草岡神社の産土神
”現存する棟礼(と絵馬(”
神社明細帳には御祭神(は神代の昔、この地を開耕した「大巳貴命」(となっている。平安時代末、寛治6年(1092)には京都下賀茂神社((祭神・玉依姫命)の末社(神領)となることから「玉依姫命」(が合祀されたと考えられる。それ故に、江戸時代において加茂社とも草岡神社とも呼ばれていた。
境外末社の恵比須社(祭神・事代主神)の勧請(された年記は不明であるが、現存する棟礼(と絵馬から考察すると江戸末期の文化8年(1811)の棟礼や、文政元年(1818)の村鑑に「草岡社・加茂社・恵比須社」と併記されていることから三神が合祀されていたが、慶応2年(1866)の相殿(の棟礼に「事代主神」(が別記されていることから、神仏分離令等多くの世相が反映していたのではないかと考えられる。大正12年に新たに合祀されたと考えられる。明治5年に郷社に格付けされ、延喜式内社に列せられています。現在、正殿には三神が合祀されている。 |