第二章 井戸
暗雲立ち込める北原、水の騎士の護るラルハースの南、ダリンゴース。
時は妖精代九五二三年、戦車の月、光の風虎の日。豪商マルキアス=サザラームに声を掛けられ、気品溢れる亡命貴族ティリエ=ケンブラント騎士爵夫人の旅の護衛を請け負った三人の男女がいた。
かつて妖精騎士に出会い、彼の指差した
〈世界〉を吹き抜ける風の中に幾度となく呼び声を聞き、同時に幸運なる生存の予言を受けた夢占い師アッサム。師匠の形見の短剣とエルミナと共に、彼は旅を続ける。
そして、「いつの日か汝は破滅の日を迎えるだろう」との不吉な予言を背負いながら、愛用の連節棍
ティリエ夫人や侍女らを護り、一行は二台の馬車で北の魔人と怖れられるユラス男爵領へ向かう。
幌馬車には厳重に封をなされた鉄の箱。秘められた
黒魔の王ゴーガンの子ら――黒い人間の上半身と蟻の下半身を持つ怪物、黒魔を操る力が、この王錫には秘められていたのだ!
泉の守り手ティプティシュアの名で知られる魔族に従う泉水騎士団の護るラルハースを通るのを避け、一行は黒魔の巣のある危険な『ワールの黒の森』に入る。幾度となく現れる黒魔の群れを倒し、彼らは先を急ぐ。
王錫を持って戦場を駆ける夢を度々見ていたアインは、夢の中の自分が率いていた黒い戦士たちの携えていた長槍が、死んだ黒魔の持っているものと同じであることに愕然とする。
魔族が近くにいるのだろうか、夢の中には様々な存在が現れ、一行を悩ました。
自らの魂を深淵の中に解き放ったアッサムは、国境の城塞の中庭にある井戸の中へ。底には獣師ブラーツの作り出した不死の巨人――魔族、不死身なるオーパスが眠っていた。井戸の側で、生け贄の到着するのを待つ黒騎士フィリン卿。彼が求めているのはユラス男爵と同じ不死の肉体‥‥。
そして、深淵に旅立ったエルミナもまた、不気味な黒髭の老人、獣師ブラーツの夢を見る。
赤き魔龍ガードエンスや人面蛸マールを始めとする様々な異形のものを作り出し、弄ぶブラーツ。愛馬ドルチェの姿もまた深淵の中に漂っていた。
深淵の中の一枚の鏡の中に現れた
アインもまた、様々な夢を見る。黒魔の王錫に引き寄せられる黒魔の群れを使い、ユラス男爵領を滅ぼす計画を立てるラルハース侯爵。豪商マルキアスもまたその陰謀に加担していた。
愛妻を逃がすために犠牲となった、ルフラン=ケンブラント卿。夫の思い出を胸に、荘園を取り戻す事を誓うティリエ夫人。夢の中でアインは、ティリエ夫人に力を貸すことを決意する。
また、夢の中の様々な心象が一行に語りかけた。アッサムの前に現れた、旅するバルダザールとアステリエの幻影。そして、有角の公女ディーヌが、一行に王錫の危険さを警告する‥‥。
そして、
だが、落ち着かぬツヴァイとドルチェに気付き、背後を振り向いた三人は愕然とする。南方から黒い筋――黒魔の群れが迫っているではないか!
馬車を城塞へ急がせる一行。城壁からは巨大な石弓が背後の黒魔に向かって放たれる。城塞の中庭には果たして、夢で見たのと全く同じ、古い井戸とその横に控えた黒騎士が。
黒騎士フィリン卿はティリエ夫人を出迎える。危険を感じ取り、夫人に警告するアイン。だが夫人は、アインを留めると馬車から出、フィリン卿の方へと歩んだ。
背後で城門が閉まり、城壁からは黒魔の群れに石弓の矢がまたしても飛ぶ‥‥。
だがフィリン卿は夫人を殴り気絶させると、面頬の奥で上代語の不気味な呪文を呟き始めた。同時に部下の騎士が一行の前に立ちはだかる。アッサムは、卿の呪文が不死身なるオーパスを封印から解き放つためのものだと気付いた‥‥!
愛用の連節棍
井戸の中から遂に現れた黒い巨人――不死身なるオーパス。魔族の気に後ずさる一行。フィリン卿の呼びかけに応じ、オーパスは卿の額に触れる。
フィリン卿は生まれ変わった‥‥但し、肌に黒い染みを持つ無力な老人――オーパスの下僕、“死なざる者”として! そして、飢えていた巨人はフィリン卿の部下たちを次々と貪り喰らっていく!
王錫を使ってオーパスを倒す計画を思いついたアイン。馬車を寄せ、慌てふためく侍女たちを城壁に登らせ、一行は黒魔の群れを城内に入れる。
不死身の巨人も、百五十匹あまりの黒魔には勝てなかった。オーパスの巨体は地に倒れ、その横で不死の身となったフィリン卿が空しく呟き続ける‥‥。
王錫に命じ、黒魔の群れを追い払う一行。
「それで良いのか?」との王錫からの誘惑の囁きにアインは耐える。荒れ果てた城塞にこのまま留まっても、いずれやってくるユラス男爵に捕らわれてしまうだろう。
一行は主を失った馬車を率い、夕闇の城塞を後にした。中庭では、再生の魔力を持つ巨人オーパスの指先が、微かに震え始めていた‥‥。
白馬ドルチェとどこまでも運命を共にすることを選んだエルミナは、二人に別れを告げ夜の森へ。
囁き続ける王錫の誘惑に耐え続け、アッサムは王錫を捨てる場所を探して馬車と共に。
そしてアインはティリエ夫人の思い出を胸に、豪商マルキアスやラルハース侯爵らに代償を払わせることを密かに決意しながら馬車を導くのであった。異形の鷹ツヴァイの鳴き声が、頭上からワールの黒の森に響く‥‥。
かくて、十二と一つの星座の見守る下、三者三様の想いを胸に、役者たちは運命の舞台から姿を消した‥‥。
銀幕は閉じゆき、ひとつの物語が終わる。されど水晶の輝きの如く、物語は無限なり。
次なる役者は五人。
一人は優しい盗賊娘。その血の源は遥けき不動星、指輪の女王のもと。
二人目は放浪の弓兵。異形の力、第三の目が、戦場の風の中に運命の導きを見出す。
三人目は竪琴弾き。貴族に拾われた孤児の吟遊詩人。失われた記憶には、暗き秘密。
四人目は金色の右目の持ち主。破魔の鎚矛を振るう指輪の騎士。されどその銀の左眼と美貌は、定命の人のものにあらず。
最後なるは名高きグラム山より。創造の秘密知る黒剣の魔道師。自らの造り出した黒の軍馬と共に、魔の力を振るう。
彼らがさだめは? 未だ語られず。
次なる舞台は? 〈世界〉の何処かなりや。
今はまだ、名も知られぬ八弦琴の神のみぞ知るものなり。
――『ア・ルア・イーの魔道書』《物語の書》第二章より
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