−HP制作者より−

*創始者の一人、仁科中尉の残した言葉*



「自分たち(特攻隊員の志)が礎となって、日本は立派になるのです。
自分たちの死は、決して無駄ではありません・・」


仁科中尉をはじめ、これら特別攻撃隊で先頭に立って死んでいった隊員たちは、まぎれもなく、将来は国を動かす立場にいた若者たちでした。 また、それに続いた隊員たちも、そのほとんどは、国を愛し、敵から愛する者を守るために、自らの命を犠牲にすることを惜しまなかった勇士たちでした。


仁科中尉(左から二人目):第一陣菊水隊隊長として出撃・戦死

敗戦が決定的となった時点での特攻死は、無駄死にだった、という意見もありますが、実際は(仁科中尉以下隊員の考えは)そうではなく、もっとも絶望的になった時でも決して望みを捨てず、「俺達は命をかけてこの国、国民を守ったのだ」ということを、同じくこれからこの国を動かしていく後世(我々)に伝えたかったから、というのが、HP制作者としての率直な彼らへの推察です。


■特攻隊員、敵艦突入・撃沈(米軍給油艦ミシシネワ)■


こうして組織された、潜水艦乗組員を含む回天特別編成隊は、絶望的な国の危機の中、目の前に迫ってきた敵から国民を守る軍人の責務として、幾多の敵艦を撃沈、撃破させました。その中には、多門隊出撃による、広島、長崎に落とされた原爆をテニアン島(B29の拠点)まで運んだ重巡インディアナポリス――積み降ろし終了後ベティ航路を航行中、伊58潜により撃沈―― も含まれています。これは戦時中の軍人としては、最大の責任を果たしたのではないかと思われます。

>> 回天搭載潜水艦の交戦状況
>> 原爆運搬艦インディアナポリスの撃沈

実際、人間の生理を完全に無視した特攻攻撃という行為は、戦況が長引くにつれ、その熾烈を極めた猛訓練、作戦(戦法)で様々な問題も生み、またすべての人達が、仁科中尉と同じような思いで死んでいったわけでもないかも知れませんが、しかし、国、国民を守るため、軍人として選択し得る極限の手段を敢えて選び、未来の日本のため、私たちのために、こうして最後まで死闘を尽くした人達が、確かにいたということも、今の日本の、特に若い人達に知って欲しい ――これらの事実が本当にあったのであるのなら、どうしても伝えていかなくてはならない――、との思いから、このHPを立ち上げました次第です。

戦争により亡くなられた多くの人々のご冥福を、ここで心よりお祈り申し上げますと共に、その尊い命、この英霊たちの残した志が、日本の更なる発展、世界の和平、そして、「一人一人の命、生活を大切にする、ゆたかな社会」に向けて、次世代へと永く生かされていきますことを心から願います。 

>> 航空特攻司令長官大西滝治郎
海軍中将の残した遺書