新津機関区
1972.10.12 小樽築港へ転属。
1974.3.20 廃車 解体

クルクルパーも外されて、すっきりした顔のD5163。

1972.9.1     新津機関区     Photo by K.Watanabe.

新津のナメクジは顔を合わせる機会が多かった。63は1972年に入ってから急に出現回数が増えた感じのカマ。1972年9月23日の三重連運転では即席の燕マークをデフにつけて先頭に立った。北海道でも活躍する姿を見ることができた。

貨物列車の長さも、かっての繁栄をしのばせる。

1972.2.13     平木田     Photo by K.Watanabe

新津のカマはランボードに白線が入っているのが常だが、この写真にはない。後の写真でも入ったり消えたりしているが、理由は不明。当時は労使対決の厳しい時代で、真っ黒のSLは絶好のアジテーションの看板(?!)となり、テンダから顔まで白黒まだらのカマが走り、ファンをがっかりさせた。塗装し直して白線を入れる間が無かったのかと思ったりもする。

D5163とD51135の重連が千分の六を越える。

1972.4.16     金塚     Photo by K.Watanabe

煙室扉に「マル生粉砕」の落書きが見えるが、これはまだ程度が軽い。テンダの下半分は塗装したての様で、光沢が違う。たぶん、盛大なアジ落書きがあったと思われる。後ろのD51は長工デフのD51135。

DD532とD5163の重連。

1972.4.23    間島−村上     Photo by K.Watanabe

前の写真から一週間後には白線が復活していた。
DLの不足していた当時、夏期はDD53もDD51に混じって本線で活躍した。DD53も今は貴重品だが、当時はそのような意識が無く、まともな写真が無い。

信越本線のD5163とEF15の重連。

1972.9.1     新津     Photo by K.Watanabe

信越本線でEF15と重連貨物を牽くD5163。信越本線の新津、新潟操車場間は羽越電化まで蒸気機関車索引の貨物列車が運転されていた。

 

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羽越本線のD51
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