<4日目>
空白の1日…
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●1999年11月8日(月)
2:00 ふと目が覚めて、トイレへ駆け込みます。どうも、お腹の調子が悪いようで、下痢気味のような… 出すものを出して、も1回、寝ます。

5:00 また目が覚めてしまいます。やはり、お腹の調子は悪いみたい… きりきりとした痛みが襲ってきます。苦しいながらも、トイレへ。出るのは、さらさらのもので、痛みはひっきりなしに襲ってきます。妻もごそごそと起き出してきて、私の異変に気付いたよう。トイレへ行っては、戻ってきて横になって、またトイレへ、という状態がずっと続きます。しかも、痛みは段々と強くなってきて、次第に耐えられない程の激痛が走るようになります。一体、どないしたんや、と自分でもわけの分からないまま、苦しい状態が続きます。そこで、妻が添乗員さんに電話してくれて、どうするかを相談してくれます。まだ朝も早いから、お医者さんも見つからないので、ちょっと様子を見てから、ということになります。

6:30 再び添乗員さんと連絡を取り、やがて、添乗員さんが容体を見にきてくださいます。私はと言うと、2〜3分くらいの間隔をおいて、激痛がお腹に走り、その耐えられなさに、うめき声をあげている状態。半ば、意識がもうろうとした中、こんな姿、むっちゃ格好悪い、と思いながらも、添乗員さんの声に、ただ、うんうんと首を振ることしかできません。添乗員さんも、私のあまりの容体の悪さに驚かれたたようで、医者を探してみる、と言うて、出ていきます。妻も心配そうにして、いろいろと介抱してくれるのですが、この激痛はなかなか消えません。死ぬかと思うほどの激痛の苦しさに、もうだめかと思うくらい。おろおろとしている妻を前に、ふんばってツアーについて行くべきなのだろうと分かっていながらも、もう動けないからここにもう1泊して養生したい、と弱音なことを考えたり、自分でもどうしたらいいのか、だんだんと分からなくなってきてしまいます…

8:00 添乗員さんや現地ガイドさん達が必死に探してくださったおかげで、ようやくにドクターが見つかり、遠方(シャウエンの方だったか…)から救急車でかけつけて来てくださいます。「Hi!」と言うて入ってきたドクターは、もちろん、モロッコ人の方。ほんまに大丈夫かいな…?と妻は思ったそうですが、私にしてみれば、とにかく、この痛みを止めてくれ、とわらにもすがる思い。言われるがままに、寝巻きの上半身を開けて、胸を出し、聴診器をあてがわれます。聴診することしばし、聴診器を外して、微笑んで曰く、「何も問題はないよ。」 …って、おいおい、じゃ、この苦しみは何やねん、と言いたくもなりますが、さらに続けて曰く、「念のため、痛み止めの注射を打っておきましょう。」 で、ごそごそとかばんの中から注射器を取り出してきます。妻が心配して、針はちゃんと消毒してあるかとか、注射を打っても本当に大丈夫なのかとか、いろいろと添乗員さん→現地ガイドさんという2重の通訳を経て、ドクターに聞いています。が、そのドクターは何も心配はないといわんばかりに、さっさと用意をすませて、寝ている私に向かって、「はい、上下逆さまになって。」と、うつぶせになるよう、指示します。もう、なされるがまま、うつぶせになると、お尻を出されてしまい、そこにアルコール消毒をしているような。げ、尻に打つんかい、と思う間もなく、注射器の針がささってきます。ちくっと痛みが、…ずいぶんと長い時間、続きましたねぇ。今まで日本で注射を受けた時の長さに比べると、倍くらいの時間、続いたような… 横で、泣きながら見ていた妻に後で聞くと、普通に、斜めに針を入れるというのでなくて、アイスピックで氷を割るかのように、ぶすっとささったとか。本人はそんなことは分かりませんから、とにかく、早く終らないかということで、必死の状態。妻は横で、はらはらと涙している状態。

 そんなこんなしているうちに、注射を1本打つだけの診療は終わり、私はぐったりと横になってしまいます。で、ドクターは処方箋を書いてくれているらしいのですが、要は、原因は、疲れている上に、慣れないものを多く食べ過ぎたから、ということのようです。食べ過ぎであれだけの苦痛を味わうとは何とも… やがて、妻が、診療代の清算をしているのが、耳に入ってきます。妻も、起きてからずっと、私のことを介抱したり、その一方で、荷作りをして、スーツケースを表に出したり、私の分の手荷物も整理したり、とかなり一生懸命に働いてくれていて(感謝!)、この頃になると、かなり混乱状態なっていたのでしょう、お金の支払いにかなりあせっているようです。ない力をふりしぼって、私の財布がどこにあるかを教えて、何とか、支払いも済ませてもらうと、ドクターは、さっさと去っていきます。既に予定の出発時刻になろうとしている時間なので、添乗員さんも、他のお客さんに事情を説明して、出発をちょっと遅らせる、良くなったら、ゆっくりと準備をして、出てきてください、一緒にツアーを続けましょう、と言うて、現地ガイドさんと外に出ていきます。

 痛み止めを打ったことで、気分的には、ちょっと楽になり、私も、出かける準備をしなくては、と、必死のことで、ベッドから起き出します。ここまでいろいろとしてもらったのだから、私も頑張って、ツアーに参加し続けないと。(それでも、痛みは、5〜10分くらいの間隔でやってくるのですが。)着替えを済ませて、ふと、窓の外を見ると、美しい地中海がすぐそこに見えます。何事もなければ、妻と一緒に、地中海岸をお散歩することもできたのに、ととっても悔しい思いがします。で、とにかく、ずっとひたすら私のことを心配して、迅速かつ的確に行動してくれた妻に感謝感謝、の思いでいっぱいです。もし、妻がそばにいてくれなかったら…と思うと、ぞっとします。妻がいたからこそ、何とか、起き出すことができる、というものです。妻の優しさと愛情に、深々と頭を下げて、感謝の気持ちでいっぱいになります。ありがとう。

9:10 …というわけで、予定よりも40分ほど遅れてしまい、皆さんに多大な迷惑をおかけしてしまいましたが、何とか、私もバスに乗り込んで、出発します。

 途中、薬局を見つけると、現地ガイドさんが薬を買い込んできます。私が飲む薬、です。先程のドクターの処方箋に基づいて薬を薬局で買う、というのが、モロッコのしくみなのだそうです。整腸剤、下痢止め、沈痛剤など4種類の薬を買ってきてくださって、あとで薬を飲むように言われます。

11:00 バスは再びリフ山脈を越えて、南側に下りてきます。そして、シャウエンに到着。2つの山肌にへばりつくようにある街で、こんな標高の高いところにも、こんな素敵な街があるのか、と車窓からの風景を見ながら思います。ブルーとオレンジ色とが印象的な街です。皆さんは、ここで市街観光となるのですが、私はそれどころではないので、昼食を取るホテル「Asma」さんの一室をお借りして、休ませていただきます。ちょうど高台にあるホテルで、窓からの風景を見ただけでも、とっても雰囲気のいい街だということが分かります。で、私は、またベッドに横たわり、少し休みます。

12:00 昼食。と言うても、私は全然食べることはできません。整腸剤(粉を水の中に入れて溶かして飲む)を食前に、下痢止めを食後に飲むように言われて、そのとおりにしますが、けれども、何せ、モロッコの薬です。私の体に合うかどうか、妻も気遣ってくれて、正規の分量の半分にしておきな、と言います。私もちと怖かったので、言われるとおり、半分の分量で薬を飲むのでした。そして、やっとのことで、特別に出してもらったスープを飲むのでした…

14:00 出発。ちょうど、学校の昼休みが終わり、子供達が家からまた学校へ行く時間帯なのか、道を大勢の子供達が歩いています。(モロッコでは、お昼ご飯を食べに昼休みにいったん、家に帰るのだそうです。)で、子供達は無邪気で可愛いですね。バスに向かって嬉しそうに手を振ってくれるのです。その天真爛漫な笑顔に、私達も手を振り返してあげるのでした。(って、個人的には、自分のことで精一杯なのですが…)

 薬を飲んだと言うても、やはり、まだ痛みは時折、やってきます。バスの座席に座って、痛みに苦しんでいる私を、絶えず、妻が心配そうに見守っていてくれていますが、きりきりとした痛みは、やはり、襲ってきます。で、汚い話ではありますが、どうにもたまらなくなって、バスを止めてもらい、道端の草かげで、出すものを出してしまいました。こんなところで、こんなことをせなあかんと思うと、何だか涙が出てきてしまいますが、いやはや、何ともお粗末な話ではあります。

18:00 長い道のりを越えて、ようやくフェズに到着。ここまで何とか頑張って来ることができたのも、ひとえに、絶えず私のことを心配して見守ってくれていた妻のおかげであります。痛みの方も少しずつ、引き始めていて、明日は何とか、市内観光、頑張れるかな、と思います。ちなみに、今日のホテルは、「Sheraton Fez Hotel」さんです。

19:30 夕食。と言うても、何も食べる気がしないんですね、これが。幸いに、ビュッフェ形式でしたので、パンとスープくらいを食べて、早々に引き上げさせていただきました。

22:00 まだちょっと痛みはきますが、ちゃんと食後の下痢止めも飲んだことだし、寝ることにしましょう。それにしても、さんざんな一日でした。そんな私を見放すことなく、ずっとそばにいてくれた妻には本当に感謝します。こんなにも優しく、しっかりした妻と一緒になれて、本当によかった、幸せだ、と改めて実感するのでした。ほっとしたところで、眠りにつきます。

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