おぐまや
[おぐまや:ogumaya]
老舗珈琲店。コーヒーのおいしさと、マスターの無口さは長岡一。カップボードには大倉陶園、ウェッジウッドなど名品が並んでおり、マスターが客の雰囲気に合ったカップを選んでスッと出す。
このカップ・コレクションが総額いくらなのかが本来の謎なのだが、マスターが「俺に話しかけるんじゃない」オーラをガンガン出しているため、調査が難航中。
01:果敢にも
02:関係者筋より
03:衝撃続報
04:大訂正
05:びっくり続報
06:やっぱり続報
まいまいひめ
[蝸牛姫:the princess of snail]
大手通り西端にある、かたつむりに騎乗する少女像。設置者は、像の目前の銀行。設置理由およびモチーフがなぜ『かたつむり』なのかは不明。作品名『まいまいひめ』は台座に記されている。
・『ひめ』のプロフィール
・ナメクジ疑惑
・西の蝸牛 東の鯉
・さよなら!?まいまいひめ
・吉報 2000秋
・期待通りの出来レース
・サイドストーリー・平和の像
・くるりんニアミス事件
・像に歴史あり
・飛躍の鯉
若草合唱団
[わかくさがっしょうだん:WAKAKUSA sangermadchen ]
昭和ナガオカにこだました天使の歌声、いわばナガオカのウイーン少年合唱団but少女がほとんど、というローカル児童コーラス団。団員たちは学校・学年・地域の枠を超えて集まっていたと思われるが、いつ生まれ、どこで活動し、誰が運営して、何のために歌っていたのか、まったく不明の団体である。ある意味「歌うフゾク」。
もと団員であった投稿者さんによると、
「私、昔小学校のときに、若草合唱団というものにはいってました。
市内の小学校の高学年の中から選ばれた、歌の上手い子たちが集まってつくられた合唱団で(私の場合声のでかさと身体のでかさで選ばれただけかもしれないというびみょ〜なコンプレックスをいまだ持ち続けている)、1年に一回発表会があったりしてちょっと自己顕示欲が満足させられるものでした。
それってまだあるのかな?
そして、たしか同じような感じでナントカ劇団ていうのもあったような?
ひまわり・・・?
誰か教えて!」
『ひまわり』は全国区の有名児童劇団ですね。なぜかホンジャマカ石塚を輩出。ともあれ、この「歌うフゾク」の続報を待つ!謎の劇団も同上!
続報。謎の劇団は「劇団すぎの子」というものであるらしい。
元団員のかたによると、「隔週だったか月1だったか(とにかく大昔のことなのでよく覚えていません)の土曜日の午後、昔の市役所庁舎(柳原町)の5Fにあるスタジオで、あえいうえおあお・・・、とか、坊主が屏風に・・・、とかやっていました」とのことである。
そのベーシックな稽古の成果は、「小学校向けにラジオ番組(教育テレビのラジオ版みたいなもの)を放送していて、その子役をやったり、何年に1度かは厚生会館でわかくさ合唱団と合同の発表会もありました」と、多方面に発信していたらしい。
運営は長岡市ではないかとのことだが、別角度から切り込んだご投稿も。
「謎の劇団というのは、『ムクドリ篇 』のワキヤ局長の箇所に登場する『長岡教育放送局の放送劇団』なのでは?」とのこと。ちなみに彼らは、小学校の社会の授業で使われていたオーディオテープ教材の声優であるらしく、「長岡市について説明する教材テープでしたが、音声のみで「ここが鉄工団地だよ。工場がたくさん集まっているんだ」などと言われてもどんなものだかさっぱりイメージできませんでした…。」と投稿者さん談。なお、主宰はそんな教材ぜんぜん知らないのであった。学校差か、あるいは世代差か!?
昭和30年代後半にはすでに存在していた、との続報が。当時の団員さんより。
「私が小学4年で入団したんだから、1963年には存在してたってことですね。
練習は、やっぱり旧市役所庁舎の放送スタジオでやっていたと思います。杉の子じゃないけど、「あいあいあいあいあいあいあいあ〜、えおえおえおえおえおえおえおえ〜」とかやってた。
市内のいろんな小学校から来てましたね、子供も先生も。
フゾクの子がいたかどうかは、憶えてませんが。因みに私は四郎○でした。厚生会館の発表会以外にもあちこちで歌ってたと思う。夏は合宿もしてたんじゃないかな。確か、八方台の宿泊施設の前の階段で、みんな揃った写真があったような気がする。その頃の私、落語に凝ってて、合宿で『時そば』なんか演ってましたね。
坂之上小だったと思うんだけど可愛い女の子がいて、密かに憧れたりしてた。その子、お母さんが音楽の先生で、親子で来てました。練習はそれなりに楽しかった記憶がありますね。その頃歌った歌、今でも何曲か憶えてます」
うーん、青春の1ペェジですねえ。でも、『時そば』をやる小学生っていうのはちょっとアレとゆーか、往時の山田くん@ザブトン一枚ってゆーか(笑)。
こしひかり弁当
[こしひかりべんとう:ultra-light lunch box ]
そんなものが本当に存在するのだろうか?――ナガオカ人でさえ半信半疑のそのものの名は、『こしひかり弁当』。その名の通り、コシヒカリのご飯だけが詰まった駅弁であるという。米をおかずに米を食わせるストイックな弁当というわけだが、主宰はまったく見たことが無い。投稿者さんの情報ソースはTV番組『鉄腕ダッシュ』。しかも、ご友人からの伝聞情報であるため、販売場所もパッケージも不明である。
その後、「『コシヒカリ弁当』という名の駅弁は確かに実在するが、それは、おかずも多数添えられた普通の幕の内系である」という続報が。新潟駅系業者『新潟三新軒』製で、950円。問題の駅弁は、もしかしておかずを詰め忘れたエラーものか?とも思われたが、『鉄腕ダッシュ』のホームページには、問題の『こしひかり弁当』の業者は『オレンジアベニュー』となっているという。
new!
上記『オレンジアベニュー』は、日本レストランエンタープライズ(旧『日本食堂』)の駅弁ブランドであるとのこと。「天下の日本レストランエンタープライズが、まっしろいご飯だけの弁当を販売するわけがないと…」と、投稿者さん談。
確かにねえ。最近上越新幹線が、飛行機のように座席前ポケットに通販パンフレットを入れるサービスを展開中ですが、そのパンフレットにも、問題の駅弁の記載はまったくナシ。やはりエラー物件、あるいは、テレビ向けのアレなんでしょうか…。
なぜナガオカにイチが立つのか?
[いち:the market]
それはあまりにも慣れすぎていて抱き損なっていた大疑問。『輪島の朝市』の
ように港が近いからでもなく、『酉(とり)の市』のように神社系のわけでも
なく、『ほおずき市』のように特定の商品を売るわけでもない。生鮮食品から
衣類・日用品まで並ぶ品揃えと、三八市と五十市あわせれば二日おきの出店と
いう頻度はちょっと他にない。
『るるぶ新潟』の長岡の欄に観光ポイントとして載っていたことを知る人は
少ないが、いつから始まったのか、どうして三八・五十なのか、それぞれの
出店者はカブらないのか、テントは自前なのか、消費税を取らないけど大丈夫
なのか、ショバ代払っているのか、隣でフリマやってもいいのか、故ジャイア
ント馬場のお姉さんはどこなのか…等々を知る人はもっともっと少ない。
…と思ったら、いらっしゃいました。
イチは昭和10年代からすでに開かれていたようで、戦中・戦後も乗り越え、
現在に至っている模様。また、ジャイアント馬場氏のお姉さんは、五十市では
郵便局付近がテリトリーらしい。馬場氏同様、長身であるという。
そしてさらに続報が。イチの起源はさらに古く、明治42、43(1909、1910)
年頃から始まったようである。
また、その呼び方については、『三八市』については「さんぱちのいち」で異論
はないようだが、『五十市』は「ごとうのいち」「ごといち」「ごっとのいち」
などのバリエーションがある模様。
時をかける人々
[ときをかけるひとびと:TIME TRAVELERS]
ナガオカには、時の壁を超えて存在するとしか思えない人々がいる。
【粉金】
長岡市内を移動販売する豆腐屋さんの屋号。木の蓋のある豆腐専用
荷車に、笠とハッピといういでたちは、まさに永遠の豆腐屋。かつ
ては「トー♪フー♪」とマンマな音色を出すラッパも吹いておられ
た。支持層は幅広く、なんと、下校途中の女子高生が買っていたと
いう目撃談もある。
【釘仙人】
釘を無数に打ち付けた木造家屋に住む老人。数十年前から『老人』
だったようである。玄関先に七輪を出し、魚を焼くと見せかけて
ダンボールを焼くなど、現代美術的なパフォーマンスには定評が
ある。釘屋敷の前以外でも、「あのお方は!」と、わかるらしく
すずらん通りなどでも目撃証言あり。
また、過去に某銀行の某支店の忘年会で、上座に招待されたという
ウワサがあるという投稿が寄せられ、その正体がますます謎に包ま
れたうえに、「イトーヨーカドーの地下・試食コーナーの常連」と
いう情報も頂き、ヨーカドーの怪人の仲間入りも果たしてしまった。
さらに、「隣のピンサロUSAの地主であるらしい」という情報も
寄せられた。やはり銀行の忘年会に招待されるほどの富豪であらせ
られるのか。しかし、同時投稿にこんなものが。
「釘屋敷の件ですが、あそこには電気が来てないらしいです」
…奥の深いおかたである。
【あやしい自転車乗り】
市内各地を自転車で走り回る、外国人青年。おおむね二人組み。
数十年前から『青年』だったようである。彼らはモルモン教の
布教者で、不老の秘密は、単に定期的に人が入れ替わっている
かららしい。布教のかたわら老人ホーム等でボランティア活動中。
なお、モルモン教とはアメリカ・ユタ州を中心に活動するキリス
ト教の一派。日本ではケント・デリカット、斉藤由貴で有名。
本国でも自転車で布教しているのかは不明。酒・煙草禁止の宗派
のはずだが、一緒に日本酒を飲んだという大きな声では言えない
報告あり。
旧3区の謎
[きゅうさんくのなぞ:mysteries of the ex-3rd constituency]
T・KことT中K栄氏プロデュースの旧新潟3区には、様々な謎が…。
【22万票の影に】
いわゆる「みそぎ選挙」と呼ばれた1983年12月の衆院選。
当時人口18万(もちろん有権者じゃない20才未満人口を含む)だった長岡
を大票田とする旧新潟3区で、なんと22万もの票をゲットしてしまった田中
角栄氏。その影で、涙を飲んだ人物がいる。トレードマークは黒のサングラス。
「ああ、野坂昭如ね」と思った読者はまだ甘い。その謎のグラサン氏は街宣車
による活動もほとんどなく、ポスターもあまり貼られていなかったらしい。
ちなみに獲得票数は51票。
「名前は記憶にございません」と投稿者さんのやや「おいおい^_^;」な談だが、
「『影』という文字があったような…」とのこと。ということは、H柴H吉氏で
はない模様。…そういえば、途中からT中K栄氏が実名になっちゃってるじゃん、
この稿。
【越後のアウトバーン】
他区民に「田んぼのアゼ道まで国道並み」と言われる旧3区。
そして新潟県全体もまた、他県民に「普通の国道まで高速並み」と言われる程
の道路天国である。
実際、国道8号や17号は設計速度80km/hであるらしく、信号のないザイゴ
エリアに入れば速度無制限のアウトバーン状態となっている。
また、そんなアベレージの高さのせいか、県内には高速道路以外の有料道路が
ないらしい。かつては有料であった奥只見シルバーラインや越後七浦シーサイ
ドライン等も現在は無料であるとのこと。建設費用を回収したら無料になると
言い続けながらもなぜか値上がりしていく首都高とはえらい違いである。
茶色の赤飯
[ちゃいろのせきはん:brown but red-rice]
ナガオカの赤飯は赤くない。他地域では、小豆の煮汁か食紅入りの水で
炊いた、塩味の小豆おこわを『赤飯』というが、ナガオカ版は、なぜか
醤油味。そのため、色は茶色。しかも、入れられる豆は小豆ではなく、
大きなインゲン豆である。家庭で炊く場合も、和菓子屋などのプロが炊
く場合もレシピは同じで、お好みによりゴマなどをふりかける。インゲ
ンはホクホクして美味しく、醤油味のおこわ本体もイケるのだが、いか
んせん見た目になにやら品がなく、ヨソのほんのりピンクの赤飯@小豆
おこわに比べると、あまりメデタくなさそうなたたずまいなのであった。
見た目より食べ応え重視のナガオカ人らしいと言えばらしいけど…。
長岡市推薦映画鑑賞券
[ながおかしすいせんえいがかんしょうけん:like a boo-boo-paper]
現在巨大なカニが動いているあの場所に、映画の大看板が並んでいた頃、
ナガオカ児童達は春夏冬の休み前、学校から不思議な一枚の紙をもらって
いた。トレーシングペーパーのような薄紙に、地味なスミ一色文字のみの
印刷。それが『長岡市推薦映画鑑賞券』、いまはなき柴田観光(観光会館)
映画館の割引券であった。
しかし、適用がタイクツな文部省推薦系の映画ばかりだったため、口に当て
息を吹きかけてブーブー鳴らすという、いま思えばナニが楽しいんだかサッ
パリわからない遊戯に使用される場合が多かったと思われる。
あの推薦&割引システムがナガオカ独自のものなのか、費用はどこから出て
いたのか、今の子供たちは長岡マリオンの割引券をもらっているのか、なぜ
あんなトレペみたいな紙だったのか、どうして『東映まんがまつり』は毎回
必ず推薦されていたのか、謎は深まるばかりである。
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