債権法改正 要綱仮案 情報整理

第10 履行請求権等

1 履行の不能

 履行の不能について、次のような規律を設けるものとする。
 債務の履行が契約その他の当該債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。

中間試案

2 契約による債権の履行請求権の限界事由
  契約による債権(金銭債権を除く。)につき次に掲げるいずれかの事由(以下「履行請求権の限界事由」という。)があるときは,債権者は,債務者に対してその履行を請求することができないものとする。
 ア 履行が物理的に不可能であること。
 イ 履行に要する費用が,債権者が履行により得る利益と比べて著しく過大なものであること。
 ウ その他,当該契約の趣旨に照らして,債務者に債務の履行を請求することが相当でないと認められる事由

(概要)

 契約による債権につき,履行請求権がいかなる事由がある場合に行使できなくなるか(履行請求権の限界)について,明文規定を設けるものである。従来はこれを「履行不能」と称することが一般的であったが,これには物理的に不可能な場合のみならず,過分の費用を要する場合など,日常的な「不能」の語義からは読み取りにくいものが広く含まれると解されている(社会通念上の不能)。そうすると,これを「不能」という言葉で表現するのが適切か否かが検討課題となる。そこで,履行不能に代えて,当面,「履行請求権の限界」という表現を用いることとするが,引き続き適切な表現を検討する必要がある。
 現行民法には,履行請求権の限界について正面から定めた規定はないが,同法第415条後段の「履行をすることができなくなったとき」という要件等を手がかりとして,金銭債権を除き,一定の場合に履行請求権を行使することができなくなることは,異論なく承認されている。そこで,本文では,履行請求権が一定の事由がある場合に行使することができなくなることと,その事由の有無が契約の趣旨(その意義につき,前記第8,1参照)に照らして評価判断されることを定めるものとしている(本文ウ)。また,履行請求の限界事由に該当するものの例として,履行が物理的に不可能な場合(本文ア)及び履行に要する費用が履行により債権者が得る利益と比べて著しく過大なものである場合(本文イ)を示すこととしている。

赫メモ

 債務の履行が不能である場合に債権者は債務の履行を請求することができないという、基本的な規律を設けるものである。
 「契約その他の当該債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして」の表現については、要綱仮案第8、1のメモ参照。

現行法


斉藤芳朗弁護士判例早分かり

 (A=債務者,B=債権者)
@ 【物理的不能ではないとされた例,賃貸借契約】最高裁昭和30年12月20日判決・民集9巻14号2027頁
  借地上の建物が昭和21年9月に駐留軍に接収され取り壊された後に,モータープールとして使用されていた土地αに関して,地主Aから借地人Bに対する契約解除の効力が争われた事例。
  αに対する借地権は,いわゆる接収が解除されるに至るまで一時的に事実上行使し得ない状態におかれているにすぎないのであるから,これを一時的履行不能と見るのを相当とし,このような場合は,たとえ債権者の責に帰すべき事由,または当事者双方の責に帰すべからざる事由による場合であっても,債務を消滅せしめるものではなく,単に債務者をして履行遅滞の責を免れしめるに止まるものと解するを相当とし,債務者がこのことを理由として契約を解除しうるものでないことはいうまでもない。

A 【法律的不能の例,売買契約】最高裁昭和35年4月21日判決・民集14巻6号930頁
  AはBに対して,昭和18年に0.7万円で土地建物を売却し,その後昭和20年にAが0.7万円でこれをCに対して転売しC名義に仮登記手続を行い,昭和25年に移転登記手続が完了した。移転登記手続の時点での物件の価額は22.2万円となっていた。
  原判決判示のような事実関係の下において,売買契約に基いてAの負担する債務は移転登記の完了した時において,結局履行不能に確定したものとした判断は当裁判所もこれを正当として是認する。

B 【法律的不能の例,売買契約】最高裁昭和45年3月3日判決・判時591号60頁
  山林中の立・倒木の売主Aが,買主Bにおいて木の伐採搬出が可能となるように,山林に管理権限を有する管理委員会に山林αを使用することの承諾を得ることを約していたが,委員会は伐採期限の延長申請を拒絶し,Bに対して山林への立入禁止を通告した。
  本件契約は,山林中の立・倒木等の売買であるが,その目的とするところは,立・倒木の伐採,搬出にあり,右目的達成のため,売主たるAは,買主たるBに対し,山林の所有者よりBが伐採,搬出のため本件山林を使用することの承諾を得ることを約した。それゆえ,Aは,Bに対し右の承諾を得させる債務を有するものであり,右債務は本件契約の目的達成のため必要不可欠な債務と解すべきである。そして,委員会は立入禁止を通告したというのであるから,右債務はAの責に帰すべき事由により履行不能となったものと解すべきである。したがって,Bは,これを理由に,本件売買契約を全部解除できる。

C 【法律的不能の例,賃貸借契約】最高裁昭和49年12月20日判決・判時768号101頁
  C所有の建物をAがBに対して賃貸していたが,BはCとの間でこの建物に関する賃貸借契約を締結した。
  所有権ないし賃貸権限を有しない者Aから不動産を賃借した者Bが同一物について真の権利者Cと賃貸借契約を締結するに至ったときは,はじめの賃貸借は賃貸人の使用収益させる義務の履行不能により終了に帰し,その時から賃料債務は発生を止めるものと解せられる。賃貸人Aに対して賃料を支払わない賃借人Bの上記主張を取り上げなかった原審の判断を取消し。

D 【法律的不能の例,賃貸借契約】最高裁平成9年2月25日判決・民集51巻2号398頁
  CがAに対して建物を賃貸し,AがBにこれを転貸していたところ,Aが賃料を支払わなかったため,CがAとの賃貸借契約を解除して,昭和62年にABに対して明渡訴訟を提訴し,平成3年にC勝訴の判決が確定した。BはAに対して,昭和63年から平成2年までの転借料を請求した。
  賃貸人の承諾のある転貸借においては,転借人が目的物の使用収益につき賃貸人に対抗し得る権原(転借権)を有することが重要であり,転貸人が,自らの債務不履行により賃貸借契約を解除され,転借人が転借権を賃貸人に対抗し得ない事態を招くことは,転借人に対して目的物を使用収益させる債務の履行を怠るものにほかならない。そして,賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合において,賃貸人が転借人に対して直接目的物の返還を請求したときは,転借人は賃貸人に対し,目的物の返還義務を負うとともに,遅くとも右返還請求を受けた時点から返還義務を履行するまでの間の目的物の使用収益について,不法行為による損害賠償義務又は不当利得返還義務を免れないこととなる。他方,賃貸人が転借人に直接目的物の返還を請求するに至った以上,転貸人が賃貸人との間で再び賃貸借契約を締結するなどして,転借人が賃貸人に転借権を対抗し得る状態を回復することは,もはや期待し得ないものというほかはなく,転貸人の転借人に対する債務は,社会通念及び取引観念に照らして履行不能というべきである。したがって,賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合,賃貸人の承諾のある転貸借は,原則として,賃貸人が転借人に対して目的物の返還を請求した時に,転貸人の転借人に対する債務の履行不能により終了すると解するのが相当である。

E 【法律的不能ではないとされた例,売買契約】最高裁昭和25年10月26日判決・民集4巻10号497頁
  他人が所有する不動産の売買契約の効力が争われた事件。
  一般に契約の履行がその契約締結の当初において客観的に不能であれば,その契約は不可能な事項を目的とするものとして無効とせられること,所論の通りであるが,他人の物の売買にあっては,その目的物の所有者が売買成立当時からその物を他に譲渡する意思がなく,したがって売主においてこれを取得し買主に移転することができないような場合であってもなおその売買契約は有効に成立するものといわなければならない。このことは,民法が他人の権利を目的とする売買についてはその特質に鑑み561条ないし564条において,原始的不能の場合をも包含する特別規定を設け,前示一般原則の適用を排除していることに徴して明かであろう。
  他人の物の売買においては,売主がその売却した権利を取得してこれを買主に移転することのできないときは,買主は唯それだけの事由に基づき契約の解除をなすことができるのである。もとよりその履行の不能が原始的であると後発的であるとを問わず,また売主の責に帰すべき事由によるものたるか否かは問わないのである。この事は民法561条の明規するところである。

F 【法律的不能ではないとされた例,売買契約】最高裁昭和46年12月16日判決・民集25巻9号1516頁
  Aは,土地を前所有者から購入し,買主Bに転売する売買契約を締結したが,土地についてCのために売買予約の所有権移転仮登記を行った。
  Cに対して売買予約を原因として仮登記がなされたというだけでは,いまだAのBに対する売買契約上の義務の履行が不能になったと解することはできない。なぜなら,Cの有する仮登記に基づいて本登記がなされたのであれば格別,仮登記の状態にあるかぎりAがBに対して所有権移転登記を求めるについて支障とならないだけではなく,Cの仮登記は後日抹消されることがないとはいえず,もし抹消されたときはBは完全な所有権を取得しうるからである。

G 【法律的履行不能ではないとされた例,賃貸借契約】最高裁昭和34年12月4日判決・民集13巻12号1588頁
  借地人Aが所有する建物が滅失した後に,土地が区画整理施行区域に指定され,その後昭和22年以降Aが地主Bに対する地代の支払いをしなかった。その後,昭和23年に土地が学校敷地に指定され,Aは市から学校敷地になる予定であるから家を建てないように非公式に注意された。地主Bが,昭和22年から1年間地代不払いを理由に借地契約を解除した。(その後,土地の周辺に柵が作られ,学校敷地が正式決定すれば,建築許可はしない旨告知された。)
  本件で問題となった昭和22年から1年間土地に対するBの使用収益が全面的に不能であったものとは認められないから,Bが右期間における賃料の支払義務を当然に免れたものということはできない。

H 【経済的不能の例,請負契約】最高裁昭和58年1月20日判決・判時1076号56頁
  AがBから請け負った曳船について,全速力で右方急旋回する場合に発生する振動が設計の不備に基づく欠陥であり,この欠陥を修理するためには,船体を切断して後部の船体を新造したものと取り替える工事が必要であるとして,Bがその工事費用などを損害賠償請求した。
  瑕疵が存在しているにもかかわらず,Bが他船とほぼ同一の収益をあげていたことに鑑みると,曵船の瑕疵は比較的軽微であるのに対して,瑕疵の修補には著しく過分の費用を要する(2440万円の費用,70日間の工期)ものであるということができるから,民法634条1項但書の法意に照らし,Bは,曳船の瑕疵の修補に代えて改造工事費及び滞船料に相当する金員を損害賠償として請求することはできない。上告棄却(なお,原審は,請負代金3800万円の10%に相当する400万円を損害賠償として認容していた)。

H-2 【宅建業法違反の報酬請求権について,自然債務とした事例】東京地裁平成10年7月16日判決・判タ1009号245頁
  AはBに対して,Bが土地を購入し,マンションを建築したうえで転売する業務を委託したところ,Bから報酬を請求された。
  宅建業法は,宅建業を営もうとする者は,建設大臣又は都道府県知事の免許を受けなければならないものとし(3条1項),右免許を受けない者は,宅建業を営んではならない旨規定した(12条1項)上で,違反者は,3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する旨の刑罰規定(79条2号)を設けて,宅建業の無免許営業に対しては,厳しい刑罰をもって臨む免許制度を採用している。無免許業者のなした媒介行為が,行政取締にも拘わらず,一応私法上有効に商法512条に基づく報酬請求権が成立するとしても,報酬請求権の行使に対して,依頼者が任意に報酬を支払う場合は格別,厳しい刑罰規定の存在に鑑みれば,民事裁判においても,裁判所が無免許業者に報酬請求権の行使を認めて利益を得させることにより,無免許営業に加担することはできず,無免許業者に対する依頼者の報酬支払債務は自然債務にとどまるものと解するのが相当である。報酬につき,裁判上その支払を求めることは許されない。

H-3 【貸金業法違反の報酬請求権について,自然債務とした事例】浦和地裁平成7年1月31日判決・判時1553号112頁
  AはBの仲介により,第三者から5500万円を借り受けた。Bは,Aに対して,媒介手数料130万円の支払いを求めた。
  貸金業法は,貸金業者(金銭の貸付け又は金銭の貸借の媒介を業として行う者)に対する規制によってその業務の適正な運用を確保し,資金需要者(借手)の利益を保護しようとするものであり,そのため,貸金業者の登録制度を設け,一定の欠格条件に該当する者に対しては登録を拒否し,登録を受けない者の営業を禁止し,これに違反した場合には3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はその併科という罰則を規定している。右規定が法の目的を実現するためのもので,違反行為に対 しては刑事罰をもって臨んでいることのほか,違反行為が一般取引きに及ぼす影響及び当事者間の信義等を総合勘案すれば,無登録業者との媒介契約が公序良俗 に反するものとして直ちに無効であるということはできないけれども,右媒介契約に基づく無登録業者の媒介手数料請求権は,国の機関である裁判所の判決によ る強制力をもってその実現を求めることはできない,いわゆる自然債務であるというべきである。