孫に語るじじの九十九噺
〜八王子篇〜

だい 1 話

ぶん と しゃしん・絵

よしむら・ふみひこ
吉村史彦 著
Auther:YOSIHIMURA Fumihiko
Mail Address:fyosh@kpa.biglobe.ne.jp
All Right Resereved by YOSHIMURA Fumihiko



   
 

じじは むかしタクシーの 運転手(うんてんしゅ)を しておった。

春(はる)のひるすぎ、お客(きゃく)さんを 陣馬街道(じんばかいどう)のしゅうてん、陣馬山(じんばさん)のふもとまで 送(おく)った。

そのころの陣馬街道(じんばかいどう)は 道(みち)が せまくてなあ、あるいている人(ひと)は みんな 道端(みちばた)に よけてくれた。

むかいから 牛車(ぎゅうしゃ)がきたときは こまってしまう。

よけるだけの 道(みち)はばが ないのじゃ。

で、まがり角(かど)の あんげ川(かわ)に せりだした 広(ひろ)いところまでもどり、牛(うし)が通(とお)りすぎるのを 待(ま)つのじゃ。

まあ、そんなことは 日常(にちじょう)さはんじ。

えのころ草(くさ)とおなじくらい そのへんに ころがっておることじゃ(牛(うし)のくそを ふむなよ)。

案下(あんげ)から 恩方(おんがた)をすぎて、切通(きりどお)しまで もどってきたときじゃ。

切通(きりどお)しとは 山(やま)が 川(かわ)近(ちか)くまで どんとせりだしているため 道(みち)がふさがれてしまっているので、山(やま)をけずって 道(みち)をきりとおしたので そう呼(よ)ばれておる。






 

いまは 陣馬街道(じんばかいどう)が ひろくなったので、タクシーは 街道(かいどう)の道(みち)を とおる。

そして この切通(きりどお)しを まわると 一分方(いちぶかた)に 出(で)る。

一分方(いちぶかた)あたりからは 一面(いちめん)の桑畑(くわはたけ)じゃった・・・のはずだった。

じじは たしかに 切通(きりどお)しを まわったはずだったのに いつまでたっても カーブした道(みち)が おわらないのじゃ。

右手(みぎて)はごんげん山(やま)、左手(ひだりて)はきたあさ川(かわ)。

これが えんえんとつづいて おわらない。

「おかしいな」と じじは三度(さんど)も つぶやいた。四度(よんど)めも おなじことを つぶやこうとしたとき、「きききき〜」という声(こえ)がきこえた。

じじは きゅうブレーキを ふんで 車(くるま)をとめた。

また「ぎぎぎぎ〜」という声(こえ)が きこえた。ごんげん山(やま)の うえのほうからじゃ。

きっと だれか 山(やま)でころんで うごけないのにちがいない。そう思(おも)って じじは車(くるま)をおりると 山(やま)にむかう ほそい 径(みち)をのぼった。
そのさきには たしか 日枝(ひえ)神社(じんじゃ)があるはずだ。

たいぶん 古(ふる)くなった 鳥居(とりい)がみえ、すぐに石(いし)のかいだんに なっていた。

じじは そのころは 若(わか)かったから いっきに うえまでのぼったのだ。

日枝(ひえ)神社(じんじゃ)は 山王(さんのう)ごんげん様(さま)を 祀(まつ)っていて いつも春(はる)にお祭(まつり)があるけれど 祭(まつり)は もうおわっていた。




壱分方・日枝神社

この綱を「鈴緒」といいます。
お賽銭を投げてから鈴を鳴らしましょう。

 

「ふぇふぇふぇふぇ・・・」

ちいさな声(こえ)、それもずいぶんと なさけない声(こえ)が きこえた。

そこで、じじは「もしかしたら・・・」と思(おも)った。

じじは かたにかけた カバンから ぬのぼうしを だして かぶった。

これは『ききみみずきん』といってな、いぜん あたまの 黒(くろ)いへびから もらったものじゃ。

「だれかな、どこにいるんですか」

神社(じんじゃ)の 正面(しょうめん)のとびらは とじられており、さいせん箱(はこ)とふとい紅白(こうはく)のつな、おそなえの おまんじゅうとか 野菜(やさい)とか お米(こめ)・塩(しお)・酒(さけ)があった。

「ここです、ここです」

声(こえ)は上(うえ)からきこえた。そうそう、これが 『ききみみづきん』のこうかだよ。

木(き)や石(いし)や 鳥(とり)や虫(むし)の こえが きこえるのだ。

『ずきん』のことは また いつか はなしてあげような。

見(み)あげると、神(かみ)さまをおがむときに ひっぱる鈴緒(すずお)にむすびつけられている 大きな鈴(すず)のなかに黒(くろ)い もじゃもじゃしたものがいる。

「なんだい おまえは」と きくと、

「わたしは 黒(くろ)もげです。鈴(すず)のなかからでられません。たすけてください」と、こたえた。

「どうして そんなところに いるんだ」

「はずかしながら もうしあげます・・・」

お祭(まつり)が はじまったころ 村(むら)のひとびとが たくさんおまいりにきて、
たくさんのおそなえものを ほうのうした。ほうのうしたものは お祭(まつり)がおわるまでは 
神(かみ)さまのものだから だれも かってに てをつけてはいけない。

ところが、黒(くろ)もげは そっと神(かみ)さまのお酒(さけ)を ぬすんで のんでしまったのだった。

いかった神(かみ)さまは 黒(くろ)もげを つかまえて 鈴(すず)のなかに とじこめてしまった。

お祭(まつり)のあいだ 黒(くろ)もげは ずっと鈴(すず)のなかで みんなに ふりまわされ がらがらなる 鈴(すず)のおとに いたぶられて さんざんだったという。

じじは 鈴(すず)のすきまから 黒(くろ)もげを ひっぱりだしてやった。

手(て)の平(ひら)にのるほどの 大(おお)きさで、けむくじゃら。ふしぎな いきものだ。

いや、いきものではないらしい。

黒(くろ)もげは ふらりととんで 山(やま)の中(なか)にきえた。




祭の間は神様のもの














とんと むかしの話じゃ。ろーそく 一本 火が きえた。(平成29年5月)


日枝神社は山王様を祀ります。山王権現はもと仏教の神様で、日本の土着の大山咋命とされました(神仏垂迹)。『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあります。
日吉神社・山王神社も同じ神様を祀ります。つまり、同じ神社です。






 第02話「きちきちばったは日枝様のお使い」に進む ・ 目次に戻る ・ このページの先頭に ・ ものがたりの広場(表紙)へ