草岡神社 神馬が空を翔る
当神社の祭神は大己貴命(です。御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。平安時代には清和天皇貞観9年(867)に正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により玉依姫命を祀る下賀茂社(京都)に寄進され社領として下村加茂神社が中心とする倉垣庄内に22の末社が勧請され氏神として合祀され祭政一致が行われた。承応2年(1653年)の奥書『越中國式内等旧社記(前田侯爵家の蔵本が底本:現在最古)』には草岡神社(古明神村加茂社)が”旧社”であることを伝えています。
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草岡神社に神馬(奉納。
本殿、社務所の改築後、平成14年、神主・氏子の長年の願いであった”神馬”が織田一成奉賛会長の手で奉納された。
延喜式3巻26条では、雨を願うときには「黒毛の馬」を、晴れを願うときには「白毛馬」をそれぞれ献納するという記述があります。この神馬を奉納する習慣は古く、奈良朝時代にさかのぼると言われています。『古事類苑』によれば大宝2年(702)に飛騨の国から、天平3年(731)に甲斐の国から神社に祈願のため献馬した記録が残っています。室町時代になると雨乞いの祈とうや祝い事に、南北朝期前後になると、馬の代わりに料銀をそしてだんだん形式化していきます。小規模な神社ではその世話などが重荷となることや、高価な献納する側にも大きな負担となることから、『絵馬』などに置き換わったと考えられています。射水市には下村加茂社の「やぶさめ」や、京都葵祭りに見る神霊が乗り移った神馬の祭りごとが残っています。多くの神社は『絵馬』や『鋳造された馬』に代替えしています。当神社にも源平絵巻の絵馬が幣殿や拝殿に掲げられています。
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