草岡神社の二つの大鳥居
当神社の祭神は大己貴命(です。 御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。
平安時代には清和天皇貞観9年(867)に正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により玉依姫命を祀る下賀茂社(京都)に寄進され社領として下村加茂神社が中心とする倉垣庄内に22の末社が勧請され氏神として合祀され祭政一致が行われた。承応2年(1653年)の奥書『越中國式内等旧社記(前田侯爵家の蔵本が底本:現在最古)』には草岡神社(古明神村加茂社)が”旧社”であることを伝えています。
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【草岡神社の鳥居】
鳥居は俗域から参道を経て神域に入る関門として建てられています。草岡神社の北参道の大鳥居は木造(桧)で明神鳥居と言います。社伝では大正の建立と伝えられています。西参道の大鳥居は石造(御影)で昭和43年(1968)建立で明神鳥居・笠木二本継と言います。 二本の柱、これに貫(ぬき)を通し、笠木(かさぎ)を置いた4本の木組み構造の”門”は最も簡単で原始的ではあるがバランスの良い構造物です。その高さや、柱の大きさ、連続性、朱塗り等から崇高性が人間の神経を刺激します。鳥居の種類は20種類に及びます。日本であれば、本来なら木造であるはずですが、石鳥居の歴史も古く、現存する石鳥居の最古は鎌倉時代永仁2年(1294)に四天王寺の西門前に立つ鳥居と聞いています。最も古いのは現存しませんが平安時代、平清盛が厳島神社に立てた石の唐破風鳥居と伝えられています。
(神社建築:山内泰明著より)
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