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更新メモ(2021/10/17)

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10月17日。きゅうに肌寒くなった / 会議と授業 / やかんとトング。

この前ここに書いてからひと月と10日ばかり、まぁ9月に入って涼しくなってきたとは書いていたものの、まぁそこからそのぐらいの気候があとひと月つづくとも思っていなかったわけで、10月に入ってもずっと気温が30度を超えていたり、テレビでは真夏日です等々言っていたり、ほとんどずっと半袖シャツで汗をかきかき通勤してたりしたのだからやはり奇妙ではあった。それが10月の半ばの今週になって突然がくっと平年並みの気候になってまったく今日あたりいきなり目にみえて肌寒い。ずいぶん投げやりなことである。まぁ言われてみれば秋なのだからこんなものかもしれない。

コロナ第5波というやつは9月に急速に沈静化して緊急事態宣言は月末に解除。いまいまの現在は数字が落ち着いているように見えるけれど、なんのなんの、実効再生産数が下げ止まりから再上昇のようにも見えるし、隙あらば再燃という気配も見えているので油断は禁物である。

夏から9月にかけて、けっこう自分ががんばるべしな成分の多めな会議案件があって、まぁしかし役があたっているからにはそういうのもやるべしということでなんとかさしあたりやることはやってなんとか大過なく完了したと思う。まぁ、会議の結果がよかったかどうかというのは、そのあとの実際のなりゆきによってしかわかんないわけなので、会議そのものが終わったからといって安心することでもないわけだけれど。
それが9月末、それで緊急事態宣言も解除、そして対面授業があれこれ再開して、ちょうど入れ替わるように10月がきたわけである。

10月のはじめに、次期の役をお引き受けいただける先生がぶじ決まった。なんかそうなるとやはりほっとする。2年間の任期も四分の三が過ぎてあと半年。

去年は秋学期の授業が少なかったけれど、今年度は秋学期におもしろそうな授業をやることにしている。おもしろそうな授業、というのもおかしなはなしだが、今年はじめてやることで、授業の中でちょっと学生さんたちと新しい発見ができるといいなあという期待を持っている。シラバスはいちおうあるけれど内容的には自由度があって、自分の中で考えていることはあるけれどいきなりそれを出すというよりは学生さんたちとゼロから考えていければなあということを思っている。そのあたりで、ちょうどコロナが沈静化して対面授業が早々に再開したことはありがたく、学生さんたちのようすを見ながら、わかったようなわからんようなことをいいつつぼちぼちすすめていけるのはよろしい。ただ結局のところこの授業がうまくいくことになるかどうかは見えないってのはある。まぁ大学なんだからそういう授業がおもしろいんじゃんと居直ってるところはある。

夏に『世界哲学史』『西洋哲学史』をずっと読んでたので読み終わるまではweblogもtwitterもストップしてた。で、この前ここに書いてから2,3日で読み終わってweblogに感想を書いて、ようやく他の本をぼちぼち読んだりしはじめた。まぁれいによってあまり読めないのだけれど。仕事術系の本はやはり読める。このところはアジャイル開発の入門書など。べつにソフトウエア開発を始めるわけでは全くないのだけれど、たんじゅんに、コンパクトなチームをうまく回して協力しながら仕事を完成させる、というのは読んでて気持ちがいい。お話の中の開発チームのメンバーの人たちはみな、目の前の仕事を淡々とクリアしていくまじめさと能力の持ち主のように描かれていて、そういう好感が持てる人たちの姿を読むのは心地よい(ソフトウエア開発の現場の人ってそうなのか?たぶんほかのもっと文化系的なサラリーマン的な人たちの仕事術の本ってそんな感じではない気がする)。でまぁれいによって自分の職場とか、学生さんが回すプロジェクトとか、そういうので使えないかなと頭の中で連想しながら読むわけで、まぁあくまで頭の中の空想だけにせよそういうのは楽しいわけである。

また、ときどき寝る前にB級映画など見たりしてた。サメ映画とか、ジョン・カーペンターのものとか。

ある日、何年も使ってたやかんが壊れた。まぁ10年ぐらいかしら、使ってたもの。で、あたらしいやかんを買うべしと思いつつ何日かが過ぎ、そのあいだに、小さなやかんを買おう、と思いつく。小さいやかんのほうがお湯がすぐ沸くし、よいのではないか。それでようやく近所のホームセンターに行き、小さいやかんを見つけて購入する。で、お湯を沸かしてみたのだけれど、底面が小さいのでコンロを強火にすると炎が側面に回ってしまい、これだと効率が悪い気がしてくる。なかなかむずかしいものだな…と思いながら、何日かが過ぎるうち、徐々に、より底面が広くかつ平べったい全体としては小さいやかんを買い直すという発想が出てくる。また、お湯が沸いたらすぐわかる笛吹きケトルならより望ましいだろう、お湯がすぐ沸いて沸いたらすぐに音が鳴って教えてくれるだろうと発想は膨らむ。まぁ幸い小さいやかんはさほど高いものでもなかったのでもう一つ買い直したところで経済的損失は小さいであろうと。そしてさらに何日かが過ぎ、ある日、近所の住まいのあれこれの店に行き、小さくて平べったい笛吹きケトルをみつけて購入する。で、お湯を沸かしてみたのだけれど、どうも笛がはかばかしく鳴らないかんじで、やかんのちいささイコール蒸気の量と笛吹きのぐあいが合ってないのかもしれないと想像し、また、やかんそのものが熱くなりすぎるのか、持ち手のところも熱くなってしまうし、なにより、注ぎ口の笛吹きのところをぱかっと開けようと思ったらそこが熱くなっててやけどしそうな気がしてくる。なかなかむずかしいものだな…やかんというものはこんなにむずかしいものだったかな、といぶかしく思いつつ、何日か過ぎるうち、徐々に、やはりふつうの大きさのやかんを買い直すという発想が出てくる。で結局のところまたホームセンターに行き、ふつうの大きさのやかんを購入する。もともと壊れたやかんはホーローの赤いケトルだったのだけれど、けっきょく3つも買ったんだから安いのでいいやということでなんの変哲もないステンレスのやかんである。で、お湯を沸かしてみたのだけれど、大きいやかんに少しだけお湯を沸かすものだからどのぐらい沸いていつ沸騰したのかがよくわからない。注ぎ口が大きいので少量の湯気だと景気よくしゅんしゅん言わない感じがある。それでなかなかむずかしいものだな…と思っていたのだけれど、ある日、ひらめいて、湯が沸いたぽいと思ったらトングでやかんのふたを開けて中を覗いてみるという技を思いついた。沸騰していたらぼこぼこしてるしまだなら静かである、一目瞭然、百聞は一見に如かずとはこのことならん。それで一件落着して現在に至るというこのおはなしに、これ以上のオチはないわけで、たかがぶつくさと書いている備忘のメモのようなものに何かの教訓を期待するほうが間違っている。

秋深し、ということになる。きのうまで半袖で歩いていたのだけれど。これから寒くなっていくのだろうけれど、日々の中になにか楽しいものや明るいものを見つけるべしである。  


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