08/17
1988年前日武道館で行われた少年御三家のコンサートの模様を「おはようナイスデイ」「Time3」「3時にあいましょう」の3番組が伝えてました(他の番組でもやってたかも知れないけれど、私がフォローできた番組ってことで)。少年御三家と言ってるけれど、ほとんど光GENJIのことでしたね。「Time3」では街角で御三家の写真を見せてお父さん達が区別がつくかどうかインタビューしてましたが、30人のお父さんは光GENJIの名前は全員知ってても、みなさん顔は御存じないようでした。「社会現象」と言われてた彼らだけど、お父さん達の認知度は低かったのね…。
「あぶない少年2」オープニングは「山本淳一のお料理教室」で淳くんの大好きなエビグラタン作りに挑戦。くまさんのエプロンして頭にはバンダナを巻いて、一生懸命グラタンを作ってました。しかし、暑いのに外でお料理することないと思うのですが…(^^;)。淳くんもメイクさんに汗を拭いてもらいながら、何でこんなところでやらなきゃいけないの? ってぼやいています。途中で早回しになってる淳くんが可愛いここではオーブンに入れたところまでで、お楽しみの試食はCMの後。10分オーブンで焼いたグラタンは美味しそうで、淳くんも「美味い」とご機嫌の笑顔でした。いつかこの淳くんのレシピ通りに作ってみようと思いつつ、まだ作ったことないんだなぁ。今度作ろう。
寛之と山本は体調が悪いと言うことで、赤坂と敦啓は補修のため欠席でローラースケート部は内海、大沢、諸星の3人での活動。部活の終わった3人はハンバーガーショップで最近様子のおかしい寛之のことを話をしていた。寛之の漏らした言葉から黒潮学園と茅ヶ崎が繋がりがあることに思い当たる内海と大沢。その頃、その茅ヶ崎は寛之と話をしていて、両親の負担を考えるなら転校することを勧めるなぁと言って、時間がないので結論を急がせる茅ヶ崎。寛之は転校すれば本当に授業料が免除になることをもう一度確認すると、転校することを決めた。寛之のその答えに「ありがとう」と手を出す茅ヶ崎を不審に思う寛之だった。
寮に戻って来た内海達は茅ヶ崎を訪ね、単刀直入に寛之に何か言ったのではないかと聞いた。とぼける茅ヶ崎に、黒潮学園はライバルなので大会も迫ってる今、寛之があんな調子では困るので、ちょっかいは出さないでくれと言って出て行く3人。
3人の話を聞いて、自分に寛之を黒潮学園に転校させるよう持ち掛けた男と話をした茅ヶ崎は、黒潮学園が渚学園のローラースケートの戦力を弱めるために、寛之を引き抜こうとしていたことを知り、激怒するが、寛之が転校する気になってると聞いた男は茅ヶ崎にいつまでも青春はしてられないんだと言い捨てて、寛之に会いに行った。男を追いかけて来た茅ヶ崎は寛之に事情を話し、転校の話はなかったことになった。内海達とも和解し、みんなの胸にちょっぴりしょっぱい青春の思いを残して翌朝、茅ヶ崎は去って行った。
この日の特別講義の講師はコント山口君と武田君のお2人で、コント入門篇。額にバンダナを巻いて「諸星です」と言って入って来た武田君に大笑い。ボケとツッコミ入門篇、実戦篇とやってたけれど、ほとんどお2人のコントで、メンバーは諸星くんがちょこっと腕の動きのコント(?)やっただけだったので、あんまり面白くありませんでした。
「CHECK! ざ 光GENJI」では晃くんの身体検査。そう言えばまだやってないんでしたっけ? Tシャツを脱がされて、身長を計りましょうと言われるんだけど、身長計でなくメジャーでのアバウトな測定で、178って言われて、そんなにないよと言う晃くんでした。前回よりずいぶん成長した晃くんに顔が大人っぽくなっただの、太っただのと言うドクター。悩みはないの? と聞かれて、別にないと言いつつ、腕にもうちょっと肉がついて欲しいと言ってました。まだまだ成長期だから肉がつくより縦に伸びちゃってるのよね。若い子に触って嬉しげなドクターと看護婦さんでした。
ラスト、テレビ質問箱は大沢くん。撮影の空き時間には何をしてますか? との質問に、大沢くんは今、怪我してる役で、バラバラなシーンを撮ってるので怪我のメイクを取ったり、包帯を巻いたりしてて、あまり空き時間はないとのこと。たまに1時間か2時間の空き時間があると楽屋で昼寝をしていたり、コンサートの資料のテープを聴いたりしてるとのことでした。
この日はドラマには淳くんと晃くん、敦くんの出演はなし。淳くんは特別講義の時にもいなかったので、この日の出演はお料理教室だけでした。後、エンドタイトルで「来週も見てね」と言ってただけ。これは可愛くて好きて、この時、エビグラタンを食べようとしてて、フォークに刺してるんだけど、それを内海くんに食べられちゃって「アッ!」って言って至近距離で顔を見合わせてるの…。
1989年名古屋2日目。前日の大沢くんに続き、この日の1部では諸星くんがステージから落ち。落っこちたり、転んだりが多かったような気がするこの夏のステージ。この日の2部ではラストの洋楽メドレーでローラースケート履いてグルグル周ってるところで淳くんは転んじゃって、しばらくそのまま寝そべってて、後ろの2、3人に飛び越えられてたけど、踏まれるんじゃないかって怖かったです。間がつまってたから、起き上がるのも危険だからとっさの淳くんの判断だったのかなと思うけど、後ろの子も判断良く飛び越えてったのにも感心しました。
淳くんと内海くんがアンコールなどでよくやってたステージの二手から走って来てバク転すると言う技(?)をこの日、敦くんのソロのイントロで淳くんと敦くんがやってて、こんなことやったのはこれが初めてだったのかな? 私のメモにはこれがきょう一番の感動だったと記されてました(笑)。そう言えば、内海くんとやるようになったのって、いつからだったんだろう?
ステージに投げ込まれたゴリラの人形を拾った諸星くんが「山本だ」って言ったら、内海くんに「何でも山本なんだな」と呆れたように言われてたのも2部でのこと。諸星くんは淳くんは愛敬があるからってイマイチよくわかんない言い訳をしてたけど、確かに諸星くんの淳くんネタはずーっと変わらず多かったですよね。一番構いやすい相手なんでしょうね。私は嬉しいからいいですけど…。だって諸星くんが構ってくれないと淳クンて自分からは案外喋りませんからね。
「ザ・ベストテン」この日は都合によりお休みってことでしたが、歌は以前に出演した時のVTRで流れました。でも途中まで…。VTRは3日のものでしたね。
1990年名古屋4日目、最終日。この日は前日までと曲順が大幅に変わってました。曲目自体は初日、2日目のアンコールの「地球をさがして」がなくなったのと、2日目、3日目とやった諸星くんの「MIDNIGHT 2 CALL」がなくなっただけでそんなに短くはなってません。中盤の曲順がいろいろ変わったので、淳くんが「素敵に…」の前に着替えをする暇が出来て、それまでは「ヒット・パレード・ボーイ」の時のままのイメージカラーのスタジャンだったのが胸に刺繍入りの白いシャツにベージュの短パン姿の可愛い格好になったのが良かったです。でもこの日はとうとう「ごめんなさい」と謝られちゃって、謝らなきゃいけないようなことするな! って思う反面、悪いことをしてた訳じゃないんだから、こめんなさいって言う必要はないんじゃないのと思ったりと、何だかこっちも心境複雑でしたね。また、淳くんがラストの辺りずーっと下向いたままだったので、雰囲気暗かったし…。初日は何も言わなかったのが、謝るようになるまでどんないきさつがあったのかは知らないけれど、4日間を見てて、最初は本人、雑誌に写真が載っちゃったのはまずかったと思っても悪いことしたなんて思ってなかったのが、言ってる間に段々悪いことしちゃったなって思うようになって、「ごめんなさい」になったのかな…なんて思いました。この後、「ごめんなさい」と言ったのは横浜の2日間と大阪での1回だけだったと思うけど、毎回「これからはみなさんを裏切るようなことはしません」ってのは言ってて、淳くんの2回目の「微笑」があった時には、あの言葉は何だったんだ!! だから気安く謝るんじゃないの、なんて思ったものでした(^^;)。ま、この年の夏を体験した山本ファンはみんな逞しくなりましたよね。あ、なんかコンサートのことと話がズレちゃってすみません。でも、この夏のコンサートを語るには山本ファンとしてはこれは外せないことなので、つい。
「ミュージックステーション」名古屋でのコンサートを終えて、東京へ戻っての出演。この日は各地で香草道路は渋滞していたようで、名古屋から車で来たらしい彼ら、よく間に合ったねぇと言われ、淳くんは御殿場から横浜までが混んでて、5時間半掛かったと言ってました。
歌前の話は20歳になったばかりの諸星くんひとりで。誕生日に何をやってたか聞かれた諸星くん、海に行って、友達の船でお酒をもらって呑んだら船酔いしちゃったと。20歳になって自分はこうしなきゃいかんと思ったことは…と聞きながら、自分で「ないよな」と言っちゃうタモリさん(^^;)。諸星くんもないですと答えてたけど…。名古屋からどれくらい掛かったのかと聞かれて、5時間半くらいって答えてるのかな。でも、それは御殿場から横浜の所用時間では? 途中の道路で火事があったりして大変だったようです。
1992年前年に引き続き、メンバーが全国各地に散らばっての握手会キャンペーン1日目。この年からひとりひとりでそれぞれの土地で行ったのですが、なにもコンサートツアーの最中にやらなくてもいいと思うのよね…。前日北海道でコンサートしてる彼らも大変だけど、行くファンも大変ってね。私はこれ以上とてもではないけど、仕事を休めないスケジュールだったので、この日の握手会はパスしましたが、後からいろいろ話を聞いたら、みなさんそれぞれ大変な思いをなさったようで…。聞くだけで疲れちゃった。と言うことで、大変だったそれぞれの体験談は聞いても、肝心の本人達の話はあまり聞いてないような…(^^;)。ま、握手がメインだから、話はあまりたいしたことなかったようですけどね。何か楽しい体験なさった方がいらっしゃいましたら、お聞かせください。
1993年SAY'Sコンサート福島1日目。福岡からこの日までの10本、私は観てないので、この日も友人のレポートです。
この日の2部から「REIKO」をやるようになり、その瞬間の会場の騒ぎは凄かったようです。「REIKO」の復活に伴って、曲順が少々変更に。寛くんのソロの後に「REIKO」が入って、その後が敦くんのソロ、そして「LOVE IS CRAZY」になったのだったと思う。SAY'Sコンはこの後、晃くんが「夕焼けの歌」を歌ったり、寛くんのソロが「素直な君に」になったりと、公演によって微妙な違いがありました。この日の2部以降のメニューはこちらをご覧ください。
この日、「REIKO」をやった瞬間の盛り上がりを聞いたのと、淳くんが「LOVE IS CRAZY」の『凍った唇で』のところで、指で唇を撫でて投げKissをしたと言うのを聞いた時、何で私はこの日行かなかったんだろう…? って悔しかったです(どーしても行けなかったから仕方ないんだけど…)。唇撫でる仕種なんて、他では1回もやってないから、私の中でのビジュアルが膨らんでしまって、想像する度、見たかったなぁと思いますね。実際は見たらそんなでもなかったかもしれませんけど…。
2部では寛くんのドラマのベッドシーンを寛&敦で再現し、その横で山&赤も寛くんの説明を聞きながら体現していたらしいのですが、これは今度は私の想像が働かなくて、イマイチイメージが湧きません…。どなたかこれを見た方、記憶にあったら絵に描いて説明していただけませんでしょうか?
福島にいらした方は思い出し、見てない方は私と一緒にビジュアルを思い浮かべながら読んでいただきたいレポートはこちらです。
おまけ1994年きょうもおまけ扱いだけど、この日、淳くんが京都・南座で、敦くんが大阪・ドラマシティーでコンサート。敦くんは本人も死にそうな回数と言っていた1日5回公演…。彼は無事に乗り切ったのでしょうか? 淳くんは南座で3回公演。淳くんのソロコンサートのレポートはこちらをご覧ください。