若者たちは何故、特攻を行ったか


* 特攻:「統率の外道」について *

小灘利春 元第二回天隊隊長・海軍大尉

この言葉は、神風特攻をはじめて採用した第一航空艦隊司令長官大西滝治郎海軍中将の自分自身に対する言葉です。

日本海軍は創設以来、日露戦争のときの旅順口閉塞隊のような高い危険を伴う「決死隊」を志願者を募って出すことはありましたが、隊員が生還する道のない「必死」の作戦や兵器は認めませんでした。開戦のとき真珠湾を攻撃した特殊潜航艇は、生還の手段が用意されていたので許可になり、一方人間魚雷は各方面の若い士官たちが熱烈に提唱したのになかなか取り上げられず、やっと試作にかかったときも脱出装置の準備が前提条件でした。これらは、上層部がその伝統を切羽詰まるまで固く守ったからです。

敢えて必死の飛行機特攻を始めたのは、比島沖で日米艦隊の総力を挙げた決戦を前にして、極度に劣勢な日本の航空隊にはこれ以外にはまともに戦う手段がなかったからです。しかし伝統を破ることであり、大西長官は「統率の外道」と自嘲して云われ、終戦直後に責任をとって割腹自殺されました。

この特攻は繰り返すつもりではなかったのに、飛行機による体当り攻撃が予想を上回る効果を挙げたこと、またこれ以外に戦う方法がなくなったために終戦まで繰り返されました。

戦争が続くかぎり、軍人は最善を尽くして戦い続ける義務があります。司令長官ほか作戦指導層としても特攻は本来とるべき戦法ではなく、作戦として下策であり異常であることは承知していても、採用するほかない状況でした。

しかし、みずから弾丸となって敵艦に体当りしていった搭乗員たちは断じて「外道」ではありません。

大西長官は最初の神風特別攻撃隊で出撃する隊員たちに、
「日本はまさに危機である。この危機を救い得る者は、大臣でも、大将でも、軍司令総長でもない。もちろん、自分のような長官でもない。これは諸士のような純真にして気力に満ちた若い人々だけである。したがって自分は一億総国民に代わって皆にお願いする。どうか成功を祈る」と率直に訓示しています。

回天で戦死した予備士官の久家稔大尉は、
「俺等は俺等の親を兄弟を姉妹を愛し、友人を愛し、同胞を愛するがゆえに、彼らを安泰に置かんがために自己を犠牲にせねばならぬ。祖国敗るれば、親も同胞も安らかに生きてゆくことは出来ぬのだ。我等の屍によって祖国が勝てるなら満足ではないか」と、回天搭乗員を志願した頃の日記に書きしるしています。これこそが私ども特攻隊員に共通した動機でした。

特攻隊員たちは自分のために望んで必死の任務についたのではありません。勲章とか名誉とか、そんなもののために、一つしかない自分の命が捨てられるわけがないのです。破滅の渕に立っている日本の国と国民を護るために、進んで命を捧げたのです。一人が命を捨てることで千人の日本人を助けることが出来ると考えたのです。

彼等特攻隊員たちの心情を理解する日本人は少ないようですが、戦中の海陸合せて七千人にもおよぶ若人の献身を無視するような自己中心主義者ばかりでは、この国の将来は無いと考えますが、如何でしょうか。

>> 「何故の特攻か」


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>> 回天隊発足に至る経緯

太平洋戦争末期・概況

若者たちは何故、特攻を行ったか (「統率の外道」について)

当時の日本の状況

回天特攻隊発足の経緯

搭乗員募集について

伊47潜と回天作戦(創始者黒木大尉と仁科中尉)

参考資料:河合不死男白龍隊隊長が出撃前に残したアルバム

回天特攻隊
2002.11.12