07/21
1988年「ザ・ベストテン」3週連続1位での登場。くす玉を割った後、最近、この一言を聞いてませんと言われて「ファンのみなさんのおかげです」と言う諸星くん。そしてそのファンみなさんのために番組が「もしかして暑中見舞い From 光GENJI」と言う特別企画を用意してくれました。これはリクエストしてくれたファン、抽選で500名に特製の暑中見舞いをプレゼントすると言うものでした。この場には欠席の晃くんと敦くんも入った全員での写真をベースにサインと淳くんが書いた「暑中お見舞い申し上げます」の言葉を被せて暑中見舞い葉書を作るとのことでした。
歌はこの週も生での5人と7人のVTR。5人はいつもの白い短パンとジャケット姿で、腰にショップの商品のウエストポーチを付けてました。背中に国旗を付けてるんだけど、淳くんの星条旗、なんか変だなぁと思ったら裏表…。これ、安全ピンか何かで留めてるだけみたいだから、自分で付けるのかもしれないけれど、付ける時にはちゃんと表裏を確かめなくちゃね…(^^;)。寛くんが正しく付けてるから目立っちゃうわ。7人でのVTRの衣装は豹柄の布を肩から斜めに着てターザンの雰囲気。身長のせいかもしれないけれど、下の子達は裾がちょっと長くてスカートのようになってました。
1990年「フラッシュ&ジャンプ」7月7日にBSで放送になったものの地上波放送。番組はBS放送の時の2部と言うかラストのもう1曲ずつ歌った部分がなくて放送時間が短かったのだけど、そこだけでなく前半も少しカットされてて、青春ドラマでは寛くんと淳くんがバトントワリングの部員のところへ忍んで行こうとするシーンがカットされてました。後半の歌だけのパートがなかったので、光GENJIも曲は「Little Birthday」だけでした。
BS放送の内容はこちらをご覧ください。
1991年「歌謡びんびんハウス」サマースペシャルのこの日は、この年の今までの放送の中の傑作集。フォーカスゲームの傑作集では淳くんの「お尻の上のももの裏」と敦くんの感嘆詞に対する質問をしたシーンとその時の答えの部分が流れました。この時の答え(小林幸子さんがお風呂に入った時に発する言葉が問題だったかな)はみんな何か可笑しかったからノーカットで流れてました(多分)。
1992年この日から夏のツアーがスタート。この年の夏のツアーは前半が地方での会館コンサート、後半が横名阪のアリーナコンサートで、42日間で48本の公演でした。48本中42本を観てる私って…(^^;)。今考えるとよくこれだけ休んで会社をクビにならなかったもんだと我ながら感心しちゃいます。若かったから出来たことだよなぁと、しみじみしちゃったりして。彼らも大変だっただろうけど、私にも本当にハードな夏でした。
初日のこの日は山梨。光GENJIのコンサートではよくあったことだけど、初回をやってみて時間が長くなりすぎるので、2回目からカットされるものが出て来て、この日も2部になってオープニングの「女神よ」と晃くんの2曲目のソロがカットされてました。それでも2時間を越えてたのかな…。2部以降、会館コンサート最後の札幌まで曲順に変わりはありませんでしたが、アンコールはその時によって「パラダイス銀河」「STAR LIGHT」「MEET ME」のどれかって感じでした。この日は2回とも「MEET ME」の後「パラダイス銀河」をやったと思います。会館コンサートのメニューはこちらです。
初回を観終わって、後半ソロが続くので、ちょっとダレちゃってあんまり面白くないって思ったものでしたが、2部でもう1回観て、前半の「熱帯夜」からのダンスが格好良いし、「TOKYO−L.A.−N.Y.〜夢の長距離バス」(『旅行の歌』と私は称してました)も楽しいから、なかなか良いんじゃない!? なんて言ってました。その後、どんどん楽しくなって行った『旅行の歌』でこの夏のコンサートは大好きなものとなりました。
この日のレポート(と言うか感想だな…)はこちらをご覧ください。
1993年この年も、夏休み初日のこの日、夏のツアースタート。この年はSAY'Sが全国を周り、その合間に横名阪で光GENJIのコンサートもあってと、前年に引き続きハードな夏でした。光GENJI・SAY'Sと合わせて50本公演で、この年も私は40本も行ってしまいました…(^^;)。SAY'Sのコンサートを5日、10本諦めたのですが、この年は友人が全部周ってくれたので、彼女の協力で全公演レポートできました。
この日はSAY'Sのコンサートで市川。構成・内容は春のコンサートを少し変更した(晃くん曰く、コンパクトにした)ものでした。衣装も半分以上、同じものだったかな? 初回を観て、何が一番嬉しかったかと言うと、淳くんのソロが「夕焼けの歌」から「みんな仲よし」になってたことでした。初回は天井から下がってたブランコに乗って、寛くんと晃くんに押してもらって楽しそうにしてましたが、このブランコ、あまりに揺れて危険だったからか、初回のみの幻でした。そして私がこのソロを心底喜んでいたのもこの日だけで、翌日から間奏で喋り出しちゃって、「みんなFunky?」と言われてガックリしました。この曲にFunkyはないんじゃないかと思うんですけど…。間奏で喋るのも嫌いだから止めて欲しかったのに、私の願いが叶うことはありませんでした(^^;)。
市川は翌日もあって2日間をまとめてレポートしてあるのですが、ちょっと間に合わなかったので22日に…。とりあえず、この日のメニューはこちらです。
1994年7人でラストのシングルとアルバムがこの日、発売になりました。この段階ではまだ大沢くんと寛くんが脱退するって発表になってはいなかったけど、シングルもアルバムも解散を予感させるようなタイトルだし、8月にはこのシングルまで含まれた全シングル収録のアルバムが発売になる予定だったので、ファンはいつ解散になるのかと不安でしたね。結局、この年の夏はふたりが抜けると言う形で、グループは存続することとなったけど、5人になっての1年間は今となってみるとオマケのようなものだったと思うから、実質、光GENJIの解散はこの夏だったなと思います。