きょうの思い出

08/09

 1989年「夜のヒットスタジオ」オープニングメドレーは淳くんがマイクを受け取って「限界LOVERS」を歌いました。こーゆーテンポの歌は淳くん苦手なのかな? 音がズレちゃって、それは自分でもわかってたようだけど、最後まで修正はきかず、首を捻りながら苦笑いして歌ってました。次のSHOW-YAの紹介は大沢くん。
歌前には「ひらけ! ポンキッキ」のガチャピンとムックも登場。ムックの後ろから諸星くんが抱き付いたり、淳くんが横から顔を出して挨拶してたのを見たムック、後ろにメンバーが隠れちゃうのに気付いて、膝ついて座ってくれたわ。低くなっら頭のプロペラを諸星くんにいじられてたけど…。ガチャピンとムックが出て来たのは、光GENJIが「ひらけ! ポンキッキ」の挿入歌を歌ってるから。歌だけでなく、「懐かしの歌特集」でガチャピンがインタビューしたりもしたそう。子供の頃、番組を見ていたと言うメンバー、諸星くんは自由の女神を見た時よりも、ガチャピンとムックに会った時の方が感激したとのこと。ガチャピンも光GENJIに会えて嬉しくってしょうがなかったって言ってくれたので、内海くんがガチャピンを撫で撫でしてました。
この日はアメリカ軍団と合体企画ってことで、アメリカの3人組B・B・Bも出演してました。B・B・Bは今後、有望って古館さんは言ってたけど、結局何だったんでしょう? この夏の光GENJIのコンサートにも参加してたけど、その後の話なんて聞いたことがないような気が…。
歌はアメリカンメドレーと間にB・B・Bが歌って、「太陽がいっぱい」。アメリカンメドレーはコンサートでもやってたものの一部で「Venus」「Vehicle」「ELECTRIC YOUTH」でした。このメドレーは歌も踊りも大好きだったけど、久し振りにビデオ見て、やっぱり格好いい…って思いました。衣装がちょっとモコモコしてて踊りにくそうですけどね。「太陽がいっぱい」はいつもの衣装で、Bパターンを短くしたものでした。
番組エンディング、何故かひとり両手を挙げて踊ってる内海くん…。諸星くんはガチャピンに間と割りついていたら、その後の提供画面ではガチャピンに押しつぶされてました。おんぶしようとしてたのかな?

 1991年「ミュージックステーション」この日は夏祭りスペシャルってことで、出演者全員が浴衣姿で登場。光GENJIは1分前のセット裏でかき氷を食べたりして、すっかり夏祭り気分でした。で、かき氷を持ってるもんで、両手をあけるため、うちわをお腹に差すのは止めて欲しいわ(^^;)。オープニングの間もずっとかき氷を食べてるメンバー、敦くんは内海くんに食べさせようとしてたけど、内海くんはいいよって顔を避けてました。メンバーの浴衣は「ひと夏ひと夜」のもので、うちわはそれぞれ自分の名前のものを持ってました。
MC席の前には金魚すくいやヨーヨー釣りも用意してあったので、人の歌もきかずにみんな遊んでて、本番中だというのにすっかり盛り上がってました。でもね、悪戯小僧がいるのに水物は危険だったのよねぇ。提供画面の時、ヨーヨー釣りの前で座り込んでた淳くんを諸星くんと敦くんが押して、その後、カメラには映ってないけど、お客さんの悲鳴がしてるから、淳くん水の中に入っちゃったんじゃないのかな? その後、MC席にいなくて途中から入って来てたし、濡れちゃった浴衣を乾かしてたのではないかと思う…。
歌前の話はなし。歌は夏の歌メドレーで「Diamonoハリケーン」、諸星くんのソロで「二人の夜明け」そして「太陽がいっぱい」「熱帯夜」。ローラースケートの代わりに下駄履きだから、あまり動けませんでしたね。「太陽がいっぱい」からは浴衣の裾をはしょって、裸足で踊ってたけど、諸星くんは時間がなくてはしょれなくて裾を持ちながら踊ってました。淳くんも段々はしょってた裾が落ちて来てたのか、最初から長めだったのか、スカートのようでした。

 1992年金沢でのコンサート。前日の新潟からの移動はバス。同じバスに乗ってた9割りはファンだったのではないか状態で、ご同類が多いのね…と思ったりして。このバスにこんなに女の子ばかり乗ってるってことはまず無いんじゃないのかな? 金沢のこの会場は私は初めてだったのだけど、新潟の後だととても見やすいって思ったけれど、後ろに行くほど客席が扇状に左右に広がってるせいで、端の方の席だとステージに死角ができてしまって、見えないところがあったのが難でしたね。
この日も『旅行の歌』での寛くんはちょっと変で、寛くんに追いかけられた淳くんは「まただよ」と言いながら逃げてました。寛くんが変だったからか、この2日間、諸星くんはおとなしかったような気が…。でも、その諸星くんは1部のMCではお風呂の話題になったときに、淳くんがお風呂に入ってるところを見たことがあると言い、淳くんは幼児体型でおなかが出てるし、お尻が女の人のようだからシルエットが妊娠してる女の人みたいなんて言ってました。妙に具体的な表現に、よっぽどじっくり見てたのかしら…と思ったりして(^^;)。2部のMCでのお互いの寝てる状態を言い合う、寛くんと淳くん、晃くんと敦くんの話も面白かったです。
その他、この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。

 1993年SAY'Sコンサート室蘭。この室蘭と翌日の札幌の北海道ツアーは私は行ってませんので、ここも友人の協力によるレポートです。
1部のMCでは前夜、寛くん以外の3人はパチスロに行ったそうで、儲けたらしくて上機嫌の淳くんは全然出ない晃くんを無責任に煽ってたそうで、晃くんもむきになったのか1万もスッてしまったそう。敦くんは落ち着かずにあちこちの台を回るって話に3人の性格が表れてるなと思いました。
2部のMCはカラオケ大会になったようで、盛り上がったようです。カラオケと言えば晃くんの百恵さんナンバー披露はこの日の2部では「イミテーション・ゴールド」を歌ってました。1部は多分歌ってないと思うけど、友人は遅刻してしまって、その部分に間に合わなかったとのことなので、不明です。この回ご覧になった方がいらっしゃいましたら、晃くんが百恵さんの曲を歌ったかどうか教えてください。
敦くんが「しつらん」と言ってしまいそうで警戒していた室蘭の詳しいレポートはこちらをご覧ください。

 1994年横浜1日目。この日は6時半からの1回公演のみ。なので、私は仕事が終わってから会場に駆けつけましたが、さすがに開演時間には間に合わなくて、少々遅刻してしまいました。
名古屋からの変更箇所は大沢くんと寛くんのソロの後の「Melody Five」で本人達がブランコに登場するようになり、名古屋はここは繋ぎだけで歌ってなかったのが歌うようになりました。後はアンコールの衣装がバラバラのものと言うか、私服になったことくらいかな。
横浜は特別なお客さんや身内が来てるって本人達も言ってたけど、そういう方達がいるからか、横浜のMCはあまり面白くないことが多いのだけど、この日もあんまり楽しいことはありませんでした。
そんなこの日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。


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