きょうの思い出

12/25

 1988年前週の全国でのバラバラ舞台挨拶に続き、この日は関東首都圏での舞台挨拶がありました。もちろん私も淳くんの舞台挨拶に行きました。淳くんは日比谷日劇東宝でした。
地方でもすごい人出だったし、今回は首都圏だからもっと人が来るかなと思って、前日のお昼から行ってたのですが、あまりの人のいなさに(並んでたのに私が気付かなかっただけかもしれないけど)思わず映画館に入って、映画見てしまいました(^^;)。映画館の中もガラガラでこんなんで大丈夫か? と心配になっちゃいましたけどね。夕方6時頃、友人と落ち合って映画館の下に列が出来てると言うので並びに行って、この時点で70人くらいだったかな!?人通りの多いところだから、並んでるのも恥ずかしいものがありましたが、8時頃になって列を移動させられて、明け方まで外に並んでました。早朝4時頃、映画館の中に入れてもらえることになり、この時点で200人くらいいたでしょうか? 暖かい室内に入って、柔らかい椅子に座って人心地がつき、7時過ぎから「ふ・し・ぎ・なBABY」を上映すると言うのでそれまで一眠り。
いつもは他のメンバーのファンも入り交じって映画を見てたけど、この時は8〜9割は淳くんファンだったと思うから、反応がいつもと違って楽しかったです。天使の格好での宙吊りシーンではあちこちから可愛い、可愛いって声があがってましたしね。同じファンばかりで見るのが癖になりそうでした。
映画が終わって、マイクが用意され、まず司会の女性が出て3つ4つ注意があり、いよいよ淳くんの登場。淳くんは幕の陰からひょこっと上半身だけ出し、Vサインして、カニさん歩きでステージ中央まで出てきました。この時の衣装は例の顔のセーターではなく、淡いピンクのロゴマーク入りのジャンパーに薄いブルーのGパンに黒い靴を履いてて、すごく可愛かったです前日1時間くらいしか寝てないとのことで、ちょっと眠そうでしたが、質問形式で司会の人と10分くらい話してくれました。質問内容は当時のメモが行方不明であんまり覚えてないけど、映画の話題になるといつも聞かれるようなことだったと思います。
もっとファンがうるさくするかなって心配してましたけど、淳くんが喋ってる時は結構静かで、ほのぼのした雰囲気でよかったです(*^^*)。この頃から淳くんファンは平和だったんですね。私は夏に少年御三家のコンサート以来、2度目の生・淳くんだったのですが、この日は4、5列目と近い席で見たもので、もう淳くん出て来た瞬間から「可愛い!」って言い放しでした。だからこの日の記憶と言うと、ひたすら「可愛い」って言ってたことなんだな(^^;)。この日があって、私ももうファンやめられないなと思ったものでした。

 「スーパーJOCKEY」この日は年末のスペシャルでしたが、ゲストにはあんまり関係なかったですね。歌では珍しく寛くんが剣を受け取りそこねてました。段になったセットにぶつかって転びそうになったのは諸星くんかな? ソロは敦くん1人バージョン。
この日は多分、生放送だったと思いますが、と言うことはみんな映画の舞台挨拶をしてから来た訳で、ちょっとボーッとしてる感じでした。この頃は本当にハードスケジュールでいつも目の下に隈作ってる状態でしたからねぇ。

 「歌え!ヒットヒット」1年間のまとめでいろいろな賞を発表してて、光GENJIはアイドル大賞・熱狂コンサート部門を少年御三家の一員で受賞してました。夏の武道館のコンサートのVTRが少し流れました。

 1989年この時のコンサートの目玉は、中盤にあったミュージカル風のコーナーでしょうね、やっぱり。今となっては記憶は遥か遠くであまり覚えてませんが、確か話の内容はヒロミちゃん(ヒトミちゃんだったかな?)って女の子(設定5、6才・実際に出演してる訳ではなく、女の子がいるつもりでお芝居してます)が1人で遊んでいるところで、メンバーが知り合いになるんだけど、その子のお母さんは病気で入院してて、容体が悪く、ついに亡くなってしまい、遠くに行ってしまうヒロミちゃんに頑張れよとみんなが励ますと言うものだったと思います。一応ミュージカルだから話の合間に歌が入ります。このコーナー、初回見た時はイマイチだったけど、慣れてきたらまーまーだったかな? でも、客も慣れてくるから、先回りして叫んだりするのがいて、うるさくなって来ちゃいましたけどね。もうひとつの目玉はダンスナンバー。これは無茶苦茶格好よかったです
このコンサートでは淳クン・晃くん・敦くんのソロがなく、淳クンはミュージカルでも台詞が短いのが3つしかなくて、全然声を聞いた気がしませんでした。もう少し構成考えて欲しかったですね。
この日、2部のコンサートが終わった後に「歌のトップテン」の中継が入り、「太陽がいっぱい」を歌いました。で、これ終わってアンコールが掛かったので、諸星くんが「赤鼻のトナカイ」を歌い出して、全員で歌ってくれました。諸星くん『お前の鼻が』ってとこで淳クンの鼻をツンツンしてたみたいだけど、角度が悪くてちゃんと見えなくて残念でした。そうそう、「歌のトップテン」では寛くんが淳クンとクリスマスを過ごしたって言ってるけど、2部のMCでは諸星くんがクリスマスは山本と2人だったって言ってるんで、どっちが本当のことなの? って思ったものでした。

 「歌のトップテン」クリスマススペシャルだったこの日、大阪城ホールのコンサート終了後、生中継が入りました。会場からの中継は「太陽がいっぱい」を歌っただけでしたが、その後楽屋からの映像もあってクリスマスの過ごし方を一言ずつ言ってました。淳くんはメンバーと過ごしてると言って、晃くんは同室の敦くんと2人でと言い、その敦くんはクリスマスツリーを部屋に飾ってあると言ってました。寛くんも山本と一緒なので、2人で「メリークリスマス!」とやってるって言ったのだけど、この時のメンバーの笑いは何なんでしょう? 内海くんはいつサンタさんが来てもいいように寝たふりしてると。大沢くんと諸星くんは全然関係なく雄たけびをあげてました。そしてここでコンサートでやってるダンスナンバーのビデオをテレビ初公開の特別プレゼントがありました。このダンスはすごく好きだったから、テレビで流してくれたのは嬉しかったけど、途中までだからちょっと不満…。どうせなら全部やって欲しかったなぁ。それに光と諸星くんが太鼓叩いてるところばかりじゃなくて、残りの4人が踊ってるところも格好よかったから、ちゃんと映して欲しかったんだな。

 1990年コンサート最終日。3日のコンサートなんてあっと言う間に終わってしまいますね。
1部は席が真ん中にあるステージのすぐ横だったのだけど、「イヴの夜からはじめよう」で目の前に誰もいなくてぽっかり空間あいてたから、淳クン来てくれないかなと思っていたら、願いが通じたのか、淳クンがやって来てくれて、しかもそこで大沢くんから跪かれてバナナを受け取るなんてシーンを間近で見れて楽しかったです。この回もこの2人はモンキーダンスを踊りまくってました。
この日の「DREAM FLIGHT」はあまり楽しい出来事はなし。毎回MCで光GENJIグッズのプレゼント抽選会をやってたのだけど、最初はその場でメンバーが席番を言って抽選をしてたので、手際が悪くてイライラしましたが、その後は事前に抽選した席番を発表する形になり、その発表の担当は内海くんと淳クンでした。で、することなくて暇だからか、諸星くんがやたら淳クンにちょっかい出してきたり、この日は自分の口の中でクラッカーを鳴らしたり、淳クンの頭にくっつけてクラッカー鳴らすので淳クンに怒られてました。でも、淳クンも諸星くんが口の中でクラッカー鳴らそうとしてるのをビクついて見てるなら、止めなさいって…(^^;)。2部では大沢くんがどこからか拡声器を持って来て、発表した番号を繰り返して言うので、淳クンにウケまくってました。

 1991年この日は追加でできた最終回。前代未聞の午前10時開演でした。更にメンバー(大沢くん)が途中抜けと言う普通では信じらんないようなこともあったし、何もそこまで無理して追加公演作らなくても…って思いますね(^^;)。時間の都合か、大沢くんが抜けたせいかわからないけど、後半の「風の中の少年」「CUM ON FEEL THE NOISE」「空を渡って君のハートへ」がカットされて、内海くんのMCも短くなって、歌が「LAST X'mas」に変更になってました。この日も淳くんは「笑ってよ」で両手の人差し指を頬に当て、小首をかしげるラブリーな仕種をしてましたが、結局これを1度も正面から見ることができなくて残念でした。この回の詳しい(ってこともないなぁ…と今読み返してみて思ったけど(^^;))はこちらです。

 「年忘れ!加トちゃんケンちゃんスターものまね大合戦」「水曜特バン」の「加トケンスペシャル」のものまね歌合戦の部分だけでの番組。大阪から6時半には家に帰って来れたので、リアルタイムで見ることが出来ました。
まずは今までのものまねを振り返って、諸星くんの1人男闘呼組、内海くんのデーモン閣下やM.C.ハマー、大沢くんのマドンナ、内海くんと淳くんの「踊るポンポコリン」、寛くん&淳くんの「かり」「うど」と懐かしいVTRが流れました。
そして今回のものまね。まずは内海くんのマイケル・ジャクソン。足の細さで体型はよく似てると思うけど、白塗り&濃いメーク、前髪垂らした髪型が不気味…(^^;)。例のごとく通訳まで引き連れて、成りきってました。終わった後、ribbonのマドンナに迫られて照れて、ちょっと地が出てましたね。
そして寛くんと敦くんの「ロンリー・チャップリン」。これはメイクが恐かったけど、敦くんのミニスカート姿が良かったわ。でもケーキぶつけるとかしない方がいいんじゃないかと思うけど…。更に続けて淳くんと晃くんの「兄弟船」。晃くんはパンチパーマにスーツ姿、淳くんは角刈りの頭に鉢巻き巻いて、投網を持った漁師姿。予告見て知ってたけど、いやー、見た瞬間はどうしましょうって思っちゃったわ(笑)。笑ったけど、恐いものもあるよ。淳くんは歌った後、そのままの格好で客席でノリまくってたのがまた恐い(笑)。
本物の山川さんが出た時に晃くんと淳くんも呼ばれて3ショットで並んで、淳くんはこういう格好をすると父親にそっくりだと言ったら、今度親父さん連れて来て一緒に歌えよなんて言われてました。
審査結果の発表。殊勲賞を内海くんが、そしてグランプリをGENJIの4人が貰ってました。今回はどうかな…? と思ったからグランプリ貰えてよかったね。4人も飛び上がって喜んでて、晃くんは淳くんの後ろから抱き付いてました。受賞後の一言インタビューで胸がいっぱいの淳くんと冷静にコメントする晃くん、そしてまだ女の子に成りきってる敦くんとチャップリンな寛くんでした。

 1992年この日からいろいろ変更になった部分があって、まず淳くんのソロの衣装がネーム入り、ドラゴン刺繍の赤い柔道着になりました。最初見た時は、あー?って思っちゃったけど、素足だし、二の腕も出してるし、これもなかなかいいかも…なんて思った私でした。他にも衣装が変わったメンバーがいて、寛くんが曲の途中で黒から白い衣装に変えてたのが最初から白い衣装のままで着替えはなく、代わりにか、諸星くんが黒から白い衣装に替えるようになりました。2部から変更になったのが晃くんのソロで、「クリスタル・ユニヴァース」になったら敦くんは出てこないし、次の敦くんのソロの衣装も白いフリフリのブラウスが好きだったのに、つまらない黒いスーツになってしまいました。それからストーンズのメドレーが2部から「PROUD MARY」に変更。この曲の方が、メンバーも切れまくるから楽しいんですけど、どっちにしてももうずいぶん長くやってるナンバーですね。
1部のMCでは淳クンがハワイで食事中に倒れた話を諸星くんがバラしてました。淳クンは最初マイク使わず「やめろー」とかって叫んで嫌がってたけど、そんなに変な話じゃなかったと思うけど…。後になったら顔をあげた淳くんのオデコに肉がくっいてたと笑い話になってるけど、その時は諸星くんもかなりビックリしたようでした。実際笑い話ですんでよかったけど、薬飲んでるのにお酒飲んじゃダメよって。あと、この回の話で好きなのは淳クンがカツオを20匹くらい釣て2匹だけホテルのお風呂に氷をいっぱい入れて飼ってて(もう死んでんじゃないのか?)さばいてメンバーに食べさせようと思ったけど、ナイフがなくてさばけず、クール宅急便で送ろうとしたけどわからなくて、その内腐ってきたので(やっぱり死んでるよ(^^;))ホテルのお姉さんに「Present for you」と言ってあげたって話。どこまで本当のことかわかんないけどね。でも釣り行ったのは本当みたいで敦くんに「淳クンカツオ持って満々の笑顔」って言われてました。
2部のMCでは諸星くんは「今、山本とケンカしてるんで喋らない」と言って、2人ステージ上で延々とケンカしてました。ケンカと言っても私としては痴話ゲンカって言いたいけど…(^^;)晃くんにもなんでケンカしてんのに隣にいるの?って言われてたしね(笑)。諸星くんは敦くんにも文句を言って、内海くんに「それ以上敵を作らんない方がいいよ」って言われてました。

 1993年コンサート3日目。この日の1部の「BREAK DOWN BOY」でステージ右の花道の先、スロープから高くなってる場所(淳くんが「2.5.7」で登場する場所。だから私はここを「高尾の山」と呼んでいました。以後そう表記してます)に7人が揃って立って、もう、鳥肌立っちゃうくらい格好よかったです。これは以後ずっと続きましたが、この日初めて7人がこの場に立ったら歓声が起きてましたね。
MCでは光GENJI内派閥に分かれたり(1部)、ケーキが好きか嫌いか、サンタクロース信じているかいないか、光GENJIをいいグループと思うかどうかなどのアンケートでいつも1対6に分かれて諸星くんを仲間はずれにしたり(2部)と「微笑」を逆手に取ったネタで盛り上がってました。でも、この日はビデオ撮りがあったから、それ用のネタだったかなって気もしますけど。
他にもいろいろ楽しいことの多かったこの日のレポートはこちらをご覧ください。


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