 鳥の昔話

「カケスの雄弁」昔、ひどい飢饉があり、シャケもシカも捕れなくなった。困った人間たちが天上の神様に頼んだので、神様たちはユクテクカムイ(シカを支配する神)とチェパテクカムイ(魚を支配する神)に使いを出した。ところが最初のカラスは居眠をしていててんで駄目。二番目のヨタカはおしゃべりで話を盗み聞いた悪魔に邪魔をされてしまった。三番目のカケスは雄弁で踊りが上手、ようやく神様を説得してシャケとシカを降ろしてもらった(釧路)。

人間と神様の連絡役は動物で、しかもたいていはカケス、スズメ、セキレイ、ミソサザエといった鳥である。鳥たちはおしゃべりで酒盛をしては喧嘩(「スズメの酒盛」釧路)、コタンカラカムイが送ったセキレイが初めて大地を踏み固めた話、神様からの用事をすっかり忘れて天から追放された怠け者のシギ(釧路)などたくさんの昔話がある。

 夫を和人に連れ去られた妻は夫を探して忍路に抜ける山道で烏になってしまったという哀しい話がある(「カラスになった妻」胆振)。この昔話の時代、すでに和人が経済支配に乗り出し、アイヌ人を強制徴発していた。飢饉でシャケが捕れなくなったのは天候のせいではなく和人による乱獲があったと考えるのが妥当である。

5 魚の昔話
「世界はアメマスの上に作られた」むかしコタンカラカムイ(村を鎮護する神)が大地を作る時、うっかり大アメマスの上に作ってしまった。時々地震が起こるのはこいつが暴れるからで、又海の水を飲んだり吐いたりするから干潮満潮があるのだという。アメマスのことをモシリエッケウチェプ(島の腰骨の魚)ともいう(日高)。

「山をひっこ抜いた魚」むかし、沼が溢れるほどの大アメマスがいて魚を捕るので人間の食べ物がなくなった。神様はオタスツウンクル(歌棄人:小樽の文化神か)を遣わしてこれを討った。オタスツウンクルはモリで怪魚の目を討ち山に繋いだが、大アメマスが山をひっこ抜いてその下敷になったため今でも暴れて地震を起こすという(釧路)。

大カジカが暴れて地震を起こすという昔話もある。その時は火箸を炉に刺し「こら、あまり暴れると腰に刺さるぞ」と威かせばよい(胆振)。

「シシャモ物語」人間の部落で食糧がなくて困っているので、フクロウの女神が急ぎ柳を持って降り、荒いシシリムカ川を避け、穏やかな鵡川に柳の葉を流した。あまりフクロウ女神が早く飛んだので柳の半分は遊楽部川にこぼれ、それでここにも柳葉魚(シシャモ)が入るようになった(胆振)。シシャモは鵡川、遊楽部川、十勝川など太平洋側の限られた河川にしかいないということだ。

「フグとカジカとカレイ」フグが膨れているのは炉の焚き火を吹きすぎたからで、カジカはそれを見て大笑いし大きな口になった。そばにいたおすまし屋のカレイは目をぱちぱちやりすぎて片方に寄ってしまった(釧路)。動物たちがどうしてそういう形・色をしているのか教える話は本州同様実にたくさんある。それだけアイヌ人の生活に密接していたということなのだろう。

6 異界の住人たち

(1)コロポックル(トイチセクル、トンチトンチ) コロポックルは「蕗の葉の下の人」という意味。漁や猟が上手で獲物を人間に分けてくれる。「ある日コロポックルの女が魚を十勝アイヌの家に入れようとしたら心の悪い男が家に引き込んだ。それは若い娘だった」怒ったコロポックルはことごとく十勝ちを去った。同様のストーリーの昔話が東北海道に多くあるようだ。先述のペナンペとパナンぺの話にもトンチトンチという小人が登場する。彼等はたくさんの宝物を持っていたり豊漁をもたらしてくれたりする。その性格は座敷わらしに似ている。

(2)サキソモエップ その姿は「ムシロに物を入れ両端を縛ったような胴太で、翼があって空を飛ぶ。全身は黒く目のふちと口の周りは赤い」。雪の上を歩くと丸太を引きづったように見えるという。きっと不恰好にちがいない。たいてい沼にすんでいる。毒を含む悪臭を放ち体は蛇という説明もある。その毒に触れると体が腐ってしまう。

(3)河童 北海道にもニンチトカムイと呼ばれる河童がいる。人が難渋していると荷を運んでくれたり危険を知らせたりする。逆に川で人を襲う河童もいて、これは本州と同じだ。石狩川ではミンチトと呼び魚をたくさんくれるが、害を与えることもある。ある時(石狩川で)河童にタバコを与えると礼にお守りをくれた。このお守りは怪鳥フリーを退ける力があり、おかげでフリーから宝物をせしめたという男の話がある。

(4)巨鳥フウリュウ(フリー) フウリュウは巨大な鳥で女子供をさらっていく。雄雌で高い崖の上に住んでおり、これを退治する話がいくつかある。この鳥が飛ぶと翼が雨雲のように大地を覆い、日光をさえぎったともいう。以前フリーは人を襲わなかったが、フリーの水のみ場を女が尻まくりして渡ったためその女をさらっていったという系統の話がある。

(5)オヤウカムイ  洞爺湖に住む羽の生えた毒蛇。ポイヤウンペと戦う話がある。

(6)オマンルパロ  底無しの地獄穴で死者の国に通じる道をいう。死んだ者は地下のポクナシリという国に行き、生前と同じような生活をしている。そこで死ぬとさらにその下の国。その下で死ぬとついには最下層の世界に行って、やがてこの世に復活するともいう。稀に死んだ肉親・妻を見かけて跡を追うとこの地獄穴に入り込む。入った人はたとえ戻れてもたいていじきに死んでしまう。
 最下層の世界から現世に復活するという話は何となく仏教的な色彩を感じさせる。

 以上のほか、ニツネカムイ、ウェンカムイ、パコロカムイ、コシンプイ、レブンエカシ、レブンカムイ、キムンカムイなど数え切れないほどあるが、割愛する。



海岸線からよく見られる景色



















怪鳥フリー
(じじが語る九十九話より)

























「ワッカ(水)ウシ(豊かな)ぺつ(川)」と
名付けてみました。


6 おわり
 アイヌの昔話を読んでいると神様がたくさん出てくる。生きとし生けるものすべてが神なのである。「おまえは神になって天に上り、また食べ物をもって降りてきなさい」という祈りの言葉が随所に現れる。そして動物や植物をよく知っている。彼等の特徴、動作の一つ一つがすぐ物語になり歌に替る。文字を持たなかったかつてのアイヌ人は心に思ったことを言葉に出して伝えたのである。今日その物語を読めるのも先人たちが書き留めてくれたおかげである。
 アイヌの伝説・昔話を全部紹介することはとてもできない。昔話集がたくさん出ているのでそちらをお読み頂きたい。また、独特のリフレインを持つユーカラも取り扱えなかったので、いつか考察したいと思っている。


奇観
参考図書

「アイヌ伝説集」   更科源蔵  みやま書房  1981
「アイヌ民話集」   更科源蔵  みやま書房  1981
「アイヌの神話」   更科源蔵  みやま書房  1981
「アイヌ民族抵抗史」 新谷行   三一書房  1977
「アイヌ文化成立史」 宇田川洋  北海道出版企画センター 1988
「アイヌと古代日本」 江上・梅原・上山  小学館 1982


富良野



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