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更新メモ(2017/12/2)

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更 新 メ モ


12月2日。淡々と或いは粛々と日々は過ぎる(或いは嵐のように日々は過ぎる)。

気がつけば師走ということだがなにしろ気がつくと日々が過ぎている。無意識のうちにというのか意識不明のうちにというのか、淡々と粛々とというのか、ものは言いようでもあるのだが、ともあれこれはよいことなのか、いずれにせよ日々は過ぎ、気がつけば毎年恒例の学生の企画のイベントもぶじにおわり、一連の秋の推薦入試やら大学祭にともなうホームカミングデイやらも含めて週末が削られるのも恒例のことで、ともあれまずまずの調子で日々は過ぎて師走。自分のような者でも、それなりに年季を積んでくるとひとまずこうしてなんとか心の平安を保ってやっていけるようになってくるわけで、それはたいしたものである。仕事の塊を切り分けてスケジュール管理し、目の前のタスクを明鏡止水の心境で処理していく日々をこのままあと千日ぐらい続けていければ、悟りを開くことも可なるべし。うそうそ。同僚の先生方は獅子奮迅の活躍をしておられるが自分は自分にできる範囲のことしかしていないのでなんとかやっていけているのです。有難き哉。

なにしろ11月は毎年ひとつずつ年を取る月でもあり、まぁこの齢にもなると目出度さも中くらいなりといったところではあるのだけれど、今年は前日が学生の企画イベントの当日、それで帰りが遅くなるかと思ったら意外と早くに切りあがって、自宅最寄の駅に降り立ってスーパーに入るとちょうどよさそうな鯛が売れていて、「調理します」のシールが貼ってあったんだがもう時間が遅かったので魚屋さんはいないわけで、ちょっと思案したけれど、まぁいいかと購入。翌日は日曜で、まぁのんびりした誕生日を過ごすべしと思っていたんだけれど、あの鯛をさばくの厄介だなあ、以前やったときはけっこう面倒だったし生ゴミが出るし、ということが頭を離れず、とりあえずwebで調べて、ウロコはペットボトルの蓋を使ってとれるよと書いてあったので、ちょうどホームカミングデーのときに支給されたまま持ち帰った緑茶があったのでそれを使うことにする。しかしこの季節、ペットボトルの蓋を欲しいという理由だけで冷たい緑茶をとつぜん一気飲みするのも気が進まないわけじゃないですか、なので、これで茶飯を炊いて祝賀の心境を高めるべしと思い立つ。これまたwebで調べて、緑茶で炊くという流儀もあり、それなりの晴れの日に食べるとの記述まで見つかり、これ幸いと、お米を洗ってペットボトルの緑茶をどぼどぼ入れ、何かのまじないに梅昆布茶の粉を入れて針しょうがを山ほど入れて適当に炊いたら、まぁ食べられなくもなさそうなものができた。もっとも食べられなさそうなものができたっていずれにせよ食べる以外の道は与えられていないのだがそれはともあれ、ようやくペットボトルの蓋が手に入ったことになる。そしてそわそわしながら夕方を迎え、鯛を取り出して、あちこちにウロコが飛ばないようにビニール袋をかぶせながらとりあえずウロコを取り(まぁできなくはなかったし確かに包丁の背でやるよりやりやすかった)、ワタとエラをはずして、まぁなんとかおろせたので塩焼きにして、まぁそれなりに今年も無事に誕生日を祝えたのでまぁよかったとするべしである。

研究会というのが開けていない。3月に開いて、そこから3ヵ月後の6月あたりにやりましょうといっていたのが流れ、そうするとそこから次回をやりましょうという話をする場がないので、6月あたりの3ヵ月後の9月あたりも当然流れ、まぁしかし学会のときにでもお会いしたらちょっと相談できるかしらと思っていたらまったくお会いすることもなく、そうすると9月の3ヵ月後は12月という計算になるのだけれど、まったく研究会をやろうという声は出ず、これはつまり研究会というものはそもそも存在するのか、あるいは存在とは何か、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?いやないのか。まぁ、時に利あらず、ということはごくありふれているので、それはそんなものだろう。

某日、大学の図書館のサポーターの学生さんたちが主催する、教員が映画を勧めるビブリオバトル映画版、というのに出るべしと誘われる。お題は「学生に見てもらいたい映画もしくは学生時代に見た映画」とのこと。はいはいと特に何も考えず引き受けたものの、はて何を紹介しようかと意外に困った。よく考えたら、学生さんと話が通じるような映画を見てないのだった。それでちょうど今年見たことだし、大学生が登場する映画ってことで小川紳介『現認報告書 羽田闘争の記録』あたりどうでしょう、土本典昭『パルチザン前史』なんてどうでしょう、と一瞬おもったが、まぁ勧めない。『ドレミファ娘』も当然ながら勧めない。若大将とかキートンとかあるいは大学は出たけれどとか、まぁあまり学生さんに喜ばれるとも思えないし、というところで路線を変更、もう映画の授業みたいにしちゃおうかということで、リュミエール映画の「工場の出口」「列車の到着」「水をかけられたカード遊びをする人」(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20110915#p1)を紹介しながら映画の原初的な三次元性について話を、まぁするわけにもいかないし、さて困った困った、ということで、結局のところ、これは以前から(ビブリオバトルみたいな形式ではなくてもうすこし授業っぽい文脈で)学生さんに勧めようと思っていた、ジョン・フォード『真珠湾攻撃』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20041208#p1)を勧めながら、プロパガンダ映画について喋ろう、ということにした。じつはこれと日本の国策映画『新しき土』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20051226#p2)とどっちにしようか、日独合作でドイツの山岳映画の名匠アーノルド・ファンクが監督を務めた『新しき土』のほうを、原節子デビュー作だよ、メロドラマだよ、戦前の日本の名所を(でたらめに移動する)観光映画でもあるよ、しかも、クライマックスでは悲恋の原節子が花嫁衣裳を持って浅間山を登っていき火口に身投げをはかるよ、そのとき浅間山が大噴火するよ、つまり山岳映画でもあるよ、それで結局、ゲッベルスが「耐え難く長い」と評したらしいけどたしかに映画としてはちょっとだれてて退屈だよ、でも日本人がトンデモ映画として見るにはそれなりにおもしろいよ、というかんじで勧めようかとも思ったのだけれど、まぁ映画としてつまらないほうを敢えて勧めるのも良心がカシャクしちゃうので、まぁそれは当然のごとくに『真珠湾攻撃』のほうを勧めることにする。もうすぐ12月8日ですね、それでは『真珠湾攻撃』を見なくてはですね、等々。まぁしかし、担当のかたに「『真珠湾攻撃』にします」と言ったとたんにサッと顔色がくもったのを見て、やっぱりいかんかったかなあと少し反省した。それで当日、それなりにどんよりしつつ会場に向かうと、同じようにどんよりと、ロシアフォルマリズムとか映画学とかをやっておられる先生が「あーもう私は媚びてしまいましたよ」とか言いつつ相米慎二を。臨床心理の先生は以前からファイバリットだと公言しておられたペドロ・アルモドバルを。そして図書館学の先生は森崎東を、というように、まぁなんだかんだいって妥協を許さないラインナップを出してこられたので、なんていうか、いい職場だなあと。4つの作品の公開年が、00年代・90年代・80年代と来て、まぁわたくしの『真珠湾攻撃』の1943年もなんとなくアリになったのではないかと思う。まぁ、プロパガンダ映画の専門家の前でプロパガンダ映画について喋ることになったのは予想外だったのだけれど、まぁニヤニヤしておられたのでいいことにする。まぁ、いい職場だなあ。


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